真野森作『ルポ プーチンの戦争』概要と感想~現地取材から見えてくるウクライナ情勢とは

現代ロシアとロシア・ウクライナ戦争

真野森作『ルポ プーチンの戦争』概要と感想~おすすめ本!現地取材から見えてくるウクライナ情勢とは

今回ご紹介するのは2018年に筑摩書房より発行された真野森作著『ルポ プーチンの戦争「皇帝」はなぜウクライナを狙ったのか』です。

早速この本について見ていきましょう。

戦争が続くウクライナの現実。訓練された謎の覆面部隊、撃墜された民間航空機、クリミア半島のロシア編入……。何が起こっているか。ロシアの狙いは何なのか。毎日新聞モスクワ特派員が両国政府と親露派の要人を取材、砲撃と空爆で破壊された街に潜入して、戦闘員と市民の声を聞く。激動のロシア情勢を伝えるルポルタージュ。

Amazon商品紹介ページより

この作品の特徴は何と言っても、ジャーナリストである著者が現地で取材を重ね、そこから得たウクライナ情勢を伝えてくれる点にあります。

著者は本書について次のように述べています。

私は毎日新聞モスクワ特派員としてニ〇一三年一〇月に赴任し、一七年三月までロシアを現地で観察し続けた。私の報道姿勢を説明しておこう。図形の円をイメージしていただきたい。欧米メディアの情報を中心にニュースを判断する立ち位置を「〇度」とするならば、ロシア目線の情報を基に判断する立ち位置は「一八〇度」となる。さらに進んで、欧米発とロシア発の情報を両方吟味しつつ真実を模索するあり方は「二七〇度」となるはずだ。ごく簡単に言えば中庸である。私はこれを理想とする。加えて言えば、ウクライナに関しては当然、地元メディアの報道も見ておく必要がある。

そしてもう一つ、理想とするのは現場主義だ。ウクライナで戦争取材を続ける中、べトナム戦争を従軍取材した開高たけしの小説『夏の闇』の一節が何度も頭をよぎった。戦況について主人公は言う。「推論はかさねるが断定はできないよ。この眼で見ていないのだから。この眼で見ても断定はむつかしいな」。どの戦争でも取材者は常に手探りに違いない。すべてを目撃することなどできないからだ。それでもなお、可能な限り現場に入って伝え続けることに意味があると私は信じる。たとえ断片であっても事実に近づき、記録し、伝えたい。だから、なんとしても書籍の形にまとめたかった。

キエフで政変が起きた一四年二月以降、私はウクライナ各地を飛び回った。日本へ帰任するまでにウクライナを一七回訪れ、合計九七日間滞在した。うちクリミア半島は三回(計二三日間)、戦火の東部では七回(計五〇日間)現地取材した。(中略)

本書ではクリミアと東部というウクライナ危機における二つの現場を通して、プーチン政権によるハイブリッド戦争の生の姿を報告する。立場が異なる当事者たちの大きな声、小さな声に耳を傾けてもらえたならば、取材者冥利に尽きる。

筑摩書房、真野森作、『ルポ プーチンの戦争「皇帝」はなぜウクライナを狙ったのか』P23-25

この作品は上で著者が述べるように、ロシア側、ウクライナ側という片方の立場からだけのものではなく、そこで実際に何が起きていたのかに注目したルポになります。どちらかに加担しない姿勢のおかげで当事者双方の声を聴くことができるという非常に貴重な作品です。

そしてこの本ではクリミア併合、ウクライナ東部の戦闘はなぜ起こったのかということもとても丁寧に解説されています。

2014年のウクライナ政変をきっかけに国内事情は悪化し、それに乗じてロシアのクリミア併合、ウクライナ東部の戦闘が始まっていきました。日本ではその流れはあまり知られることはありませんでしたが、著者はそれをまるでリアルタイムで追っていくかのようにこの本で語っていきます。現地取材という臨場感、緊張感がこの本から伝わってきます。

「立場が異なる当事者たちの大きな声、小さな声に耳を傾けてもらえたならば、取材者冥利に尽きる。」

と著者が述べるように、現地の人々がこのロシア・ウクライナ問題についてどう考えているのかを聞けるのは非常にありがたいものでした。

その中でも特に印象に残った箇所をここで紹介します。以下はウクライナ東部の町ドネツクに住む女性を取材した時のやりとりです。少し長くなりますが、じっくりと読んでいきます。

住民の話をじっくり聞きたいと思い、ヤナに知人を紹介してもらった。空港から約四キロの場所に住む写真記者イリーナ・ゴルバショワ、五四歳の女性。停戦前の七月下旬には、砲撃による隣人一家の死を目の当たりにした。私たちは紙コップのコーヒーを片手に、州庁舎近くの並木通りのベンチへ腰掛けた。

ー戦闘が続く空港近くでの暮らしは?

「毎日、爆発音、銃声、機関銃の音が聞こえる。七月二一日の朝、砲弾が私たちの共同住宅に落ちました。九階建ての最上階に直撃し、その後には隣の建物や中庭にも。中庭に犠牲者が倒れていました。亡くなったのは隣の一家四人だった。私は恐ろしくなって中心部の友人宅へ避難した。遺体、パニック、逃げ場所が分からない大勢の人々。誰も予期していなかった。私はこの訳の分からない対立に疲れています」

ー住民投票では「ドネツク独立」にかなりの人が賛成したのでは?

「私の周囲では投票に行った人はわずかですよ。世間は半々に割れていた。投票へ行って新たな協和国の独立を望んだ人もいれば、この動きを違法とみて投票へ行かなかった人もいる。今でもお互いの間に対立がある。ただ、投票に行った人たちも平和を求める考えへと変わってきています。どんな平和でも戦争よりはまし。常識的な人たちはそう考えている」

イリーナはコーヒーを一口飲み、話を続けた。「このドンバス地方はウクライナの主権下にある地域です。壁はなくてもロシアとの間に明確な国境がある。ウクライナ人とロシア人は人為的に敵同士にされたのです。私たちは一度だっていがみ合うことはなかった。家族は混ざり合っていて、お互いに親戚がいる。ところが突然、敵同士になってしまった」

ー誰が悪いのでしょう。

「ああ、もし誰が悪いか分かっていたら、素早く彼らを見つけ出し、厳しく戒めたことでしょう。私からすれば、お互いのテリトリーをどうにも分け合うことができない大金持ちに罪がある。これは市民の戦争ではなく、ビジネス・エリートの戦争だと思います。オリガルヒ(新興財閥)の雇い兵部隊が現れたでしょう。いかなるときも国家に私兵集団があるべきではないのです。オリガルヒの私兵部隊は大統領に服従しない。停戦を決めても、従わない人々がいる。

通りには武器を持った人々が行き交っている。ここに警察はいない。叫ぼうが叫ぶまいが誰も助けてくれない。生活、居住、労働、学習の権利を奪われて生きるのはつらいことです。学校が閉じ、どれだけの子供たちが勉強できないでいることか。人々は別の町への避難を余儀なくされたけれど、それも長くは難しい。友人宅にずっとはいられず、帰宅せざるを得ない。今日、南部バスターミナルへ行ったら、まるでアリ塚のように戻ってきた人が大勢いました」

ーこの戦争の解決は可能でしょうか?

「事態は進展してしまい、抜け出るのは容易ではないでしょう。私はドンバスの住民として、地域が破壊されたことが悔しい。インフラ、道路、企業、炭鉱、工場、駅が壊された。誰にとって利益になるのか理解できません。最初から武器を手に取るべきではなかった。今すぐ武装解除を始める必要がある。銃を持った者たちが通りを歩かないように。親露派戦闘員にはヤクザ者が多く、彼らに反論は禁物です。私の知人は夜に飲料水を買いに行き、袋だたきにされました。ただ単に彼らがそうしたかったから……」

筑摩書房、真野森作、『ルポ プーチンの戦争「皇帝」はなぜウクライナを狙ったのか』P212-214

「ウクライナ人とロシア人は人為的に敵同士にされたのです。私たちは一度だっていがみ合うことはなかった。家族は混ざり合っていて、お互いに親戚がいる。ところが突然、敵同士になってしまった」

この言葉を読んだ時、私はボスニア紛争を連想してしまいました。2019年に私も現地を訪れ、紛争経験者のガイドさんに全く同じことを言われたからです。

ウクライナはなぜこんなことになってしまったのか。

それは2014年に至るまでの複雑な背景もありますし、そこから今にかけての事態の進展もあります。

この本を読んで改めて私はこの戦争が起きるまで何にも知らなかったんだなとつくづく痛感しました。

2014年から今に至るまでのウクライナの現地の様子を知るのにこの本は最適だと思います。これまでロシア・ウクライナ問題に関する様々な本を当ブログで紹介してきましたが、その中でも最もおすすめしたい作品のひとつです。ぜひぜひ手に取って頂けたらなと思います。

以上、「真野森作『ルポ プーチンの戦争』おすすめ!現地取材から見えてくるウクライナ情勢とは」でした。

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