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【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑴ネパール、ルンビニーでの王子様シッダールタの誕生!

ブッダの生涯
目次

【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑴
 ネパール、ルンビニーでの王子様シッダールタの誕生!

今回の記事からゴータマ・ブッダ(お釈迦様)の生涯を現地写真と共にざっくりとお話ししていきます。

私は2024年2月から3月にかけてインドの仏跡を旅してきました。

これからご紹介する写真は基本的には私が現地で撮影してきたものになります。

やはり実際にブッダが生きておられた場所を訪れると、これまで本や写真だけで知っていた世界とは異なるものを感じます。この記事でも現地ならではの体験を織り交ぜてお話ししていきます。

では、早速これからブッダの生涯をお話ししていくのですが、その前に極ざっくりとブッダという人物について紹介します。

サールナート仏
ブッダの初転法輪像(サールナート博物館蔵)

ブッダは紀元前463年にネパールのルンビニーで誕生し、383年にインドのクシナガラで亡くなられた実在の人物です。しかしこの生没年も諸説あり、100年以上の差がある説もあります。インドでは詳しい年代を記述する文化がなく、諸説の誤差が100年200年ほどに収まっているだけで奇跡であるとすら言われるほどです。さすがインド。時間感覚が永遠悠久、巨大すぎます。

ブッダはシャカ族の王子ゴータマ・シッダールタとして生まれるも、人生の問題に悩み29歳で家を捨て出家し、修行者としての生活を始めます。

断食仏(パキスタン・ラホール美術館蔵)

この時の厳しい苦行時の様子が有名なこちらの仏像になります。こちらの仏像についてもこの後じっくりお話ししていきますのでご期待ください。

そして6年の修行を経てついにブッダは覚りを開きます。

35歳で悟ったブッダはガンジス河で有名なベナレス郊外のサールナート(鹿野園)を訪れ、かつて共に修行をしていた五人の仲間に説法をします。これが仏教教団の始まりだと言われています。この出来事を初転法輪といい、ブッダの生涯において非常に重要な意味をもつ出来事として知られています。ちなみに上の最初の写真がその初転法輪を表した仏像になります。

そこからブッダは80歳で亡くなるまでの45年間、説法をしながら旅を続け、最後は故郷のネパールにも近いクシナガラで息を引きとります。

クシナガラの涅槃仏

ブッダの死後も弟子たちが教えを受け継ぎ、やがて様々な宗派が生まれ、中央アジアから中国、朝鮮を経由して日本にも仏教が6世紀に伝来することになります。ブッダの死からおよそ900年ほどの月日を経ての仏教伝来でした。ここから私たち日本仏教の歴史はスタートしていくことになります。

これが極々かいつまんだブッダの生涯になります。

では、いよいよこれから現地写真と共にブッダの生涯を見ていくことにしましょう。

直接参考にしたのは主に、
中村元『ゴータマ・ブッダ』
梶山雄一、小林信彦、立川武蔵、御牧克己訳『完訳 ブッダチャリタ』
平川彰『ブッダの生涯 『仏所行讃』を読む』
という参考書になります。

他にも当ブログで紹介した仏教書、インドに関する書籍もありますのでこちらもご参照ください。

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インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本~入門から専門書まで私がぜひおすすめしたい逸品を紹介します この記事ではブッダやインドの仏教を知る入門書としておすすめの作品を紹介し、その後はもっと仏教を知りたい方におすすめの参考書を厳選してご紹介していきます。 私のチョイスする参考書は仏教書としては一風変わったラインナップになりますがきっと皆さんの新たな発見のお役に立てるのではないかと確信しております。

ブッダの誕生

上で述べましたように、ブッダは紀元前463年にネパールのルンビニーでシャカ族の王子ゴータマ・シッダールタとして生まれました。ルンビニーは現在のインド国境のすぐ近くにあります。

インド・ネパールの国境付近の写真

ブッダの父親はスッドーダナ(浄飯王じょうぼんおう)というシャカ族の王様で、母親はマーヤー(摩耶夫人まやぶに)といいます。

シャカ族はルンビニーから西へ車で1時間弱の距離にあるカピラヴァストゥ(カピラ城)に城を構えていた小国でした。しかし隣国には大国コーサラ国が控えており、実質この国の支配下にあったと言われています。

そしてこの国は王様の浄飯王の名にある通り、米がよく収穫できる豊かな国であったそうです。

カピラヴァストゥ周辺は今もほとんどが畑で、米や小麦、豆や菜の花、各種野菜を栽培しています。

ブッダはこのような小さな農業国の王子として生まれることになります。

では、いよいよブッダの誕生について見ていくことにしましょう。

ブッダ誕生についてもやはり数多くの伝説が語られます。ブッダの母マーヤーは妊娠の際、夢の中で白い象が彼女の中へ入ってくるのを見ました。インドにおいて象は幸福を運ぶ存在として尊ばれていましたのでこれは実に素晴らしい吉夢です。インドではコウノトリではないというのも面白いですよね。そして彼女は実際にブッダを身ごもることになりました。

ブッダの母マーヤーは出産のため故郷コーリヤ国に帰る途中、ルンビニーに立ち寄ります。2500年前にも里帰り出産があったのですね。そしてそこで産気づき、そのままブッダを出産することになりました。

ルンビニー
ブッダ生誕の地のマヤ・デヴィ堂

このブッダの出産に際し様々な伝説が生まれることにもなりました。

その中でも最も有名なのがあの「天上天下唯我独尊」になります。

ルンビニーにて

ブッダはマーヤーの右脇から誕生し、そのまま7歩歩き、右手の人差し指を天に、左手の人差し指を大地に向けて「天上天下唯我独尊」と発したとされています。

右脇から生まれたこと、生まれてすぐに歩いて言葉を発したこと。このことはもちろん神話的な伝説ではありますが、私達仏教徒にとって非常に重要な意味を持っています。

まず、インドにおいて右手は清浄さを表しています。その右側の脇から生まれたということでブッダが清浄な存在であることを示しています。また、当時のバラモン教、後のヒンドゥー教の教義においても両腕はクシャトリア(王侯貴族)を意味していました。つまり、インドの文脈において右脇から生まれたと言うことは圧倒的に高貴な存在であることを象徴していました。

そして七歩歩いたという伝説はブッダがこの世界を超越する人間であることを象徴しています。これも諸説あるのですが七歩は「六歩+一歩」ということで、六歩は「この世の世界」でそれを一歩超えるという意味があります。ここでもブッダが通常の人間とは異なる圧倒的な存在であることが示されています。

そして最後の「天上天下唯我独尊」ですが、これはまさしくこの言葉そのままです。

「え?あのブッダ自身が自分自身こそが世界で最も尊いと言ったの!?」と思われるかもしれません。

ですがこれはあくまでブッダが亡くなった後に作られた伝説だということを思い出して下さい。あくまで後世の弟子がブッダの尊さをこの伝説に仮託して語ったということに注目です。それほどブッダは尊い存在だったことをこの伝説は表しています。

ただ、日本ではこの「天上天下唯我独尊」を「人間一人一人皆尊い」と解釈することもあるのですが、仏伝の文脈や言葉そのものから見れば実際にはなかなか難しい解釈ではないかと私は考えています。ここはシンプルに言葉通り受け取り、神話的に解釈する方が自然なのではないでしょうか。

ともあれ、ブッダの誕生はこのように語られます。私達日本の仏教では四月八日をブッダの誕生日としてお祝いします。それが花祭りです。このお祭りで白い象の模型が登場したり、誕生仏に甘茶をかける習慣もここから来ています。

灌仏会(花祭り)の花御堂と誕生仏 Wikipediaより

甘茶をかけるのはブッダ誕生の際に甘い露が降ってきたという伝説がその由来です。おめでたいことの象徴ですね。

マヤ・デヴィ寺院

現在はネパールによって建てられたマヤ・デヴィ寺院内にブッダが生まれ落ちたとされる標石が安置されていて、参拝者はそれを見ることができます。寺院内は撮影禁止なので写真はここで紹介できませんが、通路から足元の円形のガラスを見下ろすとその先に1メートル弱ほどの灰色の岩があるのが見えました。

上の写真にある池はマーヤーが沐浴したとされる池になります。その先に見える大きな木の下では多くの僧や参拝者が瞑想をしていました。全体的にここはゆったりとした穏やかな雰囲気のある場所だったのが印象に残っています。

さて、このようなブッダの誕生ではありましたが、もう一つ重要なエピソードが残されています。

それは生まれてきたブッダを喜んだ父親がバラモン(インドの宗教家)にブッダを見せた所、バラモンから驚くべき予言を受けることになってしまったというものです。

バラモンはこう言いました。

「この子は将来世界を統べる偉大な王となるか、あるいは世界を救う宗教家となるであろう」と。

これには王も面を食らうことになります。何せ待望の長男です。しっかりと自分の王位を継いで国を守ってほしいというのは人情です。出家して宗教者になるなんてまっぴらごめん!王はこの予言にこれからも苦しみ続けることになります。そしてこの予言がどう実現したかはすでに皆さんもご承知の通りです。

こうしてブッダは誕生したのでありました。

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【インド・スリランカ仏跡紀行】の目次・おすすめ記事一覧ページはこちら↓

※以下、この連載記事で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。

「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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