栗生沢猛夫『タタールのくびき ロシア史におけるモンゴル支配の研究』あらすじと感想~ロシアとアジアのつながりを知るのにおすすめ参考書!
栗生沢猛夫『タタールのくびき ロシア史におけるモンゴル支配の研究』概要と感想~ロシアとアジアのつながりを知るのにおすすめ参考書!
今回ご紹介するのは2007年に東京大学出版会より発行された栗生沢猛夫『タタールのくびき ロシア史におけるモンゴル支配の研究』です。
早速この本について見ていきましょう。
著者は「はしがき」で次のように述べています。
本書は、「タタールのくびき」といわれるモンゴルのロシア支配が、ロシア史においていかなる意味をもったのかを明らかにすることを目的として執筆された。
モンゴルのロシア支配というのは、チンギス・カンの孫バトゥの軍によるロシア・西方大遠征(一二三七-一二四二年)の後に樹立されたキプチャク・カン国(ジョチ・ウルス)による支配のことで、種々議論はあるが、一三世紀四〇年代初めから一五世紀後半までのほとんど二四〇年間にわたって続いたと考えることができる。
この支配がロシア史においてもった意味については研究史上実にさまざまな見解が表明されており、一致した見方が形成されているわけではない。
ロシア史の歩みを根本的に変えたとされることもあれば、逆にほとんど意味をもたなかったと主張されることもあった。破壊的、否定的な影響について述べる者もおれば、逆に建設的、肯定的な影響について語る者もいた。
前者はこの支配が「くびき」であったことを強調し、後者はそれを否定したのである。こうした混乱が生じる原因の一つに、支配そのものについての研究が十分に行われてこなかったことがあるのは否定できないであろう。今日モンゴルによるロシア支配の実態を明らかにすることが強く求められているといってよい。本書はこれに応えようとする一つの試みである。
東京大学出版社、栗生沢猛夫『タタールのくびき ロシア史におけるモンゴル支配の研究』Pⅰ
※一部改行しました
モンゴル人によるロシア支配の歴史については以前、上の記事でざっくりとご紹介しました。
ロシアの起源キエフとタタールのくびきにかけての歴史について、せっかくですのでこれより復習がてら見ていきましょう。
ロシアの起源
4~8世紀 スラブ諸民族が各地に分散、移住。町ができ始める。
860頃 キリル文字の誕生=※それまで文字はなかった
882 オレーグ公がキエフ国家を統一。古代ルーシ(ロシア)の成立
988 キエフ大公ウラジーミルがギリシア正教を受容。キリスト教国家へ。
1156 ユーリ・ドルゴルーキーがモスクワを建設
『興亡の世界史 第14巻 ロシア・ロマノフ王朝の大地』を参考
年表だけ見てもさっぱりわからないと思いますのでざっくり言いますと、ロシアという国が出来上がったのは実はかなり最近のことなのです。
この年表で言うと、ロシアの原型が出来上がるのは882年。
しかもロシアのスタートはウクライナのキエフが国家として成立したところにあります。ロシアはモスクワやサンクトペテルブルクから始まったわけではないのです。
そしてそこから100年以上も経った988年にキエフがコンスタンチノーブル(現イスタンブール)からキリスト教を受容したことで、ロシア正教の歴史がスタートしていきます。
そしてそこからさらにおよそ170年を経た1156年になってようやくモスクワという街が形成されるようになっていったのです。
驚くべきことに、この時点ではロシアという国はまだありません。
この頃はウクライナのキエフが現在のロシア周辺のエリアの中でも最も文化の進んだ国家として体裁を構えていました。
ですがロシアの広大な土地ではまだ国家と言えるようなものはまだなく、それぞれの土地を収める自治都市があり、そこを治める領主(大公)がいるという状態でした。
先程出てきたモスクワもそのような状態です。
そしてそれら領主は、時には戦闘で奪い合い、時には政治的な駆け引きでそれぞれ覇を競い、都市とその周辺地域を治めていました。
日本で言うならば戦国時代のようなものだったのです。(ロシアの場合は国の中心の朝廷がありませんでしたが)
これが原初のロシアにあたります。1156年になっても国家としてのロシアはまだまだスタートしていなかったのです。日本と比べると驚きですよね。
タタールの軛(くびき)時代とイヴァン雷帝の登場
1237 チンギスハンの孫バトゥ指揮下のモンゴル軍、ロシアに侵攻
1240 キエフが陥落
1243 キプチャク・ハン国成立。「タタールのくびき」の始まり。
1480 「タタールのくびき」からの離脱
1533 イヴァン4世(雷帝)即位
1547 イヴァン雷帝、「全ロシアのツァ―リ(皇帝)」として戴冠。親政開始
1552 カザン・ハン国を征服。赤の広場にヴァシーリー聖堂建立
1565 恐怖政治―オプリチニナ政策が始まる
1570 ノヴゴロド略奪、反対派の大量処刑
1584 イヴァン雷帝死去
『興亡の世界史 第14巻 ロシア・ロマノフ王朝の大地』を参考
まだまだ王朝を中心とした国家という形を成していなかったロシア。
1200年代前半のこの地方の中心は依然ウクライナのキエフでありました。
しかし1237年、そんな状況に重大な変化が訪れます。
タタール人、つまりモンゴル軍がロシアに現れます。なんとその時の指揮官はあのチンギスハンの孫、バトゥ。日本史でも有名な元軍がついにヨーロッパにまで進行しようとしていたのです。
一旦はタタール軍を追い返したかに見えたロシアでしたが、それはあくまで斥候にすぎませんでした。
1240年に再び現れたタタール軍は前回とは比べ物にならぬほどの軍勢で襲来し、あっという間にキエフは陥落。キエフ公国が滅亡します。
その後も彼らの進撃は止められずロシア全土はタタール軍に蹂躙され、壊滅状態に陥ります。
そして1243年ロシア南部はタタール人の勢力下に収まりキプチャク・ハン国が成立。
以後ロシア全土はタタール人に税金を払うことを強制されることになります。
これがタタールのくびきの始まりです。
今では信じられませんがロシアはモンゴル帝国の属国になってしまったのです。
タタール軍による破壊は凄まじく、繁栄を誇っていたキエフが再浮上することはありませんでした。
今回ご紹介している『タタールのくびき ロシア史におけるモンゴル支配の研究』ではこのモンゴル軍の襲来についてかなり詳しく見ていくことになります。
そして著者が、
「この支配がロシア史においてもった意味については研究史上実にさまざまな見解が表明されており、一致した見方が形成されているわけではない。
ロシア史の歩みを根本的に変えたとされることもあれば、逆にほとんど意味をもたなかったと主張されることもあった。破壊的、否定的な影響について述べる者もおれば、逆に建設的、肯定的な影響について語る者もいた。」
と述べていたように、実はタタールのくびきについては現在も一致した見解がなされていません。
これの何が問題なのかというと、著者はこの後で次のように述べていました。
たしかに異民族の軍事的征服に端を発する支配が「くびき」でなかったと考えることはできまい。しかしこの語は多くの誤解を生む原因ともなった。人々は遠い過去の支配の実態を問おうとはせず、自ら貼ったレッテルにしたがってこの支配を都合よく理解するようになったからである。ときには自らの生きる時代のすべての欠陥の原因を、遡ってこの支配に求めることすらあったのである。
東京大学出版社、栗生沢猛夫『タタールのくびき ロシア史におけるモンゴル支配の研究』Pⅲ
タタール人による破壊と略奪はたしかに大きな被害を与えました。しかしその後の統治においてはそこまで悲惨なことにはなっていなかったという研究が実際に多く出ています。
ですが、現代になった今でもロシアにおいて何か問題を指摘されるようなことがあった時、このタタールのくびきを持ち出して責任逃れの材料の一つとして利用されているという問題があるそうです。(「我々は被害者である」というメンタリティーなど)
この本では「タタールのくびき」の先行研究を丹念に見ていき、それがどのようにロシアで受容されてきたのかということを見ていきます。
タタール支配は未曽有の悲劇だった説とそこまでの被害はなく、むしろ文化的にも有益な面があった説の違いはどこから生まれてくるのか。どの資料を用い、それをどのように解釈した結果そうした説が生まれてきたかということを驚くほど丁寧に追っていきます。
歴史家による緻密な分析とはこういうことなのかということをこの本では体感できます。ひたすら厳密に資料に当たっていく姿勢には頭が上がりません。そうした研究のあり方を目の当たりにできたことが私にとってこの本で一番印象に残ったことでした。
ものすごい本ですこの本は。
そしてこの本ではタタールのくびきと関連してアレクサンドル・ネフスキーについても語られます。
アレクサンドル・ネフスキーは中世ロシアの英雄であり、ロシアを代表する聖人として知られています。
アレクサンドル・ネフスキーという名はロシアの歴史や文化を学ぶ上で必ず出会うことになるほど有名ですが、この名前といえば、サンクトペテルブルグのアレクサンドル・ネフスキー修道院を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
ここはまさしくアレクサンドル・ネフスキーの聖骸が葬られている修道院で、ここのお墓にはロシアの錚々たる偉人達も葬られています。ドストエフスキーもまさにその一人ですし、チャイコフスキー、クラムスコイなどジャンルを問わず、数多くの偉人達がここで眠っています。Wikipediaを見て驚いたのですが、本当にすごい顔ぶれです。サンクトペテルブルクに行くときはぜひお参りに行きたいと思います。
そんなアレクサンドル・ネフスキーの生涯とタタールのくびきとの関係性もこの本では知ることもできます。
ロシアの歴史を知る上でこれは非常に興味深いものでありました。
「タタール人支配をロシア人はどのように受け止めてきたのか」、これは今の問題にも繋がります。
この本を読んだことで「歴史はどのように紡がれていくのか」ということを考えさせられました。歴史は「今生きている人によって作られるものだ」ということをつくづく感じました。歴史は過去ではなく、まさに今の問題なのだと。「歴史観」の問題なのだと・・・。ここでは長くなってしまうのであまりお話しできませんが、ロシアの「タタールのくびき」をテーマにした本書でしたが、これは世界全体、人間全体に関わる非常に大きな問題を扱っている本のように思えました。この本を読んでいると、「では、日本の歴史って何なのだろう」ということも考えざるをえなくなります。これは非常に重要な問題だと思います。
こうした視点を与えてくれるこの本は非常にありがたい作品です。ぜひおすすめしたい作品です。
以上、「栗生沢猛夫『タタールのくびき ロシア史におけるモンゴル支配の研究』ロシアとアジアのつながりを知るのにおすすめ参考書!」でした。
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