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勇将オセローの嫉妬と激情の悲劇―イアーゴーの巧みな騙しのテクニック シェイクスピア『オセロー』あらすじ解説
ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)Wikipediaより
『オセロー』はシェイクスピアによって1604年頃に発表された作品です。
私が読んだのは新潮社、福田恆存訳の『オセロー』です。
早速あらすじを見ていきましょう。
「ああ、あさはかな! このおれは! なんというあさはかなことを!」――。
『ロミオとジュリエット』より切なく、『ハムレット』よりも激しい。
妻を愛しすぎた男のラブストーリー。格調高き名訳で贈る「愛の悲劇」。
ムーア人の勇敢な将軍オセローは、サイプラス島の行政を任され、同島に赴く。副官に任命されなかったことを不満とする旗手イアーゴーは、策謀を巡らせて副官を失脚させた上、オセローの妻デズデモーナの不義をでっちあげる。嫉妬のあまり、妻を自らの手で扼殺したオセローは、すべてが、イアーゴーの奸計であったと悟り自殺する。シェイクスピアの後期の傑作で、四大悲劇の一つ。
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今作の主人公はムーア人というアフリカ系の将軍です。
彼は戦で類まれなる武勇を示し、その地位まで出世しました。そしてそれだけでなく高潔で真っすぐな性格で人望の厚い将軍です。
そんな将軍が妻として迎えたのが美しきデズデモーナという由緒ある貴族の娘でした。デズデモーナとオセローはなかば駆け落ちに近い形で結ばれます。そんな強い愛によって結ばれていたはずの2人ですが、イアーゴーというオセローの側近の策略によって引き裂かれることになるのです。
イアーゴーといえば『アラジン』のオウムのキャラクターを思い浮かべる方も多いかもしれません。そのイアーゴの名前の元になったのがこの『オセロー』のイアーゴーなのだそうです。
というのもこの作品のイアーゴーはとにかく口が上手くて人を騙すのが驚くほど巧みなのです。彼の人を騙す能力は読んでいて末恐ろしくなるほどです。
ではそんなイアーゴーがなぜオセローとデズデモーナを引き離そうとしたかと言いますと、その最初のきっかけはオセローが彼を副官に任命せず、キャシオーという別な男をそのポストにつけたことから始まりました。
そこからさらに『「ムーア人」であるオセローごときが美しきデズデモーナを妻にしたこと』への嫉妬や憎しみも湧いてきます。
イアーゴーはこう言います。
ところで、ムーアだ、おれにとってはどうにも我慢のならぬ男だが、誠実で、情の深い、高潔な人柄、どう考えようと、デズデモーナにとっては、ほかに掛けがえのない亭主と言わねばなるまい。さて、このおれも御同様、あの女に惚れている、かならずしもあの道だけが目あてにあらず―いや、正直、いささかも疚しきふし無しとは申しあげかねるが―それよりは、ともかく自分の恨みがはらしたいからだ。訳は大あり、どうやらあの色好みのムーアめ、おれ様専用の鞍にまんまと納まりこんだことがあるらしい。その姿をちらと思い浮べただけで、まるで毒でも飲まされ、腹わたが焼けただれるような苦しさだ。もうこうなったら、ほかに手はない、どうでも奴とあいこになって、女房の仇は女房で返してやるだけの話さ。まあ、そうまで事がうまく運ばないとしてもだ、せめてムーアの奴を劇しい嫉妬の発作に追いこみ、七顛八倒、思慮分別ではどうにも逃れられぬようにしてやる。(中略)
ま、万事はここに、が、まだ形をなさない、悪事というやつは、その場その場で目鼻をつけてゆくものさ。
新潮社、福田恆存訳『オセロー』P63-64
ここを読んで頂いてわかるようにイアーゴー自身もオセローのことを「どうにも我慢のならぬ男だが、誠実で、情の深い、高潔な人柄、どう考えようと、デズデモーナにとっては、ほかに掛けがえのない亭主と言わねばなるまい」と認めているのです。
「奴はいい男だ」と認めざるを得ない、が、どうにも我慢ならないのです。
しかも薄々皆様もお気づきのようにイアーゴーはオセローから直接何かをされたわけではありません。副官のポストにつけなかったのも単にキャシオーの方がそのポストにふさわしかったからです。イアーゴーに嫌がらせをするためではありません。
つまり、オセローは特に身に覚えがないのにイアーゴーから並々ならぬ憎悪を受けることになってしまっているのです。
オセローがイアーゴーの奸計に気付けなかったのも、まさかこの男が自分に怨みを抱いているとは思いもよらなかったところにも原因があります。
オセローは高潔であるが故に、非の打ち所がない人格者であるがゆえにイアーゴーからの憎しみを買ってしまったのです。(もちろん、将軍オセローがムーア人であることもイアーゴーには気に食わないのですが)
そしてその総仕上げが美女デズデモーナとの結婚だったのです。こういうわけでイアーゴーはオセローを破滅へと向かわせることになったのです。
イアーゴーのセリフの最後がまた何とも恐ろしいですね。
「ま、万事はここに、が、まだ形をなさない、悪事というやつは、その場その場で目鼻をつけてゆくものさ。」
イアーゴーはまさしくこの言葉に違わず、直接的に嘘を言ったり騙そうとはしません。あくまで彼は「ほのめかす」のです。
しかも遠回りに遠回りに、気付かれぬように罠を張っていきます。そして徐々に徐々にオセローはその罠にはまっていきます。この「ほのめかし」があまりに巧みなのです。ひとつひとつ紹介していきたいくらいですがそれはぜひ本作を読んで確かめてみてください。
イアーゴーは言います。
ムーアの奴、早くもおれの毒が効きはじめている。邪推にはもともと毒がひそんでいる、そいつが始めは嫌な味がしない。しかし、ちょっとでも血の中に浸みこむと、たちまち硫黄の山のごとくに燃えあがるのだ。
新潮社、福田恆存訳『オセロー』P111-112
まさしくこの言葉の通りオセローは嫉妬の炎に狂うようになっていきます。愛するデズデモーナが不義をはたらいている。その疑いが彼を狂気へと突き落としていくのです。
作品を読んでいる私たちからすれば、「デズデモーナに直接問いただせばいいのに。信じれあげればいいのに」と思ってしまうかもしれません。しかし激情に狂った人間にはそんな落ち着いた対応はなかなか難しい。しかもです!要所要所で人を騙す達人イアーゴーがこれでもかと追い打ちをかけてくるのです。しかも気付かれることなくあくまで「ほのめかし」という形で。
これがもしイアーゴーがあからさまに「あなたの奥様は浮気してますよ」と言ったならば、オセローは「何をふざけたことを言う!」とすぐに退けたはずです。妻を疑うよりもそんなことを言うイアーゴーを疑い、遠ざけたことでしょう。
しかしイアーゴーが巧みなのは、「ほのめかし」によって「妻が不義をはたらいているかもしれない」とオセロー自身に考えさせたところにあります。自分で考えたことを自分で否定するのはかなり難しい。自分で生み出した疑いや不安は自分では消し去れないのです。そこをイアーゴーは突くのです。
あまりに巧み。あまりに鮮やか。
こんな男に狙われたら破滅しかありません。
そして物語は悲劇的な結末を迎えることになります。オセローの運命やいかに!(想像はつくでしょうが・・・)
感想―ドストエフスキー的見地から
この作品について今はまだ直接ドストエフスキーと絡めて言及することはできませんが、このオセローの狂気はまさにドストエフスキー的狂気を連想させます。
狂気、激情といえばドストエフスキーの独壇場です。信じ切っていた愛する妻への疑いに身を焼いていくオセロー。激情に焼き尽くされていくその過程、そして魂の叫びは読んでいて恐ろしくなるほどでした。
妻を自らの手で殺め、最後に事の真相を知ったオセローはこう嘆きます。
冷たい、冷たい、デズデモーナ、お前の肌は!貞潔だったお前の心さながら。ああ、呪っても呪いきれぬ下司下郎!おれに鞭をくれ、地獄の悪魔ども、そうしてこの清らかな姿の見えぬ地の果てまで追い出してくれ!このおれを烈風に乗せて吹き飛ばしてくれ!燃える硫黄の山に焼けただらせ、火の海の底深く、まっしぐらに突き落すがいい!ああ、デズデモーナ!死んでしまったのか、デズデモーナ!死んでしまったか、ああ!ああ!
新潮社、福田恆存訳『オセロー』P201-202
最後の「ああ、デズデモーナ!死んでしまったのか、デズデモーナ!死んでしまったか、ああ!ああ!」という嘆きは読む者の胸を締め付けます。もし舞台で生で観たらどれだけのインパクトを観客に与えるのでしょうか。ぜひ観に行ってみたい作品です。
この作品はオセローが主人公ではありますが、実はイアーゴーの方が出番が多く、しかも生き生きと描かれます。イアーゴーがタイトルでもいいくらい彼の奮闘ぶり、策の鮮やかさが描かれています。
そうしたイアーゴーの悪役っぷりもこの作品の大きな見どころです。『アラジン』のイアーゴもそうですが、人を騙す悪役ではあるのですがなぜか憎めない不思議な魅力があります。そんなイアーゴーの立ち回りもぜひ楽しんでみてください。
個人的にこの作品は大好きな作品です。人間の狂気、混沌を覗くかのような感覚を味わうことが出来ます。『マクベス』や『リア王』と並んで屈指のおすすめ作品です。
以上、「シェイクスピア『オセロー』あらすじ解説~ムーア人の勇将オセローの嫉妬と激情の悲劇」でした。
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