ワシーリー・グロスマン『人生と運命』あらすじと感想~独ソ戦を生きた人々の運命を描いたロシア文学の傑作!
20世紀ロシア文学の傑作!独ソ戦を生きた人々の運命をユダヤ人従軍記者が描く!ワシーリー・グロスマン『人生と運命』
今回ご紹介するのは2012年にみすず書房より出版されたワシーリー・グロスマン著、齋藤紘一訳の『人生と運命』です。
早速この小説について見ていきましょう。
第二次世界大戦で最大の激闘、スターリングラード攻防戦を舞台に、物理学者一家をめぐって展開する叙事詩的歴史小説(全三部)。
兵士・科学者・農民・捕虜・聖職者・革命家などの架空人物、ヒトラー、スターリン、アイヒマン、独軍・赤軍の将校などの実在人物が混ざりあい、ひとつの時代が圧倒的迫力で文学世界に再現される。
戦争・収容所・密告ースターリン体制下、恐怖が社会生活を支配するとき、人間の自由や優しさや善良さとは何なのか。権カのメカニズムとそれに抗う人間のさまざまな運命を描き、ソ連時代に「最も危険」とされた本書は、後代への命がけの伝言である。
グロスマン(1905-64)は独ソ戦中、従軍記者として名を馳せ、トレブリンカ絶滅収容所を取材、ホロコーストの実態を世界で最初に報道した。一方で、故郷ウクライナの町で起きた独軍占領下のユダヤ人大虐殺により母を失う。次第にナチとソ連の全体主義体制の本質的類似に気づき、本書を執筆。刊行をめざしたところ、原稿はKGBによってタイプライターのリボンまで没収となる。著者の死後16年、友人が秘匿していた原稿の写しが国外に出、出版された。
以来、20世紀の証言、ロシア文学の傑作として欧米各国で版を重ねる。待望の邦訳、ついになる。
Amazon商品紹介ページより
ワシーリー・グロスマン(1905-1964)Wikipediaより
この小説は三部構成の大作です。このサイズの本にして1350ページ超の大ボリューム。
ロシア文学史上でも有数の傑作と知られる本書ですが、読むのも覚悟がいる作品です。
グロスマンについては前回の記事「『赤軍記者グロースマン 独ソ戦取材ノート1941-45』~ソ連のユダヤ人従軍記者が見た独ソ戦の現実」でもお話ししましたが、従軍記者として独ソ戦の最前線を取材し、その悲惨さを自ら体験しました。そして驚くべきことに、ナチスのホロコーストの実態を報道した最初期の人物こそ、このワシーリー・グロスマンだったのです。(※上の引用では最初の人物とされていますが、正確には最初期のひとりということだそうです)
そして上の引用にありますように『人生と運命』はそんなグロスマンの命がけの告発の書となっています。
ソ連において体制批判はタブー中のタブーです。強制収容所送りや死刑を覚悟しなければなりません。グロスマンはこの作品を書き上げるもKGBの家宅捜索を受け没収されてしまいます。そして当局から危険書物扱いをされ「今後2~300年、発表は不可」と宣告されます。
「今後2~300年、発表は不可」という宣告のものすごさ。この小説がどれだけソ連当局にとって危険なものだったかがうかがえます。逆に言えば、それだけソ連にとって都合の悪い真実を映し出していたということができるかもしれません。
このような小説ではありましたが、奇跡的に原稿の写しが彼の死後に海外に渡り、この本が出版されることになりました。もしこの奇跡的な国外出版がなければ、世界の歴史上に燦然と輝くこの小説は誰にも知られることなくひっそりと葬り去られていたかもしれません。
では、第二巻、第三巻の表紙裏の解説も見ていきましょう。
ウクライナの町から狩り出され、移送列車でユダヤ人絶滅収容所に到着した人々をガス室が待っている。
生存者グループに選別されて列から離れる夫に結婚指輪とパンを手渡す妻。移送列車で出会った少年の母親がわりをするうちに、生き残る可能性を捨てて少年とガス室に向かった女性外科医ー。
赤軍記者として解放直後のトレブリンカ収容所を取材したグロスマンは、ナチ占領下ソヴィエトのホロコーストの実態を最も知る人間だった。
国家と民族の栄光、一方は革命、他方は第三帝国の名のもとに、スターリニズムとナチズムが鏡像関係にあることを、グロスマンは見抜いていた。イデオロギーの力が死や拷問や収容所と結びつくとき、人々はモラルを失った。ナチの絶滅収容所ガス室施設長は、私が望んだのではない、運命が手をとって導いたのだと語った。
普遍的な善の観念はイデオロギーとなって、大きな苦難をもたらす。恐怖と狂気の時代に、善意は無力だった。しかし、ささやかで個人的な、証人のいない善意は、無カだから力をもつ。それは盲目的な無言の愛であり、人間であることの意味である。
20世紀の証言が、時空を超えて届く。グロスマンの生涯をかけた哲学的思考が文学に結晶した圧巻の第二部。
みすず書房、ワシーリー・グロスマン著、齋藤紘一訳『人生と運命』2巻、裏表紙
1942年11月、スターリングラードのドイツ第六軍を包囲する赤軍の大攻勢は、百時間で決着した。戦争の帰趨を決する戦闘が終わった。反ファシズムの希望、世界の目をくぎ付けにした都市は廃墟になった。
その瞬間からスターリンは、ユダヤ人殲滅の剣をヒトラーからもぎとり、やがて国内のユダヤ人にふり降ろす。戦後の自由な暮らしを夢みて戦った国民に、一国社会主義の独裁者はたがをはめ直した。
物理学者ヴィクトルは、核反応を数学的に説明する論文を観念論的と批判される。彼は懺悔をしなかった。失職して逮捕される不安に怯えながら、良心を守ったことで心は澄んでいた。
ところが突然、スターリンからヴィクトルに電話がかかってくる。状況は一変し、彼は称賛に包まれるが、原子爆弾開発への協力をもはや拒否できない。
困難の中で守った自由を、栄誉の後で失う人もいれば、幸せな記憶ゆえに苦難に耐える人もいる。栄光、孤独、絶望と貧窮、ラーゲリと処刑。いかなる運命が待っているにせよ、ひとは人間として生き、人間として死ぬ。この小説は、個人が全体主義の圧力に耐えるのがどれほど困難だったかを描いている。
奇跡のように生きのびた本が今、日本の読者を待つ。全三部完結。
みすず書房、ワシーリー・グロスマン著、齋藤紘一訳『人生と運命』3巻、裏表紙
『人生と運命』はとにかく壮大な作品です。上の解説は巨大なこの本のエッセンスを非常にうまく言い表しています。
物語の基本線は1942年のスターリングラード戦を迎えたソ連の人々の運命と人生にあります。
第一巻の解説の引用に、「兵士・科学者・農民・捕虜・聖職者・革命家などの架空人物、ヒトラー、スターリン、アイヒマン、独軍・赤軍の将校などの実在人物が混ざりあい、ひとつの時代が圧倒的迫力で文学世界に再現される。」とありましたように、この作品はとにかく登場人物が多いです。
そして場面も次々と転換します。モスクワでの話が出たかと思うと、次にはスターリングラードの戦線、そうかと思えばナチスの収容所にまた場面が転換します。かなり注意して読まないと誰が誰なのか、今何が話されているかが混乱してしまいます。私自身も読みながら本の最初に掲載されている登場人物紹介を開き直し本文と紹介ページを行きつ戻りつしながらなんとか読み終わったというところでした。
ストーリー展開が幾重にも折り重なり、当時の人々が置かれていた状況がより鮮明に私たちの前に現れることになります。読む分には大変ですがその分、一人一人の登場人物の運命がより重く感じられるような気がしました。
このことについて第三巻巻末の訳者あとがきでは次のように書かれています。
スターリングラードの戦いを背景に描かれたこの作品が二十世紀を代表する小説の一つであることは、単に小説作品として優れているからだけでなく、そのスケールの大きさ、取り上げられている問題の重大さからみても、異論のないところである。
この作品の大きな特徴の一つは、政治家、軍人など多くの実在の人物が実名で登場し、政治的・軍事的な意思決定や出来事の進行という歴史的事実を踏まえながら話が展開されていることである。
従軍記者としてこの人類史上稀に見る激戦の現場に自ら望んで立ったグロスマンは、そこで見聞きした出来事をプロットの中心にすえるとともに、それを経験した者でなくては伝えようのない迫真性をもってこの小説の中に再現したのである。
さらに、自らもユダヤ人であることによってグロスマンが人一倍強く味わうことになったユダヤ人の置かれた立場やその苦難が小説の登場人物の苦悩という形で描かれており、その強い衝撃力がそのまま作品の力ともなっている。
それもあって、この作品には、戦争という大状況の推移とそこにはたらく非人間的なカ、そのもとで生きる多くの人間の姿が生き生きと描かれている。読者は戦闘の苛酷さやユダヤ人迫害の容赦なさ、さらにはイデオロギー的葛藤の激しさ・冷酷さに圧倒されるとともに、時代を巻き込んだ渦の途方もない大きさを痛感させられるだろう。
その一方で、言及される思想家や政治家や文学作品の数の多さにも目を見張らせられる。当時のインテリゲンチャのもつ政治意識の高さや文化的教養の深さは驚くばかりである。
『人生と運命』を書くことでグロスマンは、ドイツの国民社会主義とソヴィエトのスターリン主義は同じ全体主義のカテゴリーにくくられるという結論にたどり着く。その上で、人間の自由への希求が変わらぬままであることが国家の独裁に対する人間の永久的な勝利を約束すると言いきる。これこそが、グロスマンが読者に伝えたい最大のメッセージなのである。
みすず書房、ワシーリー・グロスマン著、齋藤紘一訳『人生と運命』3巻P417-418
※一部改行しました
グロスマンは従軍記者というソ連のプロパガンダ部門の最前線にいたにもかかわらず、独ソ戦を経てスターリン体制に疑問を持つようになりました。そして戦争の現実と戦後の生活の中でスターリン体制とナチズムは鏡写しの存在、つまり同じ根を持つ存在であることを確信します。この作品では人間の自由を奪う国家のあり方を鋭い目でえぐり出します。
作中の人物達は一人一人がこうした体制の下、生きています。体制に従わなければ自分の身が危うくなる。逆に言えば、それに積極的に順応すればいい思いができるかもしれない。でもそうなったら個人の良心はどうなってしまうのか。こうした葛藤が随所に現れてきます。
独ソ戦という極限状況の中、グロスマンが描く人物達のなんとリアルなことか・・・読んでいて思わずため息が出るような、そして私たちを悩ますようなそんな描写がたくさん出てきます。もし自分がこんな状況に置かれたらどうするだろうか。すべてを犠牲にしても自分の信念を守れるだろうか。体制に「NO!」と言えるだろうか。誰かを裏切らずにいられるだろうか。グロスマンはものすごい迫力で私達に迫ってきます。
そしてこの小説を読んで私が最も印象に残ったこと。
それは戦闘員・非戦闘員含めて2700万人という信じられないほどの犠牲を出した独ソ戦において、そこに生きた一人一人の姿をくっきりと浮かび上がらせた点にあります。
独ソ戦の歴史の本を読んでいると、
「この戦いでは10万人が犠牲になり、その後の〇〇ではさらに数万人が餓死した。」
「〇〇ではナチスの占領により数千人が虐殺の犠牲になった」
などなど、ひとりひとりの悲劇的な死が巨大な数字によってその存在が薄れてしまうような気がしてしまうのです。「100万人がこの戦闘で戦死した。」「数万人がここで無抵抗のまま虐殺された」という言葉から、ひとりひとりの想像を絶する悲しみや苦悩、死の恐怖はなかなか浮かび上がってきません。
ですがグロスマンはこの小説でひとりひとりの人生と運命に光を当てます。
特に第2巻の後半に出てくるガス室の描写はあまりに強烈です。絶滅収容所に移送されガス室で殺されてしまう女性と少年のエピソードは本当に読んでいて辛かったです・・・ただ単に「ユダヤ人はアウシュヴィッツで110万人が殺されました」と聞かされるのとはその衝撃がまるで違います。
この小説を読んで改めて感じたのは、あの戦争において一人一人が想像もできぬような苦しみや恐怖を抱いて死んでいったということです。「100万人が殺されたという事実」は「想像を絶する苦しみや死が100万通りあった」ということなのだと思い知らされました。単純に「100万人が殺されたんだ」で終わらせてはいけないものがあるんだとグロスマンに言われているような気がしました。
この本はたしかに大作でなかなか気軽には手に取れない作品かもしれません。ですが、こういうものすごい作品があるんだということはもっと世に知られてもいいのではないかと思います。日本ではワシーリー・グロスマンの存在はあまり知られていませんが、それは残念なことだと私は思います。戦争の悲惨さや全体主義の抑圧の恐怖を伝える偉大な作家の一人がこのワシーリー・グロスマンです。
ぜひおすすめしたい作品です。
以上、「ワシーリー・グロスマン『人生と運命』あらすじ解説ー独ソ戦を生きた人々の運命を描いたロシア文学の傑作!」でした。
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