セネカ『生の短さについて』あらすじと感想~時間の浪費を戒め、今を生きよと述べるローマのストア派哲学者の人生哲学
セネカ『生の短さについて』概要と感想~時間の浪費を戒め、今を生きよと述べるローマのストア派哲学者の人生哲学
今回ご紹介するのは紀元49年頃にセネカによって書かれた『生の短さについて』です。私が読んだのは2010年に岩波書店より発行された大西英文訳の『生の短さについて 他二篇』所収の『生の短さについて』です。
早速この本について見ていきましょう。
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生は浪費すれば短いが、活用すれば十分に長いと説く『生の短さについて』。心の平静を得るためにはどうすればよいかを説く『心の平静について』。快楽ではなく徳こそが善であり、幸福のための必要十分条件だと説く『幸福な生について』。実践を重んじるセネカ(前4頃―後65)の倫理学の特徴が最もよく出ている代表作3篇を収録。(新訳)
今回ご紹介するセネカはローマ帝国を代表する哲学者で、あの暴君ネロの家庭教師を務めていたという驚きの経歴の持ち主です。
意外なことにあの暴君ネロも皇帝となってすぐの5年間は善政を行い、良き君主としてローマ帝国を治めていたのでした。その善政の背後にセネカの教育があったと言われています。
しかしネロが実の母親を殺害するという事態に発生してからはまさに暴君としての顔が表に出てくるようになります。その時からセネカはネロから距離を置くようになったのでした。そして最終的にセネカはネロによって自殺を強要されることになるという悲劇的な最期を迎えたのでありました。
そんなセネカの代表作が今回ご紹介する『生の短さについて』になります。
この作品が書かれたのはまさにネロの家庭教師を務め、さらには様々な官職に任命され多忙な日々を過ごしていた時期でした。
『生の短さについて』はそんなセネカの境遇から生まれた作品でもあります。この作品について前回の記事で紹介した中野孝次著『ローマの哲人 セネカの言葉』では次のように述べられています。少し長くなりますが非常にわかりやすい解説でしたのでじっくり読んでいきます。
セネカはにわかに最も輝かしい時の人となった。彼は宮廷内で最重要の地位にあっただけでなく、五〇年から五五年にかけては法務長官につき、五七年には執政官という最高の役職にとりたてられるなど、政治上でも重きをなす立場にあった。とうてい彼の憧れたような閑暇の中で哲学に生きる生活など望むべくもなかった。そういう多忙をきわめる公生活の中で書いたのが「人生の短さについて」である。これは四九年中に書かれたと推測されているが、最多忙を生きる人が、多忙な者ほどよく生きることの少ない者はないと説くのだから皮肉だ。
だが、おそらく成立事情がそういうものだったためだろう、この論文がセネカの著作の中でも比類のない生気にみちているのは、これがまさに彼みずからの切なる願望の上に書かれたためではないか、と推測している。この手紙は、セネカの義父でローマの糧食長官(ローマ市民のために麦の確保をはかる役所の長)という要職にあったパウリヌスにあてて書いたという体裁になっているが、できるだけ速やかに職務を退いて自分のために生きよというこの要請は、誰に対するよりも何よりもまずセネカが自分自身に対して求めるものだったろう。
ともあれこれはわたしがセネカを読んだ最初の著作であり、この文章の魅力に惹かれて彼の哲学作品全部を読むに至ったのだから、そのためにも少しくわしく取上げたい。
彼はまずパウリヌスに向かって、君は人生は短い上にそれがなんと早く過ぎ去ることかと歎いているが、人生は短いわけではなく、我々は十分な時間を持っているのだ。ただそれを多くの人は空しく浪費しているだけだとして、それをどんなふうに人々が使っているかの実例を列挙してゆく。この悪い実例の観察と描写による列挙は、以後セネカの重要な文学手法となるもので、セネカの文章のいきいきした説得力は、この生彩にみちた悪の叙述あるがためと言ってもいいくらいだ。
人生は使い方さえよければ十分に長いが、使い方が悪いゆえに多くの人はそれを短くしている。ある者は貪欲からもっと多くの富を得ようとしてあくせくし、別の者は酒びたりになったり、のらくら暮したりしている。屈辱的な思いをして権力にすり寄ったり、次から次へ新しい仕事に虚しくとっついたりしている。
彼らに共通するのは、真に自分に属しているものに頼らず、彼らの権内にない外なるものをあてにし、それに依存していることだ。今を生きないで、未来のよい生活を夢みて今を犠牲にしていることだとして、そういう人間は生きているのではない、ただ生存しているだけだと断定する。
こういうネガティヴな、ダメな生を送る者の正確な観察と描写においてセネカは比類がないが、初めのうちわたしはそれらをうるさいと感じ、飛ばし読みしていた。が、やがてこれあるがためにセネカがポジティヴなものを説くとき、それが輝きだすのだとわかってからは、むしろそれらをこそ丁寧に読むようになった。ここではとうてい全部を紹介しきれないが、関心ある人は『人生の短さについて』(岩波文庫)のその箇所をごらんあれ。実にみごとなものです。
岩波書店、中野孝次『ローマの哲人 セネカの言葉』P32-35
ここからは実際に『生の短さについて』の中から私が印象に残った言葉をいくつか見ていきたいと思います。
人は、誰か他人が自分の地所を占領しようとすれば、それを許さず、境界をめぐっていささかでも諍いが生じれば、石や武器に訴えてでも自分の地所を守ろうとするものである。
ところが、自分の生となると、他人の侵入を許し、それどころか、自分の生の所有者となるかもしれない者をみずから招き入れさえする。
自分の金を他人に分けてやりたいと望む人間など、どこを探してもいない。ところが、自分の生となると、誰も彼もが、何と多くの人に分け与えてやることであろう。
財産を維持することでは吝嗇家でありながら、事、時間の消費となると、貪欲が立派なこととされる唯一の事柄であるにもかかわらず、途端にこれ以上はない浪費家に豹変してしまうのである。
岩波書店、セネカ、大西英文訳『生の短さについて 他二篇』P15-16
※一部改行しました
「自分の金を他人に分けてやりたいと望む人間など、どこを探してもいない。ところが、自分の生となると、誰も彼もが、何と多くの人に分け与えてやることであろう。」
これは思わずドキッとする言葉ですよね。このようにセネカは私達をハッとさせるような言葉をどんどん発していきます。
誰かが白髪であるからといって、あるいは顔に皺があるからといって、その人が長生きしたと考える理由はない。彼は長く生きたのではなく、長くいただけのことなのだ。
岩波書店、セネカ、大西英文訳『生の短さについて 他二篇』P29
これはセネカの言葉の中でも特に有名な言葉のひとつとして知られていますが、やはり鋭いですよね。
そして最後にもうひとつセネカの警句を紹介します。
先延ばしこそ生の最大の浪費なのである。
岩波書店、セネカ、大西英文訳『生の短さについて 他二篇』P32
セネカは一貫して「今を生きよ」と述べます。そして自分の外のことに時間を奪われてはならないと主張します。
時間を浪費している場合ではない。あなたはあなたの人生をどう生きるのかとセネカは問いかけてきます。
この作品を読んで感じたのはセネカはブッダなのかというくらい、仏教的な要素があるという点でした。教えそのものだけでなく、ひとりひとりの読者に問いかけてくるかのような文体も似ています。
このことは中野孝次著『ローマの哲人 セネカの言葉』でも説かれていて、セネカの言葉は「論語」や仏教で語られることとも非常に近いものがあることが指摘されていました。
ローマのストア派哲学と仏教との類似性というのは私としても非常に興味深いものがありました。
『生の短さについて』と中野孝次著『ローマの哲人 セネカの言葉』をセットで読めば、セネカという人がどのような人だったのかというのがとてもわかりやすくなります。
ぜひセットで読むことをおすすめします。
以上、「セネカ『生の短さについて』~時間の浪費を戒め、よく生きよと述べるローマのストア派哲学者の人生哲学」でした。
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