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(4)ドイツロマン主義、疾風怒濤とは~マルクス・エンゲルスら青年たちに多大な影響を与えたロマン主義の洗礼

目次

ドイツロマン主義、疾風怒濤とは~マルクス・エンゲルスら青年たちに多大な影響を与えたロマン主義の洗礼 「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(4)

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上の記事ではマルクスとエンゲルスの生涯を年表でざっくりと紹介しましたが、このシリーズでは「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」というテーマでより詳しく2人の生涯と思想を見ていきます。

これから参考にしていくのはトリストラム・ハント著エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』というエンゲルスの伝記です。

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トリストラム・ハント『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』あらすじと感想~マルクスを支えた天才... この伝記はマルクスやエンゲルスを過度に讃美したり、逆に攻撃するような立場を取りません。そのような過度なイデオロギー偏向とは距離を取り、あくまで史実をもとに書かれています。 そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。 マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。マルクスの伝記に加えてこの本を読むことをぜひおすすめしたいです。

この本が優れているのは、エンゲルスがどのような思想に影響を受け、そこからどのように彼の著作が生み出されていったかがわかりやすく解説されている点です。

当時の時代背景や流行していた思想などと一緒に学ぶことができるので、歴史の流れが非常にわかりやすいです。エンゲルスとマルクスの思想がいかにして出来上がっていったのかがよくわかります。この本のおかげで次に何を読めばもっとマルクスとエンゲルスのことを知れるかという道筋もつけてもらえます。これはありがたかったです。

そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。かなり驚きの内容です。

この本はエンゲルスの伝記ではありますが、マルクスのことも詳しく書かれています。マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。

一部マルクスの生涯や興味深いエピソードなどを補うために他のマルクス伝記も用いることもありますが、基本的にはこの本を中心にマルクスとエンゲルスの生涯についてじっくりと見ていきたいと思います。

その他参考書については以下の記事「マルクス伝記おすすめ12作品一覧~マルクス・エンゲルスの生涯・思想をより知るために」でまとめていますのでこちらもぜひご参照ください。

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では、早速始めていきましょう。

エンゲルス、ロマン主義の洗礼

「フリードリヒは先週、かなり凡庸な成績をもらってきました。ご存じのとおり、傍目には行儀よくなったけれども、前にあれだけ厳しくお仕置きされた割には、罰を恐れて無条件に従うまでにはいたっていないようだ」と、父エンゲルスは一八三五年八月に、死の間際にある父を看病しにハムに帰省しているエリーゼに手厳しくこう書いた。

「だから今日、彼の机に貸出図書館から借りてきたいかがわしい本があるのを見つけて、私はまた憂鬱になった。十三世紀の騎士の話だ。あんな本を机に無造作に置いておくとは驚きだ。神があの子の気質をよく見張ってくださいますように。それ以外の点では優秀なのに、私はしばしばこの子を恐ろしく思う」

父親にとってはひどく残念なことに、フリードリヒは早い時期からバルメンの暮らしの敬虔主義的な抑圧に苛立ち始めた。最初に教育を受けたのは地元の都市学校だったが、この学校では知的野心は総じて奨励されていなかった。

十四歳のとき、彼はエルバーフェルトの市立のギムナジウムに転校し、ルター派の学校長の家に下宿することになった。プロイセンの一流校の一つとも言われたリべラルなこのギムナジウムで、エンゲルスの語学の才能は確実に育まれ、クラウゼン博士(「生徒のあいだに詩情をかきたてることのできた唯一の人物。ヴッパータールの俗物ペリシテのあいだでは、消滅するに違いない感情だ」)の指導のもとで、古代ゲルマニアの神話と騎士道物語ロマンスへの関心がしだいに高まった。

最終学年の成績表にはこう記されている。「エンゲルスはドイツの民族文学史とドイツの古典を読むことに、称賛すべき関心を示した」
※一部改行しました


筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P31

ヴッパータールの宗教事情については前回の記事「エンゲルスの生地、工業地帯ヴッパータールの宗教事情とは「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(3)」でお話ししました。この町では厳格なカルヴァン主義が信仰され、『「娯楽」は異教徒による神への冒漬の一つ』とさえ見なされるほどでした。

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ですので「真面目な本」を読むことが当然の中でエンゲルスが「いかがわしい本」を読んでいたことを彼の父は嘆いていたのです。

ですがこうした好奇心は押しとめられればられるほど強まっていきます。エンゲルスは新たな思考へと誘われていくのでありました。

ロマンチックな愛国主義が広まり出したヨーロッパ~啓蒙主義の失墜

実際、ロマンチックな愛国主義は、エンゲルス少年に早くから知的影響をおよぼしたものの一つだった。後年、彼は味気なく、非人間的なマルクス主義者として不当に非難されるようになる―それどころか、マルクス主義そのものがしばしば啓蒙思想の〔単一の基本的要素に還元して説明する〕還元主義的な派生物として説明される―が、エンゲルスを哲学へ導いた最初の萌芽は、西洋文化の正典のなかでも最も理想化された書物のなかに見出されることになる。

政治においてフランス革命と啓蒙思想の普遍的合理主義が行き過ぎると、それにたいする反動の一環として、ヨーロッパ各地でロマン主義が花開いた。

一七〇〇年代末から、民族ごとの言語、文化、伝統および習慣などの特殊性が、ヨーロッパ各地の知的生活のなかで自信を取り戻し、自己主張を始めた。

スコットランドでは、そうした運動はケルトの神話作者ジェームズ・マクファーソンによって主導され、のちに歴史小説ウェイヴァリーシリーズを書いたウォルター・スコットに受け継がれた。

フランスでは、シャトーブリアンの『キリスト教精髄』が大いに非難されてきたカトリック教会をたたえたし、かたやジョゼフ・ド・メーストルは啓蒙主義を、人間の本質をうわべでしか理解していないとしてこきおろした。

そして、イングランドでは、コールリッジの「老水夫の歌」をはじめ、ワーズワースやブレイクの詩が国民的伝統の特殊性にこだわり、共通の文化、言語、理性というコスモポリタンな概念を意識的に侮辱した。

「イングランドでも、ドイツでも、スペインでも、昔からある土着の伝統が、迷信すら加わって新たに勢いづき、尊重されるようになった」と、ヒュー・トレヴァー=ローパー〔イギリスの歴史家〕は述べる。百科全書派の合理主義者から見れば軽蔑に値するように思われる社会の慣習的な古い組織や、昔から根づいている信仰などが、いまや新たな尊厳を獲得した」
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P32

ここで重要なのは、

「一七〇〇年代末から、民族ごとの言語、文化、伝統および習慣などの特殊性が、ヨーロッパ各地の知的生活のなかで自信を取り戻し、自己主張を始めた。

啓蒙主義を、人間の本質をうわべでしか理解していないとしてこきおろし共通の文化、言語、理性というコスモポリタンな概念を意識的に侮辱した。」

という点です。

これはどういうことかというと、1700年代は啓蒙思想という、ある意味楽観的な思想が力を持っていた時代でした。というのも、その思想は人間の理性が発達すれば世界は争いはなくなり、普遍的な理念を持った世界を作っていけるだろうというものだったからです。(極端に言うならばですが)

この思想の代表者にフランスの哲学者ヴォルテールを挙げることができます。

ヴォルテール(1694-1778)Wikipediaより

『寛容論』は彼の思想が端的に表れている著作です。彼はこの本の中で「自分たちこそ絶対に正しい」という狂信を鋭く批判しています。

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この時代はカトリックとプロテスタントの血みどろの争いが止まず、ヴォルテールは心を痛めていました。

なぜ同じキリスト教なのに教義の解釈の違いで殺し合わなければならないのか。

「自分たちが正しい」という狂信は人を殺戮に導く。だからこそ理性を働かせてそうしたものを抑えていかなければならない。人間はそうして自分たちの集団、国、宗教を超えて平和に生きていかなければならない。「自分たち」という集団を意識するのではなく、「人間」という共通の世界を構築しなければならないとヴォルテールは述べるのです。

ですが、この高潔な理想も1789年のフランス革命から始まるヨーロッパの大混乱で頓挫することになります。

自由と平等を掲げて行われたフランス革命は世界に何をもたらしたのか。

革命はフランス国内の混乱を招き、国王一族はギロチン送りにされ、さらには政治家同士でもギロチン送りの応酬となります。

そこから対フランス革命戦争がヨーロッパで勃発。そこからナポレオンが登場しました。ヨーロッパは1815年のナポレオン戦争終結までずっと戦乱が続いていたのです。

啓蒙主義という人間の普遍的な理性を信じた運動の成れの果てが、ヨーロッパ全土を巻き込んだ戦争だったのです。しかも結局そこで力を持ったのは国家という権力、武力です。

いくら普遍的な人間理性を説こうと、結局は『「自分たちの国家」をベースにした力がなければ何にもならない』と当時の知識人たちが考えてしまうのも無理もない状況が生まれていたのでした。

それが上で説かれた、

政治においてフランス革命と啓蒙思想の普遍的合理主義が行き過ぎると、それにたいする反動の一環として、ヨーロッパ各地でロマン主義が花開いた。」

という言葉の背景になります。

疾風怒濤・ドイツロマン主義とは~ドイツナショナリズムの台頭

そして、それがどこにもまして顕著に見られたのがドイツだった。何十年にもわたって美学、文化、政治の各方面の運動が広がり、たがいに相補うと同時に相容れない状況になるなかで、ロマン主義は体系化されないままの存在でありつづける。

しかし、啓蒙思想が予測可能で不変の人間の本質に専念するとすれば、ロマン主義はその反対のことを強調した。偏狭で平凡な現状を抜けだそうとする人びとのあいだの非理性的で、感情的、想像的、かつ忙しない欲望などだ。

知的面では、ドイツのロマン主義の端緒は、シュトゥルム・ウント・ドラング〔十八世紀の革新的文学運動、疾風怒濤とよく訳される〕の劇作家たちや、自己に没頭する情熱的な生き方を描いたゲーテの名著『若きウェルテルの悩み』(一七七四年)までたどれる。

対照的に、作家のヨハン・ゴットフリート・フォン・へルダーやJ・G・ハマンはより意識的にナショナリスト的な反応を見せ、啓蒙されたフランスの礼儀正しさに反発して、文化を構築するために泥臭いドイツ語の重要性を強調した。自著『言語起源論』のなかで、へルダーは独自の音色をもった竪琴として言語を描き、各国の言語は特定の民族、つまりフォルク(「観念を通して精神と結びつき、嗜好や衝動を通して感情に、印象や形状を通して五感に、法や制度を通して市民社会に結びつく、目につかない、隠れた媒体」)の特別な産物であるとした。そのため、一つの民族の本質は原始的な民話、歌、文学を通してたどることができるというものだ。

奇妙に民主的なこの文化の概念は、ドイツ民族の、とりわけ中世への関心を高める一助となった。ストラスブールにそびえるゴシック大聖堂、宗教改革以前のカトリック教会、陳腐なおとぎ話やデューラーの芸術作品などがすべて、ドイツ民族が共有する偉大さのかけがえのない象徴となった。

スタール夫人がべストセラーとなった歴史書『ドイツ論』で述べたように、テュートン人〔テウトネス族、ゲルマン系だったとされる〕はローマ人によって征服されず、未開の状態から中世のキリスト教へと直接移行したため、「彼らの想像力は古い塔や狭間胸壁、あるいは騎士や魔女や亡霊のなかを自由に駆け巡る。そして、孤独のなかで考えた不可解な出来事が、彼らの詩の中心的な部分をなしている」のだった。
※一部改行しました


筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P32-33

先ほど述べた啓蒙思想の失墜と並行して、ドイツのロマン主義、疾風怒濤が台頭してきます。

ここでも大きな影響を与えているのは、やはりゲーテでした。

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そしてヘルダーなどの学者によってドイツ民族の歴史や文化を再発見し、そこに国家としてのアイデンティティーを見出していくという流れが生み出されていったのでありました。

詩人シラーの絶大な影響力。美の強調

カスパー・ダーフィト・フリードリヒ作「雲海の上の旅人」Wikipediaより

フリードリヒ・シラーは、このロマン主義に向かう衝動を美的なものに変え、中世の有機的社会の崩壊は、美と創造性からなる幅広い倫理によってのみ食い止められ、後戻りさせられるだろうと述べた。この呼びかけに、一七九八年にフリードリヒとアウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲル兄弟が応じ、イエーナを拠点に雑誌『アテネーウム』を発刊することでドイツ・ロマン主義の黄金時代を生みだした。この雑誌のページを通して、ロマン主義の芸術家、詩人、放浪者や神秘主義者が舞台中央に躍りでた。カスパー・ダーフィト・フリードリヒが描く、広大な森や激しい滝を前にしてみずからと向き合う英雄的テーマの陰鬱な絵画。E・T・A・ホフマンのとらえどころのない超越的な楽譜。そしてシラーの自由、反乱、裏切りの詩は、個人の経験がすべてであるこの内向きでロマン主義的な精神をとらえた。

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P33-34

シラー(1759-1805)といえば代表作、『群盗』で有名な詩人、作家です。この作品はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』にも絶大な影響を与えました。

また彼はゲーテの親友・盟友としても知られています。彼がいなければゲーテの『ファウスト』は完成されなかったかもしれません。

他にも、彼が制作した「歓喜に寄せて」という詩はベートーヴェンの『交響曲第九』にも用いられ、年末の風物詩として日本でも非常に親しまれているなど、現代でもその影響力は健在です。

以下、彼に関する記事を掲載しておきますので興味のある方はぜひご覧ください。

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ナポレオンによる占領への屈辱と燃えたぎる愛国心~グリム童話誕生の背景とは

だが、シラーとシュレーゲルが社会の絆を再び強めるために芸術家の使命を強調したのにたいし、彼らの同時代人である哲学者のノヴァーリスやヨハン・ゴットリープ・フィヒテは、へルダーの原民族主義的考えを復活させようと試みた。フォルクに関する彼の愛国的な概念は、一八〇六年にプロイセンがイエーナの戦いでフランスのナポレオン・ボナパルト皇帝の武力に屈したのちには、ことのほか先見の明のあるものとなった。

その後のフランス帝国の支配は、おおむね啓蒙的な性質のものであったにもかかわらず―その民法典〔いわゆるナポレオン法典〕は、ホーエンツォレルン家がプロイセンで認めたよりはるかに多くの言論の自由と、憲法による自由、およびユダヤ人の権利を与えるものだった―異国の占領下に置かれることは歓迎される状況とは言いがたく、フランスに統治された期間は虐げられたゲルマン人としての自己認識を強めるばかりとなった。

フィヒテはこの感情を、一ハ〇七年から〇八年にかけてべルリン・アカデミー(プロイセン科学アカデミー)で「ドイツ国民に告ぐ」という一連の挑発的な講義で醸成した。講義のなかで彼は、独立した国民・国家というへルダーの概念を感情的な新たな高みにまで押しあげた。

その〔言語・文化的な単位としての〕民族との一体感を通してのみ、個人は完全な自由を実現することができる、と彼はフランスの支配下で苦労するべルリンの聴衆に向かって断言した。かたや〔政治的な単位としての〕国民・国家そのものは、魂と目的をもった美しい、有機的な存在である、というものだった。

その結果、自分たちの言葉で書かれたドイツの過去にたいして新たな関心がほとばしるように生まれ、この国で最も有名な言語〔文献〕学者で童話愛好家であるヤーコブとヴィルヘルム・グリム兄弟によってそれが具体化された。すでにドイツの慣習、法、言語の考古学情報を提供する雑誌『アルトドイチェ・ヴァルター(古いドイツの森)』を発刊していた彼らは、一八一五年に新たな訴えを発表した。

「このたび一つの社会を創設した。これからドイツ全土に広げるつもりの社会で、ドイツの農民一般のあいだに見出せる既存の歌や物語を記録し、集めることを目的とするものである」。

これは「想像上の国家建設」の作業である。べストセラーとなった『子供たちと家庭の童話』〔グリム童話の原題〕に取り入れられたおとぎ話や民話の多くが、フランスのユグノー出身の中流階級の女性たちから聞いたものだったという事実にもかかわらず、これらの童話はドイツ国民の伝統にさらなる創作された厚みを加えることになった。

詩や民話の陰では、オぺラや小説がロマン主義の強硬な政治を声高に主張した。ナポレオンがワーテルローの戦いで敗れ、その後、ウィーン会議で外交を通じて領土が分割されて、一八一五年にヨーロッパにようやく平和が戻ると、ラインラントはプロイセンによって併合され、フランスから引き離された。

産業化し、都市化したラインの自由思想の世界は、こうしてべルリンのホーエンツォレルン家の君主制と、その面白味に欠けるユンカー気質の支配下に入ることになった。階級制と権威の利点を、より広いドイツ文化に見られるどんな土地固有の精神よりもはるかに優遇する社会的精神である。

それでも、プロイセン一帯で―およびのちにドイツを構成するその他の公国や王国や自由都市の内部でも―ノヴァーリスの詩やフィヒテのナショナリズムに感化されて育ったロマン主義および進歩主義の愛国者たちが、もっと統一された、もっと自由なドイツ国家を支持するために動員されていた。創作された伝統にもとづく伝説や言語に鼓舞された急進派たちが、いまやフランス占領時代の記憶と啓蒙主義の尊大さを、新たに揺り起こされた国民感情で浄化したいと考えるようになった。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P34-36

フランスに占領されているということから、「ドイツ人とは何なのか」というナショナリズムが生まれ、そこから民族意識を高めることで国力を高めるという流れができてきます。その流れの一つにグリム童話があったというのは「う~む、なるほどな・・・」と思わず唸ってしまいました。

『赤ずきん』や『ヘンゼルとグレーテル』や、ディズニー作品にもなった『白雪姫』などなど、グリム童話は私たちにも非常に馴染み深い作品です。

その背景にこうした国際状況があったというのは驚きでした。

グリム童話については以下の記事で詳しくお話ししていますのでぜひこちらもご参照ください。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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