プーシキン作品の特徴と偉大さの秘密を解説―『スペードの女王』を題材に

ドストエフスキーとロシア

なぜプーシキンはロシア人に好まれたのか。その偉大さの秘密とは。

前回の記事ではプーシキンの『スペードの女王』についてお話ししました。

今回の記事ではその『スペードの女王』を題材にプーシキン作品の特徴と、なぜプーシキンがここまでロシア人に愛されたのかということについてお話ししていきます。

早速ですが、川端香男里氏の『ロシア文学史』ではプーシキン作品の特徴として次のようなことを述べています。

プーシキンの作品―詩であれ小説であれ評論であれ―を特徴づけるのは、叙述の自然さ、明晰・簡明・機智である。口語的な要素が大胆に取り入れられているが、古典的な洗練・優雅は失われていない。残念なことに、このような特質は翻訳で失われがちである。プーシキンの詩のすぐれた鑑賞者であったメリメは、翻訳を通すと同国人からプーシキンが平板で陳腐な詩人としかみられないことを歎いている。音と意味の完全な結びつき、メローディアスな響きとイメージの調和というプーシキン詩の特徴は外国人にはなかなか感得できない。

川端香男里氏『ロシア文学史』岩波文庫P128

プーシキン作品の特徴はその「叙述の自然さ、明晰・簡明・機智」にあります。

もう少しざっくりと言うならば「余計な言葉を極力減らし、よりシンプルに!」ということになります。

プーシキンはむやみやたらに長く続く文章を嫌いました。そして当時ヨーロッパで流行したとにかく大げさな表現を避けようとしたのです。

そのことについてちょうどわかりやすいのが前回紹介した『スペードの女王』という作品になります。

前回も取り上げましたが改めてこの作品のあらすじを紹介します。

『スぺードの女王』の主人公、ゲルマンは、ドイツ系のロシア士官だった。「彼には激しい情熱と燃えるような想像力があったが、性格の強さが、若い者にはありがちなさまざまな過ちから彼をいつも守ってくれていた」。この明敏で野心家の勘定高い男は、決してトランプのカードに手を触れなかったが、賭博台を囲んでの友人たちの騒々しく陽気な集まりには出ていた。「余分な金を手に入れられるかもしれないなんて期待だけで必要な金をなくすような危険は、ぼくには冒せませんよ」と、彼は、自分に賭け金を張るように勧める者たちに、いつもはっきり言っていた。しかしながら、これらの夜の集まりの一つが、彼の運命を決めることになっていたのである。その晩、賭博仲間の一人のトムスキイが、昔、自分の祖母がサン・ジェルマン伯爵から、賭博の必勝法を聞いたことがあるという話をした。三枚のカードにまつわる話だった。どのカード?どんな賭博者でもその秘密を高く買ったことだろうが、年取った伯爵夫人は、もう決して賭けないと誓いを立ててしまったので、破産と恥辱から自分を救ってくれた驚くべき確実な賭け方を明かすことを拒んでいたのである。

 この話は、ゲルマンに強烈な印象を与えた。彼は貧しかった。この高慢な都会でしかるべく暮らしてゆくために、彼には金が必要だった。「確実な手で勝つ!」一人の老婆の強情が、彼が自分の夢を実現するのを妨げるなどということはばかげていなかっただろうか。奇妙な悪夢のよぎった夜を過ごした後、彼は、かの祖母の私生活にまで入りこもうと決心した。

アンリ・トロワイヤ『プーシキン伝』篠塚比名子訳 P568

ゲルマンはこうしてカードの秘密を得るために老婆の館に侵入し、彼女を脅してその秘密を吐かせようとします。

ですが老婆は恐怖のため秘密を教える前にショック死してしまいます。金持ちの老婆殺しは『罪と罰』を連想させますね。

不本意にも秘密を知ることなく老婆を死なせてしまったゲルマンですが、ふとしたことから結局その秘密を得ることになります。

そして彼はその秘密を用いて勝負に出ます。さあ彼の命運はいかに!?

というのがこの作品のあらすじになります。

アンリ・トロワイヤの『プーシキン伝』ではこの作品について実に巧みにその偉大さを解説しています。その解説をちょっと長くなりますが見ていきましょう。

 さて、プーシキンの最大の長所は、まさしく、作品を犠牲にして自分が目立つことをやめたことである。もう一度彼は、自分の考えの要点しか読者に明かさないようにしながら、見事な腕前を示した。非常に飾り気のない、非常に平明な彼の散文は、いつまでもこの形式の模範であり続ける。短い、形容語を取り去った文章は、力強い動詞を中心にしてまとめられている。物語は、乾いた、簡潔な、せわしない調子で、動詞から動詞へと急速に展開する言葉遣いに贅肉はいささかも付いていない。ただ活力にあふれる神経と筋肉あるのみだ。もっと早く走れるように。もっと早く目標に到達できるように。老女の館の前にたたずむゲルマンのこの描写ほど、的確で簡素なものがあるだろうか?

「ひどい天気だった。風が唸り、綿をちぎったような雪がみぞれ模様で降っていた。街灯はぼんやりした光を広げ、通りには人影がなかった。時折、痩せこけた駄馬を繋いだ橇がすべって過ぎ、客はいないかと、御者が夜ふけの通行人の様子を窺った……。とうとう、伯爵夫人の馬車が引き出された。ゲルマンは、黒貂の毛皮外套にくるまって、二人の従僕に支えられた、腰のすっかり曲がった老女が出てくるのを見た。その後すぐに、薄手の外套に覆われた肩、生花で飾った髪が見え、リザヴェータ・イヴァーノヴナがすばやく通った。昇降口の扉が音を立てて閉まり、馬車は柔らかい雪の上をのろのろと走っていった。スイス人の門番が玄関の扉を前のように閉めた。窓々の明かりが消えた。ゲルマンは人気のなくなった館の前を百歩歩いた」

 プーシキンは、老女の亡霊を描かねばならないとしても、亡霊にはつきものの青白さだの、ぼうっとした光を放つことだの、鎖のがちゃがちゃいう音だのを描く誘惑に負けないように十分用心している。幻出現のくだりは、一見したところ、表現の簡素さのゆえに、ほとんど失望を呼ぶていのものである。

「そのとき、往来を通っていた誰かが、部屋の中をちらっと覗いた。それから、すぐに遠ざかっていった。ゲルマンはそれにはどんな注意も払わなかった。一分後、彼は玄関の扉が開くのを聞いた。彼は、いつもの通り酔っぱらった自分の従卒が、何か夜の散歩から戻ってきたのだと思った。そうではなかった。聞いたことのない足音だった。誰かがそうっとスリッパを引きずって歩いている。ドアが開いて、白衣の女が入ってきた……。ゲルマンはそれがあの伯爵夫人だとわかった」

 このきわめて平凡で単調な描写において、「誰かがそうっとスリッパを引きずって歩いている」と、「白衣の女が入ってきた」という、二つの文章が目を引く。そうっとスリッパを引きずって歩く白衣の女、亡霊なんてそんなものである。だが、まさにこの白い色とスリッパが、不気味な感じを与えるのである。どんな付随的な細部描写もないので、この白い色とスリッパは、わたしたちの頭の中で何よりも大きな重要性を持ち始めるのだ。このことが、わたしたちの頭を離れない。プーシキンが、よく選択された数語の背後に一つの世界を構築することを読者の手に委ねたのは、理にかなったことだ。

アンリ・トロワイヤ『プーシキン伝』篠塚比名子訳 P571-572

アンリ・トロワイヤは先ほどの川端香男里氏の解説を絶妙に補ってくれているように思えます。

普通の作家だったら自分の筆の力を誇示するためにあえて大げさに表現します。

ですが彼はそんなことをしません。「プーシキンは、老女の亡霊を描かねばならないとしても、亡霊にはつきものの青白さだの、ぼうっとした光を放つことだの、鎖のがちゃがちゃいう音だのを描く誘惑に負けないように十分用心している」のです。

ここがプーシキンのプーシキンたる所以で、この簡潔さ、本質にズバリと切り込むような言葉の選択がロシア人の心に深く突き刺さったのでしょう。

トロワイヤの

このきわめて平凡で単調な描写において、「誰かがそうっとスリッパを引きずって歩いている」と、「白衣の女が入ってきた」という、二つの文章が目を引く。そうっとスリッパを引きずって歩く白衣の女、亡霊なんてそんなものである。だが、まさにこの白い色とスリッパが、不気味な感じを与えるのである。どんな付随的な細部描写もないので、この白い色とスリッパは、わたしたちの頭の中で何よりも大きな重要性を持ち始めるのだ。このことが、わたしたちの頭を離れない。プーシキンが、よく選択された数語の背後に一つの世界を構築することを読者の手に委ねたのは、理にかなったことだ。

アンリ・トロワイヤ『プーシキン伝』篠塚比名子訳 P572

という解説はまさしくプーシキンの凄みを感じさせるシーンです。

文学を楽しむというのは、こうした一見些細な言葉遣いの違いを知ることによってその世界が全く違って見えることを感じるところにあるのだなと思わされたのでありました。実に奥深いですね。これはとてもぐっときました。

知らなければずっと知らないままなんとなく読み過ごしていたかもしれません。

ですがこうした文学の奥深さを知ることで、他の作品も、あるいは文学に限らず様々な世界が違って見えるのだとしたらなんともわくわくしてきます。

今回の記事ではざっくりとではありますがプーシキンの特徴とその凄みについてお話しさせて頂きました。

日本語で翻訳してすらこうなのですから、母国語で親しんだロシア人が受けた衝撃たるやものすごいものがあったのでしょう。

ドストエフスキーがあそこまで心酔するのもなんとなくわかるような気がします。

以上、「プーシキン作品の特徴と偉大さの秘密を解説―『スペードの女王』を題材に」でした。

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