目次
P・フォーキン「ドストエフスキーの「信仰告白」からみた『カラマーゾフの兄弟』」岩波書店『思想』2020年6月号より
本日は岩波書店の雑誌『思想』2020年6月号所収の番場俊訳、P・フォーキン「ドストエフスキーの「信仰告白」からみた『カラマーゾフの兄弟』」をご紹介します。
著者のF・フォーキン氏は1965年、カリーニングラードに生まれ、カリーニングラード大学を卒業し現在はロシア国立文学博物館研究員であると同時にモスクワ・ドストエフスキー博物館の主任を務めています。
この論文の特徴はドストエフスキー最後の作品『カラマーゾフの兄弟』をドストエフスキーの信仰告白であると捉えている点にあります。
論文の後には日本のドストエフスキー学者によるコメントも掲載されています。一人目の望月哲夫氏がこの論文をまとめて下さっているので引用します。
フォーキン氏の論考は『カラマーゾフの兄弟』をドストエフスキーの宗教的信条の体現と見なす姿勢で際立っている。氏の言うドストエフスキーの信条とは、キリストは至上の存在であるゆえに自分は何としてもキリストとともにとどまりたいという、キリストに倣い従う精神である。ここから、ドストエフスキーの小説に救済の教えを伝えるキリストの像を読み取ろうとする態度が生まれ、それが小説の時間構造の解釈にも反映している。
作中の事件は一三年前のことであるという作者の設定は、通例作品発表の一八七九年を起点に捉えられてきた。すなわち『罪と罰』が書かれ、元大学生カラコーゾフによる最初の皇帝暗殺未遂事件が起きた一八六六年が、物語の現在だったという理解だ。書かれなかった続編のプロットが皇帝暗殺事件との関連で語られがちなのも、こうした類推のせいである。
一方キリストの聖史を作品にオーパーラップさせるフォーキン氏は、この一三年の時間差をも、福音書の時間枠をベースに考えている。作中のアリョーシャは二〇歳だから、第二の物語においては三三歳、つまり福音書のキリストの年齢になっている。そこから作中のアリョーシャの経験は、福音書の物語の後景に位置するイエスの青年期の体験であり、具体的には荒野の誘惑と呼ばれる試練の物語に相当するという類推が導かれる。
結果的にフォーキン氏は、アリョーシャと彼の肉親たちとの出会いの場をすべて、悪魔による誘惑のシーンになぞらえている。彼の試練は敬愛する長老ゾシマの遺骸の急速な腐敗という出来事で絶頂に達し、そのあげくにガリラヤの饗宴の夢による救済が訪れる。そしてこうした一連の試練の記憶を背負って、第二の物語では、福音書のイエスの事績に相当する一三年後のアリョーシャの行動がたどられるというのが、氏の読みである。
岩波書店『思想』2020年6月号P62
また特別寄稿としてドストエーフスキイの会会長木下豊房氏もこの論文にコメントを寄せています。その一部を引用します。
この小説を、父親殺しを主題とした通俗的な物語として読む限り、修道院の場は無用ではないか、むしろその方が文学としても面白味が増すのではないか。こうした見地からの読み方が多かれ少なかれこれまで市民権を得てきた事情を、私は否定しはしない。
フォーキン氏の論文は『カラマーゾフの兄弟』をより深く理解するために新たな視点をもたらしてくれます。
ところでフォーキン氏に言わせれば、『カラマーゾフの兄弟』は伝統的な長編小説でも、芸術文学の作品ですらなく、「小説の形式に具象化された作家の信仰のシンボル」「ホザナ」であり、「この世に現れるキリストへの感奮きわまりない歓迎の挨拶である」。
現代ロシアのドストエフスキー研究者達の知見を代表する(と私には思われる)フォーキン氏による、このような作家の宗教的立場に強くコミットした見解に対しては、読者によっては違和感を覚える人がいるかもしれない。(中略)
フォーキン氏の論は、ロシア人の伝統的、かつ現在に息づく宗教的メンタリティに照らして『カラマーゾフの兄弟』を読む時、自然体で起ち上がってくるテクスト解釈であろうと思われる。
アリョーシャの主要主人公としての役割を行動力よりも存在感にありとし、小説の一連の主要な事件(ドミートリーの「熱烈な告白」、イワンの叙事詩「大審問官」父親フョードルの殺害、ゾシマ長老の死)を、見習修道士アリョーシャにとっては荒野の悪魔によるキリストの誘惑に匹敵するほどの、「精神的試練の緊迫性」に満ちたものとの読みには何のけれん味もないし、素直に読者の腑に落ちるものである。
氏はちなみに、現代ロシアの出版界で、「素顔の」(ロシア語の原意は、「磨きをかけない」)の冠詞をつけた作家シリーズの著者として有名で、人気の文学者であることをつけ加えておきたい。
※適宜改行しました
岩波書店『思想』2020年6月号P71-74
これまで当ブログでもドストエフスキーとロシア正教の関係を述べてきましたが、フォーキン氏のこの論文も非常に大きな意味を持つことになりそうです。
この論文が掲載されている岩波書店の雑誌『思想』2020年6月号は5月末に発売されたばかりです。
ぜひ皆さんも手に取って頂けたらなと思います。
以上、 P・フォーキン「ドストエフスキーの「信仰告白」からみた『カラマーゾフの兄弟』」 でした。
次の記事はこちら
前の記事はこちら
関連記事
コメント