サンタクララ市街地と装甲列車襲撃記念碑~チェ・ゲバラゆかりの地、サンタクララ⑵ キューバ編⑧

キューバ キューバ編

サンタクララ市街地と装甲列車襲撃記念碑~チェ・ゲバラゆかりの地、サンタクララ⑵ 僧侶上田隆弘の世界一周記―キューバ編⑧

チェ・ゲバラの霊廟でお参りをした後、次にぼくが向かったのはサンタクララ中心部。

サンタクララ市街地に到着。

年季が入ったカラフルな建物にキューバらしさを感じる。

街の中をぶらぶらしながら近くにある装甲列車襲撃記念碑に歩いて向かう。

こちらがその装甲列車襲撃記念碑。

キューバ革命においてここサンタクララでの勝利が革命軍の勝利を決定的なものにした。

そのきっかけとなった戦闘がまさにここで行われたのだ。

政府軍の列車を脱線させ、それを奪うことで政府軍の武器弾薬を根こそぎ奪うことができた。これが大きな勝因と言われる。

というのもカストロ率いる革命軍の戦法は基本的にジャングルに潜んでのゲリラ戦。

だがジャングルの奥深くに潜む彼らは物資の補給もままならず、最小限の武器弾薬で戦わなければならなかった。

物資の補給と武器弾薬の確保。

これが革命軍の目下の課題だった。

それでもなお徐々に勢力を増していった革命軍がここで勝負に出る。

ついに市街戦に打って出たのだ。

もしここで市街地を押さえ大量の武器弾薬を確保できればさすがのバティスタ政府軍もひとたまりあるまい。

カストロの読みはずばり的中し、サンタクララを制圧した革命軍は一気に勢いを増す。

キューバ国民も革命軍の躍進に熱狂的な声援を送る。

キューバ革命の勢力図が一気に描き変えられた瞬間だった。

革命戦士たちの士気も最高潮に達する。

そして彼らはその勢いのまま独裁者バティスタの待つ首都ハバナへと進軍していくのだ。

ここにある貨車はすべて本物で、レプリカではない。

実際に戦闘で攻撃され脱線した貨車をそのまま残しているのだ。

貨車の中は現在展示室として使われている。

革命当時に使われていた武器や軍服、その他資料が展示されている。

貨物車が脱線し横転している様子を戦闘後に収めた写真。

ゲバラ達は線路を破壊し脱線させ、そこに奇襲をかけて貨車を完全包囲。

バティスタ軍の補給車両がここを通るという情報を事前に掴み、そこを正確に攻めた革命軍の完勝だった。

革命軍は上の写真にあるようなブルドーザーで線路を破壊した。

密かに線路を破壊したのかと思いきやかなり大胆に破壊している。

政府軍はなぜこれに気付けなかったのか不思議でたまらない。

なにせここはサンタクララ駅から近い場所なのだ。

サンタクララという大きな街の駅からすぐ近くの場所で、しかもここは街中と言ってもおかしくない場所。

そんな場所でブルドーザーで線路を破壊したら政府軍の誰かが気付いたっておかしくないではないか。

でも、彼らは気付かなった。

案の定貨物車は脱線し革命軍に包囲され政府軍は大敗を喫する。

油断や慢心があったのか、あるいはそもそも政府軍は互いの連携も取れない末期状態だったのか、真相はわからないがとにかくこの1戦はキューバ革命の明暗を決定的なものとしてしまう重要な戦いとなったのだ。

バティスタ軍は悔いても悔い切れない失態を犯したのであった。

サンタクララを悠々と闊歩するチェ・ゲバラの写真も展示されていた。

彼の後ろを歩く人たちはサンタクララの住民たちだろうか、ゲバラがどれだけ人々に愛されていたかを想像できる写真だった。

革命軍はこの線路を破壊した。

そしてそれを知らずにこちらに向かってくる貨物車はまんまと脱線。

多々あるゲバラの映画でもこのシーンは特に印象的だったことを思い出す。

装甲列車襲撃記念碑の後は共産党本部前にある子供を抱いたチェの銅像を見に行く。

ここはチェ・ゲバラの銅像と手をつなぐことができるということで有名な写真スポット。

そして最後に向かうのはカピーロの丘。

サンタクララの戦いの直前、ゲバラ達革命軍はここを拠点とした。

ここのメリットは何と言ってもサンタクララを眼下に見渡せるということ。

ここを押さえたことで貨物車襲撃の作戦を綿密に立てることができたのだ。

丘の上にはモニュメントが立っていた。

はるか彼方は深い緑と山が連なっている。

こんなジャングルの中でゲバラ達は何年も戦い続けていたというのだから信じられない。

体力的にも精神的にも考えられないほどのタフさが必要だっただろう。

そしてそれを可能にさせるほどの確固たる信念・・・

キューバは知れば知るほど面白い国だ。

続く

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