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(9)時代が味方したスターリン~スターリンはスターリンのみにあらず

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スターリンはスターリンのみにあらず スターリン伝を読む⑼

ヨシフ・スターリン(1878-1953)Wikipediaより

「スターリン伝を読む⑹」からはサイモン・セバーグ・モンテフィオーリ『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち』の続編にあたります『スターリン 青春と革命』を読んでいきます。こちらは続編ではありますが時系列からいうと前作の前に当たります。

では、早速始めていきましょう。

妻の死とスターリンの自己弁護

以前の記事で1936年に妻のナージャが自殺したということを紹介しましたが、実はそのナージャという女性はスターリン(ソソ)の2度目の結婚相手でした。

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(3)愛妻の自殺を嘆き悲しむスターリン~スターリンの意外な一面とは スターリンは仕事人間で家庭をまず顧みませんでした。しかしナージャとスターリンは度々喧嘩しながらも心を開いて会話ができる関係でした。スターリンにとって心許せる唯一のパートナーだったのです。 しかしソ連中枢部の異様な状況、つまり政治的策謀やスターリンの奔放な態度にナージャは精神を病んでいきました。そしてとうとう、彼女は自分の心臓を銃で打ち抜き自殺してしまったのです。 さすがのスターリンも妻の自殺にショックを受けたそうです。何百万人もの人を平気で殺した独裁者も妻の死には涙を流し、激しいショックを受けました。 何百万もの人たちの死に対してほんの少しでもそうした死を悼む気持ちがあったとしたら歴史は変わっていたかもしれません。いや、きっとそうならない人だからこそ独裁者になりえたということなのかもしれませんが・・・

彼にはカトという一人目の妻がいたのです。しかし革命活動を何よりも最優先し家庭をまったく顧みなかったスターリンによって妻のカトは衰弱し病気にかかり1907年に亡くなってしまったのでした。スターリン31歳の年でした。

ソソはカトの目を自分の手で閉じた。呆然として、何とか妻のなきがらのそばに立ち、家族と共に写真に収まった。しかしそのあと、へたり込んだ。「ソソがそれほど傷ついているとは誰も信じられなかった」とエリサべダシヴィリは書いている。ソソは「彼女を幸せにしてやれなかった」とすすり泣いた。(中略)

青白い、涙にぬれた顔のスターリンは「意気消沈していたが、それでも私に昔のように親しげにあいさつした」とイレマシヴィリは回想している。ソソは彼を脇に連れて行った。

「あれは」と彼は開け放たれた棺を身振りで示した。「私の石の心を和らげてくれた。彼女は死んだ。そして彼女と共に人々への私の最後の優しい気持ちも死んだ」。彼は片手を自分の胸に置いた―「ここがとてもむなしい。言いようもなく空虚なんだ」。

埋葬の時、ソソのいつもの自制に亀裂が入った。彼は棺と一緒に墓穴の中に身を投じた。男たちが彼を引っ張り出さねばならなかった。カトは埋葬された―しかし、ちょうどその時、革命の「陰謀」が家族の悲しみを中断させた。

ソソはオフラナのスパイ数人が告別の場所へにじり寄ってくるのを目にした。彼は急いで墓地の裏へ向かって逃げ、フェンスを跳び越して、自分の妻の葬式から姿を消した―これは結婚生活における彼の怠慢についての皮肉な註釈になった。

二ヵ月聞、スターリンは記録から消える。「ソソは深い悲しみに沈んだ」とモナセリゼは言っている。「彼はほとんど口をきかず、誰も彼に進んで話しかけようとしなかった。われわれの忠告をいれなかったこと、暑いバクーに彼女を連れて行ったことを悔やんで、ずっと自分自身を責め続けた」。(中略)

「私生活は木っ端みじんになった」とスターリンは泣きじゃくった。「私を生活に結び付けてくれるものは、社会主義以外に何もない。私は自分の存在をこれに捧げるつもりだ!」これは、やがて彼自身が自分の家族や友人たちにお膳立てする、もっと言うに耐えない悲劇を説明するのに使うべき種類の自己弁護だった。

白水社、サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ、松本幸重訳『スターリン 青春と革命の時代』P330

ここでやはり私が印象に残ったのは一番最後の「これは、やがて彼自身が自分の家族や友人たちにお膳立てする、もっと言うに耐えない悲劇を説明するのに使うべき種類の自己弁護だった。」という箇所です。

この時点ですでにスターリンは武装組織のトップで殺人事件すら数多く手がけています。ゆすりや脅迫、暴力は日常的なものでした。それらを自己弁護するために妻の死も利用している感すらあります。

そして「私の石の心を和らげてくれた。彼女は死んだ。そして彼女と共に人々への私の最後の優しい気持ちも死んだ」という言葉です。これは二人目の妻ナージャが自殺した時も似たようなことを言っています。結局彼は同じことを繰り返し、同じように自己の残虐行為を妻を失った悲しみのせいにしているのです。数え切れないほど多くの人に災厄を振りまきながら、自分は妻を失った不幸な男だと言うのです。

こうした人間が権力を握るとどういうことになるかという恐怖を感じました。

レーニンの資金調達係としてのスターリン

スターリンはロシア革命を狙うボリシェビキのトップ、レーニンと近づきます。そして資金難に苦しむレーニンのために彼は資金調達の役割を買って出るのでした。その時の貢献からスターリンはレーニンの側近として頭角を現し始めます。

「政治は汚れ仕事だ」と後にスターリンは言った。「われわれはみな、革命のために汚れ仕事をした」。スターリンは、小さいが実益のある資金調達作戦の有能なゴッドファーザーになった。実際、まずまずの成功を収めているマフィアのファミリーそっくりで、通貨偽造、ゆすり、銀行強盗、海賊、みかじめ料稼ぎをやっていたが、同時にまた政治的扇動とジャーナリズムの仕事もあったのだ。(中略)

スターリンはまた、みかじめ料稼ぎと誘拐もやっていた。富豪の多くは、自分の油田が火事になったり、自分の家族に「事故」が起きたりするのを望まなけれぱ、金を払った。

寄付とみかじめ料を区別するのは難しい。なぜならいまやスターリンが彼らに対して行なう犯罪には、「金持ちの家族への強盗、襲撃、ゆすり、白昼のバクーの通りで彼らの子供を誘拐し、そのあとにどこかの『革命委員会』の名による身代金の要求」が含まれていたからだ、とバクーでスターリンをよく知っていたサギラシヴィリは述べている。「子供の誘拐は当時、日常茶飯事だった」とエサード・べイは回想している。

白水社、サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ、松本幸重訳『スターリン 青春と革命の時代』P334-336

バクーという街は油田があり億万長者がたくさんいました。スターリンはそうした富豪たちから莫大な金を巻き上げていたのです。

19世紀のバクーの油田 Wikipediaより

そしてそのお金がレーニンへと送られ、彼は政治活動をしていたのです。

このことについては前回の記事「(8)ギャングの統領として圧倒的なカリスマを見せるスターリン~ジョージア裏社会のボスとしての姿とは」や、「(8)レーニンの黒い資金源~若きギャング、スターリンの暗躍」の記事でもお話ししましたのでそちらもご参照ください。

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(8)ギャングの統領として圧倒的なカリスマを見せるスターリン~ジョージア裏社会のボスとしての姿とは 秘密警察に追われ、地下に潜伏した「ソソ」ことスターリン。 彼はその類まれなカリスマと指導力でいつしかギャングの統領のような立場になっていました。 スターリンはグルジアの武装組織を指導するまでになっていました。そして単に武装勢力を指導するだけでなく、地域の有力者たちとのつながりまで獲得します。ここまで来ると単に強いだけではなく、圧倒的なカリスマと交渉能力、世の中を読む力がないとできません。この時すでにスターリンは後の姿の片鱗を見せ始めていたのでありました。
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(8)レーニンの黒い資金源~若きギャング、スターリンの暗躍 今回の記事で読んでいく箇所は私にとってもかなりの驚きでした。 こうまで堂々と強盗をしそれを資金源にする集団が政治集団として表舞台にいるという事実。 そしてこの時から影のギャングスターとして暗躍していた後のソ連の独裁者スターリンの存在。 資本家は労働者から収奪していたのだから、我々から収奪されるのは当然だという理屈をレーニンは主張します。まさに「目的は手段を正当化する」というレーニンの思想が表れています。

レーニンの活動資金がこうした不法なギャング活動で支えられていたというのは読んでいて驚きでした。

時代が味方したスターリン。スターリンはスターリンのみにあらず

次の引用は1917年のロシア革命が起こった後のレーニン・ボリシェヴィキにおけるやりとりです。

レーニンは別の知人に語った。「われわれが取り組んでいるのは絶滅だ。ピーサレフが言ったことを覚えていませんか。『すべてを破壊し、たたきつぶせ。打ち壊せ!壊れていくものはすべてがらくたで、生存の権利を持たない!生き残るものが善だ』」

レーニンの手書きのメモは、「吸血虫……クモ……ヒルのような搾取者」の銃殺、殺害、絞首刑を要求している。彼は問うた。「銃殺執行隊なしでどうやって革命ができるのか?もしわれわれが白衛軍側の妨害者を銃殺できないなら、これはどういう種類の革命なのか?おしゃべりと深皿一杯のお涙に過ぎない!」彼は「もっと強靱な人間を探せ」と要求した。(中略)

スターリンは「自信を深めはじめた」とトロツキーは書いている。「私はすでにレーニンがスターリンを『引き立てよう』としているのに気づいた。闘争に必要な性質として、堅固さ、度胸、強情さ、狡猾さを評価したのだ」。

トロツキーを毛嫌いしていたモロトフの意見によると、「レーニンがスターリンとトロツキーをもっとも有能な人間としてほかの連中から抜きん出た指導者と認めたのも無理なかった」。

間もなくスハーノフでさえ、「スターリンが革命と国家の命運をその手に握っている」ことを理解した。このグルジア人は「権力に慣れていった」とトロツキーは述べている。

けれどもスターリンは決して避けられないものではなかった。頭脳、自信、知的な猛烈さ、政治的才能、暴力信仰と暴力の経験、気難しさ、執念深さ、魅力、感性、非情さ、思いやりの欠如、人物としての紛れもない特異な独自性は備わっていた―だが、彼には公的な広場の経験が不足していた。一九一七年に、彼はその広場を発見した。

歴史上の別の時だったならば、彼が権力の座に昇りつめることなどありえなかっただろう。

それには人と機会の同時発生が必要だった。ロシアの統治を許されるグルジア人として想像もできないような彼の台頭を可能にしたのは、マルクス主義の国際(民族際)主義的な性格があったればこそだった。

彼の暴政を可能にしたのはソヴィエト・ロシアの追い詰められた環境、その半宗教的イデオロギーの空想的狂信、無慈悲なボリシェヴィキ的勇猛心、世界大戦の虐殺の精神、そして「プロレタリアート独裁」に関するレーニンの人殺し的構想だった。

もしもレーニンが政権初期に、カーメネフのもっと穏健な路線を打ち負かし、あのように無制限で絶対的な権力のための機構をつくり出さなかったならば、スターリンはありえなかっただろう。それこそ、スターリンがとびきりの身支度を整えていた広場だったのだ。いまやスターリンはスターリンになることできた。
※一部改行しました

白水社、サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ、松本幸重訳『スターリン 青春と革命の時代』P578-579

スターリンその人に才能があったことは確かですが、時代がそれを求めていなければ表舞台に上がることなく消えていくのが定めです。スターリンが登場したのはまさにスターリンがその力を発揮するのにもっとも適したタイミングだったのです。引き続き引用していきます。

革命とスターリン

十月革命後の数カ月間、レーニンとその重臣たちはその権力を国内戦を戦うために行使した。スターリンが同僚たちとともに、無差別殺人によって戦争を遂行し、社会を変えるためにその抑制なき権力を経験したのは、この時だった。

最初のキツネ狩りに出た少年たちのように、彼らは高揚感と驕りによって流血に慣れた。スターリンの性格は損傷を受けていたが天賦の才能に恵まれており、そのような無慈悲な捕食に適任だった。そして運命的にこれに魅力を感じた。

後に、弾圧のマシーン、陰謀には終わりがないという冷酷な妄想心理、すべての課題に対する極端な血なまぐさい解決法の嗜好は、単に隆盛を極めただけではない。これらは美化され、制度化され、さらには救世主的熱情をもって超道徳的なボリシェヴィキの信仰へと高められた。

血縁で結ばれた村のように運営された巨大な官僚制度の中で、スターリンは人事の名人であることを示した。彼はこれらの残忍な傾向のパトロンだっただけではなく、それらの化身でもあった。

一九二九年にスターリンが不敬にも「党はみずからにかたどって私を造った」と宣言した時、彼は正しかった。彼と党はともに発展した。だが、人目をはばかりながらも、際限のない過激主義と垂れ込める邪悪な闇が生み出したこの人物は、いつでももっと先へ行くことができた。
※一部改行しました

白水社、サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ、松本幸重訳『スターリン 青春と革命の時代』P579-580

革命の暴力的な状況はスターリンをロシアの巨大な指導者へと成長させていく場となりました。そのような状況があったからこそスターリンが生まれ、スターリンがいるからこそ暴力的な支配構造がどんどん確立していく相互作用が生まれたのでありました。

まとめとして

彼が成長したのは族閥的なコーカサスだった。成熟期のすべてを過ごしたのは陰謀的な地下だった。すなわち、主として暴力、狂信、忠誠が幅を利かしたあの特殊な環境である。

彼が頭角を現したのは絶えざる闘争、ドラマ、ストレスのジャングルだった。

彼が権力の座にたどり着いたのは、あの得がたい人間として、すなわち、敬けんなマルクス主義者であるのはもちろんのこと、暴力的な人間にしてかつアイデアマン、ギャング行為のエキスパートとしてであった。

しかし、危機の中で一国を統治し、単なる理想を現実のユートピアへと推進する唯一の道として、何にもまして彼が信じたのは、自分自身であり、自分自身の非情な統率力だった。
※一部改行しました

白水社、サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ、松本幸重訳『スターリン 青春と革命の時代』P581

スターリンの少年期、青年期は現代日本を生きる私たちにとってはあまりに別次元な世界でした。初めてこの本を読んだ時には度肝を抜かれてしまいました。こんな世界があって、しかもそんな危険な環境の中すでにして力を発揮するスターリンの驚くべき強さには驚くほかありません。

元々あった才能に加え教育熱心だった母によって与えられた高等教育、異常なほどの読書熱、暴力的な世界を生き抜く強さ、勇気、狡猾さ、ロシア政府の秘密警察とも渡り合うしたたかさなどを生れ育った地グルジアで身につけていきました。

そしてスターリンはロシア革命の荒波に身を投じていき、最終的には圧倒的な権力を持つ独裁者へと成り上がっていったのでした。

この本はとにかく興味深いです。この本を読んでいるとスターリンの圧倒的なスケールを思い知らされます。彼の青年期はあまりに波乱万丈で、私たちを驚かせることばかりです。

そしてこの本のいいところはそうしたスターリンの前半生だけでなく、当時の社会情勢や人々の生活の様子まで詳しく知ることができる点にもあります。

ロマノフ王朝が支配していた19世紀のロシアはどんな状況だったのか。人々は何を思い、何に苦しみ、何を求めていたのかということをロシアの地方都市の生活を通して私たちは見ていくことができます。

スターリンだけではなく、当時のロシア人がどのような生活をしていたのかということを知れる点でもこの本はとてもおすすめです。非常に興味深い本でした。

以上、「スターリン伝を読む」でした。

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スターリン: 青春と革命の時代

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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