『オックスフォード 科学の肖像 ファラデー』~電気文明の基礎を作った19世紀初頭のイギリス人天才科学者のおすすめ伝記

産業革命とイギリス・ヨーロッパ社会

『オックスフォード 科学の肖像 ファラデー』概要と感想~電気文明の基礎を作った19世紀初頭のイギリス人天才科学者のおすすめ伝記

今回ご紹介するのは2007年に大月書店より発行されたコリン・A・ラッセル著、須田康子訳の『オックスフォード 科学の肖像 ファラデー』です。

早速この本について見ていきましょう。

1804年、13歳で書店兼製本屋の師弟となり、そこで出会った本をきっかけに科学の道を志す。電気と磁気の科学の開拓者としての数々の発見とともに、『ロウソクの科学』としていまも読みつがれるクリスマス講演などを立ちあげ、市民や子ども向け科学講演の基礎をつくったファラデーの業績と生涯。

Amazon商品紹介ページより
マイケル・ファラデー(1791-1867)Wikipediaより

ファラデーは1791年にロンドンで生まれた科学者です。

ファラデーといえば、理系の科目が苦手だった私でも「ファラデーの法則」という言葉をなんとなく覚えていました。

ファラデーの電磁気学の図 Wikipediaより

ですが科学界のビックネームというイメージがあったものの、この人物がどの時代に生き、どんな生涯を送ったのかということは全く知りませんでした。

そんな私にとってこの伝記は驚きの連続でした。

まず彼が生きたのが18世紀末から19世紀のイギリスという、まさにこれまで当ブログで紹介してきた文豪達や思想家たちが活躍した時代だったということ。

ディケンズやマルクス、エンゲルスよりも20年以上先輩ではあるものの、ファラデーの科学的功績はまさに彼らが生きた時代にとてつもない影響を与えていたのでありました。

また、彼がサンデマン派というキリスト教の少数派を熱心に信仰していたというのも驚きでした。これほどの科学者が熱心にキリスト教を信仰していたという事実。

この伝記の最後にはこのことについて次のように説かれています。

(彼の)墓の上には簡素な石に次のような墓碑銘が刻まれている。

マイケル・ファラデー
一七九一年九月ニニ日に生まれ 一八六七年八月二五目に永眠

こうして、近代科学の様相を一変させ、その結果、社会そのものの様相をも変えた人物、「世界史上もっとも偉大な実験自然哲学者」(ティンダルの言葉)は永遠の眠りに就いた。マクスウェルは、ファラデーを「電磁気学という拡大された科学の父」と言っている。また、ケルヴィン卿は「私が電気学を好きになったきっかけ」と言っている。ファラデーについては、ニュートンやアインシュタインもかなわないほどの多くの伝記が書かれている。

ファラデーの並々ならぬ功績に寄与していたものはいろいろあっただろう。だが、ファラデーの科学は宗教に負うところが大きかったことは疑いがない。不可知論者のティングルでさえ、「ファラデーの宗教心と哲学とは分かちがたかった」と認めている。その多くの例は、すでに述べた通りである。すなわち、自然界における同一性という信念、ドルトンの原子論ではなく、カの中心の点という考えを選んだこと、聖書によって鼓舞された自然に対する畏怖の念、創造主の業を理解するという純粋な喜びと決意である。

よく知られているように一八四四年に「私の信仰にはまったく〝哲学〟はない」と宣言した。そのとき、ファラデーは科学と宗教的真理とのあいだにまったくつながりがないということを言いたかったのではない。科学的知識(ファラデーの言う〝哲学〟)は宗教を解明するものでもなければ、人間を神に導くものでもないということを言いたかったのだ。ファラデーの講演技術と、「体制」嫌いと、科学を通じて同胞たちの役に立ちたいという願いとは、すべてサンデマン派の信仰と実践に密接に結びついていた。信仰はファラデーの全生涯において、科学やその他の面で意義と目的とかたちを与えた。

マイケル・ファラデーは、科学に関する限り比類のない、抜きんでた天才だったが、科学とキリスト教との融合、聖書の権威に対する強い信頼、キリストを素朴に信じる心という点では多くの才能ある科学者の典型だった。こうした科学者たちにとって、そしてファラデーにとって、科学の探求は、刺激的で満足感の得られる仕事というだけにとどまらない。本質的に、科学はキリスト教徒の使命だった。まさにこの一点によって、私たちはマイケル・ファラデーの生涯と功績を理解することができる。
※一部改行しました

大月書店、コリン・A・ラッセル、須田康子訳『オックスフォード 科学の肖像 ファラデー』P151-152

「マイケル・ファラデーは、科学に関する限り比類のない、抜きんでた天才だったが、科学とキリスト教との融合、聖書の権威に対する強い信頼、キリストを素朴に信じる心という点では多くの才能ある科学者の典型だった。」

これは非常に重要な指摘です。

科学と宗教は両立可能なのか、これは様々なところで提起される問題です。

特にマルクス・エンゲルスは「科学的社会主義」を掲げ、宗教を批判しています。そのはるか前にはコペルニクスやガリレオが教会から異端とされ処罰を受けることになりました。

科学と宗教は相容れないというイメージを私たちは持ってしまいがちですが、一概にはそう言えないということをファラデーの生涯から知ることができます。

また、この伝記で語られるファラデーの生涯そのものもとにかくドラマチックで面白いです。

鍛冶屋の息子ファラデーは家計も苦しかったことから教育も受けることができませんでした。ですが生活のために14歳の頃から製本業の年季奉公を始めた頃から彼の生涯が変わり始めます。彼は独学で学び、猛烈な好奇心を持って科学への道を歩み出すことになります。ここからの彼の人生は非常に興味深いものがありました。

ファラデーのクリスマス・レクチャー (1856) Wikipediaより

科学者としての地位を確かにした後も、ファラデーは世の中に科学の魅力を普及させるために一般向けの講演を開いていました。その講演は大人も子供も楽しめることで大人気となり、有名な「ロウソクの科学」もこうした講演活動から生まれてきています。

テムズ川の主に名刺を渡すファラデー(1855年7月21日のパンチ誌の風刺画)Wikipediaより

この風刺画は私も見覚えがありました。というのも、イギリスヴィクトリア朝の歴史や時代背景について学ぶとまずこの風刺画を目にすることになるからです。

産業革命の結果イギリス経済は空前の活況を呈すのでありますが、その代わり深刻な公害に苦しむことになってしまいました。

ロンドンを流れるテムズ川は下水や工業廃水によって想像を絶する悪臭を放ち、コレラなどの疫病の温床となっていました。その悲惨な汚染に対しファラデーは科学的調査に乗り出します。

科学的な見地から環境をどう改善していくかという流れを作ったのもファラデーです。

他にも様々な分野で大活躍したファラデー。その多彩な科学的能力には驚くしかありません。

この伝記ではそんなファラデーの生涯をわかりやすく学ぶことができます。文体も読みやすいですし分量も150ページほどと非常にコンパクトにまとめられています。肩肘張らずに手に取ることができるこの伝記は入門書として非常に優れた作品だと思います。

19世紀イギリスの雰囲気も知れるこの伝記は私にとってもありがたいものがありました。

ぜひぜひおすすめしたい伝記です。

以上、「『オックスフォード 科学の肖像 ファラデー』電気文明の基礎を作った19世紀初頭のイギリス人天才科学者のおすすめ伝記」でした。

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