プーシキン『ペスト流行時の酒もり』あらすじと感想~疫病の極限状態でロシア人は何を思うのかをプーシキン流に問うた名作
プーシキン『ペスト流行時の酒もり』あらすじ解説~疫病の極限状態でロシア人は何を思うのかをプーシキン流に問うた名作
アレクサンドル・プーシキン(1799-1837)Wikipediaより
『ペスト流行時の酒もり』は1830年にプーシキンによって書かれた小悲劇作品です。
私が読んだのは河出書房新社、北垣信行、栗原成郎訳『プーシキン全集3 民話詩・劇詩』所収の『ペスト流行時の酒もり』です。
早速この作品について巻末の解説を見ていきましょう。
この作品はイギリスの詩人ジョン・ウィルソン John Wilson(一七八五―一八一六)の劇詩 The City of the Plague『ぺストの市』(一八一六)の一場面の翻案であるが、娼婦メリーの歌と宴会の司会者ワルシンガムの歌はプーシキン自身の創作である。ウィルソンの戯曲は、一六六五年のペストに冒されたロンドンの街と、迫りくる疫病の魔手におじまどう人びとを描き、全部で三幕十二場から成る。バイロンはこの劇詩を賞讃したと伝えられるが、まもなく評判がうすれ、いまやイギリス本国でこの作品を読む人は少ないらしい。その第一幕第四場がプーシキンの天才によって翻案され、芸術的に高められて、ロシヤ文学の古典として残っているということは興味ぶかい事柄である。
河出書房新社、北垣信行、栗原成郎訳『プーシキン全集3 民話詩・劇詩』P621
この作品はもともとイギリスの作家ジョン・ウィルソンの『ペストの市』を原作とし、プーシキンがその一部を翻案して作った作品です。
この作品の内容を端的にまとめるとするならば、
プーシキンは、『ぺストの市』から、避けがたい死の想いからのがれるために、若者たちが娼婦らとともに狂乱の酒宴を催している街頭の場面を選びとり、それを独自な作品に創り変えている。
河出書房新社、北垣信行、栗原成郎訳『プーシキン全集3 民話詩・劇詩』P622
という巻末の解説が最も簡潔にこの物語を表しています。
プーシキンはペストが流行し、数え切れぬ人々が死んでいく極限状態の中で死の恐怖を逃れるために狂乱の酒宴を開いている若者たちを題材にします。
『ぺスト流行時の酒もり』において、プーシキンは、他の「小悲劇」におけると同様に、極限状況における人間の心理を描き出している。ぺストの恐るべき破壊力が人間を極度の緊張に追いこんでいる状況のもとで、死の恐怖を克服する道が三つ、この作品において示されている。
その第一は宗教的な救いの道であり、それは、「神を畏れぬ」酒宴を解散させ、各人を信仰に立ち帰らせ、全能の神の意志に従うことを奨める老司祭の形象のなかに具象化されている。
第二の道は忘却であり、宴席に連なる人びとのように、酒と恋と狂躁のうちに死の恐怖を忘れ去ること、つまり、慰戯、憂さ晴らしである。
第三の道は運命愛―運命の主体的な受けとめ―であり、反逆の精神である。それはベリンスキイが賞讃した「真に悲劇的な理念」である。
ワルシンガムは現実を直視し、死から顔をそむけない。ぺストと、それによって呼び起こされる死の不可避性の自覚とは、真に勇気ある人間に、自己の精神の深さを測る可能性を与える。それ故に、ワルシンガムはぺストにささげた讃歌を嗄れ声で歌うのである。
この疫病讃歌には悪魔的な快感があり、プーシキンのディオニュソス的魔性の側面があらわれている。ワルシンガムは老司祭の霊的平安へのいざないを拒否する。司祭は去り、ワルシンガムは「深い物思いに沈んだまま、その場にとどまる」。
ウィルソンの原作では、司祭退場ののち、ワルシンガムとひとりの青年とのあいだに口論が生じ、ついに決闘におよぶ場面がつづくが、プーシキンは、ワルシンガムが、「自分の背徳の自覚」をもちながら、また亡妻の魂の呼びかけを意識しながら救いを拒否するところで劇詩を結ぶことによって悲劇化している。
河出書房新社、北垣信行、栗原成郎訳『プーシキン全集3 民話詩・劇詩』P621-622
※一部改行しました
この作品でもプーシキンは彼独自の悲劇を作り上げました。
ひとつ前の記事で紹介しました『石の客』でもそうでしたが、この作品でもプーシキンは従来の作品とは異なる視点でこの物語を書き換えます。
それが解説にも出てきました「運命愛―運命の主体的な受けとめ―であり、反逆の精神」であります。
プーシキンは盲目的な神への従順でもなく、酒や恋による忘却でもなく、苦悩を苦悩として受け止めるという運命愛の姿勢をこの作品で打ち出します。
これは言うは易しですが、いざ自分の身として引き付けて考えてみると、これは尋常ならざる問題です。
自分が本当に苦しい時、どうにもならない絶望を抱えた時、私ならどうするだろうか?
大切な人が亡くなった時、目の前の幸せが急に奪われてしまった時、私たちは一体どんな行動をとるのでしょうか・・・
何かにすがろうとするのか、それとも何かに酔うことで苦悩を忘却しようとするのでしょうか・・・正直、それは私にもわかりません。
ですがプーシキンはこの作品で、苦悩を苦悩として受け止めるという生き方を述べるのです。
苦悩から目を背けず、それを背負いながらも生きていくという姿勢・・・
ページ数にして20ページにも満たないコンパクトな作品ながらこの作品に込められた主題はあまりに根源的です。プーシキンはたった20ページ弱の物語でそれを見事なまでに凝縮し、芸術にまで高めました。
普通の作家ならこのテーマについて言葉を尽くして長い物語を書き連ねることでしょう。
しかしプーシキンは一味も二味も違いました。
「極限まで切り詰めた簡潔な文体で人生の本質をむき出しにする」
これがプーシキンの最大の特徴です。
それがわかりやすい形で見られるのもこの作品のよいところなのではないかと感じました。
短いながらも強烈なインパクトを残す作品でした。苦悩や絶望、そして死に対して私はどんな向き合い方をするのかということを考えさせられた作品でした。
きっと折に触れてこれからもこの作品のことを私は思い返し続けることになりそうです。
以上、「プーシキン『ペスト流行時の酒もり』あらすじ解説~疫病の極限状態でロシア人は何を思うのかをプーシキン流に問うた名作」でした。
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