三島由紀夫と仏教のつながり~『豊饒の海』の唯識思想など三島はどこで仏教を学んだのか

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三島由紀夫と仏教のつながり~『豊饒の海』の唯識思想など三島はどこで仏教を学んだのか

これまで当ブログでは三島由紀夫作品やその参考書についてご紹介してきましたが、今回の記事ではその三島由紀夫と仏教のつながりについてお話ししていきたいと思います。

さて、三島由紀夫と仏教といえばその代表作『金閣寺』を連想する方も多いかもしれません。

たしかにこの小説では仏教寺院である金閣寺が舞台となり、その主人公も僧侶であります。

ですがこの作品が仏教思想と関係があるのかというと実はそれほど大きなつながりはありません。

しかしこれが晩年のライフワークとなった『豊饒の海』四部作となると仏教的な思想が大きく絡んでくることになります。特に『豊饒の海』第三巻の『暁の寺』では難解な唯識思想がかなりのページにわたって書き連ねられ、読者をぎょっとさせるような展開となっていきます。

三島由紀夫といえば彼の『葉隠入門』にもありますように武士道であったり、天皇思想、さらには陽明学の影響もあったことはよく知られていますが、その最晩年には仏教にも強い関心があったようです。

この『豊饒の海』執筆においてなぜ仏教思想に強い関心を持つようになったのか、毎日新聞(夕刊)昭和44年2月26日の『「豊饒の海」について……』という記事で三島自身が次のように述べています。

さて昭和三十五年ごろから、私は、長い長い長い小説を、いよいよ書きはじめなければならぬと思つてゐた。しかし、いくら考へてみても、十九世紀以来の西欧の大長篇に比べて、それらとちがった、そして、全く別の存在理由のある大長篇といふものが思ひつかなかつた。第一、私はやたらに時間を追つてつづく年代記的な長篇には食傷してゐた。どこかで時間がジャンプし、個別の時間が個別の物語を形づくり、しかも全体が大きな円環をなすものがほしかつた。私は小説家になって以来考へつづけてゐた「世界解釈の小説」が書きたかったのである。幸ひにして私は日本人であり、幸ひにして輪廻の思想は身近にあつた。が、私の知つてゐた輪廻思想はきはめて未熟なものであつたから、数々の仏書(といふより仏教の入門書)を読んで勉強せねばならなかつた。その結果、私の求めてゐるものは唯識論にあり、なかんづく無着むぢゃく摂大乗論せふだいじょうろんにあるといふ目安がついた。その摂大乗論の註釈を、いくら読んでも、むづかしくてわからない。京都の大谷大学の山口すすむ博士にお目にかかり、その教示を受けて、やうやく曙光がほのめいて来たのである。

新潮社、『決定版 三島由紀夫全集35』P411

なるほど、大長編小説における大きな円環のために輪廻思想を想起し、そこから仏教の入門書を読んでいったのですね。そして唯識と出会うも難解で挫折した・・・。

たしかに唯識は実に難解な哲学思想です。正直、私もよくわかりません。仏教学の本格的な研究を何年、何十年と続けても完全な理解が難しいほど深遠な哲学です。三島が挫折するのも無理はありません。

そしてそんな三島が教えを請うたのが京都大谷大学の山口益博士だったというのに私は驚きました。大谷大学は東本願寺(大谷派)の宗門大学で仏教の有名な先生が当時数多く在籍していましたが、三島は東大卒です。東大の仏教学は世界的にも有名で、こちらに教えを請うた方が三島にとっては身近だったのではないでしょうか。ですがそれにもかかわらず三島はわざわざ京都の大谷大学の山口益博士に教えを請うたのです(もしかすると山口益博士が何らかの機会で東京に来られていた時に面会したのか)。

山口博士は京都市中京区の願照寺の御住職でもあり、僧侶として現場に生きていた方でもあります。こう言ってよいのか難しいところなのですが、学問としての仏教だけではなく信仰としての仏教も持った博士に三島は教えを請いたかったのかもしれません。

実は私も大学院時代を大谷大学で過ごしていましたので、三島由紀夫とこうしたご縁が繋がったというのは大きな驚きでした。

山口益(1895-1976)Wikipediaより

山口博士は唯識の研究で有名で私も何冊か読んでみました。ですがさすがに唯識は難解です。本で読むだけではなかなか厳しい・・・。直接教えを請うた三島はおそらくなんらかの手ごたえを掴み、作品へと生かしたのでしょう。先程も申しましたようにその成果は『暁の寺』で見ることができます。僧侶である私もぎょっとするほどでしたので、当時の一般読者もかなり驚いたのではないでしょうか。理解不能な仏教哲学がずらっと書き連ねてあるあのページはかなりのインパクトです。

そして三島は上の引用に続けて『豊饒の海』について次のように述べています。

一方昭和三十九年に旧師松尾聰先生の校注に成る「浜松中納言物語」の、全幅的に信頼しうるテキストが岩波から出た。これを何度も読むうちに、私の小説はこれにこそ依拠すべきだと考へた。それは唐に転生した亡き父を慕うて渡唐する美しい貴公子にまつはる恋物語で、夢と転生がすべての筋を運ぶ小説である。

私は「豊饒の海」を四巻に構成し、第一巻「春の雪」は王朝風の恋愛小説で、いはば「たわやめぶり」あるひは「和魂にぎみたま」の小説、第二巻「奔馬」は激越な行動小説で、「ますらをぶり」あるひは「荒魂あらみたま」の小説、第三巻「暁の寺」はエキゾティックな色彩的な心理小説で、いはば「奇魂くしみたま」、第四巻(題未定)は、それの書かれるべき時点の事象をふんだんに取込んだ追跡小説で、「幸魂さきみたま」へみちびかれゆくもの、といふ風に配列し、第三巻の取材のために、東南アジアヘニ度旅行をしたほか、国内の取材にさまざまな方のお世話になつた。私の取材はひとへに小説のミリューを大切にするためである。

新潮社、『決定版 三島由紀夫全集35』P411-412

「第三巻の取材のために、東南アジアヘニ度旅行をしたほか、国内の取材にさまざまな方のお世話になつた」

三島がこう述べるように、彼はタイのバンコクやインドを実際に旅しています。特にインドでの体験は強烈だったようでその時の印象が『暁の寺』でそのまま書き込まれているほどです。

さらにそれとは別に『インドの印象』というインタビュー記事も発表していて、三島がいかにインドに衝撃を受けたかがよくわかります。このことについては前回紹介した「三島由紀夫『インドの印象』~晩年の三島はインド旅行で何を見て何を思ったのか。『豊饒の海』にも強い影響!」の記事で詳しく書いていますのでそちらをご参照ください。

三島が仏教を学ぶ際、実際に何を読んだのかということまではわかりませんが、数々の入門書を読んで唯識へとたどり着き、大谷大学の山口益博士から教えを受けたということが今回参照した全集の記事からわかりました。

三島のライフワークとなった『豊饒の海』をより深く味わうためにも唯識をもう一度学び直したいと深く感ずることとなりました。晩年の三島の思いを知る上でもこれは重要なポイントになりそうです。

以上、「三島由紀夫と仏教のつながり~『豊饒の海』の唯識思想など三島はどこで仏教を学んだのか」でした。

※2024年3月16日追記

井上隆史『三島由紀夫 幻の遺作を読む もう一つの『豊饒の海』』(光文社)によれば三島は以下の三冊で唯識を学んでいたようです。

深浦正文『輪廻転生の正体』(永田文昌堂)
源哲勝『業思想の現代的意義』(大谷出版社)
上田義文『『仏教における業の思想』(あそか書林)

この三冊についての詳しい解説と三島がそれをどのように受け取ったのかも『三島由紀夫 幻の遺作を読む もう一つの『豊饒の海』』で書かれていますので興味のある方は本書も手に取ってみてはいかがでしょうか。

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