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三島由紀夫『太陽と鉄・私の遍歴時代』あらすじと感想~若き三島の原点を知れる自伝的作品!初の世界一周旅行で太陽を発見する三島とは

太陽と鉄
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三島由紀夫『太陽と鉄・私の遍歴時代』概要と感想~若き三島の原点を知れる自伝的作品!初の世界一周旅行で太陽を発見する三島とは

今回ご紹介するのは2020年に中央公論新社より発行された三島由紀夫著『太陽と鉄・私の遍歴時代』です。

早速この本について見ていきましょう。

最後まで冷徹な自己分析、自己認識の中で、限りなく客観的、論理的世界へ飛翔して、自らの死と対決する三島ミスチシズムの精髄を明かす「太陽と鉄」。詩を書く少年が作家として自立するまでを語る「私の遍歴時代」。この自伝的作品二編に、自死直前のロングインタビュー「三島由紀夫最後の言葉」(聞き手・古林尚)を新たに収録。

Amazon商品紹介ページより
三島由紀夫(1925-1970)Wikipediaより

今作『太陽と鉄・私の遍歴時代』は三島由紀夫の若き頃と文学活動の原点を知れるおすすめの作品です。

本書について巻末の解説では次のように述べられています。

「太陽と鉄」と「私の遍歴時代」という本書の取合せは、中々しゃれていて、面白い。トーンも文体も、両者対照的といいたいほど異っていて、しかも根本の主題においては、双生児といいたいほど、通じ合い、つながっているからだ。

読者には、まず後者、つまり「私の遍歴時代」の方から読み始められることをすすめたい。これは、タイトルの示すように、作者の修業時代、文学少年としての読書体験、文壇登場の事情、交友関係などを扱っているが、どうやら新聞連載というせいもあって、肩の力をぬいた雑談調、気楽な思い出話調で一貫して、すこぶる読みやすい。しかも、その語り口は撥刺とした才気にあふれていて、印象的なエピソードや細部が次々と出てきて読者を飽かせない。語り手としての三島の面目躍如といいたい。

中央公論新社、三島由紀夫『太陽と鉄・私の遍歴時代』P260

私もこの解説通り、まずは「私の遍歴時代」から読み始めることにしました。すると、まさに読みやすいことこの上なし!しかも若き三島のエピソードが語られてとにかく面白い!

あの三島は若い頃どんな日々を過ごしていたのか、どうやって文壇に入り込むことができたのか。これはとても興味深いです。特にあの太宰治との初対面のエピソードはものすごく面白く、三島VS太宰の構図がはっきりとここで語られています。両者の文学スタイルの違いまで語られていて、この箇所だけでも非常に贅沢なエピソードということができるでしょう。

そして前回の『潮騒』の記事でも引用したのですが、私の中では何と言っても三島由紀夫の人生初の世界一周旅行についてのエピソードが最も印象に残っています。彼は朝日新聞の特別通信員という形で1951年末から世界一周の旅に出かけました。その時に三島由紀夫がまさに太陽を発見したというこのエピソードは後の三島文学を決定づけるかのような意味を持っていたのでした。

せっかくですのでその箇所をここでも引用していきます。少し長くなりますが重要な箇所ですのでじっくり読んでいきます。

十二月二十四日の出発を控えた数日前、川端康成氏夫妻がわざわざ拙宅を訪れて、「壮途」(?)をはげまして下さったことも忘れがたく、小雨のそぼ降る横浜埠頭で、いつまでも私の船を見送って下さった中村光夫氏の姿も、今も目に残っている。

文学酌には孤独を標榜し、世俗を軽蔑していた私が、こうして多くの人の厚意に守られて、プレジデント・ウィルソン号上の人になったとき、多少私が素直な気持ちになっていたとしてもふしぎはあるまい。

出発直前まで徹夜仕事をしていたおかげで、生まれてはじめてタキシードに腕をとおしてクリスマス・イブの正餐に出たのちは、一夜をぐっすり眠り、あくる日からは日々爽快な気分で、船酔いも感じなかった。

ハワイへ近づくにつれ、日光は日ましに強烈になり、私はデッキで日光浴をはじめた。以後十二年間の私の日光浴の習慣はこのときにはじまる。私は暗い洞穴から出て、はじめて太陽を発見した思いだった。生まれてはじめて、私は太陽と握手した。いかに永いあいだ、私は太陽に対する親近感を、自分の裡に殺してきたことだろう。

そして日がな一日、日光を浴びながら、私は自分の改造ということを考えはじめた。

私に余分なものは何であり、欠けているものは何であるか、ということを。

中央公論新社、三島由紀夫『太陽と鉄・私の遍歴時代』P175-176

ハワイへ向かう途中に出会った太陽の存在。三島由紀夫は30代に入る頃からボディ・ビルや武道を始め、肉体改造に取りかかります。健全な肉体という考えがここから具体的な形になり始めたことが伺えます。

私に余分なものといえば、明らかに感受性であり、私に欠けているものといえば、何か、肉体的な存在感ともいうべきものであった。すでに私はただの冷たい知性を軽蔑することをおぼえていたから、一個の彫像のように、疑いようのない肉体的な存在を持った知性しか認めず、そういうものしか欲しいと思わなかった。それを得るには、洞穴のような書斎や研究室に閉じこもっていてはだめで、どうしても太陽の媒介が要るのだった。

そして感受性は?こいつは今度の旅行で、クツのように穿きへらし、すりへらして、使い果たしてしまわなければならぬ。濫費するだけ濫費して、もはやその持ち主を苦しめないようにしなければならぬ。

あたかもよし、私の旅程には、南米やイタリアやギリシャなどの、太陽の国々が予定されていた。

北米をすぎて、プエル・トリコに一泊したとき、すでに私は、太陽に焦がされた国々のにおいをかいだ。ブラジルにおける一カ月の滞在と、カーニバルの季節に、私は熱帯の光りに酔った。はげしい青空の下の椰子の並み木を見るだけで、久しく探し求めていた故郷へかえったような気がした。

こんなことを書いていると、いかにもロマンチックな旅人みたいだが、実は赤毛布の滑稽な戸まどいの連続で、殊にパリでは、街頭のドル買いにだまされ、手品の技術で、有金全部すられてしまい、ほとんど無一文で一カ月をすごすという、とんだ幕間劇もあった。そのあいだ一等心配したのは、ギリシャへ行けるかということであった。

盗まれた小切手の再交付もすみ、私は陰気なパリに別れを告げて、晩春のギリシャへ行くことができた。

私はあこがれのギリシャに在って、終日ただ酔うがごとき心地がしていた。古代ギリシャには、「精神」などはなく、肉体と知性の均衡だけがあって、「精神」こそキリスト教のいまわしい発明だ、というのが私の考えであった。もちろんこの均衡はすぐ破れかかるが、破れまいとする緊張に美しさがあり、人間意志の傲慢がいつも罰せられることになるギリシャの悲劇は、かかる均衡への教訓だったと思われた。ギリシャの都市国家群はそのまま一種の宗教国家であったが、神々は人間的均衡の破れるのをたえず見張っており、従って、信仰はそこでは、キリスト教のような「人間的問題」ではなかった。人間の問題は、此岸にしかなかったのだ。

こういう考えは、必ずしも、古代ギリシャ思想の正確な解釈とは言えまいが、当時の私の見たギリシャとは正にこのようなものであり、私の必要としたギリシャはそういうものだった。

私は自分の古典主義的傾向の帰結をここに見出した。それはいわば、美しい作品を作ることと、自分が美しいものになることとの、同一の倫理基準の発見であり、古代ギリシャ人はその鍵を握っていたように思われるのだった。近代ロマンチック以後の芸術と芸術家との乖離の姿や芸術家の孤独の様態は、これから見れば、はるか末流の出来事だった。

私がこのような昂奮のつづきに書いたのが、帰国後の「潮騒」であるが、「潮騒」の通俗的成功と、通俗的な受け入れられ方は、私にまた冷水を浴びせる結果になり、その後ギリシャ熱がだんだんにさめるキッカケにもなったが、これは後の話である。

しかし少なくとも、ギリシャは私の自己嫌悪と孤独を癒し、ニイチェ流の「健康への意志」を呼びさました。私はもう、ちょっとやそっとのことでは傷つかない人間になったと思った。晴れ晴れとした心で日本へ帰った。

中央公論新社、三島由紀夫『太陽と鉄・私の遍歴時代』P176-178

「私に余分なものといえば、明らかに感受性であり、私に欠けているものといえば、何か、肉体的な存在感ともいうべきものであった。」

前回の記事で紹介した『潮騒』の主人公新治はギリシャ神話に現れるかのごとき好青年です。三島がここで語るように、書斎で精神的に悩み通すような青年ではなく、太陽の下健全な肉体が輝く理想的な男子を『潮騒』で描いたのでした。

『潮騒』執筆のエピソードとして語られたこの世界一周旅行ですが、それを知れたのも本書『太陽と鉄・私の遍歴時代』のおかげです。

また、この少し前のページでは、

私の知的なものへの嫌悪は、実は、私の中の化物のような巨大な感受性への嫌悪だったのである。

中央公論新社、三島由紀夫『太陽と鉄・私の遍歴時代』P170

という言葉も吐露されていて、若き三島が自分の中の化物のような感受性を持て余していたことも私たちは知ることができます。なるほど、だからこそあの『仮面の告白』『金閣寺』のような異常に強い自意識を持った主人公を書くことができたのだなと納得してしまいました。

また、本書前半に収録されている「太陽と鉄」でも自身の思想の源泉となるものについても書かれていて、こちらも興味深いですが「私の遍歴時代」に比べるとかなり難しいといいますか、読みにくいです。やはり先程の解説にありましたように「私の遍歴時代」から読み始めていくことをお勧めします。

そして本書後半では「三島由紀夫最後の言葉」と題された対談が収録されています。これは1970年の自刃の一週間前に行われた対談です。この中でも三島は「いまに見ていてください。ぼくがどういうことをやるか。」という意味深な言葉を残しています。やはりこの時には覚悟が決まっていたのでしょうか・・・

こうした三島の貴重な声を聞けるのも本書の魅力です。小説作品とはまた違った三島由紀夫を知れるおすすめの作品です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

以上、「三島由紀夫『太陽と鉄・私の遍歴時代』~若き三島の原点を知れる自伝的作品!初の世界一周旅行で太陽を発見する三島とは」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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