フィレンツェを知るためのおすすめ参考書一覧~ダ・ヴィンチやマキャヴェリ、ダンテなど芸術や歴史、文学など奥深き世界を堪能
フィレンツェを知るためのおすすめ参考書一覧~イタリアルネサンスと知の革命
前回の記事ではイタリア・ローマを知るためのおすすめ参考書をご紹介しましたが、今回の記事ではフィレンツェについてのおすすめ本をご紹介していきます。
フィレンツェのおすすめ参考書ベスト5
高階秀爾『フィレンツェ 初期ルネッサンス美術の運命』
この本はフィレンツェの歴史やメディチ家、サヴォナローラについて知るのに非常におすすめな作品となっています。
フェイレンツェといえばボッティチェリやレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロなど言わずもがなの巨匠の作品が今なお世界中の人を魅了し続けている華の都です。
ですがそんなフィレンツェではありますが、いざこの街がどのような歴史を経てどのように芸術が花開くことになったかというのは意外とわかりにくいです。
ルネサンス芸術という言葉は知っていてもいざこの芸術が実際にどのようなものなのか、それが黄金期を迎える時代背景は何だったのか。私にとっても、わかるようでわからない微妙な問題でした。
その鍵となるのがフィレンツェという街の独特な政治体制やメディチ家の台頭、そしてイタリアの政治情勢にあったのでした。
この本ではルネサンスが生まれてくるその時代背景、政治状況を詳しく知ることができます。フィレンツェといえばダ・ヴィンチのイメージもありますが、彼自身はここで芸術家として成長したものの、その才能を完全に発揮させたのはこの街ではありませんでした。なぜフィレンツェではなく他の街でそうなったのか。それもこの街の政治情勢やフィレンツェ人の気質などが関係しています。
メディチ家の歴史やその後のフランスとの戦争、サヴォナローラの宗教独裁などこの本では興味深い歴史がたくさん語られます。特にフィレンツェの共和制の仕組みが実は共和的なものではないというそのからくりや、イタリア諸国の軍事事情などは非常に興味深いものがありました。この特殊な軍事事情があったからこそあのマキャヴェリが『君主論』を書くことになります。
ダ・ヴィンチを通してルネサンスやフィレンツェに興味を抱くようになった私ですが、これまで学んできた色々なものとつながってくる非常に興味深い読書になりました。
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フィレンツェ―初期ルネサンス美術の運命 (1966年) (中公新書)
桑木野幸司『ルネサンス 情報革命の時代』
まずはじめに言わせてください。
この本はものすごく面白いです!びっくりするくらい刺激的な作品です。
私がこの本を読んだのは『印刷という革命』という本がきっかけでした。
1450年頃にグーテンベルクによって開発された活版印刷術。これが後に世界を変えた大発明であったことは間違いありません。
ですが印刷技術ができてすぐに人々の知性が爆発していったというわけではなく、印刷技術そのものも開発後しばらくは商業的に苦戦するという有様でした。
この時代の知識人たちの間で何が起こっていたのか、いつ頃からルネサンスの天才たちは活躍し始めたのか。私はそのようなことに興味を持つようになったのでしたが、そんな時に出会ったのが本書『ルネサンス 情報革命の時代』になります。
「本書では西欧の、おおよそ十五世紀から十七世紀初頭にかけての期間を、メディア革命が徐々に進展してゆく時代ととらえ、従来とはいくぶん、いや、かなり違った角度からルネサンスという文化運動/時代を語ってみたい。」
この本はルネサンスというわかるようでなかなかわからない時代を「メディア革命」という切り口で見ていきます。
私は本が大好きです。そんな本好きの私にとって、本がいかにして世界を変えてきたのかということを知れたのは最高に刺激的でスリリングな体験となりました。
これは面白いです。
ルネサンスに興味がある方、本が好きな方にぜひぜひおすすめしたい名著です!ものすごく面白いです!
知的好奇心がスパークする作品です!ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
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近藤恒一『ペトラルカ-生涯と文学』
読書のカリスマ、ペトラルカ。
このお方は非常に興味深い人物です。
そんなペトラルカの生涯や思想を知るのに近藤恒一著『ペトラルカ-生涯と文学』は最高の一冊です。
この作品ではペトラルカの生涯に沿って彼の思想や特徴を見ていくのですが、これがとにかく面白い!
ペトラルカその人も興味深いのですが、著者の語りがまた素晴らしいんです!
当時の時代背景やペトラルカが何を求め、何に苦しんでいたのかというのが非常にわかりやすく説かれます。
これを読めばルネサンスの流れも掴めますし、何より、ペトラルカ作品を読みたくなります!
また、一番驚いたのは『デカメロン』で有名なボッカッチョとの関係でした。
なんと、ペトラルカとボッカッチョはルネサンス文芸を切り開いた盟友ともいうべき間柄だったのです。これには私も驚きました。『デカメロン』は言わずと知れた超有名作ですが、まさかペトラルカと繋がってくるとは・・・
ボッカッチョはペトラルカより九歳年下です。彼は親友であり、師としてもペトラルカを深く敬っていたそうです。1300年代中頃のイタリアは私にとってノーマークな時代でしたがこれは非常に興味深いものがありました。
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マウリツィオ・ヴィローリ『マキァヴェッリの生涯 その微笑の謎』
「読者は、マキァヴェッリが過ごした日々を脳裏に思い描きながら、彼が生きた時代を追体験することができるだろう。」
まさにこれです。この伝記はマキァヴェッリがどんな生涯を生き、何と戦っていたのかということを臨場感満載で追っていくことになります。
私はこの本を読んで驚きました。「マキァヴェッリってこんな目にも遭っていたのか!」とショックを受けました。まさか彼が失脚させられ謀反の疑いまで掛けられ、愛するフィレンツェの街から拷問までされていたとは・・・
そして田舎に閉じこもり書物と向き合い、そこから自身の外交官体験と照らし合わせて作られたのが『君主論』だった。この流れには痺れました。さらにこの伝記では『君主論』の何が画期的だったのかということもわかりやすく解説されます。これも非常にありがたいものがありました。
マキァヴェッリというと、マキャベリズムという言葉があるほど「権謀術数何でもござれ」の悪いイメージがあるかもしれません。
ですがこの伝記を読めばそうしたイメージが覆ること間違いなしです。衝撃的な内容が語られます。
ぜひぜひおすすめしたい作品です。
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ウォルター・アイザックソン『レオナルド・ダ・ヴィンチ』
この本の特徴はダ・ヴィンチの生涯を彼が遺したノートをもとに描いたという点にあります。
そしてもう一つ、これも本書の大きな特徴になるのですが、著者がダ・ヴィンチを「偉大な天才」として描くのではなく、あくまで「人間」ダ・ヴィンチとして描いているという点が挙げられます。
『「天才」というレッテルは単に人並み以上の才能に恵まれただけという印象を与え、かえってレオナルドをおとしめることになる』
「レオナルドの非凡な才能は神からの贈り物ではない。彼自身の意思と野心の産物だ。」
「彼の才能は常人にも理解し、学びうるものだ。たとえば好奇心や徹底的な観察力は、われわれも努力すれば伸ばせる。またレオナルドはちょっとしたことに感動し、想像の翼を広げた。意識的にそうしようとすること、そして子供のそういう部分を伸ばしてやることは誰にでもできる。」
著者はこうした観点からレオナルド・ダ・ヴィンチの生涯を語っていきます。
ダ・ヴィンチがある種の巨大な才能を持っていたことは確かです。ですがだからといって私たちが彼を圧倒的な超人として遠ざけてしまっては大切なことを見逃してしまうことになります。私達はダ・ヴィンチから学ぶことができる。私たちも彼に習ってできることがある。そのようなことを著者はこの本で語っていきます。
ダ・ヴィンチの生涯を知る上でこの作品は非常にありがたいものでした。とても読みやすく、ダ・ヴィンチの足跡や特徴がとてもわかりやすく解説されます。
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フィレンツェをさらに味わうためのおすすめ本
石鍋真澄『フィレンツェの世紀』
この作品は芸術作品そのものよりもその作品が生み出された時代背景に注目していく点にその特徴があります。
著者が「本書の大半はコジモ・デ・メディチを筆頭とするエリート市民の物語である。」と述べるように、この作品は共和制国家フィレンツェを構成するエリートたち、特にメディチ家と美術のつながりについてわかりやすく学ぶことができます。
しかもメディチ以前のフィレンツェから時代順にその流れを見ていけるのでこれはありがたい作品でした。
フィレンツェには有名な建築や芸術作品がありすぎて何を見ればいいのか混乱してしまうほどです。ですがそれを時代順にこの本で見ていくことになるので頭がすっきりします。歴史の流れとセットで見えてくるのでこれまで本や映像で漠然と見ていたフィレンツェがまた違って見えてきます。
有名なフィレンツェのドゥオーモがどんな歴史を経て建てられたのか、そしてそのすごさの秘密はどこにあるのかというのも非常に興味深かったです。
そしてそこから一五世紀のルネサンスを引っ張っていく芸術家たちの躍動、コジモ、ピエロ、ロレンツォというメディチ家当主たちの政治、美術との関係についても語られていきます。石鍋真澄氏の著作はとにかく読みやすくわかりやすいです。しかも深い所まで私たちを連れていってくれます。こんなフィレンツェ案内を堪能できるなんて最高です。
この本を読めばフィレンツェにより興味が湧くこと間違いなしです。そして現地でフィレンツェを見てみたいという気持ちがどんどん強くなっていきます。
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宮下規久朗『フェルメールの光とラ・トゥールの炎―「闇」の西洋絵画史』
この作品は書名にありますように、光の画家フェルメールの美しい絵画がいかにして生まれてきたのかということを「闇」を切り口に考えていく作品になります。
そしてこの本のもう一人の主要人物ラ・トゥール(1593-1652)はフランスの画家で、「夜の画家」と呼ばれる巨匠です。
窓から差し込む美しい光を描いたフェルメール。それに対し闇を照らすろうそくの火を描いたラ・トゥール。
この2人の対比はそれだけでも興味深いですよね。
そしてさらに興味深いのはこうした「光と闇」の探究はあのレオナルド・ダ・ヴィンチにも繋がっていくという点でした。
かつて西洋絵画において「闇」が描かれることはありませんでした。そんな中初めて大きな闇が描かれた作品として、この本ではイタリアの画家タッデオ・ガッディ(1300頃-1366)の『羊飼いへの天使の知らせ』が紹介されていました。
そしてそこからおよそ150年の時を経てあの天才レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)が現れます。
ルーブル美術館に所蔵されているこの有名な絵画ですが、実はこの作品こそ絵画の歴史に巨大な影響を与えていたのです。本書ではそうした絵画における「光と闇」についての刺激的な講義を聞くことができます。これは面白いです。
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フェルメールの光とラ・トゥールの焔: 「闇」の西洋絵画史 (小学館101ビジュアル新書 14 Art 2)
元木幸一『笑うフェルメールと微笑むモナ・リザー名画に潜む笑いの謎』
この本はタイトルにありますように、フェルメールとモナ・リザの笑顔を主題に、絵画史における知られざる笑顔の意味を探究していく作品です。
キリスト教の絵画における笑顔の両面の意味。これは絵を観ただけではなかなか気づけないものではありますが、一度知ってしまったらその見方は一変してしまいます。
ではこの本のメインテーマであるフェルメールとモナ・リザの笑顔にはどんな意味があるのか。ぜひこの本を読んで頂けたらと思います。非常に面白い本でした。ぜひぜひおすすめしたい作品です。
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笑うフェルメールと微笑むモナ・リザ: 名画に潜む「笑い」の謎 (小学館101ビジュアル新書 22 Art 7)
松田隆美『煉獄と地獄 ヨーロッパ中世文学と一般信徒の死生観』
私がこの本を手に取ったのはダンテの『神曲 煉獄篇』がきっかけでした。
10年ぶりに読んだ『神曲 煉獄篇』。初めて読んだ時はキリスト教の知識もあまりなく、煉獄についてほとんど疑問に思うこともなく読み進めていたのですが、ドストエフスキーを通じてキリスト教について学び直した今、「煉獄ってそもそも何なのだ?」という思いが湧き上がってきたのでありました。
煉獄は聖書の中には書かれていません。ですがカトリック世界においては非常に重要なものとして存在してきました。
ではその煉獄はいつ頃に生まれたのか。どのような背景で煉獄が語られるようになったのか。そしてどのように人々の間に広まっていったのか。
それらのことを知りたくなり、私はこの本を手に取ったのでした。
この本ではなぜ煉獄が生まれてきたのかということを時代背景からとてもわかりやすく解説してくれます。
やはり思想というのは何もないところからぽんと生まれてくるものではありません。必要とされる時代背景があるからこそ生まれてくるのだということをこの本では感じることができます。
煉獄が生まれてきたのは12世紀頃とこの本では語られます。
そしてダンテが『神曲』を書いたのが14世紀初頭ということで200年ほどのスパンがあります。この間にもダンテだけではなく様々な形で煉獄は語られていたのでありました。
また、この本では煉獄だけでなく地獄や天国についても語られます。
ですのでダンテの『地獄篇』『煉獄篇』『天国篇』のすべてをカバーした内容ともなっています。直接的にダンテの『神曲』について語られることはありませんが、これを読めばダンテが何を参考にして作品を作り上げていったのかがわかります。
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ダンテ『神曲 地獄篇』
『神曲』といえば誰もがその名を知る古典ですよね。ですがこの作品がいつ書かれて、それを書いたダンテという人がどのような人物だったのかというのは意外とわからないですよね。
というわけで本題に入る前にダンテのプロフィールを簡単にご紹介します。
1265年、トスカーナ地方フィレンツェ生まれ。イタリアの詩人。政治活動に深くかかわるが、1302年、政変に巻き込まれ祖国より永久追放される。以後、生涯にわたり放浪の生活を送る。その間に、不滅の大古典『神曲』を完成。1321年没
河出書房新社、ダンテ、平川祐弘訳『神曲 地獄篇』より
ダンテはイタリアルネサンス文芸を代表するペトラルカ(1304-1374)やボッカッチョ(1313-1375)より少し前の世代の人物になります。
彼がフィレンツェ生まれであるということにまず驚きましたが、政治の争いに巻き込まれたことで追放されてしまったというのもびっくりですよね。そしてこの追放への様々な思いから書かれたのが今回ご紹介する『神曲』になります。祖国への思いや権力闘争、不正への憤りがこの作品の原動力になっていたと思うとまたこの作品が違って見えてきますよね。
さて、この『神曲』ですが、主人公はダンテ本人。そのダンテが地獄、煉獄、天国を巡っていくというのが大きな筋となります。
『神曲』では地獄が階層状に描かれます。下へ行けば行くほど罪の重い人間が置かれていて、それぞれの罪状に応じて地獄の責め苦を味合わされることになります。
基本的には物理的な方法で身体を痛めつけるのが地獄の責め苦のパターンになります。火で炙られるというのも『地獄篇』ではたくさん出てきます。
ですがこの作品を読んでいて驚くのは、時にユーモアが感じられるような刑罰が存在しているという点です。
これは第八の圏谷の第三の濠なのですが、ここでは聖職売買を犯した罪人が罰せられています。穴の中に逆さまに埋められ、地表に出た足が炎に焼かれているのがこの罪人たちなのですが、挿絵で見てみるとなんとも間抜けなようにも思えてしまいますよね。
たしかに穴の中に逆さに埋められ足を延々と焼かれるというのは想像を絶する痛みを伴う責め苦でしょう。ですがどうも恐怖を感じさせない何かがあるのです。挿絵の影響も大きいのでしょうが、本文を読んでいてもどこかユーモアと言いますか皮肉めいたものが感じられます。聖職売買を犯した罪人たちへの怒りや嘲笑をダンテはここで暗に込めようとしていたのかもしれません。
『神曲』では他にも不思議な責め苦が語られるのですが、この作品で私が最も驚いたのは地獄の最下層の描写でした。
悪魔大魔王が控えるこの地獄の最下層なのですが、なんと!この場所は氷漬けの世界なのです!
私たちのイメージからすると地獄といえば燃え盛る炎のイメージがありますよね。
ですが『神曲』では違うのです。ここはキンキンに冷えた氷の世界で、罪人たちは全身を凍らされて苦しんでいるのです。
私が『神曲』を初めて読んだのは大学三年生の頃でした。今から10年以上も前です。ですがこの地獄の最下層の氷漬けの世界を初めて目にした時の衝撃は今でも忘れられません。
「キリスト教の地獄の一番底は氷の世界なのか!仏教と真逆じゃないか!」と私は仰天したのです。
仏教における地獄の最下層は無間地獄(阿鼻地獄)といって、その名の通り「間なき苦しみ」をもたらす地獄です。想像を絶する灼熱に永遠とも思える時間焼かれ続ける。それが無間地獄になります。
仏教には八大地獄というものがあり、罪の重さによってどんどん厳しい責め苦が行われることになります。その一つ目の地獄から灼熱の炎はその最大の責め苦の一つとなっていて、地獄を下れば下るほどその火力はすさまじいものになっていきます。
ですので私が初めて『神曲』を読み始めた時、前半は仏教と似ているなと思ったのです。ですが最後の最後でキンキンに冷えた極寒の世界が出てきてそれはそれは驚いたものでありました。
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ダンテ『神曲 煉獄篇』
前作『地獄篇』で案内人ウェルギリウスと共に地獄を巡ったダンテは、今作で煉獄という場所を巡ることになります。
煉獄は天国でも地獄でもなく、いわばその中間にある場所です。天国へ入る前に身を清めるための場として煉獄はあったのでした。
上でもお話ししましたが、私が『神曲』を初めて読んだのは10年以上も前です。その時はキリスト教の知識もほとんどなかったため煉獄についても特に疑問を持つことなく読み進めていった記憶があります。
ですが今回、ダンテが生きた時代背景とものすごく密接に絡み合って生まれたのがこの作品だったということを改めて知ることになりました。より詳しくは上でご紹介した参考書『煉獄と地獄 ヨーロッパ中世文学と一般信徒の死生観』をぜひ読んで頂けたらなと思います。
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ダンテ『神曲 天国篇』
著者であり主人公のダンテは『地獄篇』で案内人ウェルギリウスと共に地獄を巡り、そこから『煉獄篇』で煉獄という場所を巡ることになりました。そして『天国篇』ではいよいよダンテは天国へ向かいます。
天国は私たちの生きる現世とは違い、いとやんごとなき光の世界でもあります。そして高貴な方々や天使たちがそこにおられます。そして彼らは群をなしダンテの前に現れることになります。
無数の天使や天国の住人がこうして列をなし神への讃嘆を唱えているのがこの天国になります。
天国の住人たちは大いなる天で神を称えて生活していたのでありました。ダンテもこの作品の中でその圧倒的な光景にただただ感嘆するのみでした。
・・・ですが、この作品を読んでいる私たち読者はどうでしょうか。
正直申しまして、私はこの天国篇が読みにくいことこの上なかったのです。
このように言ってしまっては西洋文学最大の古典に対して非常に失礼になってしまうのですが、『地獄篇』『煉獄篇』『天国篇』と先へ進む度に面白さが減じていくように感じてしまいました。一番最初の『地獄篇』が最も面白く、ダンテの筆も生き生きとしているように感じてしまうのです。
天国の住人たちはただひたすら集団で神を讃美し続けます。その描写がかなりワンパターンになってしまうのも大きな要因でしょうし、やはり天国というのは煩悩を具えた私たちにはなかなか理解することが難しく、憧れることすら困難だということがあるのかもしれません。
私が『天国篇』を初めて読んだのは大学三年生の頃、つまり10年以上前のことになります。その時一番感じたのは「なんか、天国はそんなに楽しそうじゃないな・・・」という、何とも身も蓋もない思いだったのを今でも覚えています。
ですが、この問題は私だけの不遜な問題ではなく、当時の死生観においても重要な問題をはらんでいたのでありました。
詳しくは以下の記事でお話ししていますのでぜひご参照ください。
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ボッカッチョ『デカメロン』
ボッカッチョはイタリアルネッサンスを代表する文学者です。
上でも紹介した近藤恒一著『ペトラルカ-生涯と文学』を読んで一番驚いたのがペトラルカとボッカッチョの関係性でした。
なんと、ペトラルカとボッカッチョはルネサンス文芸を切り開いた盟友ともいうべき間柄だったのです。これには私も驚きました。『デカメロン』は言わずと知れた超有名作ですが、まさかペトラルカと繋がってくるとは・・・
ボッカッチョはペトラルカより九歳年下です。ボッカッチョにとって彼は年上の親友であり、師としてもペトラルカを深く敬っていたそうです。1300年代中頃のイタリアは私にとってノーマークな時代でしたがこれは非常に興味深いものがありました。
私が初めて『デカメロン』を読んだのは大学3年生の頃だったと思います。今から10年以上も前ですね。当時は西洋史の知識もほとんどないまま読んでいたので正直この本をちゃんと理解できていたのかというとかなり疑問です。
ですがそれでもなお「この作品を読んだ」という記憶は鮮明に覚えています。やはりそれだけインパクトのある作品だったのでしょう。
『デカメロン』はその物語の冒頭でペスト禍の悲惨な状況が語られ、こちらはいきなり面を食らうことになります。そしてその後に優雅な若い男女達が郊外に逃れそこで物語が語られていきます。
オープニングで「ずーん」と沈んだ気持ちになったと思ったら今度はそんな悲惨な雰囲気もどこへやら。
彼らが語る物語はそんなペスト禍など微塵も感じさせない軽くて能天気なものばかり。男女の痴話話や露骨な話もどんどん出てきます。そしてそれに対し若者たちは喝采し、いかにも陽気な雰囲気でこの作品は進んでいきます。
「ペストのとんでもない時によくこんな話をしていられるな」と当時思った記憶があります。
「フィレンツェの街は死屍累々の地獄となっているのにこのお金持ちの若者たちはなんて能天気なんだ」と。
こうしたある意味無責任とすら言えるような彼らの振る舞いに納得できない思いすら抱いたのを覚えています。
ですが初めて読んだ時から10年以上経ってから再読した今、私はその時とはまったく違った思いを抱くことになりました。
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サマセット・モーム『昔も今も』
私がこの作品を読んだのは、上で紹介した高階秀爾著『フィレンツェ 初期ルネッサンス美術の運命』がきっかけでした。
この本では15世紀にルネッサンス全盛を迎えたフィレンツェの政治情勢やイタリア全体の時代背景を知ることになりました。
ルネッサンス芸術の繁栄はイタリアの独特な政治情勢に大きな影響を受けていて、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロもまさに各国間の政治的駆け引きの道具として利用されていたということに私は驚くことになりました。
そしてそのまさに同時代に生きていたのが『君主論』で有名なあのマキャヴェリだったのです。
『君主論』はマキャヴェリズムという言葉があるほど有名な作品ですが、この本自体はなかなかに読みにくく、手強い作品となっています。私も以前この本を読もうとしたのですが前半で挫折してしまいそのままになっていました。
ですがこの『フィレンツェ 初期ルネッサンス美術の運命』を読んでから改めて『君主論』を読むと、全く別の顔を見せるようになったのです!とにかく面白いのなんの!時代背景がわかってから読むと、マキャヴェリの言葉がすっと入ってくるようになったのです。
そうなってくると『君主論』のモデルともなったチェーザレ・ボルジアという人物が気になって気になって仕方なくなってきました。世界中を席巻することになった『君主論』のモデルになるほどの人物ですから、とてつもなく巨大な男に違いません。これはぜひもっと知りたいものだと本を探した結果出会ったのが本書『昔も今も』でした。
先に申し上げますが、この本はものすごく面白かったです!極上の歴史小説です!これはいい本と出会いました!
2人の天才、マキャヴェリとチェーザレ・ボルジアが織りなす濃密な人間ドラマ!そして彼らが生きたイタリアの時代背景も知れます。ドラマチックなストーリー展開の中に『君主論』を思わせる名言が出てきたり、人間臭いマキャヴェリの姿も知れたりと非常に盛りだくさんな作品となっています。
『昔も今も』はそれ自体でも極上の歴史小説ですが、『君主論』の手引書としてもぜひおすすめしたいです。非常に面白い作品でした。ルネッサンスの時代背景を知る上でもとても参考になります。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
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マキャヴェッリ『君主論』
『君主論』はマキャヴェリズムという言葉があるほど有名な作品ですが、この本自体はなかなかに読みにくく、手強い作品となっています。
おそらく、世の大半の方は有名な『君主論』をそれ単体で読むのではないかと思います。私もそうでした。
「あの有名な『君主論』はどんな本なのだろう。ベストセラーにもなってるみたいだし、試しに読んでみようか」
そんな軽い気持ちで手に取ったはいいものの案の定挫折してしまった苦い思い出があります。
ですが前々回の記事で紹介した高階秀爾著『フィレンツェ 初期ルネッサンス美術の運命』を読んでから改めて『君主論』を読むと、全く別の顔を見せるようになったのです!とにかく面白いのなんの!時代背景がわかってから読むと、マキャヴェリの言葉がすっと入ってくるようになったのです。
では、この本を読むにあたってのポイントをお話しします。
私が読んだのは講談社版の2022年第31刷版なのですがこれがとにかくおすすめです。というのもまずこの本は「大文字版」ということでシンプルに文字が読みやすいです。文字の見やすさって意外と大事ですよね。特にこうした古典作品ですと小さな文字が並んでいるだけで「うっ!」となってしまう方がたくさんおられると思います。私もそうです。読み始めるのにもかなり覚悟が必要になってきます。その点でこの「大文字版」は非常にありがたいです。
また、本書の冒頭に訳者による「まえがき」があり、そこで時代背景やこの本を読む際のポイントなどを解説してくれています。これもわかりやすく、挫折しがちな『君主論』を読み通す際に大きな助けになってくれると思います。
そして『君主論』そのものについてなのですが、正直前半部分はあまり面白くないです。内容も掴みにくく、読むのが苦しい展開が続きます。ですがそれを耐えて中盤に差し掛かる頃、第六章くらいですね、この辺から一気に面白くなってきます。ですので前半はなんとか耐えてください。厳しければ流し読みでも構いません。中盤まで来てしまえば一気に読みやすくなります。別物の作品なのではないかというくらい面白くなってきます。
私もかつて『君主論』に挫折した一人でありますがまさにこの前半で躓き、中盤からの展開を全く知らずにおりました。もしあの時中盤までたどり着けていたら挫折することなく読み切ることができたかもしれません。それほど中盤からの展開は面白いのでぜひご期待ください。
そして繰り返しになりますがぜひ『君主論』を読む前に高階秀爾著『フィレンツェ』とサマセット・モーム著『昔も今も』を読んで頂ければと思います。この二作品を読めば『君主論』がとてつもなく意味深く面白い作品であることがよくわかります。これは絶対におすすめしたいです。
レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロもまさしくマキャヴェッリと同時代人です。彼ら芸術家は政治家の有力な道具としても重宝されていました。上で紹介したW・アイザックソン著『レオナルド・ダ・ヴィンチ』でも『君主論』のモデル、チェーザレ・ボルジアが出てきました。
ダ・ヴィンチやミケランジェロもこうした政治的状況と密接に関係して生きていたんだなと思うと非常に興味深いものがありました。
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ペトラルカ『ルネサンス書簡集』
私がこの本を手に取ったのは上で紹介した桑木野幸司著『ルネサンス 情報革命の時代』がきっかけでした。
この本の中でイタリアのルネサンスが始まるきっかけともなったペトラルカについて書かれていた箇所が非常に興味深く、ぜひ彼についてもっと知りたいなと思ったのでした。
当時の世間ではキケローやアリストテレスなどの古代の哲学者を神格視し、絶対的な存在として崇める流れがありました。ですがペトラルカはあえて彼ら賢哲も私たちと変わらぬひとりの人間であるという見方をします。キケローに対しても容赦なく皮肉をぶつけたペトラルカですが、これは逆に言えば愛あるこそです。神のように崇め奉るのではなく、尊敬する一人の人間として接しようという彼の思いが感じられます。
以下の記事では思わず笑ってしまうペトラルカのユーモア溢れる手紙をご紹介しますのでぜひご参照頂ければ幸いです。
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ペトラルカ『無知について』
この作品はペトラルカの実体験から生まれた作品です。いわれなき中傷を受けたペトラルカがそれに対する反論として発表したのが今作であり、しかもそれがルネサンス文学の宣言書でもあるというのですからペトラルカの文才には驚くしかありません。
「知は重要であり、知識は豊かなほどよい。しかしわれわれの認識や知が、ただ外にむかってひろがるだけでは、どこまでいっても知識増殖の無限進行があるだけであろう。自己に還ることのないひろがりは、たんなる拡散にすぎず、自己忘却でもあろう。「自己自身を知れ」とは、人間としての自己自身を知れということにほかならない。われわれ人間にとって、なによりも重要な知は、われわれ自身に関する知であり、人間に関する知でなければならない。われわれの知的活動の核心は人間研究に置かれなければならないであろう。」
何のために学ぶのか。ただ知識を溜め込み、弁論で相手を打ち負かすことばかりを目指して何になろうか。
ペトラルカはそのように主張します。
何のために学ぶかがしっかりしていなければいくら知識を溜め込もうが逆効果である。
こうした考え方をルネサンス運動を生み出したペトラルカがすでに言っていたというのは私にとっても驚きでした。
『無知とは何か』はルネサンスとは何かを知る上でも非常に重要な示唆を与えてくれる作品です。ペトラルカその人だけでなく、ルネサンスに興味ある方にもぜひぜひおすすめしたい作品です。
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おわりに
ローマに引き続きフィレンツェについてのおすすめ本を紹介しましたがいかがでしたでしょうか。
私自身もフィレンツェについて学ぶまでペトラルカという人物も全く知りませんでしたし、この街の歴史と政治、芸術がここまで複雑に絡み合っているということは想像だにもしていませんでした。
特にマキャヴェリとフィレンツェの関係については非常に刺激的な読書となりました。こうした思いを持って彼のお墓参りに行けたことは私自身とても心に残っています。
また、この美しきフィレンツェについては以下の旅行記でも詳しくお話ししていますのでこちらも参考にして頂けたらと思います。
以上、「フィレンツェを知るためのおすすめ参考書一覧~ダ・ヴィンチやマキャヴェリ、ダンテなど芸術や歴史、文学など奥深き世界を堪能」でした。
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