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嶋本隆光『南方熊楠と猫とイスラーム』あらすじと感想~従来の熊楠像は本当に正しかったのか?偉人研究のあり方を問う刺激的な一冊!

南方熊楠
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嶋本隆光『南方熊楠と猫とイスラーム』概要と感想~従来の熊楠像は本当に正しかったのか?偉人研究のあり方を問う刺激的な一冊!

今回ご紹介するのは2023年に京都大学学術出版会より発行された嶋本隆光著『南方熊楠と猫とイスラーム』です。

早速この本について見ていきましょう。

南方熊楠(1867-1941)は、天才的な資質をもった博物学者、民俗学者であった。そのために、尊敬のまなざしから書かれた「熊楠本」は数多い。若い頃に、大英博物館で膨大な資料群に対峙した熊楠の奮闘ぶりには感銘を受けるが、一方で熊楠が用いた情報は、資料考証が十分でないところもあり、その取扱いにおいて杜撰と思えるところもみられる。本書は、ロンドン滞在期間の研究活動に焦点を当て、同時代の資料をもとに検証することによって、等身大の熊楠像を提示する。

Amazon商品紹介ページより
南方熊楠 御前進講の際の記念撮影(昭和4年6月1日)Wikipediaより

本作『南方熊楠と猫とイスラーム』は従来の南方熊楠に関する参考書とは一線を画す作品となっています。

南方熊楠といえば「天才的な資質をもった博物学者、民俗学者」として知られており、粘菌や植物の研究でも有名です。2022年のNHKの朝ドラ『らんまん』にも登場し、その強烈なキャラクターが記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。

上の本紹介にもありますように、南方熊楠は超人的な資料収集や研究範囲の広さによって後の研究者からも尊敬を集めるようになります。そしてその研究者たちによって語られた南方熊楠はまさに時代を先取りした天才、偉人として讃美されることになりました。

ただ、この南方熊楠という人物ははたしてその通りの偉人であったのか。後の研究者たちの讃美に満ちた南方熊楠像は本当に正しいものだったのかということを本書では丁寧に見ていくことになります。

流れとしてはまず熊楠の生まれとその過程環境、そこから1886年に19歳でアメリカに出発し、1900年にイギリスから帰国するまでの彼の学びの方法やその実態について詳しく見ていくことになります。この若き熊楠のイギリス留学は非常に興味深いです。

そして嶋本隆光氏の著書のありがたい点は単に熊楠の生活と思想についてだけ語るのではなく、当時のイギリスや中東のイスラーム世界、インド世界という世界規模のつながりも概観していく点にあります。

時代は思想と価値を生み出す。いかなる人間であっても自らが生きる時代の影響から自由ではありえない。大発展時代のイギリスで生活した南方熊楠に対しても強大な歴史の力が働いていたと考えることができる。

京都大学学術出版会、嶋本隆光『南方熊楠と猫とイスラーム』P50

南方熊楠はたしかに強烈な個性や知性を持った人物でした。しかし、彼も当時の時代背景や特定の生活条件を離れることはできません。彼も時代の影響を確実に受けています。彼の場合、とりわけ19世紀イギリスの影響を受けたのでありました。

大英帝国が空前の世界制覇への道を進んでいた時代に本国にもたらされた資料群は多種多様、膨大な量であって、当の西洋人にとってすらこれまで接したことのない情報、当時の世界における第一等級の資料に接することができた数少ない日本人の一人で熊楠はあったのだ。汲んでも及みつくせない、興味の尽きることのない知の源であった。同時にそれらの情報は未整理で混とんとしたものであり、さらに面倒なことに大英帝国の利害を反映するバイアスに満ちたものであった。

京都大学学術出版会、嶋本隆光『南方熊楠と猫とイスラーム』P50

「それらの情報は未整理で混とんとしたものであり、さらに面倒なことに大英帝国の利害を反映するバイアスに満ちたものであった。」

本書では大英帝国の政治状況と学問の関係も詳しく見ていきます。大英帝国は収益の生命線インドの統治のために現地の宗教や生活を調査していました。そして中東のイスラーム世界においても同じように研究を進めています。大英帝国の世界支配のための学問が当時推進され、白人文化、キリスト教(プロテスタント)、科学文明優位の立場からの研究がなされていたのでありました。この辺りの事情も本書で詳しく見ていくことになります。

その中で有名なインド学者マックス・ミュラーや大谷大学学長を務めた仏教学者南条文雄なども出てきます。さらには神智学協会のブラヴァツキーも出てきます。

これらの人々が出てきたとき、私は思わず「おぉ!」と目を開かずにはいられませんでした。

と言いますのも、私は今年2023年にインド・スリランカを訪れるために近代仏教についての本を読んだのでありました。

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上のF・C・アーモンド著『英国の仏教発見』ではイギリスで生まれた仏教学が東洋の仏教を拒絶し、植民地支配を正当化する存在へとなっていったことが語られます。

そしてゴンブリッチ、オベーセーカラ共著『スリランカの仏教』によると、スリランカは1815年にイギリスの植民地になって以来、それまでの伝統的な村社会が衰退し、コロンボでは急激な都市化が進んでいきました。さらに英語を使えるエリートたちが積極的にイギリス文化を吸収、特にイギリスのプロテスタント的な宗教観をスリランカ仏教の世界に持ち込むことになりました。これが現代スリランカの仏教に決定的な影響を与えることになります。

また、三冊目の吉村正和著『心霊の文化史 スピリチュアルな英国時代』ではまさにブラヴァツキーの神智学について知ることになりました。

なんと不思議なことに、私がここ数カ月で学んでいたことが嶋本氏の作品と偶然このタイミングで交差したのです。これには驚きました。

少し話は逸れましたが、本書ではそうしたイギリス・ヴィクトリア朝の学問上のあり方がどのようなものであったかを世界情勢と繋げながら概観し、そうした環境の中で熊楠がどのように研究を続けていたのかをじっくりと見ていきます。この作業を通じて、従来考えられていた熊楠像ははたして本当に正しかったのかという問題を考察していきます。

さらに本書後半では熊楠の研究方法そのものにメスを入れ、より深く彼の実態に踏み込んでいきます。ここはかなり専門的と言いますか難しさも感じますが読み応え抜群です。

そして第六章ではこの記事の冒頭で述べましたように、後の研究者による南方熊楠像の問題点を指摘していきます。

ところで、現在に直結する「熊楠ブーム」は一九八〇年代の鶴見和子の『南方熊楠―地球志向の比較学』を嚆矢とするが、これより少し遅れて出版された中沢新一の一連の作品も大きな影響を与えたと言える。後者には『森のバロック』など、熊楠に関する多くの著作があり、根強い人気を博している。筆者は一九九〇年代の初めごろ、鶴見の上掲書を読んだが、非常に強烈な印象を受けた。「快刀乱麻」の切り口あるいは「鶴見の最高傑作」等と称賛する評者もあったが、確かにこの書物は理解しやすい、分析的な書物であった。ただ、一〇年ほど後に筆者が読み直した時、あまりに多くの記述の不正確さに驚いてしまった。確かにこの一〇年間に、筆者は関連の概説書のみならず、専門的な書物や熊楠に関する第一次資料に接するようになった。それらの多くは鶴見自身が認めるように、彼女の執筆時には利用できない、当時は未刊の資料であった。この点に関しては如何ともしがたく、彼女に続く研究者が批判的に新資料で補えばよいだけのことである。ただ、筆者が感じた上掲書の問題点は資料の有無の問題というよりは、資料の扱い方の問題であった。鶴見の記述法は、理論的一貫性という点では明瞭で、熊楠が比較民俗学の端緒を開き、それを拡大発展させた人物として見事に表現されている。当時世界中に存在した様々な資料を比較した先駆的業績が描かれていた。論旨が明瞭であったために理解しやすく、熊楠は日本が生んだ極めてユニークな頭脳の体現者として脚光を浴びることになった。

京都大学学術出版会、嶋本隆光『南方熊楠と猫とイスラーム』P229-230

ここで挙げられた両氏の研究は南方熊楠研究に強い影響を与え、典型的な天才南方熊楠像を提供することとなりました。しかし、本書でじっくり考察していくように、実はその南方熊楠像には様々な問題点があったのでした。

本書冒頭ではこのことについて次のように述べられています。

いくつかの主要な熊楠研究では、実証的に明らかにすることなく、自らの熟知する原理原則を投影して熊楠の記述の解釈が行なわれてきたように思われる面があった。もちろん、学問の方法として演繹的な手法は正当な手段として容認される。仮説の設定そのものには何ら問題はない。問題は確実な証拠がないまま、自らの主観的な解釈に基づいて議論を進める点であって、客観的に納得される証明ができていないにもかかわらず、既成の事実であるかのように考えることである。

京都大学学術出版会、嶋本隆光『南方熊楠と猫とイスラーム』P12

つまり、この両氏によって提出された南方熊楠は彼らの想像する、さらに言えばこうあってほしい熊楠像に他ならなかったのです。

しかしそうした熊楠像が世に膾炙し、これが南方熊楠であると定説のようになってしまっているというのが現状のようです。だからこそ嶋本氏はこの本で世に問うたのでありました。

嶋本氏は私達の歴史研究、人物研究における姿勢について次のように述べています。

私たちが古典的文献を読む場合、ニつの視点が重要である。一つは当該の時代の人々の気持ちに留意しながら、その時代の香りを嗅ぐこと、他はその時代の価値・思想を現代風に考え直してみることである。実はこの2点は同じことの表と裏であって、読者の直接知らなかった時代の雰囲気(エートス)を知ることによって今の自分の知見を高めることは、結局今の時代を生きる自分の立場に過去の事象を置き換えて見直す(再解釈する)ことである。前者については該当する時代の客観的考証によって時代背景をできるだけ正確に把握することが必須である。ここに私的解釈が紛れ込まないよう細心の注意を要する。一方、後者について言うと、私たちが今を生きている限り時代の価値の中にどっぷり浸かろうと、距離を置くべく努めていようと、その影響からきっぱりと関係を立ち切ることは不可能である。深刻なのは、ある過去の時代の問題群に対峙する際、あたかもその問題が現在と同様に当該時代にも等しく同様の位置と重要性を占めていたと考えることである。さらに、時代と地域さらにその文化・価値を考慮せず、普遍的、無批判に両者を混同してしまうことである。この態度は、前者の歴史的時代背景に関する考証をないがしろにすることによって生じる場合が多い。

京都大学学術出版会、嶋本隆光『南方熊楠と猫とイスラーム』P254-255

ある人物の思想を考える際には、その思想だけではなく時代背景やその人が置かれた環境も考えることが必須である。だが、私たちはそれを忘れて自分たちの立場や願望から過去を解釈してしまうという罠に陥りやすい。

実はこれは日本の近代仏教においても同じことが起こっていたのでありました。

上で紹介した『英国の仏教発見』にも出ていましたが、西洋起源の仏教学が提起するブッダは西洋人の理想とするブッダ像なのでありました。そしてそれを西洋から輸入した日本の仏教学もそれを踏襲し、「これこそブッダである」と受け入れ続けてきたのです。しかし、これもまさに実証的な裏付けもなく、そうあってほしいという願望から生まれたブッダ像であったのです。

何たる偶然!嶋本氏の作品をまさにこうした仏教学の流れを知ったこのタイミングで読めたことに私は驚きを隠せません!

そしてここまで『南方熊楠と猫とイスラーム』についてお話してきましたが、実は著者の嶋本隆光氏とは個人的なつながりがあります。

と言いますのも私は京都大谷大学大学院生時代に嶋本氏の「宗教学」の講義を聴講していました。

私は嶋本先生の講義が大好きで、単位を取得した後も毎回先生の授業を受けに通っていました。

先生はイランのイスラームがご専門です。「宗教学」の授業ではイランのイスラームを題材に宗教と世界の関係を講義して下さりました。

イスラームというと私達日本人にはあまりなじみがなく、恐いイメージがあるかもしれませんが、それはまったくの偏見です。イスラームとは何なのか、宗教と世界はどのように繋がっているかを嶋本先生はこの授業で教えて下さりました。

宗教は宗教だけにあらず。政治や経済、文化、歴史、国際情勢、あらゆるものが関わっています。逆に言えば政治や経済、文化、歴史、国際情勢などあらゆるものには宗教が関わっています。宗教は宗教だけで単体で扱えるものではない。もっと幅広い視点から見ていかなければならない。そのことを嶋本先生から教わりました。このことは宗教というものを考えていく上で今も私が大切にしている考え方です。

本書『南方熊楠と猫とイスラーム』でも、嶋本先生は時代背景や熊楠が置かれた特定の状況を丁寧に考察し、そこから大きな視点で彼の思想や研究方法を私たちに示してくれます。

「おわりに」で嶋本先生はこうまとめています。

熊楠はあれだけ多くの多岐にわたる仕事をして残しているのであるから、その精力だけでもその非凡さは明瞭である。ただ、確かに熊楠は極めて多くの情報は残したが、まとまった体系は残さなかった。体系が残されていないことは、少なくとも思想家としては評価不能ということである。筆者が本書で読者に示したかったのはこの点に尽きると思う。この人物は面白い。しかし、単なる印象としてならともかく、一人の思想家としては、問題がある。そして、これは熊楠だけの問題ではなく、筆者個人の問題としては学問の意味、知を求める作業の意味を考え直す機会でもあった。

京都大学学術出版会、嶋本隆光『南方熊楠と猫とイスラーム』P259

本書は南方熊楠に興味のある方に必読の作品です。また熊楠についてあまり知らない方にも驚きがある作品です。なぜなら、若き熊楠のイギリス滞在を通してこの時代のイギリスや世界情勢についても知ることができるからです。さらにイラン・イスラームが専門の嶋本先生ならではのイギリス・中東事情の解説も非常に興味深いです。「え、こんな歴史があったんだ」と興味深く読めることでしょう。

そうした時代背景も学びながら人物その人に迫っていく嶋本先生の講義スタイルはとても刺激的です。

「これは熊楠だけの問題ではなく、筆者個人の問題としては学問の意味、知を求める作業の意味を考え直す機会でもあった。」と、先生が述べたのも非常に重要です。先程も仏教においても同じ問題が起きていたことをお話ししましたが、まさに知のあり方、歴史上の人物をどう考えるかということが今問われているのではないでしょうか。

ぜひぜひおすすめしたい作品です。

以上、「嶋本隆光『南方熊楠と猫とイスラーム』~従来の熊楠像は本当に正しかったのか?偉人研究のあり方を問う刺激的な一冊!」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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