網干善教『高松塚への道』あらすじと感想~世紀の大発見の裏側と考古学の面白さを知れる名著!これを読めば古墳に行きたくなる!

網干善教『高松塚への道』あらすじと感想~世紀の大発見の裏側と考古学の面白さを知れる名著!これを読めば古墳に行きたくなる!
今回ご紹介するのは2007年に草思社より発行された網干善教著、太田信隆構成『高松塚への道』です。
早速この本について見ていきましょう。
昨年急逝した彩色壁画の発見者による考古学一代記。
Amazon商品ページより
マルコ山古墳やキトラ古墳などの発掘当時の興味深いエピソードなど、考古学の魅力を平易かつ熱く語り尽くす。

今作『高松塚への道』はぜひぜひおすすめしたい名著となっています。
本書の著者網干善教先生はあの高松塚古墳を発見した考古学者です。


1972年に発掘されたこの高松塚古墳ですが、本書ではそんな世紀の大発見の舞台裏について学ぶことができます。
高松塚古墳については前回の記事で紹介した来村多加史著『高松塚とキトラ 古墳壁画の謎』でも詳しく解説されていますが、本書は古墳そのものの解説というよりも網干先生の生涯や考古学の現場の様子、そして古墳の面白さについて知ることができます。
それにしても本書には驚きました。
とにかく面白いのです。
しかも網干先生その人についての事実が私にとっては刺激的なことばかりでした。
まず何と言っても、網干先生がお寺の出身だったということ。さらにあの石舞台古墳のすぐ近くのお寺で、その発掘現場が先生の幼いころの遊び場だったというのですからさらに驚きです。そしてその時の体験から先生は考古学の道に進まれたのでありました。この辺りのエピソードも非常に刺激的で読んでいて思わず声を上げてしまうほどでした。

石舞台古墳といえば名前やその姿は知ってはいましたが、この古墳の発掘の様子やその後の研究の裏話などを聞くとどんどん興味が湧いてきました。網干先生の語りは古墳に興味のない人でもつい引き込まれてしまう不思議な力があります。今まで自分とはまったく縁の遠い存在だと思っていたこの古墳が急に身近に感じられ、興味を持ってしまうのです。
「なぜこの古墳が造られたのか、この古墳にはどのような意味があるのか」
本書ではそれが先生の実体験と共にわかりやすく解説されます。
そしてそこからいよいよ高松塚古墳発掘のエピソードに入っていくのですが、その前に非常に印象に残る言葉が記されていました。その箇所では「考古学という学問とは何か」ということが語られているのですが、ぜひその言葉をここに紹介したいと思います。少し長くなりますが重要な箇所ですので全文引用します。
物をもって語らしめる学問
考古学と古物学を取り違えている人はいまでもいます。
大学に入ってきて考古学をやる学生というのは、小さいときから考古学が好きであったという〝考古少年〟が多いんです。高等学校の先生から、こんなふうに頼まれることがあります。
「うちの学級に考古学の好きな生徒がおりまして、休みになったらほうぼうに行って一生懸命に土器を拾ってきて、それを箱に昆虫採集みたいにちゃんと並べて楽しんでおります。先主、ひとつお願いしますわ」
僕は、こう答えることにしています。
「そんな人は考古学はやめたらええ、考古学をやる値打ちがない」
古物が好きで、自分でそれを拾ってきて、菓子箱に入れて自分が楽しんで、それで友だちに見せて、俺はこれだけ集めたのや、ということを自慢しているのですね。それは学問とは違うんです。
新聞とかテレビとかのマスコミでも、「掘った、出てきた、珍しい、日本ではじめて」と、これだけしかないわけです。それ以外はニュースにならないのでしょう?
学問はそんなものではないのです。「掘った、出てきた、珍しい」というのは学問とは違うんです。
千年も二千年も前の遺跡を掘ったら、いまでは見られないものだから、珍しいに決まっています。土を掘ったら甲が出てきた、ニュースだ、と追っかけるのがマスコミですが、それは学問とは違うわけです。基本的なことはどこに意味があるのか、出土品から何が考えられるのか、ということです。
「物をもって語らしめる」のが考古学なんです。
考古学というのは、もともと地味な学問でした。考古学と天文学は日の当たらない学問の双壁でした。昔のものを掘り出してきて、瓦とか土器の破片が出てきて何の役に立つのか、というのが考古学。夜中に星を眺めて何になるんだ、というのが天文学でした。
草思社、網干善教著、太田信隆構成『高松塚への道』P52-54
「物をもって語らしめる」のが考古学なんです。
語らしめる・・・なるほど、そう考えてみると考古学というものに対する見方が変わってきますよね。正直、私はこれまで考古学というものがとにかく苦手でありました。

こちらの「(5)古代ローマの象徴コロッセオとゲーテ・アンデルセン~文人たちを魅了した浪漫溢れるその姿とは」の記事でもお話ししたように、私自身コロッセオを見てもピンとこないほど考古学的センスがない人間だと思っていたのです。
ですが、先生の本を読んでから古墳に対するイメージががらっと変わりました。「遺されたもの」から私達に語りかけてくるものがある。その声を聴くのだというのはまさに発想の転換でした。私は今や古墳に興味津々です。
そして実際、私はこの本を読んだ数日後、これら石舞台古墳や高松塚古墳を訪れることになりました。



この日私は神武天皇陵、岩屋山古墳、キトラ古墳、高松塚古墳、牽牛子塚古墳、天武・持統陵、石舞台古墳とレンタカーで一気に巡ったのですが、これがもう楽しいのなんの!古墳巡りがこんなに楽しいなんて想像すらできませんでした。
いずれ当ブログでもその体験は記事にしていく予定ですが、私がこんなにも古墳巡りを楽しめたのはこの本のおかげと言っても過言ではありません。
感謝の念をお参りすべく、先生の御実家の唯称寺の門前にもお邪魔させて頂きました。

本当に石舞台古墳の近くでした。先生の遊び場になっていたのも頷けます。
そして話は戻りますが、本書後半にはこの高松塚古墳の悲しい運命についても語られます。
宅松塚古墳の壁画は発掘によって外気に触れたことで急速に劣化する危険性がありました。そのため壁画は文化庁の管理に委ねられることになったのですが、その後悲劇が起こってしまいます。
文化庁のずさんな管理によってこの壁画が著しく損傷し、しかもその事実を隠蔽していたのです・・・
発掘した網干先生達専門家にもそのことは知らされず、相談すらもされていませんでした。網干先生はこの事件に非常に心を痛められ、亡くなるその時まで悔やまれていたそうです。
この文化庁の管理事件は大脇和明著『白虎消失―高松塚壁画劣化の真相』という本でも詳しく書かれていますので興味のある方はぜひこちらもご参照ください。私も読んでいて衝撃でした。
そして本書終盤の第五章では先生のインドでの発掘作業について語られるのですが、これも私にとっては驚きでした。なんと、網干先生はあの祇園精舎の発掘作業に関わっていたのです。しかも私が祇園精舎で最も感銘を受けた沐浴池を発見した人物こそ網干先生だったのでした!

私は2024年にインドの仏跡巡りに出かけ、祇園精舎も訪れました。
そしてその旅行記を当ブログでも書いたのですが、私はこの池について次のように述べました。
近年の発掘により、ブッダ達が沐浴していたであろう池が発見された。現在はこのように整備されている。僧院からは少し離れた場所なのであまりここまでは人はやって来ないようだが、実は私の中で一番印象に残っているのがこの池なのである。他の仏跡ではあまり感じなかったゾクっとするような感覚があったのを今でも覚えている。ブッダがここにいたのだという感覚を強く感じたのがなぜかここだった。ブッダのための建物でもなく菩提樹の木でもなく、ここに私が惹かれたというのは自分でも不思議な思いだった。
「インド八大仏跡の一つ、祇園精舎へ~平家物語の「祇園精舎の鐘の声」で有名な仏跡へ」より
まさに、インドの仏跡の中でも特に感銘を受けた場所がこの沐浴池だったのです。それを網干先生が発見していたとは!思わず声を上げずにはいられませんでした。あの時の体験とこの本が繋がった瞬間でした。
この本ではそんなインドでの発掘のエピソードも詳しく語られます。私にとってはもうこの本を読んだ時間は至福と言っても過言ではありません。
ものすごい名著でした。まさか古墳を学ぶ中でこんなに素晴らしい本と出会えるとは夢にも思っていませんでした。これはぜひぜひおすすめしたい名著です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
以上、「網干善教『高松塚への道』あらすじと感想~世紀の大発見の裏側と考古学の面白さを知れる名著!これを読めば古墳に行きたくなる!」でした。
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