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ドストエフスキー『虐げられた人びと』の概要とあらすじ
『虐げられた人びと』は1861年1月から7月に『時代』誌に連載された長編小説です。
私が読んだのは新潮社出版の小笠原豊樹訳の『虐げられた人びと』です。
早速この本について見ていきましょう。
老人の死で始まり少女の死で終わる、この物語――。
1860年代初め、農奴解放を迎え、ロシアはブルジョア社会へ。
同時期、移行期に入った文豪の長編作品。
民主主義的理想を掲げたえず軽薄な言動をとっては弁明し、結果として残酷な事態を招来しながら、誰にも憎まれない青年アリョーシャと、傷つきやすい清純な娘ナターシャの悲恋を中心に、農奴解放を迎え本格的なブルジョア社会へ移行しようとしていたロシアの混乱の時代における虐げられた人びとの姿を描く。人道主義を基調とし、文豪の限りなく優しい心情を吐露した抒情溢れる傑作。
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主人公のワーニャ(イワン・ペトローヴィチ)はイフメーネフ老夫婦のもと育てられ、その娘のナターシャに恋しています。
しかしナターシャは、口先だけで何一つ自分の考えを持たない無邪気な男アリョーシャと恋人関係にあります。
ダメ男すぎるアリョーシャは無邪気に他の女を愛し、ナターシャを苦しめます。驚くべきことに彼には全く悪意はありません。その女を愛しているのは事実なくせに、ナターシャのもとに戻ればこれまた無邪気にナターシャのことも愛するのです。
ナターシャに恋するワーニャはそんな2人にやきもきします。
しかしナターシャはアリョーシャを捨てられません。それほど激しい恋だったのです。
ダメ男にはまる典型的なパターンです。彼をわかってあげられるのは自分だけ。どうしようもないあの人を守れるのは私だけという精神状況です。
そんなナターシャを支えざるをえないワーニャはなんとも痛ましいです。「なんでこんなダメ男じゃなくて私を選んでくれないのか・・・」
ドストエフスキー得意のこじれた人間模様がいよいよこの作品では現れてきます。
そしてこの小説ではこの3人の恋模様という筋の他に、謎の老人と薄幸の少女ネリーの物語、アリョーシャの父ワルコフスキー公爵との対決という筋が絡んできます。
謎の老人と薄幸の少女ネリーの物語は、イギリスの文豪チャールズ・ディケンズの『骨董屋』という作品のオマージュであると言われています。
『骨董屋』の主人公の少女の名前もネルであり、作中では貧しく悲惨な状況に落ち込んでも持ち前の明るさと強い精神力で愛する祖父を支え続ける健気な姿が印象的です。
ドストエフスキーはディケンズの小説を愛し、そこから『虐げられた人びと』の中にアイディアを持ち込んだのです。
また、アリョーシャの父ワルコフスキー公爵との対決は、思想の問題を提起します。
悪の勝利。理想主義、性善説の敗北。
ワルコフスキー公爵は非常にしたたかな人物で、悪のカリスマの原型とでも言うことができる存在です。
主人公のワーニャもナターシャも、そしてダメ男アリョーシャも基本的には人間愛を持つ善人です。
しかしその善がいかにも薄っぺらで弱い。
人間の本性は善であるという楽観的な考え方を、ワルコフスキー公爵はいとも簡単にやっつけてしまいます。
シベリア流刑を経て、かつて抱いていた人道主義や理想主義が通用しない世界を目の当たりにしたドストエフスキーの思想がワルコフスキーを通して語られているかのようです。
とはいえ、全体としてはこの作品では後の小説『地下室の手記』ほど徹底した理想主義、合理主義の否定にはまだいたっていません。
ですがこの作品ではその萌芽がすでにあちらこちらで見え始めているという点で、ドストエフスキーの思想の流れを感じられる作品です。
感想
私個人の感想ですがこの作品は一言で言えば、「歯がゆい!」に尽きます。
典型的な「いい人」、主人公のワーニャが幼馴染で才色兼備のナターシャに恋をしています。しかしナターシャはあろうことか典型的なダメ男に恋をし、家族まで捨てて破滅にまっしぐら。
ワーニャはそんなナターシャを見捨てられず、あれやこれやと世話をしたり、恋敵との取り持ちまでさせられる始末。
「いい人」の悲哀がこれでもかと描かれています。
ですがこれはちょっと見方を変えれば、『「いい人」から見た「いい女」』がいかにして「ダメ男」にはまっていくのか』ということが描かれているということにもなります。
こう考えてみると『「いい人」が思う「いい女」』ってはたして本当に「いい女」』なのかという、なんともややこしい問題が現れてくるような気がしました。いや、そもそも「いい人」って何なのでしょう?こっちこそ本当に「いい人」と呼べる人間なのでしょうか。
ですが、これは男女問わず本当によくあるパターンですよね・・・現代の小説やドラマでもよく見る筋書きです。
まあ、ただこの小説ではナターシャが恋してしまうアリョーシャはたしかにダメ男なのですが、決して悪い人間ではないというのがなんともドストエフスキーらしい書き方だなと思います。
何が悪くて何が良いかも判断できない赤ちゃんみたいな男なのです。あまりに無邪気すぎるのです。悪意が全くないのです。
だからこそ振り回されるナターシャもどうしても彼を許してしまい、やがて振り回されることから抜け出せなくなるのです。
この作品はドストエフスキーの長編小説の中でもストーリー展開のテンポがよく、読みやすさという点では上位にくる作品ではないかと個人的には思っています。
その分『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』の五大長編のようなずっしりとした心理ドラマというドストエフスキーらしさが少し薄い作品かなとも思えます。
とはいえ、小説としてのストーリー展開の面白さはピカイチの作品です。個人的にはすごく好きな作品です。ドストエフスキー作品の中でもとても読みやすかったいうのが正直な感想です。
以上、「ドストエフスキー『虐げられた人びと』いびつな三角関係はどこへ向かう?」でした。
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