(11)ルーブル美術館でドストエフスキーが愛した理想風景画家クロード・ロランを発見。同時代の天才プッサンと共にご紹介
【パリ旅行記】(11)ルーブル美術館でドストエフスキーが愛した理想風景画家クロード・ロランを発見。同時代の天才プッサンと共にご紹介
パリといえばやはりルーブル美術館を思い浮かべる方も多いだろう。
ミロのヴィーナスやダ・ヴィンチの『モナ・リザ』などあまりに有名な作品がてんこ盛りのお化け美術館だ。
だが、ドストエフスキーに関心を持っている私にとっては実はこの美術館はノーマーク。正直、特にこれといってものすごく見たい作品があるというわけでもなかったのだ。「有名なルーブルだし、せっかくだし行っておきますか」くらいのものだったのである。
しかし実際にここを訪ねてみて、そんな軽率なことを思っていた自分を大いに恥じることになった。この美術館はやはり評価されるべくして評価されている素晴らしい美術館だった。今さら私がこんなことを言うのもおこがましい話ではあるが言っておこう。「やっぱりルーブルはすごかった!」
ルーブルに入るにはいくつも入り口があるのだが、私は北のパレロワイヤル側から敷地内に入場した。
ルーブルといえばやはりこれだろう。ガラスのピラミッドだ。夜のライトアップはさぞ綺麗なことだろう。
入ってすぐのエリアは彫刻が展示されている。そしてこの写真の先に少しだけ見えているのだがこれがルーブルの顔のひとつ、「サモトラケのニケ」だ。
階段を上った先の広間にどんと立っているニケ。
恥ずかしながら、私はこの彫刻のことをほとんど何も知らなかった。ルーブルのサイトやパンフレットにもこの彫刻がかなり大きく取り上げられていたのだが、私はほとんど目に留めることすらなかった。完全に甘く見ていたのである。
しかしどうだろう。私は正味一週間ほどこの街に滞在したのだが、「パリで1番衝撃を受けたものは何か」と聞かれたら間違いなく私はこの「サモトラケのニケ」を挙げるだろう。あまりのショックに私はしばらくここから動けなくなったほどだった。ニケについては次の記事で改めてお話しするのでここではこれ以上はお話しできないが、それほどの魅力を持った作品だった。
そしていよいよ絵画の展示エリアへ。ここにはダ・ヴィンチなどの作品も展示されている。
これらも超有名な名画であるにも関わらず意外とこれらの前は混雑していない。あまり人を気にせず鑑賞することができた。皆『モナ・リザ』のところへ直行してしまうのだろうか。
さて、こちらが『モナ・リザ』のある部屋。やはり大行列。私もこの列に並び、ほんの少しの間だけ近くで観ることができた。だが、う~む、落ち着かない。じっくり観るのは不可能だ。おそらくこれでも割と空いている方だと思う。時間にして10分ほどしか待っていない。だがこれよりもっと混むのだとしたら私はそもそも観ることすらあきらめるかもしれない。
悲しいかな、実はそもそも私はダ・ヴィンチの絵にあまりピンと来ない。おそらく、好みの問題ではないだろうかと思っている。ダ・ヴィンチの圧倒的な画力はわかる。でもどうしてもうっとりするほどにはならない。私はダ・ヴィンチの何が苦手なのだろう。これは帰国してから今にかけてもどうしても解決できない疑問だ。ダ・ヴィンチの完全さが私を遠ざけるのかもしれない。私はダ・ヴィンチよりもミケランジェロが好きだというのがこのルーブルでいよいよはっきりした。ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画や『最後の審判』などの、あのダイナミックでドラマチックな作風が私にはたまらないのだ。そう考えるとダ・ヴィンチは数学的な緻密さ、完璧さを感じる。「冷たい」というわけではないのだが、その完全な理性に私は臆してしまうのかもしれない。
さて、この後もルーブルの誇る名画たちを鑑賞しながら進んでいったのだが、人もまばらなある展示室に入った瞬間、私は思わず「あっ」と声を上げてしまった。
17世紀を代表する画家ニコラ・プッサンがそこにいたのである!これはノーマークだった。
プッサンについては以前「近藤昭『絵画の父プッサン』フランスアカデミーの規範となった理想風景画の大家の伝記」の記事でもお話ししたが、17世紀以降のヨーロッパ絵画史に非常に大きな影響を与えた人物だ。
プッサンとヨーロッパ(特にフランスアカデミー)についてわかりやすくまとめられた箇所が木村泰司著『印象派という革命』という本にあるのでせっかくなのでそちらを読んでいこう。
官僚貴族の家柄に生まれたプッサンは、当時のエリート教育であったラテン語教育を受けて育った。この時代、画家になる予定の少年には必要のない教育である。当然のことながら両親の大反対を押し切り、プッサンは画家の道を目指すことになった。
豊かな知識と教養、貴族的な品性と高い道徳観を持ったプッサンは、アカデミーというフィルターを通して、「卑しい」と社会から見なされていた職人階級からの脱却を図ったル・ブランをはじめ会員たちの理想像として映ったのだ。
プッサンは、審美眼がなく教養にも欠ける大衆に迎合することをよしとせず、教会の祭壇画のような公的な仕事をできるだけ避け、裕福で教養のある上流階級の顧客のための私的な作品を制作するようにしていった。その結果、単純に目だけを楽しませるような作品ではなく、知性と理性に訴えて感動させる作品を描くことができたのだ。
そして、「主題は高貴でなければならない」と考えたプッサンは、大衆は単純に色彩に魅了されると見なし、それを俗悪と考えた。そのため彼は絵画制作において、感覚に訴える色彩ではなく、知性と理性に訴えることができる「フォルムと構成」を重視したのである。こうしたプッサンの制作姿勢および理論が、アカテミーの公的な美の規範、すなわちフランス古典主義となったのである。
人生の円熟期のほとんどをローマで過ごしたプッサンであるが、彼は大勢の知識エリートと見なされた友人や顧客をフランスに持ち、彼らを通じてプッサンの作品はフランスにもたらされた。
集英社、木村泰司『印象派という革命』P59-60
プッサンの特徴はここで語られるように、「単純に目だけを楽しませるような作品ではなく、知性と理性に訴えて感動させる作品を描くこと」にある。
17世紀に一世を風靡したプッサンの絵画には「寓意」がふんだんに散りばめられている。プッサンの絵は見た瞬間にわかる美しさも圧倒的だが、古典の知識や絵画における高度な理解がなければわからない「寓意」というものも大きなウエイトを占めている。
この高度な教養と審美眼が求められる奥深さが当時の上流階級に非常に好まれたそう。
そのプッサンの絵がここルーブルにたくさん展示されていたことに私は今さらながら気づいたのだ。
これらの中でも私は特に「エリエゼルとリベカ」に惹かれた。
この絵の背景の景色も見事なのだが、この壺の質感が生で観ると異常なほどの存在感を感じてしまう。単にリアルだとかどうとか、そういう次元をはるかに超えた何かがそこにはあった。画集で見ていたものとは全く違う印象をこれらプッサンの絵から感じることとなった。
そして次の部屋に進んだ私はさらなる驚きに見舞われることになる。パッと見た瞬間に「あれ?」と思った。そして近づいていくとそれは確信に変わった。「・・・クロード・ロランだ!!」
まさかここでクロード・ロランの絵に出会えるとは!!この時の驚きはもう、息が止まりそうになるほどだった。
というのも、私にとってはクロード・ロランといえばドイツのドレスデン絵画館のイメージしかなかったのだ。プッサンと同じでルーブル美術館に所蔵されているということがすっかり抜けていたのである。
なぜ私がこんなにもクロード・ロランに思い入れがあるのかというと、このクロード・ロランこそドストエフスキーが愛した画家だからなのだ。
クロード・ロランの理想風景画(過去の理想郷 アルカディアを題材)は17世紀当時からヨーロッパ人を魅了していた。そしてその影響はその後も絶大で、ドストエフスキーもクロード・ロランの絵に強い愛着を持ち、その影響は彼の長編『悪霊』や『未成年』に見ることができる。
ドストエフスキーが直接言及するのはそれこそ下のドレスデン絵画館所蔵の『アキスとガラテア』という作品だ。
だがここルーブルにはクロード・ロランの代名詞とも言える「舞台全体を優しく照らす夕陽の光」が描かれた数々の名作が展示されている。これは私にとっては心の底から嬉しいサプライズだった。
プッサンがいることに驚き、さらにはその次の部屋でクロード・ロランまで見れるなんてこんなに嬉しいことはない。
彼らがいる展示室には残念ながらほとんど人は来ない。来てもすぐに通過していってしまう。これは本当にもったいないと思う。ドストエフスキーに縁がなかったとしてもプッサンとクロード・ロランの絵はとにかく素晴らしい。
プッサンはフランス絵画に決定的な影響を与え、クロード・ロランはイギリスの画家ウィリアム・ターナーに巨大な影響を与えたことでも知られている。ターナーについては以下の記事でお話ししているのでぜひ参照して頂ければ幸いである。
他にもルーブルではフェルメールやレンブラント、ラトゥールなどの絵も観ることができた。
光と影を巧みに描き出した彼ら巨匠の作品を観ることができたのも素晴らしい体験だった。残念ながらお目当てのひとつだったフェルメールの『天文学者』が出張中で観れなかったのが心残りだ。
完全にノーマークなまま来てしまったルーブル美術館だったが、すっかり私は魅了されてしまっていた。「甘く見ていました。大変失礼いたしました」としか言いようがない。
次の記事では改めて『サモトラケのニケ』についてお話ししていく。あまりの素晴らしさに本当に度肝を抜かれてしまった。この感覚はサン・ピエトロ大聖堂のミケランジェロのピエタ以来だろうか、それほど素晴らしい作品だった。ぜひ引き続きお付き合い頂ければ幸いである。
続く
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