(11)妻を残しカジノの街ホンブルクへギャンブルに行くドストエフスキー~地獄への扉が開き始める・・・
【ドイツ旅行記】(11)妻を残しカジノの街ホンブルクへギャンブルに行くドストエフスキー~地獄への扉が開き始める・・・
ロシアを出発してからおよそ3週間。平穏なドレスデン滞在を過ごしていた2人であったが、ついに「最悪のダメ人間」ドストエフスキーが顔を出し始める。
ドレスデンでの生活も三週間ほどすぎたころ、ある日、夫はルーレットの話をして(わたしたちは、いっしょに「賭博者」の仕事をしていたときのことをよく思い出した)、もしいま自分がドレスデンにたった一人でいるのなら、きっとルーレットをしに行っただろうと言った。それからあと二度ほども同じことを言うので、どんなことであっても夫の邪魔をしたくなかったわたしは、どうして今なら行かれないのですか、とたずねた。夫は、わたしを一人残して行くことはできないし、そろって行くには金がかかりすぎるからと言った。わたしは夫に、あとは大丈夫だから、ホンブルクに四、五日行ってきてみては、とすすめた。彼はあれこれと弁解したが、自分ではどうしても「運をためして」みたくて、とうとうわたしを宿の女主人にたのんで一人でホンブルクに行ってくることになった。わたしは気丈にふるまってはみたが、汽車が遠ざかるのを見ると、心細くなり、悲しくてとうとう泣きだしてしまった。ニ、三日すると、ホンブルクから手紙がとどきはじめた。負けたので、金を送れというのだった。そのとおりにすると、その金もすって、また送れと言ってきたが、もちろんすぐに送った。わたしは「賭博」の興奮というものをまったく知らなかったので、それが夫の健康にわるい影響をおよぼさないかとさんざん心配した。文面からみて、夫はホンブルクにとどまって、ひどい興奮と不安におそわれているのではないかと思われた。新しい発作が恐ろしく、どうして一人でやったりしただろう、そばにいて慰めたり、安心させたりするためにどうしていっしょに行かなかったのだろうと絶望にかられるのだった。自分がひどいエゴイストのような気がして、夫がそんなみじめな思いをしているのに何もしてやれないのが自分の罪悪のように思われた。
8日たって、夫はかえってきた(※ブログ筆者注、『日記』では11日後)。すっかり負けてきたことをわたしが責めもせず愚痴をこぼしもせず、かえって彼を慰め、絶望しないようにはげましたくらいなので、とても幸福そうで、うれしそうだった。
みすず書房、アンナ・ドストエフスカヤ、松下裕訳『回想のドストエフスキー』P172-173
なんと、ドストエフスキーは異国の街で妻を一人残しカジノに行ってしまったのだ。
アンナ夫人は気丈にも夫を送り出したが、その胸の内はどれほどのものだったことだろう。新婚早々見知らぬ土地で一人取り残されたアンナ夫人。この時彼女はまだ20歳。どんなに心細かっただろうか。『日記』では一人ドストエフスキーの帰還を待ち続ける不安な日々が書き連ねられている。4、5日で帰ってくると言っていたはずがなかなか帰って来ない。金の普請の手紙は来るも、いつ帰ってくるかがわからない。不安になって駅に迎えに行っても彼の姿はない。スマホやパソコンで簡単に連絡を取り合える現代と違って、「今日帰るから」と気軽に伝える術もない。手紙が来るのを待たねばならなかった。
ようやくドストエフスキーが帰って来ると、アンナ夫人は駅で夫に飛びついて喜んだ。よっぽど嬉しかったのだろう。それはそうだ。言葉も満足に通じない異国の地で一人取り残されたのだから。『日記』では彼を責めるどころか「私はずっとフェージャに見とれているばかりで、いつまでも幸せだった」と書かれている。
ドストエフスキーもさすがに自責の念が強かったはずだ。会うやいなや雷が落ちるだろうと思いきやそうではなかったことに驚いたことだろう。
「すっかり負けてきたことをわたしが責めもせず愚痴をこぼしもせず、かえって彼を慰め、絶望しないようにはげましたくらいなので、とても幸福そうで、うれしそうだった。」
アンナ夫人のすごいところはここにある。これから先バーデン・バーデンの地獄の日々が始まっても彼女はドストエフスキーをがみがみ責めることはない。ただ慰め、助けようとするのだ。これが先妻のマリアや恋人のスースロワだったらとんでもないことになっていただろう。そういう女性しか知らなかったドストエフスキーにとってアンナ夫人のようなタイプはそれこそ衝撃だったはずだ。だからこそかれは「とても幸福そうで、うれしそうだった」のだろう。
だが、おそらく上のアンナ夫人の言葉を読んで皆さん色々と思うこともあるかもしれない。私も初めてアンナ夫人の『回想』を読んだ時は驚いたものだ。「いやいやいや、それで大丈夫なの?叱らなくていいの?そんなにドストエフスキーを甘やかしたら大変なことになるのでは?」などなど・・・
だがそれはひとまず置いておくことにしよう。この後のバーデン・バーデンやジュネーブでの2人を見ていけばその先に見えてくるものがあるはずだ。
何はともあれ、普通は怒るであろうところをアンナ夫人は「新しい発作が恐ろしく、どうして一人でやったりしただろう、そばにいて慰めたり、安心させたりするためにどうしていっしょに行かなかったのだろうと絶望にかられるのだった。自分がひどいエゴイストのような気がして、夫がそんなみじめな思いをしているのに何もしてやれないのが自分の罪悪のように思われた。」と自分を責めてすらいる。
この段階にしてすでにアンナ夫人はドストエフスキーの保護者、守護者になろうという思いが明らかに強くなっているのではないだろうか。ドストエフスキーは幸せ者だ。彼のことをここまで考えてくれる人にようやく出会ったのである。
だがドストエフスキーにはもはや自分を抑える術はなかった。この頃には完全にギャンブルで頭がいっぱいになってしまっていたのである。
けれどもホンブルクでの失敗は、フョードル・ミハイロヴィチの気分に影響を及ぼさないわけにはなかった。彼はしょっちゅう、ルーレットの話をするようになり、すってしまった金を惜しがり、負けたことでひどく自分を責めた。ずいぶん何度もチャンスはあったのに、がまんできずせっかちになって、賭け金を変えてしまい、いくら違ったやり方でやってみても結局最後には負けてしまった、と言うのだった。それに、ホンブルクに一人で行っていて、たえずわたしのことが気にかかっていたのであわただしかったからだという。つまり、これまでは遊んでもせいぜいニ、三日で、いつも金もわずかしかなかったので、運がむいてくるまで持ちこたえられなかった。もし、まとまった金をもって、賭博の町でニ、三週間もすごすことができたら、きっと勝ってみせる。腰をおちつけることができて、たとえ大金をつかめなくとも、絶対に勝てる確実な方法で賭けさえすれば、負けを十分とりもどせるだろうに。―夫はこんなふうに確信ありげに語ってきかせ、その証拠としていろんな例をあげたので、スイスに行く途中(わたしたちはそのつもりでいた)、二週間ほどバーデン・バーデンに立ち寄ってみようということになったときには、ゲームにつきそっていさえすれば、夫の気分をいくらかは落ちつかせることになるだろうと、よろこんで賛成したくらいだった。いっしょにいることができさえすれば、どこですごそうと同じことだったから。
みすず書房、アンナ・ドストエフスカヤ、松下裕訳『回想のドストエフスキー』P173
「まとまった金を持って冷静に賭けれさえすれば勝てる!必勝法を編み出した!」ともはや訳の分からないことを言い出すドストエフスキー。だがこれがギャンブル中毒者が陥りやすい精神状況なのだろう。
こうして2人は運命の街バーデン・バーデンへと向かうことになった。地獄の5週間の始まりである。
続く
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