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オスマン帝国時代の遺産、ポチテリ~絶壁に立つ天然の要塞 ボスニア編⑬

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オスマン帝国時代の遺産、ポチテリ~絶壁に立つ天然の要塞 僧侶上田隆弘の世界一周記―ボスニア編⑬

スレブレニツァを訪ねた2日後の5月1日。

ぼくはいよいよサラエボを去り、次の目的地であるモスタルへと向かう。

モスタルへは今日もミルザさんと2人で車で向かう。

と言うのも、BEMI TOURさんではサラエボからモスタルへの日帰りツアーを催行していて、ぼくはそのツアーを利用しモスタル解散にしてもらうことにしていたのであった。

このモスタル日帰りツアーではモスタルの他に近郊のポチテリとブラガイという2つの観光名所を訪ねることになっている。

というわけで今回の記事ではポチテリについてお話ししていきたいと思う。

サラエボからモスタルまではだいたい車で3時間ほどの道のり。

そしてポチテリはというと、モスタルからさらに先に進んで20分ほどの場所にある。

スナイパー通りを抜け郊外へ

サラエボ観光初日に通ったスナイパー通りも、初めて見た時とは違って見える。

きっとミルザさんからたくさんのお話を聞かせてもらったり、自分の目で紛争の爪痕を見てきたからだろう。

小雨の中郊外の道を進んで行く。

道を走りながらミルザさんは、向こうの山を指差しながらこうお話ししてくれた。

「隆弘さん、見てください。あそこの山を私は歩いて逃げて行きました。

これから通る道は私がモスタルへと逃げて行った時の道です。

隆弘さんにはぜひとも記憶に残していってほしいです。」

そうか・・・まさしく今日これから走る道はモスタルへと向かう道。

ミルザさんはこの道沿いにサラエボを脱出したのだ。

ミルザさんの物語の記事でも出てきた橋。

実際に目の当たりにすると、よくこんなところを敵に見つからずに歩くことができたなと心底思う。

ぼくだったら考え付きもしないようなルートだ。

でも、それが生き抜くためには最善の手だった。

ミルザさんが極限状態の中で頭をフル回転して見つけたルート。

たったひとつでも判断を間違えば死がそこに待っている。

ミルザさんは本当にものすごい体験をしてここにいるのだなと改めて思った。

このような方から直接教えを頂けるというのは本当に幸運なことだ・・・

ボスニアの山岳地帯を走り続けること1時間半ほど。

ちょうど半分くらいは来ただろうか。

ここでミルザさんおすすめのラムのお店で昼食。

ボスニアはラム肉がとても有名で特にこのお店のラムは絶品だそうだ。

ぼくは北海道出身。

ラム肉は苦手どころか待ってました!と言わんばかりの好物だ。

これは大いに期待。

なじみ深いジンギスカンスタイルではなかったが、このラム、ものすごく美味しい!

イマイチなお肉にありがちなラム特有の臭みがまったくない。

むしろほどよいラムの風味が効いていて絶妙そのもの。

お肉も柔らかく、ジューシーな味わいにぼくは大満足であった。

ボスニアは食べ物も美味しい。

サラエボでも川魚の料理にはまり毎日食べていたし、名物のお肉料理も堪能した。

その上リーズナブルなお値段なのもうれしい。

食べ物に関してはこれまでの国の中でもトップクラスに満足したと言えるだろう。

そしてこのレストラン、窓からの景色も絶景だ。

山の緑が静かな川に反射して独特な色彩をした景観を作り出している。

食事中ちょうど太陽が出てきてくれたおかげで、より色鮮やかな景色を楽しむことができた。

このお店は超人気店だそうで地元の人がたくさん来ているそうだ。

そのため一日50匹ほどの羊がここで焼かれているとのこと。

間近で見ると、ちょっとショッキングではあった。

美味しい美味しいとのんきに食べてはいるものの、やはり羊の命を頂いて食べているんだという当たり前のことをここで再確認した。

食べ物は大切に頂かないといけないということも、こういう姿を見ないとやはりイメージするのは難しいなと感じた。

昔の人が「頂きます」としっかりと言っていたことも、生き物を自分の手で殺し調理していたからなのかとも思ってしまった。

当たり前のことだけれども、やはり実際に見るとやはりショッキングだし考えてしまう。

日本に帰ってからもその感覚は忘れないようにしたいと思ったのであった。

食事を終え、切り立った岩の渓谷を抜けていく。

これまた絶景。

ミルザさん曰く、

「ボスニアは観光するには素晴らしいところがまだまだたくさんあります。それが生かされていないのが残念です」とのことだった。

たしかに文化的にも優れたものがたくさんあり、自然も豊かなボスニア。食べ物も美味しい。

潜在能力はあるのだが観光インフラがまだまだ整っていないのが実情なのだ。

さて、本日一つ目の目的地ポチテリに到着。

ここはオスマン帝国統治下に作られた城塞都市。

山に沿って石造りの建物が建てられている。

これから向かうのは写真の上にある見張りのための塔。

ほとんど廃墟のようだが中に入ることができる。

中はかなり足場が悪い。

建物の壁に沿った螺旋上の階段で上へ上へと上っていく。

手すりや柵もないので落ちないように気を付けなければならない。

ここが一番上の見張り台。

ここで見張りの兵士が外の景色を見て敵襲に備えていたのだ。

さてさて、兵士の気分になって外を眺めてみよう。

おぉ、下の世界が丸見えだ。

ちょっと怖いがもっと身を乗り出して見てみよう。

これは絶景!

石造りの伝統的な建物群と美しく弧を描く川の景色。

これだけ見晴らしがよければ敵襲にもいち早く気づくことができただろう。

ポチテリの城塞の背後は急な崖になっていて、こちら側からは敵も攻め入ることができない。

いわば、天然の要塞だ。

オスマン帝国はとにかく戦上手。

さらに面白いことに、この見張り台に着く前の城下町の構造にもオスマン帝国の戦略が隠されている。

先に紹介した写真だが、見てわかるように、下からこの要塞都市を見ればどこに道があるのかさっぱりわからない。

山の上の見張り台に向かうために街に入ると、高い壁に囲まれた迷路のような構造が続く。

侵入者は自分がどこにいるのかさっぱりわからないという状況に陥ることになるのだ。

それに対して見張り台からの眺めはというと、

この通り、路地を歩く人の姿まではっきりと見ることができる。

これなら道もわからず右往左往する敵軍を上から狙い放題。

ポチテリを守るオスマン帝国軍は明らかに有利な立場にいることができるという寸法だ。

さすがは戦上手のオスマン帝国である。

見張り台の前はちょっとした広場になっていて、ここからの景色も抜群だ。

しかしそれにしてもこの広場、柵もロープもないので恐怖感がある。

見張り台の中もそうだったが、日本じゃまず立ち入り禁止になるような状態だった。

いつ崩れるかもわからないくらい、手付かずの状態だったのだ。

ここはボスニア政府が公式に管理して観光地化しているわけではない。

かといってどこかの企業が管理しているわけでもない。

ただここに歴史的遺構が残っているというだけなのだ。

だからこういう状況なのだ。

ミルザさんの言うように、観光地としての潜在能力はあるけれどもそれを生かし切れていないというのがとても感じられたポチテリだった。

ここを整備したら、もっと人が来ることになるだろうと思うし、何より安全対策面でも大きな違いが出てくるだろう。

しかし、日本じゃ絶対ありえない状況の建物に入ったり、崖ぎりぎりから絶景を眺めることができたというのもある意味記憶に残る体験であった。

続く

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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