ホフマン『砂男』あらすじと感想~ホフマン怪奇小説の代表作!ドストエフスキーの作風にも影響?

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ホフマン怪奇小説の代表作~『ホフマン短編集』所収『砂男』あらすじ解説

E・T・A・ホフマン Wikipediaより

今回ご紹介するのは1815年にホフマンにより発表された『砂男』という作品です。

私が読んだのは岩波書店版2007年第19刷『ホフマン短編集』所収の『砂男』です。

前回の記事ではホフマンの伝記ザフランスキー著『E.T.A.ホフマン ある懐疑的な夢想家の生涯』をご紹介しましたが、今回の記事ではホフマンの代表作とも言える『砂男』という作品をご紹介します。

早速あらすじを見ていきましょう。

物語は主人公ナタナエルが幼い頃の話を手紙で述べるところから始まります。

彼には幼い頃から恐ろしく思っているものがありました。それが「砂男」だったのです。彼は手紙でこう語ります。

父はときおりぼくたちに絵本をもたせたきりで自分は肘掛椅子に坐りこみ、目の前がぼんやりしてみえなくなるほどタバコの煙を吐き出しているだけのときもあった。そんな夜、母はとても悲しげで、時計が九時を打ったばかりだというのに、こんなふうに言うのだった。

「さあ子供たち―ベッドにいく時間ですよ。でないと砂男がやってきますよ。ほうら、足音が聞こえてきた!」

実際、重たげに階段を上がってくる足音がしたのだ。砂男にちがいなかった。あるとき階段の重々しい足音があまり気味悪かったものだから、母につれられて寝室にいく途中、ぼくはたずねたものさ。

「ねえ、お母さん、砂男って悪いやつだね。いつもぼくたちをお父さんの部屋から追い出すんだもの―だけどいったい、砂男ってどんな人なの?」

「砂男なんてほんとうはどこにもいませんよ」

母は答えた。

「砂男がきますよって母さんが言うのは、みんなが眠そうにしているからなの。まるで目に砂を入れられたみたいで、お目めがふさがっているでしょう」

嘘だとぼくは思った。ぼくたちを怖がらせたくないものだから砂男などいないと言っただけだと子供ごころに考えた。階段を上ってくる足音をいつも聞いていたのだからね。知りたくてたまらなかった。砂男とぼくたちのような子供との間にどんなつながりがあるのか気になってならなかった。思いあまってとうとうあるとき、一番下の妹のお守りにきていた婆やに、砂男のことをたずねたんだね。

「おや、まあ、ナタナエルぼっちゃま―」

婆やはこんなふうに答えた。

「ぼっちゃまはご存知なかったのですか?悪い男でございますよ、子供たちがベッドにいきたがらないとやってきて、お目めにどっさり砂を投げこむのでございますよ。すると目玉が血まみれになってとび出しますね。砂男は目玉を袋に投げこみまして半分欠けたお月さまにもち帰り、自分の子供に食べさせるのでございますよ。砂男の子供たちは半月の巣の中におりましてね。ふくろうみたいに先のまがった嘴をもっていて、その嘴で夜ふかしの子供の目玉をつつくのでございますよ」

ぽくは砂男の姿をありありと思い描いた。夜になって階段に足音がするたびにわなわなとふるえ出し、泣きじゃくりながら、砂男だ!砂男がきた!」とわめくものだから母も往生したらしい。寝室に駆けこんだあとも夜っぴいて砂男の幻に悩まされたものだった。

岩波書店版2007年第19刷『ホフマン短編集』池内紀編訳P150-152

小説の出だしからいきなり怪しい不気味な雰囲気が漂います。謎の男「砂男」が幼い主人公のトラウマになります。

そして時が経ち、主人公は砂男の正体を知ることになります。それは父を訪れていた老弁護士コッペリウスだったのです。砂男はお化けのような存在ではなく、実在の人間でした。しかし主人公にとってはこの人物の不気味さはずっと心に刻まれたままなのでした・・・

そして時は経ち主人公ナタナエルは成長し、学生になっています。

ここからこの小説は再び動き出します。

ここからはザフランスキーの『E.T.A.ホフマン ある懐疑的な夢想家の生涯』を参照します。

大学生ナターナエールはひとりの女性に恋をする。彼女が隣の家の窓から彼のほうに微笑みかけているように見えたのである。ナターナエールはしばらくの間そこを観察していたが、「望遠鏡」を通して見てるうちに彼の感情に火がつく。この「望遠鏡」は晴雨計売りのコッポラから手に入れたものだ。ナターナエールはコッポラを見て、少年時代のおぞましい人物、弁護士コッペーリウスではないか、と思う。コッペーリウスは父親の死に何やら得体の知れないところで結びついている。

ナターナエールはコッポラの登場で不安を覚えるようになる。こいつが「しあわせな愛を壊す」のではないか、という嫌な予感に苦しめられる。だが、はじめのうちはそのようには見えない。というのも、コッポラの望遠鏡のおかげで、しあわせな愛がまがりなりにも始まるからである。望遠レンズを通して「視た」窓際に佇むオリンピアのほうが、ふるさとの婚約者クラーラよりも強い情熱をナターナエールのなかに呼び起こす。

クラーラとは違いオリンピアは、じっとしておとなしく、要求せず、こちらの言うことに異を唱えようともしない。だからこそナターナエールはこんな科白をはくのである。「おお、きみはなんてすばらしい、天使のような女性なんだ!・・・きみの情深い心のなかにぼくの全存在が映し出されているのさ!」(WI,355)。ナターナエールはオリンピアのなかに映し出されている。彼女の一見理解あるように見えたまなざしは、はね返ってもどってきた自分じしんのまなざしなのだ。オリンピアには生命もなければ、身体というものもない。オリンピアが実は自動人形であるとわかって、ナターナエールは残酷にも自らのナルチシズムと向きあう結果となる。彼は自己との出会いに辿りついたにすぎない。ナターナエールのようにしか人を愛せない者は、他者が怖いのである。

法政大学出版局、ザフランスキー『E.T.A.ホフマン ある懐疑的な夢想家の生涯』P454-455

ナタナエルは故郷にクララという婚約者がいました。しかし彼はオリンピアというおとなしい女性に恋をしてしまいます。それこそ彼女に魅了されてしまったのです。

しかし物語の後半に明らかになるのですが、その女性はなんと、機械人形だったのです。だからおとなしかったのです。普通ならそんなの気づくでしょと思ってしまう所ですがそこがホフマンの恐ろしい所です。謎な女性に溺れ切ってしまうナタナエルを描くことで不気味さを掻き立て、その不自然さが逆に現実味を帯びてきます。

そして冒頭の「砂男」との関わりや様々な伏線が絡み合い、物語は一気に進んで行きます。ラストシーンは本当にホラーそのものです。正直、ものすごく怖いです。私はホラー系の物語が苦手で昔からそういうテレビなどは絶対に見ませんでした。

主人公が狂気に落ち込むシーンの不気味さたるや鳥肌が立つほどです。ラストシーンはかなり衝撃的です。

ここではネタバレになるのであえて書きませんが、今から200年以上も前にこんなクオリティーの高い怪奇物語がすでにあったというのはかなり驚きです。だからこそ世界中でホフマンは愛されていたのでしょう。

最後にホフマン小説の特徴について少しだけ考えていきたいと思います。

今回ご紹介した『砂男』はホフマン怪奇小説の典型的なパターンに沿った作品でした。

まず、主人公の前に怪しい男が現れ、そこから物語はスタートするもいよいよ謎は深まるばかり。

しかしふとしたことから一気に展開は動き、その男の謎が解き明かされ、狂気の正体が顔を出す。

これがホフマン怪奇小説の王道パターンです。

私はこうしたパターンを『砂男』から読んだとき、ふとドストエフスキーの『罪と罰』を連想してしまいました。この作品に出てくるスヴィドリガイロフというキャラクターもまさしくこうしたパターンに当てはまるような気がしたのです。

ドストエフスキーは若い頃ホフマンを愛読していました。その時の影響がもしかしたら様々な形でドストエフスキー作品にも表れているのかもしれない、そんな風に思ったのでした。

このことについてはしっかりと検証したわけではないので、はっきりとは断言できませんが、ホフマンを読んでそのことを感じたのでありました。

今回紹介した『砂男』が収録されている『ホフマン短編集』は他にも面白い短編がいくつも入っていますのでぜひともおすすめしたいです。現代でも全く色あせない作品たちです。怪奇小説の王道がここにあります。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

以上、「『ホフマン短編集』-『砂男』あらすじ解説~ホフマン怪奇小説の代表作」でした。

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