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(30)親鸞の悪人正機説とは?誰のために、なぜ説かれたのか

親鸞 弟子
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【親鸞伝~悩み多き英雄の偉大なる生涯』】(30)親鸞の弟子のほとんどが武士!?悪人正機説は誰のために説かれたのか

幕府の有力御家人宇都宮頼綱に招かれて関東へやって来た親鸞。

前回の記事「親鸞はなぜ関東に移住したのか~幕府の有力御家人宇都宮頼綱の存在」でお話ししましたように、親鸞が住んだ稲田の草庵周辺は人もいない田舎ではなく、交通の要所として賑わっていた場所でした。しかも関東はまっさらな田舎ではなくすでに豊かな文化や信仰が根付いていた地です。親鸞はそのような新天地で布教を開始したのでありました。

そして結果から言いますと、親鸞はこの地で大成功を収めます。親鸞の直弟子は記録で確認されているだけでも310人ほどに上り、その中でもさらに有力な門弟は「二十四輩にじゅうよはい」と呼ばれ関東各地の親鸞教団の中心となっていきました。

ただ、ここで注意したいのがこの直弟子たちの出自がどのようなものだったかということです。

私たちは親鸞の弟子というとどうしても農民をイメージしがちですが、実はそうではないのです。親鸞の弟子のほとんどが武士なのでありました。つまり、親鸞は布教の主な対象を武士に絞っていたということになります。

このことについて今井雅晴氏は『親鸞聖人の一生』で興味深い指摘をしています。それを大まかにまとめると次のようになります。

まず、親鸞は越後の最終段階においてすでに武士への布教にある程度の手応えを感じていたのではないかということです。「武者の世」になり人や動物を殺す機会が増え、生業として仕方ないのはわかっていてもどうしても「地獄堕ち」に悩んでしまう武士たちがいた。その武士たちに対し親鸞が説いたのが「悪人正機説」だったのではないかと今井氏は述べます。

親鸞と言えば「悪人正機説」というくらいこの言葉は有名ですよね。今井氏は親鸞がこの「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という「悪人正機説」を説き始めたのは越後時代からではないかと推測しています。そして殺人の罪で悩む武士たちに念仏の教えが届いた体験から武士たちが多く住む関東への移住を考えたのではないか、そしてそのタイミングで宇都宮頼綱からの招きがあったのではないかとしています。

なるほど、そう考えてみると全てつじつまが合いますよね。

「悪人正機説」の詳しい思想内容はここではお話ししませんが、自己の罪悪深重なることを自覚し、阿弥陀仏に全てお委ねするという親鸞の教えはこうして説得力を持つに至ったのです。

こうして親鸞は関東に来てからも武士を主な対象とし説法を重ねました。

その結果として数多くの武士が親鸞の弟子となり、親鸞教団が形成されていったのです。

もちろん、この「悪人正機」という考え自体は武士の殺人の問題だけに留まるものではありません。しかもこの思想自体は親鸞のオリジナルですらないと近年では考えられています。そもそも法然の中心思想そのものが、「愚かなる我々をこそ救って下さる阿弥陀仏」というものです。だからこそ法然教団には様々な人が集まり、熊谷直実などの武士も弟子入りしていたのです。

親鸞からすれば、「自分独自の教えを生み出した」というより「法然上人の教えを忠実に伝えた」という感覚に近いのではないかと思われます。そして越後での苦闘生活によって親鸞自身も磨かれその言葉や思想に重みが増していき、武士たちの心に響く説法となっていったのではないでしょうか。

また、ここからは全くの私見なのですが私はこうも思うのです。

親鸞は幕府の有力御家人の宇都宮頼綱の庇護の下関東にやって来ました。それも、法然上人の高弟としてです。これがどういう意味を持つか・・・。

さて、皆さんもお気づきでしょうか。

そうです。実はこの時点で親鸞は他の新参僧侶に比べて圧倒的に優位な立場にいるのです。

まず、北関東随一の勢力を持つ御家人宇都宮頼綱の支援はとてつもなく大きいです。親鸞を紹介された当地の武士たちはこう思ったことでしょう。

「あの頼綱殿がお連れになった方だ。これはたいそうなお方に違いあるまい・・・!」

そして実際に親鸞はあの法然上人の数少ない高弟のひとりなのですからそれはそれは驚いたことでしょう。

「そんなお方がなぜここに!?」と驚く姿が目に浮かびます。

しかも宇都宮頼綱が元々法然教団に帰依しているというのも大きいです。頼綱のおかげで法然の思想がすでにこの北関東一帯にある程度知られていたことも考えられます。熊谷直実の本拠地もこちら関東です。よって法然の高弟として親鸞が迎えられていた可能性が高いのです。

私たち浄土真宗の僧侶の立場からすると、どうしても「浄土真宗の開祖親鸞聖人」としてこの関東滞在を見てしまいがちです。しかし親鸞は「浄土真宗の開祖」としても「無名の僧侶」としても関東に来ていなかったのではないか。あくまで「宇都宮頼綱によって招かれた法然の高弟」として関東に来ていたのではないだろうか。だからこそ多くの武士たちに受け入れられたのではないかと私は思ってしまうのです。

私たちは偉大な開祖として親鸞を理想視してしまいがちですが、親鸞もひとりの人間です。親鸞ひとりの圧倒的カリスマによってすべてを成し遂げたわけではありません。もし何も後ろ盾がなく、守ってくれる人も肩書もなかったら親鸞はここまでの成功を収めることができたでしょうか。

こうして親鸞は多くの人の助けやご縁によって念仏生活を歩まれていったのです。

とはいえもちろん、宇都宮頼綱の支援や「法然上人の高弟」という肩書があったとしても肝心の親鸞自身の人柄が伴わなければ成功はありえません。

私が思うに、親鸞のすごいところは、関東の荒々しい武士たちから深く尊敬されている点にあります。

武士たちはまさに日々命のやり取りをしている人間です。そんな人間たちから「む!この男・・・只者ではない・・・!」と一目置かれるだけのものが親鸞にはあったのです。これは単に仏教の教義や儀式を伝えるだけでは到底不可能な領域です。やはり親鸞自身から溢れ出る何かがあったのでしょう。これぞまさに偉人たるカリスマとしか言いようのないものだと思います。

やはり親鸞という男には何かがあるのです。それが何かはわかりません。ですが確かに関東の武士たちの心を打つ何かがあったのです。

その最大のエピソードとして語られるのが有名な山伏弁円やまぶしべんえんとの対決です。次の記事ではそんな弁円と親鸞の出会いについてお話ししていきます。

続く

この記事で特に参考にした書籍はこちら

平雅行『改訂 歴史のなかに見る親鸞』
今井雅晴『親鸞聖人の一生』
「平雅行『日本中世の社会と仏教』
野口実『北条時政』
元木泰雄『河内源氏』
桃崎有一郎『武士の起源を解きあかす』

主要参考文献一覧はこちら

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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