チェーホフ『恋について』あらすじと感想~「なぜあんな男にあんないい人が恋しているのだ」
チェーホフ『恋について』あらすじと感想~既婚者に恋した男が語る恋の不思議さとは
チェーホフ(1860-1904)Wikipediaより
『恋について』は1898年にチェーホフによって発表された短編三部作の最後の作品です。
私が読んだのは中央公論社、神西清、池田健太郎、原卓也訳『チェーホフ全集 11』所収の『恋について』です。
早速あらすじを見ていきます。
冒頭から、「翌日、朝食にはたいへんおいしい肉饅頭と海老と羊肉のカツレツが出された」という突飛な語りで始まる。時間的に『すぐり』に直接つながっていることを示すためである。
『すぐり』では聞き手にまわっていた若い地主アリョーヒンが、今度は語り手になって、自分と人妻との恋の話を始める。話題が恋に移ったのは、大酒飲みでの気の荒いコックのニカノールが、別嬪の女中ぺラゲーヤと愛しあっているということから、「恋の不思議さ」が問題になったためである。
筑摩書房、佐藤清郎『チェーホフ芸術の世界』P300
※一部改行しました
この作品は短編三部作の最後の作品で『箱にはいった男』、『すぐり』の続きの物語となっています。
あらすじにありますように『すぐり』では聞き手であった地主のアリョーヒンが今作の語り手です。
アリョーヒンは、例の美しいぺラゲーヤがこの料理番に恋していると話した。料理番が飲んべえなうえに気が荒いので、彼女は彼と結婚する気はなかったが、今のまま一緒に暮らしていくのは承知だった。
一方、彼のほうは大そう信心ぶかかったため、宗教的な信念がこんな生活をつづけることを許さなかった。彼は結婚を迫り、さもなければだんぜん手を切ると言って、酔っ払うと彼女をののしったり殴打しさえした。
彼が酔っ払うと、彼女は二階へかくれて泣いていた。そんな時には、アリョーヒンや召使たちは家をあけないようにした。まさかの時に、彼女を守ってやるためである。
その話をしおに、恋談議がはじまった。
「恋というものがどんなふうに生れるか」とアリョーヒンが言った。「なぜペラゲーヤが、心ばえでも見てくれでももっと彼女にふさわしい男に恋しないで、人もあろうにあんな化物面の―ここでは誰もが彼のことをこう呼んでいるのですが、―ニカノールに恋したのか、それからまた、恋には個人の幸福の問題がどれほど重大であるか、―こういったことはすべて雲を掴むような話で、それぞれの人が好きなように論議すればいいわけです。
今まで恋について言われたことで文句なしに真実なのはただ一つ、≪こは大いなる神秘なり≫という言葉だけで、その他の、恋について書かれたり言われたりしたことはすべて、問題の解決ではなくて、今だに解決のつかない問題の単なる提起にすぎません。
中央公論社、神西清、池田健太郎、原卓也訳『チェーホフ全集 11』P86-87
※一部改行しました
「なぜあんな男にあんないい人が恋しているんだ」
これは男女逆パターンも含めて今でもよく見かける永遠の謎ですよね。
ここで出てくる大酒飲みで気性も荒いDV男のニカノールになぜ美人で気立てのいいペラゲーヤが恋してしまっているのかという話題を皮切りに、アリョーヒンは自身のかつての恋を語り始めることになります。
彼はかつてある家庭持ちの人妻に恋をしてしまいました。彼はその家庭に客人として頻繁に招かれている内にいつしかその婦人に恋してしまったのでした。忘れようとしてもどうしても忘れられません。
「わたしは不幸でした。家にいても畑や納屋にいても、たえず彼女のことを考え、あの若い、美しい、聡明な女性がどうして老人とも言えそうな(夫は四十以上も年うえだったのです)、無味乾燥な男の妻になって彼の子供まで生んだのか、その秘密を理解しようとしました。
―同時にまた、退屈きわまる常識的な議論ばかりしているあの無味乾燥な、お人好しの薄のろ、舞踏会や夜会に出ても、しぼんだような壁の花となって堅人のそばに陣取り、まるで売られに連れ出されたように従順な素知らぬ顔をしているあの男、どうしてあんな男が幸福になって彼女に子供を生ませる権利があると信じているのか、その秘密を理解しようとしました。
そしてわたしは、なぜ彼女がわたしでなしに彼に出合ったのか、なぜわれわれの人生ではこんな恐ろしい誤りが起らねばならなかったのか、それをいつも一生けんめい理解しようとしたのです。
中央公論社、神西清、池田健太郎、原卓也訳『チェーホフ全集 11』P94
佐藤氏はこの箇所に対し次のように述べます。
ここには非常に重要な思想が含まれている。「間違い(He To)の人生」という思想である。チェーホフ文学の多くの人物たちは、この「間違った」人生の受難者たちである。ここに盛られたルガノヴィチに対する辛辣な皮肉は、返す刃で自分をも切りつける。
「このぼくの静かな物悲しい愛が、彼女の夫や子供たち、ぼくをこのように愛し、このように信じてくれている一家のすべての幸福な生活の流れを、突然、荒々しく絶ち切るなんてことは、とても考えられないこと」だと思い、「このぼくが有名な学者か俳優か芸術家だったらいざ知らず、いわば一つの、当り前の日常的状況から、別の同じような、もっと平凡な生活へ連れ去るだけではないか。それに、ぼくたちの幸福はどれほど長くつづくことか。ぼくが病気になったり死にでもしたら、それとも、お互いの愛が冷めでもしたら、彼女はいったいどうなるのか?」と分別らしいものを働かすのであるが、実行力のない男の自己弁護めいたところがないでもない。(中略)
こういう気持には、現実の人妻リジャ・アヴィーロヴァとチェーホフ自身の関係がそのまま反映していることは、どうやら疑いないようである(拙著『チェーホフの生涯』参照)
筑摩書房、佐藤清郎『チェーホフ芸術の世界』P302
この小説はチェーホフの実体験が反映された小説でした。
チェーホフ自身の思いがこの作品で吐露されているようでよりリアリティを感じます。
この小説はこの後アリョーヒンと夫人がどうなったのかということが語られていきます。実は夫人も今の結婚生活に漠然とした不満を抱えていてアリョーヒンに恋をしていたのです。そんな二人が最後にどんな決断をするのか、ぜひこの作品を手に取って確かめて頂きたいと思います。
以上、「チェーホフ『恋について』あらすじと感想~「なぜあんな男にあんないい人が恋しているのだ」」でした。
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チェーホフ全集〈11〉小説(1897-1903),戯曲1 (1976年)
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