MENU

ニーチェ『偶像の黄昏』あらすじと感想~ドストエフスキー、フランクル『夜と霧』とのつながりとは

目次

ニーチェ『偶像の黄昏』あらすじ解説~ドストエフスキー、フランクル『夜と霧』とのつながりとは

フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)wikipediaより

今回ご紹介するのは1888年にニーチェにより発表された『偶像の黄昏』です。

私が読んだのはちくま学芸文庫版、原祐訳『ニーチェ全集14 偶像の黄昏 反キリスト者』所収の『偶像の黄昏』です。

1888年はニーチェが発狂する直前の時期で、この年が実質哲学者ニーチェ最期の年になります。そんなニーチェの最晩年の著作の一つがこの『偶像の黄昏』となります。

早速この本について見ていきましょう。

『偶像のたそがれ、あるいは、ハンマーをもって哲学する道』は、いうまでもなくワーグナーの楽劇『神々のたそがれ』をもじった名である。偶像とは、これまで真理とよばれたものの一切であり、ハンマーがこれをみじんに砕いていこうとするのである。「この著作は、わたしの哲学の圧縮版です」と、かれはブランデスにあてて書いている「犯罪に近いほどラジカルです」そこでは、ソクラテスは頽廃の典型として否定され、理性、道徳も、ひっくりかえされる。キリスト教は賤民道徳の烙印を押され、ゲーテやヴィンケルマンふうのギリシア像はディオニュソス的なものによってゆすぶられる。寸毫の仮借もないその批判は一語をもゆるかせにしない言語形式をとり、ニーチェのアフォリズム文体はこの書で頂点に達したといってよい。

中央公論社、『世界の名著46 ニーチェ』手塚富雄「ニーチェの人と思想」P46

また、ちくま学芸文庫版のあとがきでは次のように解説されています。

まず、本巻の冒頭に置かれた『偶像の黄昏、、、、、』に関して言えば、『この人を見よ』のなかで、ニーチェ自身が次のように言っている―〈いかに私以前にはすべてのものが逆立ちしていたかを、簡単にわかろうと欲する人は、この書物から始めるがよい〉。

たしかにこの著作は、ニーチェの思想がどこから由来したか、価値転換という稀有の心理的洞察によってその根本思想をどこに定着させたか、この根本思想を拠点としていかに現代文化の病根があばき出されるか、これらのことを私たちに教えてくれる。

『偶像の黄昏』は、ニーチェ自身が或る書簡のうちで〈この著作は私の哲学の摘要である〉と言っているとおり、しかもそれが彼の最晩年の著作であってみれば、ニーチェの全思想の圧縮された総決算であると言ってすら過言ではなかろう。

このように『偶像の黄昏』は、ニーチェの全思想に対する内容的な概観を私たちに与えてくれるのみならず、文体に関しても私たちをさまざまな角度からニーチェに近づけてくれる。というのは、アフォリズムをその根本性格として、直截簡潔な、それでいて底を見破る説得的なニーチェの文体が、この著作においては、主題の異なりに応ずるそれぞれの手法を見せているからである。『偶像の黄昏』は、おそらく『この人を見よ』を別とすれば、二ーチェの全面的理解のために、まっさきに読まれてよいニーチェ自身の手になる入門書であると言ってさしつかえなかろう。
※一部改行しました

ちくま学芸文庫、原祐訳『ニーチェ全集14 偶像の黄昏 反キリスト者』p548

この解説にもありますように『偶像の黄昏』は価値転換の書というべき、私たちの価値観を揺さぶる強烈な言葉が続きます。

そしてここで語られる内容はこの直後に発表される『反キリスト者(アンチクリスト)』という作品に直結していきます。

キリスト教というこれまでの歴史を形作ってきた道徳体系に鉄槌をくださんとするニーチェの試みがこの作品でなされます。

また、この作品が書かれる直前の1887年にニーチェはドストエフスキー作品に出会い、衝撃を受けています。この作品においてニーチェはドストエフスキーについて次のように述べています。

ドストエフスキーこそ、私が何ものかを学びえた唯一の心理学者である。すなわち、彼は、スタンダールを発見したときにすらはるかにまさって、私の生涯の最も美しい幸運に属する。浅薄なドイツ人を軽蔑する権利を十倍ももっていたこの深い、、人間は、彼が長いことその仲間として暮らしたシべリアの囚人たち、もはや社会へ復帰する道のない真の重犯罪者たちを、彼自身が予期していたのとはきわめて異なって感じとった―ほぼ、ロシアの土地に総じて生える最もすぐれた、最も堅い、最も価値ある木材から刻まれたもののごとく感じとった。

ちくま学芸文庫、原祐訳『ニーチェ全集14 偶像の黄昏 反キリスト者』p138

ニーチェは1887年に偶然ドストエフスキー作品に出会い、彼の思想に共鳴し絶賛したのでありました。

ドストエフスキ―晩年の大作『未成年』『カラマーゾフの兄弟』は読んでいなかったそうですが、『死の家の記録』『虐げられた人びと』『地下室の手記』『悪霊』などを読み大きな感銘を受けたとされています。

『偶像の黄昏』では上のように述べていますが、彼の書簡やノートにはドストエフスキーに対する言及が数多くあります。

あわせて読みたい
ニーチェ書簡におけるドストエフスキーへの言及について~ニーチェとドストエフスキーのつながりとは 前回の記事で紹介した『ニーチェ書簡集』ではドストエフスキーについて書かれた箇所がいくつも出てきます。今回はそんなドストエフスキーに対するニーチェの言及が書かれている箇所を紹介していきたいと思います。 ドストエフスキーをニーチェとの関係から考えていくという試みをしていく中で非常に興味深い内容がそこにありました。 『ニーチェ書簡集』はニーチェの素顔を知る上でも非常に興味深い作品ですが、ドストエフスキーとの関係を知る上でもとてもおすすめな一冊となっています。

ニーチェ最晩年の思想とドストエフスキーのつながりは非常に興味深いものがあります。

また、この作品の前半に出てくる以下の言葉にも注目したいです。

人生についての独自のなぜに、、、?をもっていれば、ほとんどあらゆるいかにして、、、、、?とも折合いがつく。-人間は幸福をもとめて努力するのではない、、。そうするのはイギリス人だけである。

ちくま学芸文庫、原祐訳『ニーチェ全集14 偶像の黄昏 反キリスト者』p17

この箇所はフランクルの『夜と霧』に引用されている箇所です。せっかくですので『夜と霧』の一節を見ていきましょう。

強制収容所の人間を精神的に奮い立たせるには、まず未来に目的をもたせなければならなかった。被収容者を対象とした心理療法や精神衛生の治療の試みがしたがうべきは、ニーチェの的を射た格言だろう。

「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」

したがって、被収容者には、彼らが生きる「なぜ」を、生きる目的を、ことあるごとに意識させ、現在のありようの悲惨な「どのように」に、つまり収容所生活のおぞましさに精神的に耐え、抵抗できるようにしてやらねばならない。

ひるがえって、生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていてもなにもならないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともに、がんばり抜く意味も見失った人は痛ましいかぎりだった。そのような人びとはよりどころを一切失って、あっというまに崩れていった。あらゆる励ましを拒み、慰めを拒絶するとき、彼らがロにするのはきまってこんな言葉だ。

「生きていることにもうなんにも期待がもてない」

こんな言葉にたいして、どう応えたらいいのだろう

みすず書房、ヴィクトール・E・フランクル、池田香代子訳『夜と霧 新版』P128-129

ニーチェの言葉が極限状態を生き抜いたフランクルに大きな影響を与えていたのでした。

今回の記事ではドストエフスキーとフランクルとのつながりについてお話ししましたが、この作品自体も非常に興味深い作品です。

ニーチェ最晩年の思想が凝縮されています。ニーチェ自身がこの本を入門として読むことを薦めるほどの作品です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

以上、「ニーチェ『偶像の黄昏』あらすじ解説~ドストエフスキー、フランクル『夜と霧』とのつながり」でした。

Amazon商品ページはこちら↓

ニーチェ全集 14 (ちくま学芸文庫 ニ 1-14)

ニーチェ全集 14 (ちくま学芸文庫 ニ 1-14)

次の記事はこちら

あわせて読みたい
ニーチェ『反キリスト者(アンチクリスト)』あらすじと感想~ドストエフスキー「大審問官の章」や仏教... 『アンチクリスト』は西尾幹二が述べるように私もニーチェ作品の中でも特に優れた作品であるように思えます。何より、読みやすい!そしてその思想の強烈たるや!この本はニーチェ作品の中で私の一番のお気に入りの作品です。ドストエフスキーが好きな方には特におすすめしたい1冊です。 また、個人的にこの作品で興味深かったのが仏教とのつながりです。この作品ではキリスト教に対して容赦ない攻撃を浴びせかけますが、仏教に対してはかなり好意的です。なぜニーチェが仏教に好意的だったのかもこの作品で知ることができます。

前の記事はこちら

あわせて読みたい
ニーチェ『善悪の彼岸』『道徳の系譜』あらすじと感想~道徳の起源とキリスト教倫理の成立を分析した作品 「深淵をのぞきこんでいれば、深淵もまたお前をのぞきこむ」という有名な言葉が収録されている『善悪の彼岸』。 そして『道徳の系譜』ではニーチェはキリスト教世界における道徳の歴史を分析し、考察します。 『道徳の系譜』はニーチェ作品の中でも特に私の印象に残っている作品です。また、ニーチェの思想を知る上でもとてもおすすめな作品です。

ニーチェおすすめ作品、参考書一覧記事はこちらです

あわせて読みたい
ニーチェおすすめ作品7選と解説記事一覧~ニーチェは面白い!哲学だけではなくその人生、人柄にも注目です ニーチェの哲学書と言えばとにかく難解なイメージがあるかもしれませんが、それでもなお現代まで多くの人に愛され続けているのも事実です。難解なだけでなく、やはりそこに何か読者の心を打つような強いメッセージがあるからこそ多くの人に読まれ続けているのだと思います。 今回はそんなニーチェの哲学書の中でも私がおすすめしたい7つの作品とニーチェに関する興味深い解説をまとめた記事をいくつか紹介していきます。
あわせて読みたい
おすすめニーチェ解説書10選~ニーチェとは何者なのか、その思想を学ぶために この記事では私のおすすめするニーチェの解説書10冊をご紹介していきます。 これから紹介する本を見て皆さんは驚かれるかもしれませんが、一般的に「ニーチェ 入門」と検索しておすすめされる本とはたしかに違うラインナップです。ニーチェ入門の本を探している方にはハードルが高いと思われるかもしれませんが、実際読んで頂ければわかると思いますがとても丁寧でわかりやすい解説書ばかりです。

関連記事

あわせて読みたい
ニーチェとドストエフスキーの比較~それぞれの思想の特徴とはー今後のニーチェ記事について一言 ニーチェの言葉には悪魔的な強さがあります。その感染力たるや凄まじいものがあります。 しかし、最近ニーチェ関連の参考書を読んだり、ニーチェ作品を改めて読み返してみると、これまでとは違ったニーチェが私の前に現れてきました。
あわせて読みたい
ドストエフスキーおすすめ作品7選!ロシア文学の面白さが詰まった珠玉の名作をご紹介! ドストエフスキーといえば『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』など文学界では知らぬ者のない名作を残した圧倒的巨人です。彼は人間心理の深層をえぐり出し、重厚で混沌とした世界を私達の前に開いてみせます。そして彼の独特な語り口とあくの強い個性的な人物達が織りなす物語には何とも言えない黒魔術的な魅力があります。私もその黒魔術に魅せられた一人です。 この記事ではそんなドストエフスキーのおすすめ作品や参考書を紹介していきます。またどの翻訳がおすすめか、何から読み始めるべきかなどのお役立ち情報もお話ししていきます。
あわせて読みたい
なぜニーチェは難しいのか、人によって解釈が異なるのか~ドストエフスキーとの共通点 タイトルにもありますようにニーチェといえばとにかく難しいというイメージがありますよね。 今回の記事ではなぜニーチェはこんなに難しいのか、そして多様な解釈が存在するのかということを考えていきたいと思います。
あわせて読みたい
ニーチェ発狂の現場と『罪と罰』ラスコーリニコフの夢との驚くべき酷似とは 1889年1月、ニーチェ45歳の年、彼は発狂します。彼が発狂したというエピソードは有名ですがその詳細に関しては私もほとんど知りませんでした。 しかし、参考書を読み私は衝撃を受けました。その発狂の瞬間がドストエフスキーの代表作『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフが見た夢とそっくりだったのです。
あわせて読みたい
ニーチェのデビュー作『悲劇の誕生』あらすじと感想~哲学者ニーチェの特徴を知るのにおすすめ ニーチェは元々古典文献学者でした。ニーチェは古代ギリシア文献を当時の学問的常識とは全く異なる視点で見ていこうとしました。その試みの結晶がこの『悲劇の誕生』という作品になります。 「アポロ的とディオニュソス的」という有名な概念はそうした試みから生まれた概念になります。
あわせて読みたい
マッキンタイアー『エリーザベト・ニーチェ 』あらすじと感想~ニーチェには恐るべき妹がいた!前代未聞... この本は凄まじいです。衝撃的です。 「嘘でしょ!?」と思わずにはいられない驚くべき事実の連発です。 ニーチェ自身も規格外の存在でしたがその妹もとてつもない人物でした。 この本ではそんな恐るべきニーチェの妹の生涯を通してニーチェの人物像もあぶり出していきます。
あわせて読みたい
『ツァラトゥストラ』にニーチェの孤独の寂しさを感じる~「神は死んだ」で有名な代表作 ニーチェは誰からも理解してもらえない孤独に苦しんでいたのでないか。理解されたくもないような人たちばかりの現実に苦しんでいたのではないか。この攻撃的な言葉は彼の孤独の苦しさ、寂しさの吐露ではないかとも思えるようになったのです。この記事ではニーチェの書簡なども見ていきながらニーチェの孤独について考えてみたいと思います。
あわせて読みたい
ニーチェは発狂したから有名になったのか~妹による改竄とニーチェの偶像化 ニーチェは偉大な思想家です。ニーチェが遺した作品は今もなお輝きを放ち続け、多くの人に読み継がれています。しかし偉大な哲学者、作家にありがちなことですが生前は世間から理解されず不遇の生涯を送ることになりました。 そして彼はほとんど世間に知られることなく、1889年に発狂してしまいます。彼が45歳になる年でした。
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

目次