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ヘンリー・メイヒュー『ヴィクトリア時代 ロンドン路地裏の生活誌』あらすじと感想~ロンドンの下層民の生活を取材したルポ作品!

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ヘンリー・メイヒュー『ヴィクトリア時代 ロンドン路地裏の生活誌』概要と感想~ロンドンの下層民の生活を取材したルポ作品!

今回ご紹介するのは1992年に原書房より発行されたヘンリー・メイヒュー著、ジョン・キャニング編、植松靖夫訳『 ヴィクトリア時代 ロンドン路地裏の生活誌 』です。

早速この本について見ていきましょう。

十九世紀ロンドン、ヴィクトリア時代――階級社会の最下層で暮らす労働者たちの貧困、生きることへの貪欲さ、諍い、笑い……庶民のリアルな姿と肉声をつぶさに観察、克明に描いた英国生活誌の不朽の名著。

Amazon商品紹介ページより

この本はイギリスヴィクトリア朝、特に1800年代半ばのロンドンの下層民の生活に密着し、彼らがどんな生活をしていたのかを描いた作品です。

巻頭の「編者のことば」ではこの作品について次のように述べられています。

我々は現在手にできる彼の業績に感謝しなくてはならない。社会研究者としてのメイヒューの仕事が、当時および後世の研究者たちの仕事と大きくちがっているのは、まず、文化的背景も階級も違う人びとと、気持ちをみごとに通じ合わす本能的な勘の良さが彼にはあったこと、そして下位文化を嗅ぎ出し、それを描写するジャーナリストとしてのすぐれた才能を彼がもっていたことにある。このためメイヒューの文章には、まれにみる生き生きとした臨場感がそなわっている。インタビューを受けている人物たちは、その当時と同じように今もなお精彩を失っていないから、読者は土曜の夜の市場、ネズミいじめの賭博場、あるいは悪臭ふんぷんたる迷路さながらの排水溝のなかに本当にいるような気になってしまう。(中略)

メイヒューは本文をきわだたせるために版画を数多くいれたほうが良いと考えた。ビアドの手になる版画は、主にメイヒューがインタビューした人物を描いている。その人物たちが実物そっくりであることは、身体に障碍をもちながらナツメグ用のおろし金を売り歩いていたC・アロウェイがうけ合っている。すなわち、「街の中でおれはじっと見られながら描かれていたんだよ。そしたら、通りかかった人たちのロから、ほんものそっくりに絵が描かれているという声がおれの耳に聞こえてきたんだ。」

原書房、ヘンリー・メイヒュー著、ジョン・キャニング編、植松靖夫訳『 ヴィクトリア時代 ロンドン路地裏の生活誌 』 Pⅱ-ⅲ

ここで述べられるように著者のメイヒューは実際に貧しい人々を訪ね、その生活を観察し、彼らにインタビューして記事を書いています。

この写真の目次を見て頂けるとわかりますように、彼の記事はあらゆる人々、職業に及んでいます。

そしてそのひとつひとつがまるで短編小説のように語られていきます。この作品を読んでいると、彼らが当時のロンドンでどんな生活をしていたかが目の前に浮かんでくるかのようです。イラストも豊富な点もありがたいです。

また、巻頭のもう一つの序文、エイサ・ブリッグズによる序文ではこの本の意義について次のように語られています。ヴィクトリア朝ロンドンを知る上でとても重要な箇所ですので、少し長くなりますがじっくりと読んでいきます。

本書に収録した六六項目の、最後のほうに登場する「落ちくぼんだ目、その他なかば飢餓状態の特徴を示す」憂いに沈んだ忘れ難い路上の道化師は、きっぱりと、しかし哀感をこめて「わたしのような生活をしている者ほど自分の体面を重んじている人はいないんですよ」と言い、さらにメイヒューの描く路上に登場する数多くの人びとと同じように、救貧院の世話になるくらいなら餓死した方がましだと付け加えている。あの非凡な著書のどのページにも救貧院の影がおちている。一八三四年の《新救貧法》およびそれにともなうさまざまな問題を取り上げなければ、自助とかビクトリア朝の価値観についていくら論じても片手落ちになる。

ヴィクトリア朝イングランドの「背景」とよく呼ばれていることについても、同じく全体的な理解にかかわる重要なこととして、一八七〇年まで、つまり《新救貧法》から三〇年以上も後になるまで、国民一般を対象とする教育法は一切なかったということがある。メイヒューは取材した人びと―その多くは子どもだった―が読み書きできるかどうか、つねに関心を持っていて、乗合馬車の車掌などのように、読み書きの能力が計算能力と同じくらい必要な資格になっている場合もあると記している。それとは対照的に―メイヒューは対照させるのが好きだった―呼売商人は一〇人に一人しか文字を読めなかった。

メイヒューは教育が無いというのは「嘆かわしい」ことだと言っている。これはメイヒューにとっては背景の一部などではなく、人間的な一つ経験だったのである。だから、読み書きの能力がないと、たとえば宗教、政治、地理などの知識の欠如につながることを彼は再三指摘している。ある呼売商人がメイヒューにこう話している。「おれはナポリがどこにあるのか知らんけど、ユーストン・スクエアに行って聞けば、運賃と着くまでの時間を教えてくれるよ」

メイヒューが、背景ではなく人びとの経験に好奇心と関心をもっているからこそ、社会学者にとって貴重な情報源になっているのである。その他、彼が指摘している重要な点としては、路上の人びとが警察を恐れていたこと、「健全な娯楽」が彼らにはなかったこと、非人為的な力に左右されて暮らし向きが比較的よくなったり、飢餓に苦しんだりしたこと、おどろくべきことではないが賭博が大好きだったこと、不正とも犯罪ともつかない怪しげな行為がよく見られたこと、ロンドンには夜の世界があって、ある種の人びとには昼間の世界よりも現実的だったことなどがある。

このような点を無視しては、ヴィクトリア朝ロンドンを包括的に論じたことにはならない。しかし、「ひかえめに言っても国家的な不名誉としか言いようのない」「不幸と無知と病気に苦しんでいる階級の人びとの文化を改善すべく奮起して」もらいたいとメイヒューが「お偉方」に懸命に懇願したにもかかわらず、ヴィクトリア朝の人びとは、多くの場合無視していた。

原書房、ヘンリー・メイヒュー著、ジョン・キャニング編、植松靖夫訳『 ヴィクトリア時代 ロンドン路地裏の生活誌 』 P ⅺ-xiii

1800年代中頃から後半にかけてのロンドンの貧困層がどのような状況に置かれていたかがわかりますよね。

引用の最後の言葉も重要です。

このような点を無視しては、ヴィクトリア朝ロンドンを包括的に論じたことにはならない。しかし、「ひかえめに言っても国家的な不名誉としか言いようのない」「不幸と無知と病気に苦しんでいる階級の人びとの文化を改善すべく奮起して」もらいたいとメイヒューが「お偉方」に懸命に懇願したにもかかわらず、ヴィクトリア朝の人びとは、多くの場合無視していた

ヴィクトリア朝はイギリスが最も国力を強めた時代でした。しかしその分格差も広がっていたのも事実。

ですが中流階級以上はその繁栄を享受しつつも、上の引用にありますように貧困層を無視していたのでありました。

ヴィクトリア朝を見ていくときには華やかな繁栄と、絶望的な貧困という両面を見ていかなければならないということをこの本では強く感じさせられます。

この本は1850年頃のロンドンの貧困を取材した作品です。実はこれに似たものをフランスの文豪ヴィクトール・ユゴーも『私の見聞録』という本の中で書いています。

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ユゴーといえば『レ・ミゼラブル』で有名な偉大な作家ですが、彼も貧困層の救済に非常に目を向けた人物でした。彼は1840年代に政治家として活動していましたが、くしくもメイヒューと同じ時期にその活動の一つとして実際にパリの貧しい人達の生活を取材し文章にしていました。その一部は後に『レ・ミゼラブル』に結実しています。

メイヒューの『ヴィクトリア時代 ロンドン路地裏の生活誌』を読んでいるとユゴーの作品を連想してしまいました。この時代の大都市の貧困の姿は共通するものが多いということもわかりました。

19世紀中頃から後半にかけてのロンドンの貧困層の生活を知れるおすすめの作品です。

以上、「ヘンリー・メイヒュー『ヴィクトリア時代 ロンドン路地裏の生活誌』ロンドンの下層民の生活を取材したルポ作品!」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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