(21)スダッタによる祇園精舎の寄進~「祇園精舎の鐘の声」はここから。大商人による仏教教団の支援

祇園精舎 仏教コラム・法話

【仏教入門・現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】(21)
 スダッタによる祇園精舎の寄進~「祇園精舎の鐘の声」はここから。大商人による仏教教団の支援

前回の記事「⒇マガダ国王ビンビサーラとの再会~大国の国王達が続々とブッダへの支援を表明!権威を増す仏教教団」では大国の国王達がブッダ教団への支援を表明したことが教団の拡大の一因となったことをお話ししましたが、今回の記事ではそれとはまた別の視点から仏教教団の拡大について見ていきたいと思います。

今回の記事の主役はスダッタという大商人。彼は祇園精舎をブッダに寄進したことで有名になった人物で、あの「祇園精舎の鐘の声・・・」はこの祇園精舎から来ています。

では、早速始めていきましょう。

スダッタとは何者だったのか

前回の記事でお話ししましたように、ブッダは大教団の長としてマガダ国を訪れていました。そしてビンビサーラ王の寄進も受けブッダ教団はしばらくの間その首都王舎城周辺に滞在していました。

そんな折、ブッダ逗留の噂を聞きつけたある商人がブッダの下を訪れます。それがスダッタでした。

彼はマガダ国と並ぶ大国コーサラ国の首都シュラーヴァスティー(舎衛城)の大商人で、慈善の心に溢れた人物として知られ、「孤独な人々に食を給する人」という意味の「給孤独長者ぎっこどくちょうじゃ」と呼ばれていました。

スダッタはブッダと面会し、衝撃を受けます。ビンビサーラ王もそうでしたが、彼もブッダの素晴らしい教えと光り輝くかのような姿に心から尊敬の念を覚えることになりました。やはり内面の輝きは姿かたち、立ち振る舞い全てににじみ出てきます。

「やはりこのお方は噂通りの素晴らしい方だ。この尊きお方は、人々を苦しみから救うために教えを説いている。であるならば、ぜひ私もその力になりたいものだ」

そう思ったスダッタはすぐさまブッダに自国コーサラ国の首都シュラーヴァスティーへの招待を申し出ました。

ブッダは快く承諾します。

そして後にブッダがその地を訪れた時、スダッタは祇園精舎をブッダのために寄進しました。こうしてブッダ教団の大きな支援者として大商人スダッタの名が歴史に名を刻まれることになります。

祇園精舎寄進のエピソード

さて、こうしてブッダ教団に寄進された祇園精舎ですが、ここは元々スダッタの所有していた土地ではありませんでした。

スダッタは富裕な大商人でしたので、おそらく多くの土地を所有していたことでしょう。しかしブッダに土地を寄進するとなると、マガダ国王ビンビサーラがそうしたように、「街から遠すぎず近すぎず、喧噪もない静かで瞑想に適した土地」でなければなりません。こうなると都市の大商人たる彼が手頃な土地を持っていなかったというのも納得できます。

というわけで自国に帰ったスダッタが急ぎ土地を探し回ったところ最適な場所を発見します。「ここをブッダ様の教団に使って頂こう!ここならば必ずや快適に過ごしていただけるに違いない!」。意気揚々としたスダッタでしたがすぐにがっくり来てしまう事実を知ることになります。なんと、ここがあろうことかコーサラ国の王子ジェータ太子の所有する「ジェータ林」という場所だったことに気づいたのです。

商人や農民が持っている土地ならまだしも、王族が所有する土地をどうやって取得すればいいというのか・・・

悩んだスダッタはダメ元でジェータ太子にこの土地を譲ってほしいと持ち掛けます。

「王子様、私にこの林をお譲りください。ここに僧園を作りたいのです」

「待て待て、ダメに決まっているではないか。ここは譲らないよ。」

「いえ、そこをなんとか!」

「たとえ君がこの敷地に金貨を敷き詰めたとしても私はここを譲らないよ」

「・・・今、「この敷地に金貨を敷き詰めたとしても」と仰いましたね?」

「それがどうしたと言うのかね」

「お付きの皆さん、聞いておられましたか?今太子様はこの敷地の価値を定めました。この敷地の価値は『敷地いっぱいの金貨』だと太子様が仰られたのです。私はその申し出通り、これからそれを実行することに致します。」

「いやいや、ちょっと待ちなさい。私は何も・・・」

「いいえ、もしお断りされるならば法に訴えてでも私はこの林を購入することにします。では!」

何とも、屁理屈といいますか力づくな交渉ではありましたが、スダッタはこうして購入への一歩を踏み出したのでした。それに、太子としてもまさか本当に敷地いっぱい分の金貨を持ってくるだろうとは思っていなかったのでしょう。

しかし太子の見込みは甘かった!彼の覚悟は本物だったのです。

スダッタは荷車に金貨を積み、続々とジェータ林に敷き詰め始めました。その様子を見た太子はさすがに肝を冷やします。

「おいおい、そこまで本気ですることではないではないか!わかったわかった!君がそこまでするほどブッダ様は素晴らしいのだな。よろしい!では私がブッダ様にこの土地を寄進しよう!」

こうした申し出に対しスダッタは驚きの答えを返します。

「いえ、それには及びません。私があなた様から買い取り、寄進しますから」

これには太子もびっくり。「まさかそれほどまでとは・・・!」と呆気にとられるのでありました。

こうしてスダッタは約束通り金貨を支払い、ブッダ教団に寄進することができたのでありました。

祇園精舎を訪れて

祇園精舎がある舎衛城はネパール国境とも近く、ブッダが生まれ育ったカピラヴァストゥとも近い距離にあります。コーサラ国がブッダの生国を事実上属国としていたのもこうした地理上の関係があったのでした。

さて、その祇園精舎ですが、ここも他の仏跡と同じく土に埋まって忘れ去られていましたが、19世紀中頃より発掘が始まっています。

祇園精舎に行くまでの道も基本的には畑です。仏跡はブッダガヤを除けばほぼ田舎の中にぽつんとあります。仏跡巡りの道中は忍耐力が試されます。ひたすら同じような景色を眺めながらの移動となることを覚悟しなければなりません。

土に埋もれていた祇園精舎も現在は整備され、上の写真のようなゲートがあります。ここから入ると、すぐに広い平らな土地が視界に入ってきます。

この広い敷地内に数多くの僧院跡が残されていますが、これらの多くはブッダの死後に増設されていったものになります。ここはブッダ亡き後も修行者たちの僧院として利用されていました。

こちらがスダッタがブッダのために建てたとされる僧院跡です。他の僧院に比べ明らかに部屋数が少ないことからも誰か特定の人のために作られたことが伺えます。

建物のサイズだけを見るならばこの写真のように大きなものがいくつもありますが、それらは修行者たちの部屋がずらりと並んだ作りとなっており、ブッダのための建物とは違う用途だったことが明らかです。

敷地内には大きな菩提樹があり、オレンジの衣を着た僧侶達が瞑想をしていました。

僧院が立ち並ぶエリアから少し離れると、木々が生い茂る小道へと出ます。ブッダ達もここを歩いたのだと思うと鳥肌が立ちました。時代の流れを感じさせない雰囲気があります。

そして近年の発掘により、ブッダ達が沐浴していたであろう池が発見されました。現在はこのように整備がされています。僧院からは少し離れた場所なのであまりここまでは人はやってこないようですが、実は私の中で一番印象に残っているのがこの池になります。他の仏跡ではあまり感じなかったゾクっとするような感覚があったのを今でも覚えています。ブッダがここにいたのだという感覚を強く感じたのがなぜかここだったのです。ブッダのための建物でもなく菩提樹の木でもなく、ここに私が惹かれたというのは自分でも不思議な思いでした。

ここでは現在も手作業での発掘が続いていますが、インド政府としては仏跡調査にはそれほど予算をかけられないとのことで今も手つかずのままとなっている場所が多々あります。右の写真もまさに少し掘り出されてそのままという状況です。インドでは仏教徒は極々少数です。そして現在のモディ政権ではヒンドゥー教を強く支持する政策が取られていますのでおそらくこの状況はなかなか変わらないでしょう。(観光客誘致のためのインフラ整備は行われていますが)

かといって他の国が作業をするにも、発掘には莫大な予算と手間がかかります。各国の共同プロジェクトという形でなんとか調査を続けているのが実情です。厳しい状況ですが、これからの発掘の進展を期待するしかありません。

祇園精舎は現在もブッダ在世時の雰囲気を感じられる素晴らしい場所です。私も数ある仏跡の中でもここは特にお気に入りの場所です。ブッダ達もここを歩いていたのだろうと考えながらゆっくり散歩できるのは素晴らしい体験でした。

ちなみに『平家物語』の有名な冒頭「祇園精舎の鐘の声」ですが、実はここには鐘はなかったそうです。ブッダの時代にそのような鐘を鳴らす習慣もなく、その後も存在しなかったとされています。この鐘の存在は当時の日本人のイメージが反映されていたものだったのでしょう。そしてそのイメージが今にも続いているというのはなかなか興味深い話ではないかと私には思えるのですが皆さんはいかがでしょうか。

まとめ

さて、スダッタによる祇園精舎の寄進について今回は見ていきましたが、大商人による支援には大きな意味があります。

商人は街と街の交易を繋ぐ要の存在です。つまり、言い換えれば国王とは違う意味での広いネットワークを持った存在になります。前回の記事でお話ししましたように、ビンビサーラ王は「王のお触れ」として「仏教教団の教えを聞くこと」を国中に布告しました。

それに対し、商人は商人で国中、いや国を超えてブッダ教団の素晴らしさを伝えていくことになります。また、諸国王のお墨付きを得たブッダ教団を支援していることは商人としてのステータスにもなり得ます。こういうわけでスダッタだけでなく多くの大商人がブッダ教団を支援することになりました。

また、スダッタがジェータ林を太子から「買い取った」というのも実は重要です。私達からするとこれは当たり前のように感じますが、これは当時のインド社会において貨幣経済がかなりの度合いで発展していたことを示しています。

そして「金」さえあれば王族の土地ですら買えてしまうというのも重要です。東インド地方で従来のカースト制度が壊れつつあったというのは「なぜ仏教がインドで急速に広まったのか~バラモン教から距離を置く大国の誕生と新興商人の勃興」の記事でもお話ししましたが、まさにそれを象徴するかのようなエピソードがこのスダッタによるジェータ林買収になります。

こういうわけで、国王と大商人という強力な支援者を得た仏教教団はさらに急拡大していくことになります。

次の記事ではこのような大教団のトップとなったブッダがついに故郷のカピラヴァストゥへの帰還を果たしたことについてお話ししていきます。

※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。

「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」

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