目次
トビー・グリーン『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖』を読む⑺
今回も引き続き、中央公論新社より2010年に出版されたトビー・グリーン著、小林朋則訳『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖』を読んでいきます。
私がこの本を読もうと思ったのはソ連、特にスターリンの粛清の歴史を学んだのがきっかけでした。
スターリン時代はちょっとでもスターリン体制から逸脱したり、その疑いありとされただけで問答無用で逮捕され、拷問の末自白を強要されます。実際に有罪か無罪かは関係ありません。
こうしたソ連の歴史を読んでいると、私は思わずかつての中世異端審問を連想してしまいました。
異端審問も拷問の末自白を強要され、何の罪もない人が大量に殺害、追放された歴史があります。
そしてこの異端審問というものはドストエフスキーにもつながってきます。
ドストエフスキーと異端審問といえば、まさしく『カラマーゾフの兄弟』の最大の見どころ「大審問官の章」の重大な舞台設定です。
この本はとても興味深く、勉強になる一冊ですのでじっくりと読んでいきたいと思います。
では早速始めていきましょう。
権力を手にした者たちの腐敗
プラド美術館所蔵、ベルゲーテ『異端審問』Wikipediaより
これで議論は、隣人どうしが抱いた憎しみの核心に到達したようだ。現在も残る諸都市や、もう残骸しか残っていない町の跡を巡りながら、性的な問題も含め、さまざまな疑問を考えてきた。異端審問は、どのようにして日常生活に入り込んだのか?なぜ人々は、血も涙もない処罰に従ったのか?これについては前章までに、みんながやっているから自分もやるという意識や、監視が許可された満足感があったことを確認した。しかし、こうした意識を利用するには、全体を統括できる組織がなくてはならなかった。
その先は、当時こそ珍しかったが、今ではよく聞く話である。異端審問は実務手続きを詳細に定めており、その点が異端審問を近代的な迫害機関の先駆けとして際立たせる特徴となっている。迫害の実施とともに権力奪取への道が開け、権力を得ると本来純潔であるべき組織の腐敗が始まった。異端審問は、理論的には神の道具だったが、その実態は実に人間臭かった。
腐敗自体は、特に驚くことではない。本書ですでに触れたように、残虐な仕打ちは多いし、異端審問官による性的略奪も頻発している。(中略)
当時の社会的束縛を考えると、こうした横暴な者たちには人々を惑わせ従わせるところがあった。罰する権力と許す権力を持っていたからである。
中央公論新社、トビー・グリーン著、小林朋則訳『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖』P324-325
ここからいよいよこの本の核心に入っていきます。
皆さんもお気づきのように、まさしくこれはソ連時代ともリンクしていきます。
スパイ網の整備
権力の集中状態は、当然ながら異端審問官個人の性格だけで生み出されたものではない。権威を制度全体に広めて末端の官吏にまで伝える複雑な管理組織が不可欠である。また、集中を進めるためには国家の承認も必要だ。なぜならポルトガルとスぺインの異端審問は、教皇庁の意向ではなく、各国の国内事情から生まれたものだったからだ。(中略)
こうして整備されたスパイ網によって、異端審問の活動は日常生活にまで入り込むようになり、属僚一人一人の権力が次第に大きくなっていった。最盛期には、ファミリアール(※異端審問のスパイ ブログ筆者注)はスぺイン全土で二万人以上いた。
以後、一七世紀半ばに異端審問そのものの衰退が始まるまで、どんなに小さな村であっても、問題行動を当局に報告するスパイなどいないと断言することはできなかった。
一六〇〇年には、遠く離れた中央アメリカのグアテマラ植民地ですら六〇名から一〇〇名おり、植民地でファミリアールのいない町は一つもなかった。
一方ポルトガルでは、スぺインと合同した一五八〇年以前にファミリアールは一八名しかいなかったが、一六四〇年には一六〇〇名が活動していた。
権力を日常的に乱用するのは異端審問官だけではなくなった。手下であるファミリアールも、ポルトガルとスペイン本国および植民地で、町や村に住む人々の重荷となった。
※一部改行しました
中央公論新社、トビー・グリーン著、小林朋則訳『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖』P339-340
スパイがどこにいるかわからない。
権力の維持のために秘密警察を利用し、体制を守ろうとするのは中世スペインですでに大々的に行われていたのでありました。
権力こそ正義であり、権力さえあればどんな不正も許される
ファミリアールの数は一七世紀半ば以降から減っていくが、特にスぺインでは、任命前に異端審問所がかなりの財産を要求したため、彼らの偽善ぶりや悪行三昧は、最初から最後までついになくなることはなかった。敬虔ぶって体裁を取り繕うことさえしなかった。(中略)
本物であれ偽者であれ、ファミリアールを名乗る者に財産を奪われるのを黙って見ているしかなかったのだから、ファミリアールはよほど恐れられていたに違いない。彼らには恥も外聞もなかった。権カさえあればどんな不正も許されると、アルバセテ地区のファミリアール、フランシスコ・ラミーレスは考えていた。
若い頃のラミーレスは、褒められた青年ではなかった。地元の教会にあるイエス像から服を剥ぎ取って身にまとい、夜の町に繰り出してお化けだと言って人々をしょっちゅう驚かせていた。その格好で女性の家に行って情事にふけることもあった。さらには、女友達を妊娠させ、言い含めて中絶させたこともある。そんなことだけに熱心な人物がファミリアールになったところで、性格が改まるはずはない。自分の気に食わない人間を片っ端から脅し始めた。他人の人生など、彼にとってはおもちゃにすぎない。嫌っていた地元の助祭を、助祭の出身地イェステまでピストルを振り回しながら追いかけたことさえあった。(中略)
異端審問所の官吏が、上は異端審問官から下は牢番に至るまで権力を乱用していたことは、この制度がイべリア社会で強大な権力を持っていた証拠だ。
イタリア人旅行家レオナルド・ドナートは一五七三年、異端審問所は「きわめて強力で莫大な権限」を持っており、「スぺインにこれ以上強い権限があるとは、どうにも信じられない」と書いている。
一七世紀初頭になると異端審問所は、スペインから金銭を持ち出す者を罰してほしいなど、本来の役割とは無関係の業務を人々から請願されるようになった。異端審問所に頼ったのは、これがスぺインで最も強力な組織だからであり、それだけの権力を持っていると人々が知り、その権力を恐れるようになっていたからであった。
※一部改行しました
中央公論新社、トビー・グリーン著、小林朋則訳『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖』P344-348
権力を持った人間がそれを悪用する恐ろしさがこの箇所では感じられると思います。
「権力こそ正義であり、権力さえあればどんな不正も許される」
このことはまさしくソ連時代のレーニン、スターリンが掲げていたお題目でした。
これらの記事でもこうした権力の悪用についてお話ししています。この異端審問のお話と驚くほど共通点がありますのでぜひご覧になってください。
続く
Amazon商品ページはこちら↓
異端審問: 大国スペインを蝕んだ恐怖支配 (INSIDE HISTORIES)
次の記事はこちら
前の記事はこちら
「『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖』を読む」記事一覧はこちら
関連記事
コメント