木村泰司『印象派という革命』あらすじと感想~ゾラとフランス印象派―セザンヌ、マネ、モネとの関係
木村泰司『印象派という革命』概要と感想~ゾラとフランス印象派―セザンヌ、マネ、モネとの関係
前回までの記事では「日本ではなぜゾラはマイナーで、ドストエフスキーは人気なのか」を様々な面から考えてみましたが、今回はちょっと視点を変えてゾラとフランス印象派絵画についてお話ししていきます。
以前紹介したゾラの「ルーゴン・マッカール叢書」第14巻の『制作』は、印象派画家、特にセザンヌをモデルにした作品と言われています。
セザンヌと言えば印象派の巨匠です。なんとゾラは彼と15歳の時から南仏のエクスアンプロヴァンスの中学校の同級生で、パリに出てからも互いに深い交流を持ち続けていたのです。印象派の発展のためにゾラは美術評論を数多く書き、ゾラ自身も天才画家セザンヌから多くのことを学んでいたのでありました。いわば二人は芸術界を切り開く盟友だったのです。
日本人にもなじみ深いフランス印象派。今回はざっくりとですがゾラと印象派についてお話ししていきます。
印象派とは
そもそも、フランス印象派とは何か。
これまでフランス絵画にほとんど縁がなかった私にとっては、名前を聞いたことがある程度で、それがどんな絵で誰が有名な画家なのかすらわかっていませんでした。
ですがゾラを読んでいく上でその存在は大きくなり、叢書の第14巻『制作』を読み、彼と印象派の深い関係を知り、もっと印象派を知りたいという気持ちが湧いてきました。
まずは百聞は一見に如かず。
印象派絵画とはどのような絵なのか見ていきましょう。
「西洋絵画美術館」というサイトにとてもわかりやすくまとめてありましたのでこちらにリンクを貼りますのでまずはさらっとでも見て頂けるとイメージが付きやすいかと思います。
そして私は幸運にも、印象派絵画を知る上で素晴らしい本と出会うことができました。
それが集英社より出版されています木村泰司氏の『印象派という革命』という本でした。
この本は印象派が生まれてくる過程やその意義を印象派以前のフランス美術界の動きにまでさかのぼって解説してくれています。
フランスが芸術の都と呼ばれるようになるまでの流れや、パリ美術界の仕組みなどなど、実にわかりやすく興味深い話でいっぱいです。
何より時代の流れごとに代表的な絵をカラーで紹介してくれるので、解説を読みながら絵を見ることでその特徴が一目瞭然です。
序章から木村泰司氏の言葉を引用します。
往々にして印象派絵画は、世界的にもファンが多い。つまり、ルネサンス絵画やバロック絵画に比べてファン層の裾野が圧倒的に広いのだ。宗教画や神話画と違って、わかりやすいテーマが多いうえ、作品の多くが万人の目に心地よいからだ。
しかし、日本での印象派絵画に対するアプローチは、あまりにも「感性」重視であって、美術史におけるその革新性という面が忘れられすぎている。私は自分の経験から、それでは印象派の魅力が半減してしまうと思うのである
集英社 木村泰司『印象派という革命』P47
かつて印象派の画家たちが登場した際には、彼らの絵画は美術史の中ではあまりにも革命的で前衛的な芸術運動だったことを忘れてはならない。
彼らは第二帝政時代から第三共和政時代におけるフランス社会を象徴するような、最先端をいく美の革命家たちだったのである。
印象派は、ただ単に、「感性に訴える」とか「キレイ」ですむような芸術運動ではなかったのだ。そこには彼らに向かって怒濤のごとく押し寄せた世間の批判や嘲笑があり、経済的な困窮もあり、人間的な葛藤もあった。
集英社 木村泰司『印象派という革命』P48
※一部改行しました
ゾラの『制作』でも主人公の天才画家クロードは美術アカデミーに認められず、一般大衆からもまったく評価されず苦しんでいました。
印象派は今では圧倒的な人気を得ていますが、当時はあまりに革新的で、従来の保守的な美術界では到底受け入れられるようなものではなかったのです。
木村泰司氏の本では、印象派の何が革新的で、美術界がなぜそれに拒否反応を示したのがとてもわかりやすく解説されています。
ここではそれを紹介することはできないので、興味のある方はぜひこの本を読んで下さいとしか言えないのですが、ざっくりと印象派の特徴のひとつを言うとすれば、
「あるべき姿を描く」のではなく、「ありのままを描く」という点が挙げられるのではないかと思います。
印象派以前の美術界では崇高な歴史画や宗教画が最も位の高い絵とされていました。
それらの絵には人間のあるべき姿、理想が描かれていました。
さらに、それらの絵を真に理解するために、高度な芸術理論や審美眼が必要とされました。これが重要な点です。
それを理解できる者こそ真の上流階級であり、芸術を理解する高貴な者の証だったため、そのような高度な芸術が求められていたのでありました。
しかし、印象派はそのような歴史画や宗教画ではなく、ごく身近にある風景や人物などを描き始めます。
絵の題材が高尚な歴史や宗教の場面ではなく、何の崇高さもないごく普通の場面を描くようになっていったのです。これまでは完璧に美しいものを描くのが目的だったのに対し、印象派はむしろ目の前にある世界をありのまま描こうとしました。
そうして当時描くことがタブーとされていたものを描いたり、目の前の風景を自分の感じるままに描くようになっていった彼らの作風は、保守的な人たちから激しい非難を受けることになったのです。
実は、これはゾラの小説に浴びせられた非難ともものすごく似ていることに皆さんはお気づきでしょうか。
「日本ではなぜゾラはマイナーで、ドストエフスキーは人気なのか⑴―ゾラへの誤解」の記事でもお話ししましたが、ゾラも世の中を科学的に観察し、ありのままの社会を小説に描こうとしました。
その結果ゾラは「不道徳極まりない」、「体のいいポルノ作家にすぎない」などの批判を浴びることになったのです。
印象派もゾラも、世の中の「あるべき姿」ではなく「ありのままの姿」を描こうとしました。
この側面は非常に重要なことではないかと私は思います。
もちろん、印象派の定義はこれだけではなく、もっと重要な面が多々あります。ですが今回は「あるべき姿」と「ありのままの姿」のどちらを描くかという点に着目してお話しさせて頂きました。
木村氏の本は非常にわかりやすく、しかもすらすら読めて面白いのでとてもおすすめです。興味のある方はぜひ一読ください。
ゾラとセザンヌの関係について
さて、印象派についてここまでお話ししましたが、ゾラと印象派画家とのつながりは切っても切れない関係です。
特にセザンヌとゾラの親友関係は有名で、多くのメディアや本でも紹介されています。
その中でも株式会社ブリュッケから出版されている新関公子氏の『セザンヌとゾラ その芸術と友情』が特に興味深かったのでここで少し紹介します。
「ゾラとセザンヌは中学の同級生で、パリに出てからも親友のままだった。しかしゾラの『制作』の主人公クロードが作品を完成できず自殺してしまうという筋書きがきっかけで2人の親友関係は終わってしまった」というのが2人の友情関係の定説です。
ですが、ゾラとセザンヌの絶交はあくまで後の学者の推論であり、絶対的な事実ではなく、通説です。ですがその通説があまりに根付いてしまったのでこれが動かしようもない事実のようになってしまいました。
というわけで、ゾラとセザンヌに造詣の深い著者が、この本では本当にゾラとセザンヌは絶交していたのかということを検証していくのです。
この本を読んでいると、たしかに2人が絶交したというのは説得力がないかもしれないと思えるようになってきました。
私は専門家ではないのでそのことについては何とも言えませんが、ゾラとセザンヌという2人の関係性だけでなく、印象派の歴史やゾラの小説についてもとてもわかりやすく書かれているのでこの本もおすすめです。
ゾラとフランス印象派画家たちとの交流
また、ゾラと印象派の指導者エドワール・マネとの関係も外せません。
マネはいち早くフランス美術界に旋風を巻き起こし、モネやドガ、ルノワール、モリゾなどの印象派画家たちが羽ばたいていく基礎を作った人物です。
(※実はマネ自身は印象派ではありません。その基礎を作ったのはマネではありますが、彼は印象派というグループをずっと支援するも、自らは最後まで加わりませんでした。)
ゾラもマネの作品にいち早く関心を示し、ジャーナリストとして彼を支援し、交友を深めています。
そうした関係性から、マネはゾラの肖像画を描いており、これがゾラの肖像画として最も有名なものとなっています。
ゾラは印象派の画家たちを様々な方面からバックアップしています。
そして同時に、新進気鋭の印象派画家たちの鋭い感性からゾラ自身も多くのことを学びました。
印象派もゾラも、保守的な時代において新たなものを切り開く戦友とも言うべき関係でした。
印象派なくしてゾラもなく、ゾラなくして印象派もなしと言ってもよいほど両者の関係は深かったのではないでしょうか。
おわりに
ゾラに興味を持ったことで私は印象派絵画に興味を持つことになりました。
それとは逆に、印象派絵画に興味を持っている方がゾラの小説につながっていくということもきっとあるかもしれませんね。
印象派絵画は日本人に特に好まれる絵画であると言われています。
最後に、日本人がなぜ印象派の絵を好むのかということについて、木村氏の言葉を引用します。
日本人は何も貨幣価値だけで印象派絵画が好きなのではなく、日本美術には伝統的に花鳥風月というテーマがあると同時に、浮世絵には風景や社会の風俗を描いたものが多かった。その結果、多くが非キリスト教徒であるために聖書に精通せず、そして古典文学(ギリシャ・ローマ神話)にも親しんでいない日本人にとって、風景や都会の風俗、そして静物をテーマにしている印象派絵画は、とても親しみやすいものなのである!
集英社 木村泰司『印象派という革命』P46-47
これは「ふむふむ、なるほど」と頷かずにはいられませんよね。
こう言われてみると、不思議にも印象派絵画がずっと身近に感じられるような気がしてきませんか?
この本を読んでいて印象派の絵を見ているうちにいつの間にか印象派の絵が好きになっている自分に気がつきました。あんなにフランス絵画に興味がなかったはずの私だったのに・・・
何はともあれ、いつかパリに行って本物の作品を観てみたいなと強く感じたのでありました。
以上、「木村泰司『印象派という革命』ゾラとフランス印象派―セザンヌ、マネ、モネとの関係」でした。
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