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中嶋洋平『社会主義前夜-サン=シモン、オーウェン、フーリエ』概要と感想~マルクスによる空想的社会主義者のレッテルは不当だった?
今回ご紹介するのは2022年に筑摩書房より発行された中嶋洋平著『中嶋洋平『社会主義前夜-サン=シモン、オーウェン、フーリエ』です。
早速この本について見ていきましょう。
格差によって分断された社会を、どのように建て直していくべきなのか。革命の焼け跡で生まれた、”空想的”でも”社会主義”でもない三者の思想と行動を描く。
サン=シモン、オーウェン、フーリエ。この三人の名を聞けば、多くの人が「空想的社会主義」という言葉を連想するだろう。だが、彼らの一人として社会主義を打ち立てようとした人はいないし、地に足のつかない夢想家でもない。現在から見れば、彼らは社会企業家や社会プランナーとも呼べる存在だった――。一九世紀初頭、フランス革命と産業革命という二つの革命によって荒廃し、格差で分断された社会をどのように建て直すのか。この課題に取り組んだ三者の思想と行動を描く。
紀伊國屋書店商品紹介ページより
マルクス・エンゲルスによって「空想的社会主義者」のレッテルを張られたこの三人。この本はそんな三人がはたして本当に空想的な社会主義者だったのかということを見ていく作品になります。
上の本紹介にもありますように「空想的でも社会主義でもない」その実態を知ることができる刺激的な作品です。
著者はこの本について「はじめに」で次のように述べています。
サン=シモン、オーウェン、フーリエは「空想的社会主義(utopian socialism)」という表現でよく知られている。世界史や現代社会、あるいは公民といった科目の教科書において、彼らは空想的社会主義の代表的人物として挙げられ続けている。
また、教科書に登場する対義語のような表現は科学的社会主義(scientific socialism)、あるいは共産主義(communism)で、カール・マルクス(一八一八~八三年)とフリードリヒ・エンゲルス(一八ニ〇~九五年)によって構想された、となっている。
社会主義にも「空想的」と「科学的」の二つがあるというわけだが、字面だけを見て考えるなら、ふらふらとして地に足のつかない「空想的」に対して、しっかりと構築された理論を持った「科学的」というイメージが湧いてくるだろう。あるいは、「空想的」な状態で生まれた未熟な「社会主義」が「科学的」なものに成長した、というストーリーが頭の中に描かれるだろう。
ところが、サン=シモンもオーウェンもフーリエも、社会主義を打ち立てようとか、社会主義のために戦おうとか、そんなことをまったく考えもしていなかった。そもそも、三者は同じ時代を生きていたというだけであって、社会主義のために一緒に仕事をしたという事実はなかったのである。
実のところ、社会主義という表現とは、サン=シモン、オーウェン、フーリエの周辺の人びとや、三者よりも後の時代の人びとがそう呼ぶようになったことで生まれたにすぎない。
空想的という言葉もまた、科学的社会主義者とも共産主義者とも名乗ったマルクスとエンゲルスがそのように表現したのである。サン=シモンもオーウェンもフーリエも、自分たちの構想を空想的であると考えていたわけではない。
本書では、社会主義という思想系譜が誕生する前夜、まさに「社会主義前夜」において、当時の政治や経済、社会の状況を時間に沿って追いながら、サン=シモン、オーウェン、フーリエが何を考え、どのように行動し、何を目指したのかについて探究していきたい。
そして、彼らの構想を紹介することで、読者に対して現代世界に積み重なった問題をめぐる「考え方の考え方」を提供していきたい。
筑摩書房、中嶋洋平『中嶋洋平『社会主義前夜-サン=シモン、オーウェン、フーリエ』P9-11
この作品のありがたい点は彼ら三人が生きた時代背景を詳しく知ることができるところにあります。
マルクス・エンゲルスよりも五〇年ほど前に生まれた三人。その時のヨーロッパの時代背景はどのようなものだったのか。その上で人々は何に苦しみ、何を求めていたのかということがわかりやすく解説されます。
時代背景を離れた思想はありません。
著者が「彼らの構想を紹介することで、読者に対して現代世界に積み重なった問題をめぐる「考え方の考え方」を提供していきたい。」と述べるように、単に彼らを「空想的社会主義者」とレッテルを張って終わりにするのではなく、時代背景から遡り彼らの思想をしっかりと押さえていくことで私達は大きな「世界の見方」を学ぶことができます。
当ブログでもこれまでマルクス・エンゲルスについて記事を更新してきました。私が大切にしたのは彼らが生きた時代背景はどのようなものだったのか、そして彼らはなぜここまで多くの人に影響を与えることができたのかという点でした。
そしてマルクス・エンゲルスが彼ら三人を「空想的社会主義者」と呼び、それが爆発的に広まったのはエンゲルスの『空想から科学へ』という作品がきっかけでした。
『空想から科学へ』では『彼ら三人は「空想的」な理論を述べているがマルクスの理論は違う。マルクスの理論こそ科学的でこれこそ本当に世の中を変える思想なのだ』というメッセージがふんだんに込められています。
この作品だけを読めば「ほぉ、そうなんだ。やはりマルクスはすごいんだ」となってしまいますが、『社会主義前夜-サン=シモン、オーウェン、フーリエ』を読めば、マルクス・エンゲルス、そして後のマルクス主義者がいかに自分たちに都合の良いように彼らを語っていたことがよくわかります。
かつてマルクス主義が持っていた権威は凄まじいものがありました。それは絶対的な教義と言ってもいいかもしれません。
ですがはたしてそれを本当にそのまま受け取っていいものなのかというのは非常に大きな問題です。
近年マルクスが再注目されていますが、私はその流れに恐怖を感じています。歴史は形を変えて繰り返すとよく言われます。
ただ、私はマルクスその人に対して全否定をするつもりはありません。歴史上の巨大な人物として彼の思想や生涯を学ぶことは大きな意味があると思います。ですが人を煽動するためのイデオロギーとして使われ始めたらマルクス思想は非常に危険なものがあると私は考えています。
それはマルクスのライバル、ロシアの革命家バクーニンがかつて見抜いていたことでもありました。
マルクスは良くも悪くも圧倒的なスケールを持つ巨人です。
その彼の生涯や時代背景を学ぶことは現代を生きる私達にも大きな意味があると思います。
その彼の主な言論のパターンとして相手にレッテルを張って徹底的にこき下ろし、やっつけるというものがあります。そしてその標的のひとつがまさにサン=シモン、オーウェン、フーリエでもあったわけです。
絶対的権威であるマルクスが言ったことが、実は歴史的事実とは違った。
ですが、その事実を知るためにはマルクスの言ったことを鵜呑みにせず、歴史を丁寧に見ていくしかありません。
本書、中嶋洋平著『社会主義前夜-サン=シモン、オーウェン、フーリエ』はまさにそうしたことをじっくり丁寧に追っていける作品です。
当時の時代背景が思想にどれだけ影響を与えるか、そして彼ら三人がどのような思想を持ち、どのような活動をしていたかがクリアになる作品です。これはぜひおすすめしたい作品です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
以上、「中嶋洋平『社会主義前夜-サン=シモン、オーウェン、フーリエ』~マルクスによる空想的社会主義者のレッテルは不当だった?」でした。
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