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革命政権とミサイル危機~キューバの歴史を解説⑶ キューバ編④

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キューバってどんな国?~歴史から見るキューバ像⑶-革命政権とミサイル危機 僧侶上田隆弘の世界一周記―キューバ編④

1959年、カストロを指導者とする革命軍はバティスタ政権を打倒。

なるほど、ここからカストロがキューバを独裁するのかと思いきや彼は政治から距離を保とうとした。

最高裁判所の判事を大統領に、人権派の弁護士を首相に指名するなど、当初彼には独裁の意図はなかったとされている。

カストロら革命軍の目的はキューバの悲惨な現状を打開することであって、自らの権力と地位を求めたものではなかったのだ。

しかし彼らのその思いとは裏腹に新政府は生ぬるいやり方に終始し、大統領も高い給料を要求し高級マンションに住みだした。

結局彼らに任せても古い体質から抜け出せないことを悟り、カストロ自らが首相となる。

ここからキューバの改革が急ピッチで進み始めるのだ。

大きな動きがあったのは革命成功から4か月後、キューバ政府は農地改革法を公布した。

カストロは「耕すものに土地を与える」原則で土地を持たない農民に無条件で27ヘクタールの土地を与え、それ以上欲しい者には67ヘクタールまで買うことを認めた。

これによってキューバの貧しい農民たちがついに自分の土地を持つことが認められたのだ。

だが、その土地は一体どこからやってきたのだろう。

そう、例のアメリカ企業だ。

この頃キューバの耕作地の75%はユナイテッド・フルーツ社などのアメリカ大企業のものだった。

その土地の多くをキューバ政府が接収し、キューバ国民に分配したのだ。

これはカストロの悲願であった。アメリカの経済支配から抜け出すにはこれが絶対に必要不可欠なものだったのだ。

だが、接収といってもタダで土地を奪ったわけではない。

土地の買い取り価格はそれまでの土地所有者が支払っていた税金に応じて算定された。

独裁政権時代、アメリカ企業はバティスタの優遇政策によって税金の納入額はかなり抑えられていた。だがこれが彼らにとっては裏目に出てしまい、キューバ政府は格安で彼らの土地を買い取ることができたのだ。

これにはカストロもにやりとしたにちがいない。

だが、カストロは言う。

「我々が実施した農地改革は、マッカーサー将軍が日本で実施した農地改革ほど急進的ではなかった」と。

驚くべきことに、事実はその通りで、GHQが行った農地改革は日本の地主制度を徹底的につぶし、土地の買い取り価格もキューバの方が地主に有利なものだった。カストロの言い分もあながち間違いではない。

さて、何はともあれキューバは長年の悲願、アメリカ支配からの脱却の一歩を踏み出した。

しかし、アメリカ企業の土地を接収したことは超大国アメリカの逆鱗に触れることにもなる。

農地改革をすればアメリカが攻めてくるのはカストロも重々承知だった。

5年前、同じくアメリカの支配下にあった中南米のグアテマラでは農地改革計画を発表した途端、CIAが組織した傭兵部隊がグアテマラに攻め込み、政権は崩壊した。これと同じことがキューバでも起こりうるのだ。

しかし農地改革はカストロにとっても絶対に譲れないものだった。

断固たる決意のもと、カストロはキューバの自立のために改革を続けた。

さてさて、それに対するアメリカの攻撃の第一手は軍事侵攻ではなく、まずは砂糖の輸入制限から始まった。

キューバの産業は砂糖生産しかない。その砂糖をアメリカに売ることで外貨を稼ぎ経済が成り立っていた。

その経済的命綱とも言える砂糖が禁輸されればキューバに生き残る術は残されていない。

アメリカの脅しはいきなりキューバを危機的な状況に突き落とすことになったのだ。

窮地に陥るカストロ陣営。

このままではキューバはじり貧・・・アメリカに屈するしか道はないのだろうか・・・

しかしここで突如現れたのがもうひとつの超大国、ソ連だったのだ。

「我々の陣営に入ればあなたの国の砂糖を100万トン買い取りましょう。さらにソ連の石油も国際価格より割安で輸出しようではありませんか。どうです?我々と手を組みませんか?」

このままではキューバは崩壊するという窮地に、この誘いはあまりに魅力的な提案だった。

この提案を受けてしまえば二大超大国の争いにキューバが巻き込まれてしまうのはカストロも重々承知。

だがそれでもなおカストロはこの提案を飲まざるを得なかったのだ。それほど魅力的な提案だった。

これでソ連はアメリカの目と鼻の先に社会主義陣営の国を手に入れることができた。

キューバが手に入ればアメリカは本土攻撃の射程圏内。さすがのアメリカもこの至近距離では迎撃も困難だろう。

ソ連からしてもキューバは喉から手が出るほど戦略的に重要な場所だったのだ。冷戦の膠着した戦略図が一気に書き換えられる可能性があった。だからこそ破格の条件でキューバに提案を持ちかけたのだった。

これにはアメリカも黙っていない。

アメリカは本格的な経済封鎖に乗り出す。

一部の食料品と薬品を除きキューバへの全ての輸出入を禁止した。

さらには1961年には国交を断絶。

キューバとアメリカの対立は決定的なところまで来てしまった。

さらにアメリカはこれでは終わらせない。

アメリカはCIAを動員し、キューバ国内でのテロの主導やカストロの暗殺を企てる。

その極めつけが1961年4月に起きたピックス湾事件だ。

CIAは在米亡命キューバ人を訓練し、反政府軍として組織。

そして彼ら1500人の部隊をキューバに上陸させ、反乱を起こしカストロ率いるキューバ政府を倒そうと目論んだ。

この事件には米軍も関与しており、事実上アメリカによる軍事侵攻とも言える事態が起こってしまったのだ。

しかし驚くべきことにカストロ率いるキューバ軍はこれをあっという間に撃退。3日間という短い期間で侵攻軍を圧倒したこの戦いは「72時間の勝利」と言われている。

またしてもカストロは奇跡的な勝利を収めたのだ。

これはキューバにとっても非常に大きな勝利だった。

超大国アメリカを撃退し、自分たちの力でキューバを守ったのだ。

これまで長きにわたってスペインとアメリカの支配下に置かれていたキューバ国民にとってどれだけ大きな勝利だっただろうか。

こうしてキューバは国家としての団結も高まり、新たな改革を目指して邁進していく。

そしてこのような背景の下勃発したのがキューバ・ミサイル危機だったのだ。

ピッグスワン事件の失敗によりアメリカはいよいよキューバへの警戒を強め、本格的にキューバを攻撃する計画を立てようとしていた。

それに対しキューバとソ連も対抗措置として密かにキューバにミサイル設備を配備し始める。

ソ連は巧妙にその輸送と建設を進め、アメリカはしばらくそれに気付くことができなかった。

しかしある日キューバ上空を偵察飛行していた超高空偵察機U2型機が撮影したフィルムの中になんと、ミサイル基地が映り込んでいたのだ。

楽観的だったアメリカ陣営は急にざわつき始める。本土攻撃がいよいよ現実的なものになってきたのだ。

そしてついにその緊張は臨界点を迎える。

ソ連が核弾頭を99個をキューバに持ち込んだのだ。

その1発1発が広島に投下された原爆の70倍の威力を持つ。

もしこれがアメリカ本土に打ち込まれたとしたら・・・

こうしてアメリカはすぐさまキューバ周辺を海上封鎖し、ソ連の貨物船を阻止する作戦を実行する。

空母や戦艦を動員し、まさしく臨戦態勢という状況となった。

これが世界の命運を決しかけた1962年のキューバ危機だ。

キューバはむやみやたらに敵を攻撃する危険な社会主義独裁国家だからミサイル危機が起こったのではない。

キューバにはミサイル危機が起こるまでにあまりに多くの出来事があり、あまりに多くの苦難の歴史があったのだ。

ぼくはキューバの歴史を知れば知るほど、これまで自分が抱いてきたキューバ像が壊れていくことを感じた。

自分が知っているキューバ像は単なるイメージだったのだ。

どこかでなんとなく見たり聞いたりした情報をもとにした表面的なものに過ぎないものだったのだ。

さてさて、ここまでキューバの歴史をざっくりとお話ししていたのであるが、ぼくたち日本人にとってはキューバは謎が多い国。

キューバがどのような国であるかが少しでも伝わってくれたならば幸いだ。

次の記事ではミサイル危機後のキューバとぼくがキューバを選んだ理由についてお話ししていきたい。

続く

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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