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『レニングラード封鎖 飢餓と非情の都市1941-1944』あらすじと感想~80万人以上の餓死者を出したサンクトペテルブルクの包囲戦

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白水社、マイケル・ジョーンズ著、松本幸重訳『レニングラード封鎖 飢餓と非情の都市1941-1944』概要と感想

今回ご紹介するのは白水社より2013年に出版された、マイケル・ジョーンズ著、松本幸重訳『レニングラード封鎖 飢餓と非情の都市1941-1944』という本です。

早速この本について見ていきましょう。

第二次世界大戦中、ヒトラーのドイツ軍に九〇〇日間包囲攻撃されたレニングラードでは、一〇〇万人の市民が犠牲になった。空襲や疫病による死者も多いが、餓死者は八〇万人と推定されている。なぜ大都市は包囲されたのか? なぜ食糧はたちまち底をついたのか?

包囲が始まるのは、ドイツ侵攻開始から三ヵ月後の一九四一年九月上旬。本書は、攻撃側のマンシュタインらドイツ軍、防衛側のスターリンやジダーノフらソヴィエト当局、そして数多くの一般市民の視点から、時系列に沿って展開する。とりわけ市内の状況が最も絶望的だった、四一年十二月中旬から四二年二月中旬までの三ヵ月間について詳述される。

その間、パンの配給は滞り、肉やその他の食品は闇市場でしか手に入らなかった。市民は飢え、壁紙の裏の膠を煮出して飲み、革ベルトを小さく切って煮て食べた。電気、水道、暖房はすでに停まっていた。市内で大量の餓死が始まる。さらに疫病が蔓延し、墓地に運びきれない死体があふれる。人心の荒廃と飢餓はカニバリズムを生み、凄惨な証言に言葉を失う。

包囲下の極限状態で生と死を分けたのは何か? それは、生きる希望を持ち続けること、守るべき者(家族、子供、友人)をもっていた

Amazon商品紹介ページより
1942年 包囲中のネフスキー大通りを歩くレニングラード市民達 Wikipediaより

独ソ戦の中でも特に悲惨な戦いの一つとして有名で、レニングラード(現サンクトペテルブルク)というロシアの旧首都を舞台にした壮絶な包囲戦がこの本で語られます。

早速この本の内容について訳者あとがきを見ていきましょう。

本書(原題LENINGRAD:Stage of Siege)は、世界史上もっとも恐ろしい包囲戦の一つになった、第二次世界大戦中のヒトラー軍によるレニングラード封鎖とソヴィエト軍による反撃の試み、封鎖がこの大都市にもたらした極限状況下の市民生活についての物語である。

そして、膨大な数の犠牲者を出した封鎖下の市内で、何が人々の生と死を分ける重要な要素になったのかーいかにしてレニングラード人たちは状況に耐え抜き、生き延びる力をみずからの中に見出したのか、ということについての物語である。

著者のマイケル・ジョーンズ(Michael Jones)は英国の歴史家で、戦闘の心理状態と絶望的状況下での士気の死活的役割の研究が専門だという。ブリストル大学で歴史博士号(軍事史専攻)を取得後、サウスウエスト・イングランド大学、グラスゴー大学、ウィンチェスター・カレッジで教えた。英国史学会会員フェロー、現在は作家。近年は第二次世界大戦東部戦線戦跡ツアーの案内役も務めている。
※一部改行しました

白水社、マイケル・ジョーンズ著、松本幸重訳『レニングラード封鎖 飢餓と非情の都市1941-1944』P413

著者のマイケル・ジョーンズ氏は戦闘の心理状態と絶望的状況下での士気の死活的役割の研究が専門ということで、その視点がこの本の中でも大いに感じられます。絶望という言葉では表しきれない悲惨な状況の中で人々はどう耐え抜いたのか、また、状況に耐えきれず人間性を失っていく人々の行動などをこの本では目にしていくことになります。

周知のように、第二次世界大戦の独ソ戦の緒戦では、万全の準備をして攻め込んだナチス・ドイツ軍の圧倒的戦力の前に、西部国境のソヴィエト軍は総崩れ状態になった。

国境地帯を難なく突破したドイツ軍は各方向で急速な進撃を続け、その北方軍集団は一九四一年六月二十二日の侵攻開始からわずか数週間でレニングラード州南西端に達した。八月下旬にはレニングラード市を南から包囲する地帯にまで進出し、九月八日に東のラドガ湖畔シュリッセルブルグを占領して包囲環を完成する。レニングラードの北のカレリア地峡はドイツの同盟国フィンランド軍によりすでに封鎖されていた。これにより「レニングラード封鎖」が始まった。

それまでにはすでにソ連欧州部の広大な領土がドイツ軍に占領され、多くの重要都市が陥落していた。しかし、レニングラードはその後のほぼ九〇〇日間、ドイツ軍の包囲攻撃に耐え抜いた。ソヴィエト軍が市の周囲からドイツ軍とフィンランド軍を追い払い、封鎖が完全に解除されたのは四四年一月のことである。

独ソ戦終結直前の一九四五年五月一日付ソヴィエト軍最高総司令官スターリンの布告の中で、「英雄都市」として名前を挙げられた四都市の一つがレニングラードだったのは、この都市の防衛において軍と市民が発揮した英雄的行為(ヒロイズム)への当然の評価だったろう(ほかの三都市はスターリングラード、セヴァストーポリ、オデッサ)。

だが、この封鎖中にレニングラード市民が強いられた犠牲は、ヒロイズムの概念で括るにはあまりにも大きく、悲惨だった。砲撃、空襲による犠牲者も多かったが、それとは桁の違う膨大な数の人たちが食糧不足で餓死したからだ。今日ではその数は少なくともハ〇万名を超すと推計されている。

餓死者の多くは四一年十二月から四二年二月末までの三ヵ月ほどの期間に集中した。この悲劇はレニングラード防衛という輝かしい栄光と表裏をなしており、この問題の取り上げ方によっては表の部分がかすんでしまいかねない。

また、悲劇の元凶が侵攻したナチス・ドイツであることは言うまでもないが、そもそも侵略と緒戦のソヴィエト軍の壊滅的敗退を許し、そのためにレニングラード封鎖を招いた原因と責任はソヴィエト指導部(スターリン)にあったのである。こうして、レニングラード封鎖の悲惨な側面ーとりわけ大量餓死についての情報はすでに封鎖の期間中から当局の検閲により、国内に向けても、国外(連合国)に対しても厳しく統制された。
※一部改行しました

白水社、マイケル・ジョーンズ著、松本幸重訳『レニングラード封鎖 飢餓と非情の都市1941-1944』P414

レニングラード包囲戦は80万人以上の餓死者を出す悲惨な戦闘でした。しかしそれはソ連指導部の失策でもありました。ソ連政府はこの戦闘を英雄物語に書き換え宣伝することになりましたが、ソ連崩壊などを経て今では多くの資料によってその内実が明らかにされつつあります。

この本については紹介したいことがたくさんあるのですが記事の分量上、著者の序論よりそのいくつかを引用するにとどめたいと思います。

著者は次のように語ります。

一九四六年のニュルンべルク裁判で、あるドイツ軍捕虜が証言した。包囲軍は几帳面に午前八時〇〇分から九時〇〇分まで、次いで十一時〇〇分から十二時〇〇分まで、午後は五時〇〇分から六時〇〇分まで、夜は十一時〇〇分から十二時〇〇分までレニングラードを砲撃した、と。

彼は「これにより、砲撃ができるだけ多くの人を殺し、工場と重要施設を破壊し、何よりも重要なこととして、レニングラード市民の土気をくじくことを狙った」と述べた。この猛攻撃と一緒に、飢餓が「兵器」として意識的に選択された。

人ロニ五〇万を超すこの活気にあふれ文化の薫り高い都市が直面していたのは、計算ずくの攻撃だった。この都市の存続の権利自体が危機にさらされたのである。(中略)

ヴェーラ・リュディノはアパートの部屋の窓から外を眺めていることしかできなかったが、目にしたことを後に日記にしるした。「恐ろしい飢餓、絶え間ない砲撃、死者たちの凍結した遺骸について私は正直に書いた」。彼女の記録はレニングラードの英雄的な闘いだけではなく、暗い側面をも映し出す。すなわち、ソヴィエト国家が自国民を護るのに無能だったことについて、包囲が時としてその犠牲者たちに呼び起こした残酷な行為について物語っている。「それは、大部分の人が食べるという一つの本能だけで生きていて、人々の最悪の資質と最良の資質が明るみに出た時だった」。(中略)

略奪とカニバリズム〔人肉食〕が蔓延した。ヴェーラが住んでいたアパートで子供たちが次々と姿を消した。後に隣人の女性バイオリニストのフラットで子供たちの衣服と骨が見つかった。バイオリニストの五歳の息子もいなくなった。

リュディノの一家は革ベルトや工芸用のにかわで作ったゼラチンを、月桂樹の葉で香りづけして食べることまで始めた〔月桂樹の葉はどの家庭にも料理用に買い置きがあったという〕。「それを食べると、胃に火がついたように感じて、とても喉が渇く。でも秘訣は何も飲まないで、満腹感を持続させることだった」
※一部改行しました

白水社、マイケル・ジョーンズ著、松本幸重訳『レニングラード封鎖 飢餓と非情の都市1941-1944』P15-17

ナチス軍はレニングラードという大都市に突入し市街戦に持ち込むのを避けようとしました。それは攻撃する側に多大な被害をもたらすと考えられたからです。

そのためナチス軍はこの街を完全包囲して食料とインフラを遮断し、餓死や疫病によって死滅させることを選んだのです。この街は包囲によって飢餓になってしまったというより、飢餓による餓死を戦略的兵器として選んだが故に包囲されたというのが正確なところなのかもしれません。

こうした包囲戦のことを読み、私は2019年に訪れたボスニアの首都サラエボを連想してしまいました。

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サラエボもボスニア紛争でセルビア勢力に1992年から95年まで包囲され、市民は絶えず飛んでくる砲弾や銃弾、そして飢餓に苦しめられたのでした。

私は恥ずかしながら独ソ戦についてはその当時ほとんど何も知りませんでした。ですが今こうして独ソ戦を学び、改めてサラエボのことを思うと以前とはまた違った思いも浮かんできました。

歴史は繰り返される。そのことの恐ろしさを感じました。

二〇〇二年に秘密警察の記録が公開された。これらの記録が明らかにしたところでは、封鎖中に少なくとも三〇〇名がカニバリズムのかどで処刑され、一四〇〇名以上が同じ罪状で投獄された。封鎖の初期には市民の士気が絶望的に低下することが頻繁にあった。

新たな研究が示しているのは、一九四一年の冬には法と秩序が崩れはじめ、市内の各所はギャングと人食いたちの支配下に陥っていたということである。レニングラードは破滅の瀬戸際に立っていた。しかし、驚くべきことに、崩壊は起きなかった。

レニングラードを完全な破滅から救ったのは赤軍〔ソヴィエト軍の当時の名称〕だけではなかった。本書が語るのは、この都市の生き残りの物語、何がそれを可能にしたのか、すなわちレニングラードの人々が耐え抜き、生き延びるための力を自分自身の中にどのようにして見出したかということの物語である。

というのは、一部の住民たちが封鎖の緊張下で自己を見失ったのに対し、自らの人間的価値を保ち続けようと闘った人たちがいたからである。封鎖生存者のイリーナ・スクリパチョーワが書いているように、恐怖のただ中では「他人を助けることが生き残る鍵になった」。人々は親戚や友人たちと一緒に住み、互いに助け合った。「分かち合いが私たちの生活様式になった。そして他人を助けること、忙しくしていること、責任を負いながら働くことが人々に力を与えた」と、スクリパチョーワは言っている。

彼女が強調したのは、もっとも絶望的な状況の中でさえも士気とやる気がとても重要だったということである。

長年にわたり封鎖生存者の取材をした作家のダニール・グラーニンも言っている。

「士気はレニングラードを守る英雄的闘争の主要な特徴の一つだった。それは愛国心というよりもむしろ知性の維持であり、飢えの屈辱、人間性抹殺に対する抗議だった。他人を救った人たちは、自分自身を救った。芸術と文化がそれを助けた」

精神を麻痺させるこの破局のあいだ、人間的価値の感覚を維持し続けることはどのようにして可能になったのか?封鎖期間中、何よりもまず信念に基づく行為として自己の学術研究を続けた文芸学者ドミトリー・リハチョフ〔一九〇六~九九〕は、感動的にこう書いている。

「人間の脳が、しんがりになった。四肢が動かなくなり、指はもはやボタンを掛けられなくなり、ロを閉じる力さえなくなり、皮膚は黒ずんで歯に貼りついても、脳は働き続けた。人々は日記や、哲学的論文さえ書き、信じられないような粘り強さを発揮した」
※一部改行しました

白水社、マイケル・ジョーンズ著、松本幸重訳『レニングラード封鎖 飢餓と非情の都市1941-1944』P18-19

極限状態の中でも信じられないような精神力の強さを見せ、芸術や文化がレニングラードを支えていた。そして生き残るために無法地帯となっていた中でも他者と助け合いの精神を持ち、生き延びた人たちがいた。

これは驚異的なことだと思います。このことについて本当は一字残らずここでご紹介したいくらいなのですがかなり長くなってしまいますのでできません。ですがこれはぜひ読んで頂きたい箇所です。私は読んでいて鳥肌が立つほどの衝撃を受けました。

戦争という極限状態の中で、倫理が崩壊し人肉食に至るまで精神が崩壊してしまう人もいれば、強い人間性を発揮した人もいた。戦争は人間の本質を暴き出すとよく言われますが、人間とは絶対的に悪でも善でもなく、どちらもありうる存在なのだということを感じました。人間において性悪説、性善説どちらかを断言することは簡単です。ですが本当は状況やその人の持って生まれたものによってどちらにも振れ動くものなのではないかとこの本を読んで改めて考えさせられました。

そして同時にもし自分がこのような状況に置かれたらどうなるのか・・・このことを考えると心底恐ろしく思います。実際になってみなければもちろんわかりません。ですが私にそれほど強靭な心があるのだろうか、正直自信がありません・・・いや、そもそも体があまり強くない私です。きっとすぐに力尽きてしまうかもしれません・・・

この本はあまりにショッキングです。かなり強烈な描写が続きます。地獄のような世界でレニングラード市民は生きていかなければなりませんでした。市民が飢えていき、どんどん死んでいく様子がこの本では語られていきます。生き残るために人々はどんなことをしていたのか。そこで何が起きていたのか。その凄まじさにただただ呆然とするしかありません。80万人以上の餓死者を出したというその惨状に戦慄します・・・

独ソ戦の悲惨さを学ぶのにレニングラード包囲戦は必読です。弾丸飛び交う戦場だけが戦争ではありません。一般市民を餓死させるという戦略的包囲も戦争のひとつの大きなあり方です。

この本はそうしたことを学ぶ上でも最適な1冊です。読むのに覚悟がいる本ではありますがぜひおすすめしたい作品です。

また、同じくレニングラード包囲戦を学ぶのにひのまどか著『戦火のシンフォニー レニングラード封鎖345日目の真実』も非常におすすめです。

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この本でも飢餓の極限状況の中でも芸術が人々の心の大きな支えになっていたことが語られていましたが、ひのまどかさんのこの著書ではさらに詳しく音楽家たちの命がけの闘いを見ていくことになります。ぜひこの本も合わせておすすめしたいです。

以上、「『レニングラード封鎖 飢餓と非情の都市1941-1944』ー80万人以上の餓死者を出したサンクトペテルブルクの包囲戦」でした。

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レニングラード封鎖: 飢餓と非情の都市1941-44

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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