キューバ旅行記おすすめ記事一覧~クラシックカーが走る陽気な社会主義国家を訪ねて【僧侶上田隆弘の世界一周記】
はじめに
私の世界一周の旅の最後の国、キューバ。
地図で見ればアメリカ本土から本当に目と鼻の先。
近いが故にアメリカから脅威とされ、キューバ危機では全面核戦争の瀬戸際まで行ってしまった国。
それがキューバ。
そして私がここに向かった理由は何と言ってもチェ・ゲバラの存在があります。
チェ・ゲバラはキューバ革命において決定的な役割を果たしたキューバの英雄。
そしてゲバラは私にとっても非常に思い入れのある人物です。
ゲバラのおかげで私は『ドン・キホーテ』を読もうと思い立ち、そしてその結果今回の旅でのスペイン滞在を決定するまでになったのです。
「チェ・ゲバラほどの人物が愛読していた『ドン・キホーテ』とは一体どれほどすごい書物なのだろう。」そんな素朴な疑問から読み始めた『ドン・キホーテ』。
そして以前の記事『ドン・キホーテ』はなぜ名作なのか~『ドン・キホーテ』をもっと楽しむためのポイントを解説 スペイン編⑫でも述べたように、『ドン・キホーテ』は私にとっても大切な書物となったのでありました。
そのきっかけをくれたゲバラの活躍した地を生で見てみたい。キューバという国をもっと知りたい。
そんな思いで私はこのキューバを最後の国として選んだのでありました。
キューバ編ではチェ・ゲバラがカストロ達と共に戦ったキューバ革命や、その後の社会主義国キューバの歴史をアメリカとの関係から見ていきます。
キューバと言えばかつてのミサイル危機など、危険な社会主義独裁国家というイメージが先行してしまいますが実はそのイメージだけにとらわれるとこの国の姿を見誤ることになります。
キューバの歴史を知ることでそれに反発するアメリカの姿も知ることができます。
私は旅の最後にアメリカとキューバを比較することで資本主義と社会主義という国のあり方について考えてみたいと思ったのでありました。
キューバ編はアメリカ編とひとつながりの記事となっています。ぜひ一緒に楽しんで頂けましたら幸いでございます。
アメリカからキューバのビーチリゾート、バラデロへ キューバ編①
6月4日午後。ワシントンからカナダのトロント経由でキューバの首都ハバナへ向かいます。
アメリカからキューバへは国交の問題上、直行便では入国ができません。
そのためカナダのトロント経由で入国することに。
23時半。ハバナ空港に到着。
空港に降り立った瞬間に感じるむわっとした熱気、そしてカリブの匂い。
これまで訪れてきた国とは明らかに違うものを感じました。
ハバナで1泊した後、私は朝からキューバのビーチリゾート、バラデロに向けて出発しました。
その道の途中で、ハバナで最も有名な景観、マレコン通りを通ってもらうようにドライバーさんに依頼しました。
上の写真がマレコン通り。
世界中からこの景観を見るために多くの人がはるばるキューバを訪れています。
クラシックカーが走る道路、カリブの強烈な日差し、そして青い海。
ハバナらしさを感じるならここが一番です。
およそ3時間のドライブの後、キューバのビーチリゾート、バラデロに到着です。THE バカンスという雰囲気の美しいビーチが広がっていました。
アメリカからキューバのビーチリゾート、バラデロへ キューバ編①
キューバの歴史を解説⑴キューバの成立とスペイン統治時代 キューバ編②
みなさんはキューバといえばどんなイメージを抱くでしょうか。
おそらく、社会主義だったりキューバ危機だったりカストロの独裁だったりと、どちらかというと恐い国というイメージが浮かんでくるのではないでしょうか。
私もこの国のことを学ぶまではそのようなイメージを抱いていました。
しかし、「はじめに」でも述べましたがキューバ=危険な国というイメージは正確には正しくありません。
キューバが危険な独裁国家であるというのは単なるイメージに過ぎないのです。
その実像は私たちが持つイメージとはかなり異なります。
これから続く4つの記事ではざっくりとでありますががキューバの歴史をもとにその実像に迫っていきます。
まずそのはじめにこの記事では1492年のコロンブスによるアメリカ大陸発見とキューバの成立、スペイン統治時代を振り返っていきます。
キューバの歴史を解説⑴キューバの成立とスペイン統治時代 キューバ編②
キューバの歴史を解説⑵アメリカ植民地時代とキューバ革命 キューバ編③
前の記事では1902年にキューバがスペインから独立したものの、アメリカの半植民地と化してしまったところまでお話ししました。
この記事ではそこからキューバがアメリカと戦い、真の独立を果たすまでの歴史をお話ししていきます。
カストロやチェ・ゲバラが活躍したキューバ革命はまさにこの時代になります。
キューバはスペインに長く植民地として虐げられ、そこから脱したかと思いきや今度はアメリカに搾取されていました。
政府もアメリカの傀儡で国民の貧困は想像を絶する状況になっていました。そんな悲惨な状況を打開するために立ち上がったのがカストロやチェ・ゲバラだったのです。
この記事を読めばそれまでのキューバ像やアメリカ像が覆るかもしれません。私も歴史を学びながらとても驚いたことを覚えています。ぜひ読んで頂きたい記事です。
キューバの歴史を解説⑵アメリカ植民地時代とキューバ革命 キューバ編③
キューバの歴史を解説⑶革命政権とミサイル危機 キューバ編④
この記事ではキューバ革命成立後の革命政府とキューバ危機についてお話ししていきます。
1959年、カストロを指導者とする革命軍はバティスタ政権を打倒。
なるほど、ここからカストロがキューバを独裁するのかと思いきや彼は政治から距離を保とうとしました。
最高裁判所の判事を大統領に、人権派の弁護士を首相に指名するなど、当初彼には独裁の意図はなかったとされています。
カストロら革命軍の目的はキューバの悲惨な現状を打開することであって、自らの権力と地位を求めたものではなかったのです。
しかし彼らのその思いとは裏腹に新政府は生ぬるいやり方に終始し、大統領も高い給料を要求し高級マンションに住みだしました。
結局彼らに任せても古い体質から抜け出せないことを悟り、カストロ自らが首相となります。
ここからキューバの改革が急ピッチで進み始めるのです。
カストロの改革はアメリカの植民地からの脱却を目指したものでした。そのためアメリカとの関係は急激に悪化していきます。
その極限があのキューバ危機だったのです。世界が核戦争の惨禍に巻き込まれる瀬戸際まで行ってしまった事件はこうした背景の下起こったのです。
ただ単にキューバが危険な独裁国家だったからミサイル危機が起こったわけではなかったのです。
この記事ではそうした緊張のキューバ情勢をお話ししていきます。
キューバの歴史を解説⑷カストロの改革とソ連後のキューバ キューバ編⑤
この記事ではキューバ革命後から現在に至るまでのキューバの流れをお話ししていきます。
アメリカとの関係が最悪になったため、経済立て直しのためキューバはソ連と手を組むことになりました。
社会主義国家として、ソ連がいる内は社会情勢はかなりうまく回っていました。キューバは驚くべき程の繁栄ぶりだったのです。
しかし1991年にソ連が崩壊した後、深刻な経済危機が訪れることになりました。
何しろアメリカががっちり経済封鎖をしているためキューバは世界で孤立してしまい、国際貿易はおろか国内の物資さえ不足する有り様になってしまいました。
そんな状況を打開するためについにカストロ政権は社会主義の禁じ手に手を出します。
それがキューバの開放です。
言い換えれば観光業を通した外貨の獲得ということになります。
ですが、これはカストロにとっても苦肉の策だったに違いありません。
なぜなら外国人観光客の受け入れはこれまで築いてきたキューバの平等な社会を根底から覆しかねないものだったからです。
ここに私がキューバを目的地に選んだ大きな理由があります。
平等に貧しかったキューバに、海外の圧倒的な資本が流入します。
これが何を意味するかというと、外国資本の流入によって平等であるはずのキューバ社会に貧富の差が生まれてくるということになります。
キューバは現在、革命以降かつてないほどの変革期に来ています。
旧き良き時代が急激に失われつつあるのです。
旧き良き時代はもう間もなく失われるかもしれない。
行くならば今しかない。
キューバはそういう時代を迎えているのです。
だからこそ私はキューバに行き、その変化を感じてみたいと思ったのです。
キューバの歴史をここまでお話ししてきたのはそれを伝えるためにはどうしても必要なことだったからなのです。
キューバの歴史を解説⑷カストロの改革とソ連後のキューバ キューバ編⑤
社会主義と資本主義、そして宗教のつながり~ぼくがキューバを選んだ理由 キューバ編⑥
ここまで4本の記事にわたってキューバの歴史をお話ししてきましたが、みなさんの中には次のような疑問をお持ちになった方もおられるかもしれません。
「なぜいきなりキューバの歴史をここまで話し出したのだろう。
いや、そもそもなぜキューバ?キューバと宗教って何か関係はあるの?」と。
たしかにキューバは宗教の聖地ではありません。
ですが、私にとっては宗教を学ぶ上で非常に重要な国がキューバだったのです。
資本主義の殿堂アメリカと社会主義国家キューバ。
私にとってアメリカからキューバへと向かうというこの一連の流れは決定的に重要なものだったのです。
資本主義と社会主義を学ぶことは宗教を学ぶに等しい。
見えにくい事実でありますがどちらも意図的に他の宗教を排し、無宗教のように装ってはいますが実は宗教のエッセンスをふんだんに利用しているのです。
この記事では宗教と資本主義、社会主義の意外なつながりについてお話ししていきます。アメリカ編で述べてきたことと合わせてぜひ読んで頂きたい記事となっています。
社会主義と資本主義、そして宗教のつながり~ぼくがキューバを選んだ理由 キューバ編⑥
チェ・ゲバラの霊廟とドン・キホーテの意外な関係~チェ・ゲバラゆかりの地、サンタクララ⑴ キューバ編⑦
6月7日、本日向かうはチェ・ゲバラゆかりの地サンタクララ。
サンタクララ近郊に着くと、サンタクララとチェ・ゲバラの大きな看板がお出迎えしてくれます。
サンタクララはチェ・ゲバラと切っても切れない関係のある街。
私がチェ・ゲバラについて知ったのは先の記事までで述べてきたようにキューバ危機への関心からでした。
キューバの歴史を学ぶ中で知ることになったチェ・ゲバラの存在。
理想を追い求めた革命の戦士。
世界で最も尊敬される革命家。
どうして彼はこんなにも世界中の人を惹き付けるのだろうか。
彼は何を成し遂げ、なぜ偉大な人物として尊敬されるようになっていったのだろうか。
そして彼のことを調べているうちに、私はあることを知ることになります。
それはチェ・ゲバラの愛読書が『ドン・キホーテ』であり、彼はドン・キホーテの生き様に大きな影響を受けていたという事実でした。
くしくもその時、私は世界で聖書に次ぐベストセラーである『ドン・キホーテ』を読もうか読むまいか迷っていた時期でした。
何せ『ドン・キホーテ』は言わずと知れた大作。すべて読もうとなると相当な覚悟が必要な書物です。
ですが、チェ・ゲバラほどの大人物が愛読していたのならば何か巨大な秘密が隠されているに違いない。
それならばまずは読んでみよう。後のことは読んでから考えればいい。
『ドン・キホーテ』の前で足踏みしていた私の背中を押してくれたのはチェ・ゲバラの存在だったのです。
そのおかげで私は『ドン・キホーテ』を読むことができ、私も高潔なる騎士ドン・キホーテに心底惚れこむことになりました。
ドン・キホーテと私についてはスペイン編の記事『ドン・キホーテ』はなぜ名作なのか~『ドン・キホーテ』をもっと楽しむためのポイントを解説 スペイン編⑫でも述べましたが、私の旅に大きな影響を与えていたのがドン・キホーテの偉大なる遍歴の旅だったです。
チェ・ゲバラはいわば私とドン・キホーテをつないでくれた恩人です。
それならばぜひとも直接会ってご挨拶したい。
だからこそチェ・ゲバラのお墓があるサンタクララにぜひともお参りしたいと思い、ここまでやってきたのです。
この記事ではそんなチェ・ゲバラの霊廟についてお話ししていきます。
チェ・ゲバラの霊廟とドン・キホーテの意外な関係~チェ・ゲバラゆかりの地、サンタクララ⑴ キューバ編⑦
サンタクララ市街地と装甲列車襲撃記念碑~チェ・ゲバラゆかりの地、サンタクララ⑵ キューバ編⑧
チェ・ゲバラの霊廟でお参りをした後、次に私が向かったのはサンタクララ中心部。
サンタクララ市街地に到着。
年季が入ったカラフルな建物にキューバらしさを感じます。
街の中をぶらぶらしながら近くにある装甲列車襲撃記念碑に歩いて向かいます。
こちらがその装甲列車襲撃記念碑。
キューバ革命においてここサンタクララでの勝利が革命軍の勝利を決定的なものにしました。
そのきっかけとなった戦闘がまさにここで行われたのです。
政府軍の列車を脱線させ、それを奪うことで政府軍の武器弾薬を根こそぎ奪うことができました。これが大きな勝因と言われます。
というのもカストロ率いる革命軍の戦法は基本的にジャングルに潜んでのゲリラ戦。
ですがジャングルの奥深くに潜む彼らは物資の補給もままならず、最小限の武器弾薬で戦わなければなりませんでした。
物資の補給と武器弾薬の確保。
これが革命軍の目下の課題でした。
それでもなお徐々に勢力を増していった革命軍がここで勝負に出ます。
ついに市街戦に打って出たのです。
「もしここで市街地を押さえ大量の武器弾薬を確保できればさすがのバティスタ政府軍もひとたまりあるまい。」
カストロの読みはずばり的中し、サンタクララを制圧した革命軍は一気に勢いを増します。
キューバ国民も革命軍の躍進に熱狂的な声援を送ります。
キューバ革命の勢力図が一気に描き変えられた瞬間でした。
革命戦士たちの士気も最高潮に達します。
そして彼らはその勢いのまま独裁者バティスタの待つ首都ハバナへと進軍していくのです。
この記事では当時の戦闘の様子を現地を歩きながら振り返ります。
サンタクララ市街地と装甲列車襲撃記念碑~チェ・ゲバラゆかりの地、サンタクララ⑵ キューバ編⑧
陽気な音楽が流れるキューバの首都ハバナと旧き良き時代 キューバ編⑨
サンタクララでの観光を終えた後私はバラデロへとまた3時間の道を引き返し、その翌日には再びキューバの首都ハバナへと向かいました。
ここは世界遺産にも登録された街で、今でも旧き良きキューバの雰囲気を感じることができます。
この日は現地ガイドさんと共にゆっくりとハバナ旧市街を散策していきます。
キューバと言えば音楽。
街中いたるところでミュージシャンが演奏しています。
ぶらぶら街歩きをしているとキューバらしいサウンドがどこからともなく聞こえてきます。
ここはキューバなんだと感じさせてくれる瞬間です。
キューバミュージックと言えば世界中を席捲したBuena Vista Social Clubが有名。
この公式映像では旧き良きキューバを感じられるのでキューバの雰囲気を感じるにはこれが1番だと思います。
この記事ではそんなハバナの街並みと私が宿泊したカサという民泊をご紹介しています。
陽気な音楽が流れるキューバの首都ハバナと旧き良き時代 キューバ編⑨
ブエナビスタ・ソシアル・クラブのライブ体験とガイドさんに聞くキューバ人の陽気さ キューバ編⑩
この日のお目当ては名門ホテル「ナショナル・デ・クーバ」で開催される「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」のライブ。
前の記事でも少し紹介しましたがキューバ伝説のバンド「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」のメンバーが今でもここでライブを行っています。
フルメンバーではないものの当時の大御所が毎回参加し、そのバックをキューバ音楽界の実力者が務めるライブは非常に評価の高いものとなっています。
キューバに行くなら必ずこれを聴きに行けと勧められるほどのものです。
というわけでこの記事ではその「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」のライブ体験をお話ししていきます。
ブエナビスタ・ソシアル・クラブのライブ体験とガイドさんに聞くキューバ人の陽気さ キューバ編⑩
上田隆弘、キューバ人の陽気さに付いていけず寝込む キューバ編⑪
ブエナビスタ・ソシアル・クラブのライブからカサに帰ると、いつものようにホストファミリーがリビングでくつろいでいました。※カサについては陽気な音楽が流れるキューバの首都ハバナと旧き良き時代 キューバ編⑨参照
彼らは私を見つけるやいなや「ブエナビスタはどうだった?楽しかったかい?」とこれまた陽気に話しかけてくれました。
―いやぁ、実にすばらしかったですよ!キューバのミュージックはノリがよくて元気になりますね!
「よかったよかった!ささ、こっち座ってこっち座って!今飲み物出すから!」
誘われるがままに私はホストファミリーたちがくつろぐリビングのソファに腰を下ろします。
彼らはいつも陽気だ。きっと心の底からおしゃべりが好きなのだろう。
そして彼らと混じってお話ししているうちにブエナビスタ・ソシアル・クラブがまた話題に上ってきました。
―それにしてもあのサルサダンサーのステップの軽やかさには驚きました!サルサって素晴らしいですね!
「でしょ?サルサは本当に素晴らしいわ。キューバ人は歌って踊るのが大好きなのよ!」
そう言ってスサンナ(写真右の女性)はおもむろに立ち上がりその場で踊り始めました。
「あなたも踊ってみる?楽しいわよ?」
―いえ・・・ぼくは・・・・
「まあまあ、そう言わずに!・・・あ!もしよければ明日、サルサのレッスン受けてみる?」
―え?
「私の友達はサルサの先生なの。呼べばすぐ来てくれるわ。ここでレッスンを受けられるわよ?」
―え?ここでですか?
「そう。ここよ、ここ。」
どうやらこのリビングでレッスンをするということらしい。
「先生と二人、プライベートレッスンでみっちり教えてもらえるわよ!絶対楽しいから!どう?どう!?」
・・・というわけで私は急遽サルサの個人レッスンを受けることになってしまったのでした。
この記事ではその顛末をご紹介しております。ぜひご笑覧ください。
上田隆弘、キューバ人の陽気さに付いていけず寝込む キューバ編⑪
深刻!「インバウンド頼みのキューバの現状と格差、教育問題」日本も他人事ではない! キューバ編⑫
衝撃のサルサ体験でショックを受け寝込んでいた私でありましたが、私はベッドの上で2日前のハバナ散策に同行してくれたガイドさんの言葉を思い出していました。
キューバの現状とこれからを憂うガイドのダニエルさんの言葉を私は忘れることができなかったのです。
先の記事でもお話ししましたがダニエルさんはハバナ大学卒で日本にも留学経験のあるガイドさん。
ハバナを散策しながら私たちははたくさん話をしました。
キューバの歴史や宗教の話、経済の話やキューバ人の気質などたくさんのことをダニエルさんから聞くことができました。
その中でも特に印象に残っているお話がキューバの現状についてのダニエルさんの見解でした。
「キューバにはいいところも悪い所もあります。
いいところは教育と医療システムのすばらしさです。私もハバナ大学を6年、日本留学も1年しました。すべてタダです。誰にでも学ぶチャンスがあることはすばらしいことです。
ですが現在のキューバには深刻な問題があります。
経済と観光の問題です。
私の父はエンジニアでした。つまり専門職、いわばプロフェッショナルでした。
でも給料は3500円でした。
たしかに食料や医療は国から支給されます。ですが基本的にものは足りません。
お金があればもっと買い込むことができるのかもしれませんが、ほとんどの人はそれができません。
私には子供がいます。子供の靴、いくらだと思いますか?
5000円もするのです。子供の靴が。
3500円の給料で買えますか?
ネットも1時間で100円といっても、給料が3500円だったら使えますか?
私の大学の教授も父のような専門職も、みなそのような給料です。
お金がありません。
ところで隆弘さん(筆者)、今キューバで1番お金を持っているのは誰だと思いますか?」
―もしかして、政府の官僚ですか?昔みたいな腐敗が起きてしまっているのですか?
「いえ、そうではありません。
実は今1番お金を持っているのは、タクシードライバーなんです」
この記事では私も衝撃を受けたキューバの現状と観光業がはらむ問題についてお話ししていきます。ガイドのダニエルさんもぜひとも日本の皆さんにも知ってもらいたい問題だと仰られていました。
インバウンド頼りの経済では今は良くてもゆくゆく国の基盤が破壊されていく。キューバはまさにそれが今起きていて日本もまったく他人事ではないと言うのです。これは非常に重要な問題です。ぜひ読んで頂きたい記事となっています。
深刻!「インバウンド頼みのキューバの現状との格差、教育問題」日本も他人事ではない! キューバ編⑫
キューバの大自然を満喫!ローカル感満載のビニャーレス渓谷ツアーに参加してみた キューバ編⑬
6月11日。実質キューバ滞在の最終日。
翌6月12日にはついに帰国便へと搭乗することになります。
サルサ事件でダウンした私でありましたがこの日にはなんとか復活。
最終日の今日、私は現地ツアー会社のビニャーレス・ローカルツアーなるものを予約していました。
体調不良のままではキャンセルも覚悟していたのでまさに土壇場での復活でしたた。
これから向かうビニャーレス渓谷へは、ハバナ中心部からは車でおよそ3時間ほど。
ビニャーレス渓谷は世界遺産にも登録されている景勝地。
そして世界で最も高品質な葉巻の生産地としても有名です。
キューバは車移動の間も退屈しません。
日本とは全く違う景色。
さらにはそこを走る人々の姿もまるで違います。
田舎に行けば行くほど、馬車に遭遇する率も高くなります。
車に乗って移動するだけでキューバのローカルな雰囲気を感じることができました。
雄大なキューバの大自然を炎天下の中歩いて散策します。
これは普通のツアーではまず行くことのないマニアックなコースです。とても楽しい体験となりました。次の記事と合わせてお楽しみください。
キューバの大自然を満喫!ローカル感満載のビニャーレス渓谷ツアーに参加してみた⑴ キューバ編⑬
これぞ超ローカルツアー!農家さんとの食事と葉巻の実演!キューバ編⑭
熱中症になりそうな炎天下の中、ようやくこのツアーの目的地の農家さんの小屋に到着します。
THE 農家さんという雰囲気。
ここで農家さん手作りの料理をたっぷり頂きました。
新鮮な野菜や果物、そして素朴な味付けがとても美味しかったです。特に食後に出てきた自家製コーヒーが美味いのなんの!なんと自分で栽培し、自分で焙煎までしているようです。農家さんの手料理に大満足でした。
そして食事の後は目の前で葉巻を作って頂きました。
ローカルツアーならではの体験をここではすることができました。
これぞ超ローカルツアー!農家さんとの楽しい食事!キューバ編⑭
牛車と乗馬体験とツアーの裏側―ガイドさんの語るキューバの現状 キューバ編⑮
農家さんの小屋での食事を終えた後は牛車に乗って移動です。
坂道だったり泥道だったりでこぼこ道だったり、ひとつひとつがアドベンチャー。
ものすごい揺れが来る度にがらにもなく声を出して楽しんでいる自分がいました。
どうやら少しずつキューバに順応してきているようです。
農家さんにとっては日常かもしれませんが、観光客にとっては特別な体験。
よく考えられたツアーだなと感心しました。
そしてラストはこのツアー最大の目玉、ビニャーレスの大自然を満喫しながらの乗馬です。
背筋を伸ばし、爽やかな風を全身に受けながらの乗馬は最高に気持ちのよいものでした。
思えば私の旅はアフリカ・タンザニアの大自然から始まりました。
そこから宗教の聖地を巡り、民族紛争で傷付いた国を巡ったり、資本主義の中心アメリカにも訪れた私の旅。
そしてその旅の終わりはキューバの大自然での乗馬。
大自然で始まり大自然で終わるというのは宗教の聖地を訪ねる旅においてはなんとも不思議なものではありますがが逆に感慨深いというものです。
そしてこのツアーの最後に、車中でガイドさんから聞いたお話はとても重いものでした。キューバの現実を考えさせられたお話でした。
牛車と乗馬体験とツアーの裏側―ガイドさんの語るキューバの現状 キューバ編⑮
いよいよこの旅も終わりを迎える…キューバ最後の夜と日本帰国 キューバ編⑯
ビニャーレス渓谷のローカルツアーを終え、私は再び3時間をかけハバナへと帰っていきます。
ハバナに着いた頃にはすっかり外は暗くなり、ハバナの街は夜の世界へと姿を変えていました。
キューバらしい街並みを進みます。ビニャーレスの農村から帰ってくると改めてその違いに気付きました。
ハバナは大都市です。繁華街はクラブやバーで賑わい、眠らない街の様相を呈しています。
カサに戻り、ベランダからぼんやりとハバナの路地を眺めます。
街行く人々の姿も、聞こえてくる言葉も、すべてが日本とは異なります。
最初の国タンザニアでは大自然のあまりの迫力に圧倒されました。
あのときは帰国なんてまだまだ先のことだと思っていました。
ですが、それがもう・・・明日なのです。
80日にも及ぶ私の旅がいよいよ終わりを迎えます。
この記事ではそんな私の旅の最後の模様をお話ししています。
いよいよこの旅も終わりを迎える…キューバ最後の夜と日本帰国 キューバ編⑯
僧侶上田隆弘の世界一周記―あとがき
「宗教とは何か」という問いをたずねるために出発した世界一周の旅。
そしてそれをもとに半年以上にわたって書き続けた世界一周記の総括をここでお話ししていきます。
私がこの旅行記に懸けた思いをここに綴っております。
ぜひ読んで下さりましたら嬉しく思います。
回想の世界一周~宗教は人が作ったものなのか、それとも・・・
思い返せば2019年の3月末、私はタンザニアへと旅立ち、そこから世界一周の旅を始めたのでありました。
私の旅のテーマは「宗教とは何か」というものでした。
そしてそれを解く鍵が人類の進化であり、それを感じるためにタンザニアの地へと向かったのでありました。
宗教は人類の進化の過程で生まれたものであり、人類が自然界で生き残る上で非常に大きな役割を果たしました。
そしてその結果現在でも存在しているのがユダヤ教やキリスト教、イスラム教などの一神教であり、多神教の宗教なのであります。仏教ももちろんそのひとつです。
「宗教は人類が過酷な自然界で生き抜くために生まれ、それが変化していき現在の宗教の形がある」
私はこれを最も重要な仮説として、その後世界中の聖地を巡ることになったわけです。
しかし旅の途中、そして帰国してからの9か月の間、どうしても解決できない問題がありました。
それは、
「宗教は本当に人間が作ったものなのか」
という問題でありました。
「人類の進化によって宗教が生まれた」というのはわかる。しかし、「それでは宗教は人間が作り出したものに過ぎないのか」という厳しい問題が存在感を増してきたのです。
この記事ではそんな厳しい問題について改めて考えていきます。
「宗教とは何か」という問題に改めて真正面からぶつかっていきます。
親鸞とドストエフスキーの驚くべき共通点~「なぜ僧侶の私にドストエフスキーが必要なのか」まとめ10記事
親鸞とドストエフスキー。
平安末期から鎌倉時代に生きた僧侶と、片や19世紀ロシアを代表する文豪。
全く関係のなさそうな2人ですが実は重大なつながりがあるとしたらいかがでしょうか。
私は浄土真宗の僧侶として親鸞聖人の教えをこれまで学んできました。
そして2019年の世界一周の旅を通して、改めて私は「宗教とは何か、仏教とは何か」という問いを考えさせられました。
そしてそんな時に出会ったのがドストエフスキーという作家だったのです。
彼の代表作『カラマーゾフの兄弟』が私の心を揺さぶりました。私はもう彼から逃れられません。ドストエフスキーと向き合い、自分の道である仏教とは何かということを問い直さなければならない。そう感じたのでありました。
このまとめ記事ではそうした私とドストエフスキーの出会いと、なぜ僧侶である私がドストエフスキーを学ばなければならないのかを紹介しています。
世界一周の旅は終わりましたが「宗教とは何か」をたずねる旅はまだまだ終わりません。私はこれからもその問いと向き合い続けます。
親鸞とドストエフスキーの驚くべき共通点~「なぜ僧侶の私にドストエフスキーが必要なのか」まとめ10記事
おわりに
私の世界一周の最後の国、キューバ。
宗教の聖地ではありませんでしたがこの国の持つ歴史や思想は非常に興味深いものでした。
キューバ危機やカストロの独裁政権など、日本人にとっては恐いイメージがある国かもしれませんが、現在は人気の観光地と脚光を浴びています。
この国の歴史を学ぶとその恐いイメージが覆っていくので、私自身も非常に驚きました。
そして実際に現地に行くとその陽気さにも驚かされることになりました。ラテンのノリというか、カリブのノリといいますか、私にはとてもじゃありませんがついていけるレベルではありませんでした。
色んな意味でこの国は規格外。自分とはまったく違う世界があるということを実感した国でした。
おそらく私が行った国の中で最もカルチャーショックを受けたのがこのキューバでした。あまりに違い過ぎて混乱しましたが、それも楽しい体験でした。
体調も崩しはしたものの、今やそれすらいい思い出です。いや、むしろそれこそこういう旅の醍醐味なのかもしれません(笑)
食べ物も美味しいですし、キューバミュージックの流れる陽気な雰囲気は旅情緒があって素晴らしいです。クラシックカーが好きな人には特にたまらないと思います。私はこの国がとても面白く感じられ、好きになりました。
旧き良き時代の雰囲気が未だに残っている国です。それがあとどれくらい続くかはわかりませんので、興味のある方は早めにこの国を訪れることをおすすめします。
以上、「キューバ旅行記おすすめ記事一覧~クラシックカーが走る陽気な社会主義国家を訪ねて【僧侶上田隆弘の世界一周記】」でした。
関連記事
コメント