(63)多磨霊園で三島由紀夫のお墓参り~生と死を問い続けた三島に思う

第二次インド遠征~インド・スリランカ仏跡紀行

【インド・スリランカ仏跡紀行】(63)
多磨霊園で三島由紀夫のお墓参り~生と死を問い続けた三島に思う

市ヶ谷記念館で三島由紀夫の自決現場を訪れた私は、そのまま東京都立多磨霊園へと向かった。

目的はもちろん、三島由紀夫のお墓参りである。

最近は便利なもので、グーグルマップで三島由紀夫のお墓の位置までわかる。防衛省を出発した私はスマホを頼りに三島由紀夫のお墓へと向かったのである。

都心から多磨霊園までは思いのほかアクセスがよい。もっと遠い旅になるかと思われたが1時間半もかからず多磨霊園周辺までやって来ることができた。

多磨霊園駅で降りてからの道はやはり霊園の雰囲気を感じさせる。年季の入った石屋や花屋が多い。

さて、多磨霊園入り口までやって来た。本当にここまで徒歩で来れてしまった。北海道の感覚だと霊園に徒歩で行くというのはなかなか考えにくい。自家用車がなければ何をするにも難儀な北海道とはやはり違う。

2月上旬の多磨霊園は葉の落ちた木々が多く、茶色い世界。北海道の雪景色とはまるで違う。

多磨霊園はとにかく広い。入り口から三島由紀夫のお墓までも10分ほど要する。だが、この静かな霊園をひとり歩くというのも趣があってよいものだ。僧侶という仕事柄だろうか、私は墓を歩くことに抵抗がない。私は墓を歩くのが好きなのである。

これまでも私は様々な偉人のお墓参りをしてきた。『レ・ミゼラブル』で有名なユゴー、『ゴリオ爺さん』のバルザック、『居酒屋』のゾラ、ナポレオンにフェルメール、ミケランジェロ、ヨハネ・パウロ二世、チェ・ゲバラなどジャンルを超えて私は尊敬する偉人達のお墓参りをし、挨拶をしてきた。私にとってお墓参りはやはり大切なことなのである。

そして今回三島由紀夫のお墓にやって来た。私にとって三島由紀夫はもはや巨大な存在になりつつある。そして壮絶な死を遂げた三島由紀夫に挨拶をしてから私はインドに発ちたいと思ったのだ。

いよいよ三島由紀夫のお墓の近くまでやって来た。いざその姿を遠くから認めると、私は胸が高鳴らずにはいられなかった。ついに三島由紀夫に会えるのだ。

こちらが三島由紀夫のお墓である(正式には平岡家のお墓)。三島由紀夫の本名は平岡公威きみたけという。

墓標には彰武院文鑑公威居士の戒名も刻まれている。

私もこのお墓の前に立ち、合掌した。

先程私は「三島由紀夫に会える」とふと言葉にしたが、私にとってのお墓参りというのはやはりそういうものなのである。もちろん、物理的な意味ではない。そうではなく、目の前のお墓を通して私は私の中の三島由紀夫と出会うのだ。

やはり形、象徴となるものは大切である。何らかの形があるからこそ、それを媒介にして私達は亡き人と出会うことができるのだ。これは唯物論的にはナンセンスかもしれないが、私にとっては確実な経験なのである。

私はこのお墓を前に、しばらくの間ひとりで佇み続けた。

あなたの死は日本人だけでなく、人類全体の損失だった。

あなたは自分の手で自分の人生に決着をつけた。そのことに対して私はとやかく言える立場にない。

だが、私はやはり言いたいのである。あなたは早く死にすぎたのだと。格好悪くてもよいから生きていてほしかった。あなたはあなたの美学で最後まで生き切ったのだと思う。それはあなたの作品からも伝わってくる。しかしそれでもなお、私は生きていてほしかった。たとえあなたがあのような死を迎えなくとも私はあなたの作品を読んでいたことだろう。そして感動していたと思う。

あなたは「老い」を、「衰え」を決定的に拒んだ。しかしその「老い」を抱えながら生きていかねばならないのが私達ではないのか。老いて衰えてもなお命を燃やし続ける生き方もあったのではないか。あるいは、老いていくからこそ円熟する静けさというものもあるのではないか。

あなたはその晩年、インドに触れたことで仏教にも深い関心を寄せたではないか。仏教でもたしかに「老い」は厭うべき苦しみのひとつという大原則がある。しかしそれだからといって老いを絶対的に退けよとは言わないではないか。むしろ老いてゆくわが身とどう向き合うかが問われるのではないか。

こんなことを言っても、あなたのことだ。全てを承知の上で決めたのだろう。これらのことなどとうの昔に考え尽くしていたことだろう。私の言葉などそれに比べれば何の重みがあろうか。私はまだ、何も知らないのだ。人生も、この世界のことも。私はただ、あなたの人生や作品を手掛かりに生きていくしかないのだ。

三島のお墓を去った後もその余韻は残り続けた。

三島由紀夫ほど「生の質」を問い続けた作家はいないのではないか。三島は「量」ではなく決定的に「質」を追い求めた。「行動による一瞬」がその人生を決定づけると三島は言いたかったのだろうか。だとすれば、私達はなぜこうして生きているのか、なぜ生き永らえようとしているのか、そもそも人生に意味はあるのだろうかと三島は私達に突き付けているのではないか。三島はとんでもない爆弾を私達に残していったのである。

こうして市ヶ谷記念館と三島のお墓をお参りした私の三島由紀夫ゆかりの地巡りの一日は終わった。

さあ、一週間後にはもうインドである。

これが私の最後の旅だ。2019年から始まった「宗教とは何か」を問う旅もこれで終わりである。世界各地を巡った私だが、その最後に仏教の源流たるブッダゆかりの地を巡るのだ。こうなるべくしてこうなったのである。三島が言うように、ついに私も呼ばれたのである。その時が来たのだ。そしてこのタイミングで三島由紀夫と深く関われたこと自体が運命のように感じるのである。

次の記事から私の第三次インド遠征を始めていく。引き続きお付き合い頂ければ幸いだ。

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