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(36)親鸞の京都生活のはじまりと謎の沈黙

親鸞伝記
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【親鸞伝~悩み多き英雄の偉大なる生涯】(36)親鸞の京都生活のはじまりと謎の沈黙

さて、久方ぶりに京都に帰ってきた親鸞ですが、親鸞はどのような生活をしていたのでしょうか。

それが案の定、全くわからないのです。またしても親鸞は何も書き残していません。

しかも不思議なことに、今井雅晴氏によればここから3年以上謎の沈黙を続けているのです。『御伝鈔』によれば京内の様々な場所を転居しながら生活していたとされていますが、関東の弟子との交流の形跡が残されていないのです。

もしかするとただ単に、関東の弟子達との手紙が散失してしまっただけかもしれませんが、現状親鸞の行動を辿るのは不可能となっています。普通ならば親しかった弟子達との書簡があってもおかしくないところですが、これは不思議としか言いようがありません。

そんな親鸞の活動を追えるようになるのは1235年6月からです。ここで親鸞は高田門徒(高田に住む親鸞の弟子たち)に宛てて『唯信鈔』の書写を送っています。これが私たちが確認できる京都帰還後の最初の布教活動ということになります。

『唯信鈔』は親鸞と深い親交があった兄弟子聖覚せいかくの著作で、信心こそ極楽往生の要であることを説いた書物です。親鸞はこれを関東の弟子たちに送ったのです。

この頃から関東の弟子が京の親鸞の下に訪れるようになったという『御伝鈔』の記述からも、この帰京3年後の63歳頃から親鸞は動き出したと言えるのではないでしょうか。

続く

この記事で特に参考にした書籍はこちら

平雅行『改訂 歴史のなかに見る親鸞』
今井雅晴『親鸞聖人の一生』

主要参考文献一覧はこちら

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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