トルストイ『青年時代』あらすじと感想~トルストイの熱烈な理想主義と自己矛盾の葛藤が早くも現れた作品

ロシアの巨人トルストイ

トルストイ『青年時代』あらすじと感想~トルストイの熱烈な理想主義と自己矛盾の葛藤が早くも現れた作品

今回ご紹介するのは1857年にトルストイによって発表された『青年時代』です。私が読んだのは新潮社、原卓也訳、1991年第27刷版です。

早速この本について見ていきましょう。

自己の道徳的完成に人生の意義を発見し、実生活に適用しようと努める十六歳のニコーレニカ。彼は、今までの自分を反省し、違う生活をはじめなければならないと決意しながらも、虚栄心や愛への憧憬によって、多くの失敗と自己撞着を繰返す―本書は『幼年時代』『少年時代』とともに自伝三部作をなし、読む者の眼前に、若き日のトルストイの赤裸裸な姿が彷彿と再現される。

新潮社、トルストイ、原卓也訳『青年時代』1991年第27刷版裏表紙

今作は『幼年時代』『少年時代』『青年時代』と続いたトルストイ自伝三部作の最終作になります。

主人公ニコーレニカの幼年期から青年期までの成長を描いたこの三部作ですが、上の本紹介にもありましたように、ニコーレニカにはトルストイ自身の性格がかなり反映されています。

巻末の訳者解説ではこのことについて次のように述べられています。

主人公ニコーレニカは少年時代にさまざまの新しいものの見方を身につけるのであるが、『青年時代』では、「人間の使命とは道徳的完成への志向であり、その完成は容易であり可能であって永遠のものであるという信念」を本質とする、その新しい見方を実生活に適用しようと努める。

『春』という章でニコーレニカは『いままでわたしはなんてだめな人間だったんだ』と考え、『早く、いますぐ、別の人間になって、違う生活をはじめなければいけない』と心に誓う。

この反省と決意、そして自己批判と後悔とが、『青年時代』という作品を貫いている主要なモチーフであると言えるだろう。

ニコーレニカはいままでと違う人間になろうと考え、生活の信条を作成にかかる。だが、そのノートはいつまでたっても空白のままで放置され、小説の最後で進級試験に落第した時になってはじめて深刻な反省とともに机から取りだされるのである。

トルストイが一八四七年からつけはじめた日記(邦題『青春日記』)を読むと、青年時代の彼がたえず数々の規律を作っては自己に課し、それを守ることができないで自己嫌悪におちいっている姿を見いだすことができる。

それらの中には、日課や、田園生活の目的などから、賭博の際に自分のとるべき態度や勝負のやり方に関するものまで、実にこまごまとした規律があるのだが、必ずといってよいほどその数日後には、その規律を守れなかった自分に対する批判と嫌悪の言葉が書きつらねてあるのだ。

ある意味でこれは、だれもが青年時代に経験することであろうが、トルストイという作家の場合、自己に対するきびしい批判は徹底的とさえ言えるし、それだからこそ後年の『懺悔』による自己否定や、八十二歳の老齢になっての家出などがありえたのである。
※適宜改行しました

新潮社、トルストイ、原卓也訳『青年時代』1991年第27刷版P247-248

トルストイは学生時代、今作の主人公ニコーレニカと同じように、日記を書いていました。そこにはずらっと理想が書かれていて、こうなろうと意気込むも、全く実現できずに自己嫌悪に陥るというループの繰り返しだったそうです。

藤沼貴著『トルストイ』にはこうしたトルストイの実態が次のように書かれていました。

新生活のマニフェストとも言える言葉を日記に書いてから、ちょうど一か月後の四月十七日、やはり日記に、トルストイは今度は帰郷後二年間の活動プランを書きしるした。それは次のようなものだった。

⑴試験に必要な法学の全課程の習得。
⑵基礎医学の一部と臨床医学の習得。
⑶言語の習得―フランス語、ロシア語、ドイツ語、英語、イタリア語、ラテン語。
⑷農業の理論と実地の習得。
⑸歴史、地理、統計学の習得。
⑹数学、特別中学課程の習得。
⑺学位論文執筆。
⑻音楽、絵の中級技能の達成〔これは書かれた後で消されている〕。
⑼規則を書く。
⑽自然科学のある程度の知識を得る。
⑾勉強するすべての科目をもとにレポートを作成。

これはだれが見ても、二年間のプランにしてはあまりにも膨大だ。一生かかってもできない分量である。出発点となる思想、原理はりっぱだったが、この計画は冷たくきびしい現実に向かって行くにしては、夢がありすぎる。あれだけ二年もかけて考えた人間が、具体的な行動をする段になって、「有限の我」も「意欲を律する規則」もどこへやら、無限の欲求をほとばしらせてしまったのか。だが、真剣に現実に立ち向かおうとする時にかぎって、途方もない夢を見る人間がいる。ロシア人は概してそうだ。とりわけ、トルストイは壮年になっても、老年になってもそうだった。しかも、夢見る人間を愛し、あまりにも現実的な人間をきらった。

これからトルストイの生涯と活動を見ていくにあたって、このトルストイの特質を頭においておかなければなるまい。

第三文明社、藤沼貴『トルストイ』P81-82

いかがでしょうか。

「THE 極端」

私がトルストイ伝記、トルストイ作品を読んでいていつも感じるのがこの言葉です。

この伝記ではその後さらに驚くようなことが書いてありました。少し長くなりますがトルストイの人柄を知る上でも重要な箇所ですのでじっくり読んでいきます。

一八四七年四月十二日、トルストイ家の遺産分割が行われ、その翌日トルストイは大学に退学届を出した。退学許可の書類を大学当局から受け取ると、かれはその日すぐにカザンを後にした。四月二十三日のことである。兄妹のだれよりも早い帰郷だった。ヤースナヤ・ポリャーナに帰り着いたのは、出発から一間後の四月三十日、もう夜がふけていた。

前章で書いたように、カザンではトルストイはひどい学生だった。授業には出ない、試験を受ければ落ちる。だが一方では、何とか自分の悪い癖をあらためようと、いろいろ努力もしていた。

この三年後に、かれは「フランクリン手帳」をつけるようになったが、この時期にすでにそれに似たものを書いていた。この手帳を創案したフランクリンはほかでもないべンジャミン・フランクリン。アメリカ独立の功労者の一人で、雷は「神鳴り」ではなくて、電気だということを証明した名高い科学者でもある。

努力家のかれは前の晩に次の日の日課を立て、それを手帳に明記しておき、翌日その達成度をチェックして、「完遂」「半ば達成」などと書きこむことにしていた。これを現代風にアレンジしたのが、現在世界中で売られている「フランクリン・プランナー」で、二千百万人もの愛用者がいるそうだ。

庶民の生まれで、刻苦精励して社会の頂点にのぼりつめたフランクリンと、遊んでいるうちに広大な領地のもち主になった伯爵のトルストイとでは境遇が違う。それに、きちょうめんで禁欲的で「自他に益なきことに金銭をついやすなかれ。時間を空費するなかれ」など、いわゆる「十三の徳」を実践したフランクリンと、生きたいままに生きていた若きトルストイは気質の違う人間だった。むしろ、だからこそ、青年時代のトルストイはフランクリンのまねをしたかったのかもしれない。

領地にもどる時、トルストイは到着の翌日からすぐに農業経営の仕事をはじめようと決心していた。かれは夜ふけに家に着くと、さっそく予定表のノートをひろげ、こう書いた。

「五月一日 木曜日。五時、六時まで 農地見まわり。六時、八時まで 二通手紙を書く」

だが、これだけ書くと眠くなり、べッドにころがりこんだ。翌日目がさめると、もう朝ではなく、昼になっていた。日課は起きたとたんに崩壊しているのだから、フランクリンもびっくりの結果だった。

長旅の疲れもあっただろう。トルストイは五月二日は完全休養にして、その夜、明日の予定を書いた。

「五月三日 土曜日。五時、六時まで 農事の実践。六時、九時まで 手紙。九時~十時 お茶を飲む……」

あくる日起きて見ると、もう日は高くのぼっていた。試験の恐怖や社交生活のわずらわしさから解放され、故郷のさわやかな空気のなかで眠ると、熟睡できすぎたらしい。トルストイは農地見まわりを六時にさげ、八時にさげ、十時にさげてみたが、いくらさげても、翌日のチェックはほとんど「なにもなし」「遂行せず」。例外はたったの一日だけだった。思いきって、農地見まわりの時間を午後にしてみたり、二回に分けたり、もう一度早朝にもどしてみたりしたが、結果は同じ。あげくの果て、六月七日を最後に予定表の作成は中断されてしまった。
※適宜改行しました

第三文明社、藤沼貴『トルストイ』P84-86

『青年時代』を読めばトルストイのこうした姿と重なるところが何度も出てきます。

『幼年時代』『少年時代』『青年時代』がトルストイ自伝三部作と呼ばれる所以がよくわかります。

最後にもう1点、トルストイの生涯を貫く重要なポイントについて書かれた箇所を紹介します。こちらは『青年時代』の巻末の解説に書かれていたものになります。

『青年時代』でトルストイは、ニコーレニカや、彼の育った貴族社会の環境に対して、かなり批判的である。

ニコーレニカは人間を分類するのに、 Comme il fautコミル・フォー(品のよい人間)とComme il ne faut pas(品のよくない人間)という概念を好んで適用する。

そしてコミル・フォーの人間を尊敬した。逆にコミル・フォーでないかぎり、著名な芸術家であろうと、学者であろうと、尊敬する気持になれない。

そして、コミル・フォーの条件とは、㈠、上手なフランス語と、特に発音、㈡、よく磨いた長い清潔な爪、㈢、おじぎや、ダンスや、会話などの才、㈣、あらゆるものに対する無関心と、ある種の洗練された、人を見下すような倦怠の表情を常にうかべていること、である。

いずれも人間の価値や美徳とはなんのかかわりもない、下らぬ条件と言えるが、こうしたコミル・フォーになりたいばかりにフランス小説の主人公のしゃべる言葉をまる暗記したり、爪をきれいにしようとして鋏で肉を切ったりするニコーレニ力を描くことによって、貴族社会における一つの価値観を示すこの概念がいかに内容をともなわぬ愚かなものであるかを示そうとし、「教育と社会によって植えつけられた、わたしの人生におけるもっとも悪影響のある誤った概念の一つ」とまで断定している。

『青年時代』のニコーレニカはこの誤った概念にふりまわされているのだが、それでも、彼にとっては存在せぬも同然のはずである素朴な民衆が野良仕事をしているところに散歩の際に出会ったりすると、無意識のうちに強い狼狽を味わったり、コミル・フォーでないため当然軽蔑すべき相手であるはずの大学の友人たちの知識や、気さくさ、誠実さ、若々しさなどに対して尊敬の念をいだく自分に気づいたりして、うすうすながら、自己の存在の偽善性を見ぬきかけてはいる。

『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』を書いた後年のトルストイならともかく、新進作家として出発したばかりの彼が、すでに『青年時代』で、外面的なマナーや容姿によって人間の価値を決定しようとする当時の貴族社会に対する批判をうちだしていることは、注目に値する点と言ってよい。
※適宜改行しました

新潮社、トルストイ、原卓也訳『青年時代』1991年第27刷版P249-250

トルストイはデビューして間もなく、後の作品を貫くこうした人間観を確立しつつありました。

外面的なマナーや容姿、社交術に長けた人間が幅を利かすことに対する憤りを感じながらも、どこかそれに憧れている自分もいるという相反する感情。

思えば、ドストエフスキーもデビューして間もなくこうした作品を書いています。

この作品でも自意識過剰な「イケてない男」が抱く複雑な感情が描かれています。

若きトルストイとドストエフスキーの共通点として、こうした世渡り上手な「イケている人間」に対する感情があったというのは非常に興味深い点だと思います。(「イケている」という表現が適当かどうかはまた難しいところですが)

『青年時代』もトルストイの特徴を知る上でとても重要な作品です。

以上、「トルストイ『青年時代』あらすじと感想~トルストイの熱烈な理想主義と自己矛盾の葛藤が早くも現れた作品」でした。

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