ペトラルカ『無知について』あらすじと感想~ルネサンス人文主義とは何かを知るのにおすすめ!

イタリアルネサンスと知の革命

ペトラルカ『無知について』あらすじと感想~ルネサンス人文主義とは何かを知るのにおすすめ!

今回ご紹介するのは1371年にイタリアの文学者ペトラルカによって発表された『無知について』です。私が読んだのは2010年に岩波書店により発行された近藤恒一訳の『無知について』です。

早速この本について見ていきましょう。

善良だが無知と同時代知識人の批判を喰った著者は?アリストテレスを神とみて哲学=自然哲学とする一派への論駁と、人間主義と反権威主義、文献収集と古典語研究、雄弁やプラトンをめぐる基本構想を具体的に述べたルネサンス人文主義の宣言書。晩年の主著。

Amazon商品紹介ページより
フランチェスコ・ペトラルカ(1304-1374)Wikipediaより

イタリアルネッサンスの始まりをもたらした文学者ペトラルカ。

彼についてはこれまで当ブログでも紹介してきました。

そして今回の記事では彼が提唱したユマニスム(人間主義、人文主義)を知るのに最適な『無知について』という作品をご紹介します。

この作品の成立について、巻末の解説では次のように述べられていました。

ペトラルカの論駁書のなかで、いちばん重要な作品は『無知について』である。しかもこの書は、ユマニスムという観点からすれば、かれの全著作のなかでもいちばん重要な作品であろう。なぜなら最晩年に公表された本書は、それまで断片的に述べられてきたユマニスムの基本的発想を、かなり網羅的・包括的に述べ、高らかに謳いあげているからである。その意味で本書は、ぺトラルカの「ユマニスム宣言」であり、したがってまたルネサンス・ユマニスムそのものの最初の宣言書である。

本書の誕生は、四人のアリストテレス派知識人のぺトラルカ評に端を発している。ヴェネツィア在住のペトラルカに近づいて交友をもったその四人は、この大詩人について、喜良だが無知な人間という評価をくだした。一三六六年のことである。それからほぼ一半後の六七年夏、詩人は反論の一文を草した。そして時流のアリストテレス学派との対比において自己の立場をあきらかにし、七一年初めに公表した。「ユマニスム宣言」の誕生である。

岩波書店、ペトラルカ、近藤恒一『無知について』P211-212

この作品はペトラルカの実体験から生まれた作品です。いわれなき中傷を受けたペトラルカがそれに対する反論として発表したのが今作であり、しかもそれがルネサンス文学の宣言書でもあるというのですからペトラルカの文才には驚くしかありません。

ではこの作品でペトラルカの述べるユマニスム(人間主義、人文主義)とは一体何なのか、そのことについて近藤恒一著『ペトラルカー生涯と文学』にわかりやすい解説がありましたのでそちらを引用します。少し長くなりますが非常に重要な箇所ですのでじっくり読んでいきます。

ぺトローニ事件におけるぺトラルカの「詩学」擁護が、旧来の偏狭な〈精神主義的〉知識人によるユマニスム攻撃にたいする反論であったとすれば、『自他の無知』(※『無知について』ブログ筆者注)は、むしろ新しいアリストテレス派つまり「近代派」によるユマニスム攻撃にたいする反論である。ぺトラルカの多岐にわたる反論のうち、核心部分と思われるところを指摘しておこう。

まず、ソクラテス的な無知の自覚こそ肝要とされる。

「全人類の知をあわせても、人間の無知や神の知恵にくらべると、それはなんと微小なものであることか」

このような無知の自覚は、「自己自身を知れ」という問題と不可分にむすびついていた。そして、人知を過大評価することに起因する権威主義にたいする批判ともなる。とくに、時流のアリストテレス派の権威主義にたいする批判がなされる。当時、大学スコラに本拠をもつアリストテレス学派においてはアリストテレスは、ダンテのいう「知者たちの師」として絶対的権威を享受していた(『神曲』「地獄篇」第四歌)。

しかし、古典作家との親密な対話を愛するぺトラルカにとっては、どれほど偉大な著作家も、けっして超歴史的な抽象的「権威」として立ち現われることはない。つねに霊肉から成る具体的人間として現前する。長所も短所もそなえた具体的人間として。そこにじつは、ぺトラルカの古典研究の神髄があったのである。

かれの古典学の精神と方法は、過去の人びとを、かれら自身の歴史的現在に再生させ、かつてかれらが生きたであろうように、ふたたびかれらをいきいきと生きさせる。それはまた、かれらをぺトラルカ自身の歴史的現在に再生させ、かれらと対話し、交わり、かれらとともに生きることにほかならなかった。―詩人はアリストテレス派への批判をこめて言う。

「おもうにアリストテレスは、たしかに学識豊かな偉大な人物でしたが、しかしひとりの人間だったのです。したがって、かれの知らないこともいくらかは、いや、たくさんあったはずです。」

「アリストテレスは……ひとりの人間、、、、、、だったのです」。ここには、時流のスコラ学派とはまったく異なる古代作家への接近態度がある。ここでは、人間世界のあらゆる権威を「人間化」することによって、権威主義そのものが根底から掘りくずされていく。

無知の自覚は、しかし知の軽視ではない。むしろ逆に、知の重要性が強調される。

「無知は魂の大きな貧困であり、悪徳以外ではこれほど大きな貧困はありません」

知は重要であり、知識は豊かなほどよい。しかしわれわれの認識や知が、ただ外にむかってひろがるだけでは、どこまでいっても知識増殖の無限進行があるだけであろう。自己に還ることのないひろがりは、たんなる拡散にすぎず、自己忘却でもあろう。「自己自身を知れ」とは、人間としての自己自身を知れということにほかならない。われわれ人間にとって、なによりも重要な知は、われわれ自身に関する知であり、人間に関する知でなければならない。われわれの知的活動の核心は人間研究に置かれなければならないであろう。ぺトラルカは、かれを無知と評したアリストテレス派知識人のひとりを批判して述べている。

「かれはたしかに野獣や鳥や魚について、たくさんのことを知っています。……かれの知識は大部分が偽りです。……たとえほんとうだったとしても、幸福な生活とはなんのかかわりもありません。けだし、人間の本性はいかなるものか、なんのためにわれわれは生まれたのか、どこから来て、どこへいくのか、ということを知らず、なおざりにしておいて、野獣や鳥や魚や蛇の性質を知ったとしても、それがいったいなんの役にたつでしょうか」

人間をなおざりにした自然研究とその成果は、むなしい。その研究成果が量的に増大すればするほど、かえって人間の自己忘却、人間忘却を増進させうるであろう。むしろ自己忘却からの脱却、人間忘却からの脱却こそ肝要なのである。このことの強調は、しかし、自然研究そのものの排除ではない。たとえば当時流行の占星術とその研究者たちについて、ぺトラルカはつぎのように述べている。ちなみに当時、占星術と天文学は分かちがたく一体をなしていた。

「かれらが天体の運動について論じたり、風雨、寒暖、海の嵐、日蝕や月蝕について予報したりするかぎりでは、かれらに耳を貸すのは、たしかに、しばしば有益であり、つねに好ましいことです。しかし、ただ神のみが予知したもう人事や人間の浮沈について、かれらがおしゃべりをするときは、いとうべき嘘つきとして退けるべきです」(『老年書簡集』第三巻一)。

人間をなおざりにした研究や知識はむなしい。この主張によってペトラルカが言いたかったのは、つねに人間を関心の中心におき、なによりも人間を尊重すること。それゆえ人間研究、つまり「人間性フマニタス研究」こそ、あらゆる研究に優先し、あらゆる研究の根底に置かれなければならない。あらゆる研究は、究極的にはフマニタス研究へと還元されなければならない。すなわち、「人間性フマニタスをまとい獣性を脱ぎすてる」人間形成に役だてられ、「すぐれて人間的に」生きることにやくだてられなければならない。

ぺトラルカのアリストテレス派批判は、じつはこのことの言明であり、かれの人間、、主義の高らかな宣言の典型的一例だったのである。
※一部改行しました

岩波書店、近藤恒一『ペトラルカー生涯と文学』P204-208

『無知について』という作品がいかに大きな意味を持った作品であるかがこの解説からうかがえますよね。

「知は重要であり、知識は豊かなほどよい。しかしわれわれの認識や知が、ただ外にむかってひろがるだけでは、どこまでいっても知識増殖の無限進行があるだけであろう。自己に還ることのないひろがりは、たんなる拡散にすぎず、自己忘却でもあろう。「自己自身を知れ」とは、人間としての自己自身を知れということにほかならない。われわれ人間にとって、なによりも重要な知は、われわれ自身に関する知であり、人間に関する知でなければならない。われわれの知的活動の核心は人間研究に置かれなければならないであろう。」

何のために学ぶのか。ただ知識を溜め込み、弁論で相手を打ち負かすことばかりを目指して何になろうか。

ペトラルカはそのように主張します。

私はこうしたペトラルカの言葉を聞き、以前ニーチェを学んでいた時にもこの話が出てきたことを思い出しました。以下の記事「教養とは何か~読書や知識量で得られるものなのだろうか」ではニーチェ研究者の西尾幹二氏がニーチェを題材に教養とは何かを語った箇所を紹介しています。

何のために学ぶかがしっかりしていなければいくら知識を溜め込もうが逆効果である。

こうした考え方をルネサンス運動を生み出したペトラルカがすでに言っていたというのは私にとっても驚きでした。

『無知とは何か』はルネサンスとは何かを知る上でも非常に重要な示唆を与えてくれる作品です。ペトラルカその人だけでなく、ルネサンスに興味ある方にもぜひぜひおすすめしたい作品です。

以上、「ペトラルカ『無知について』あらすじと感想~ルネサンス人文主義とは何かを知るのにおすすめ!」でした。

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