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プーシキン『スペードの女王』あらすじと感想~ドストエフスキーの『罪と罰』にも大きな影響!

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プーシキン芸術の極致『スペードの女王』の概要とあらすじ

アレクサンドル・プーシキン(1799-1837)Wikipediaより

『スペードの女王』は1833年プーシキンにより発表された作品です。

私が読んだのは岩波文庫、神西清訳の『スペードの女王・ベールキン物語』です。

早速この本について見ていきましょう。

西欧文学を貪欲に摂取し、自家薬籠中のものとして、近代ロシア文学の基礎をうち立てたロシアの国民詩人プーシキン(1799―1837)。「駅長」など5篇の短篇から成り、ロシア散文小説の出発点となった『ベールキン物語』。簡潔明快な描写で、現実と幻想の交錯を完璧に構築してみせた『スペードの女王』。本書は名訳者と謳われた神西清の訳筆に成る、プーシキン傑作短篇集である。

Amazon商品紹介ページより

これだけですとまだわかりにくいので『世界文学大系26 プーシキン レールモントフ』の解説を引用します。

スぺードの女王(一八三三)はその表現と構成の的確さにおいてプーシキンの散文の一つの頂点を示す作品である。主人公ゲルマンはナポレオンのプロフィルをもった工兵士官で、富の獲得のためには、どのような「悪魔的行為」もあえてする覚悟をもっている。これはロシア文学に登場する、町人的精神の最初の体現者のひとりである。作者は幾多の幻想的な場面を写実的な、合理的な手法をもって読者のまえにくりひろげてゆく。この作品は発表されるとたちまち評判になり、賭博者仲間ではゲルマンのひそみにならって三、七、一と張るのが流行したと言われる。

『世界文学大系26 プーシキン レールモントフ』筑摩書房P415

続いてアンリ・トロワイヤの『プーシキン伝』に『スペードの女王』の詳しいあらすじが書かれていますのでそちらも引用します。

『スぺードの女王』の主人公、ゲルマンは、ドイツ系のロシア士官だった。「彼には激しい情熱と燃えるような想像力があったが、性格の強さが、若い者にはありがちなさまざまな過ちから彼をいつも守ってくれていた」。

この明敏で野心家の勘定高い男は、決してトランプのカードに手を触れなかったが、賭博台を囲んでの友人たちの騒々しく陽気な集まりには出ていた。

「余分な金を手に入れられるかもしれないなんて期待だけで必要な金をなくすような危険は、ぼくには冒せませんよ」と、彼は、自分に賭け金を張るように勧める者たちに、いつもはっきり言っていた。しかしながら、これらの夜の集まりの一つが、彼の運命を決めることになっていたのである。

その晩、賭博仲間の一人のトムスキイが、昔、自分の祖母がサン・ジェルマン伯爵から、賭博の必勝法を聞いたことがあるという話をした。三枚のカードにまつわる話だった。どのカード?どんな賭博者でもその秘密を高く買ったことだろうが、年取った伯爵夫人は、もう決して賭けないと誓いを立ててしまったので、破産と恥辱から自分を救ってくれた驚くべき確実な賭け方を明かすことを拒んでいたのである。

 この話は、ゲルマンに強烈な印象を与えた。彼は貧しかった。この高慢な都会でしかるべく暮らしてゆくために、彼には金が必要だった。「確実な手で勝つ!」一人の老婆の強情が、彼が自分の夢を実現するのを妨げるなどということはばかげていなかっただろうか。奇妙な悪夢のよぎった夜を過ごした後、彼は、かの祖母の私生活にまで入りこもうと決心した。
※一部改行しました

アンリ・トロワイヤ『プーシキン伝』篠塚比名子訳 P568

ゲルマンはこうして老婆の家に忍び込み、カードの秘密を聞き出そうとします。

ここからゲルマンの正気と狂気の入り混じった幻想的なストーリーが展開していくことになります。

『スペードの女王』とドストエフスキー

『スペードの女王』に描かれる狂気と幻想的な雰囲気はドストエフスキーに大きな影響を与えました。特に、主人公のゲルマンは『罪と罰』のラスコーリニコフにもつながっていきます。

岩波文庫の『スペードの女王・ベールキン物語』の解説にプーシキンの描く狂気と、ドストエフスキーによる『スペードの女王』讃美がわかりやすく解説されていましたので長くなりますがここに引用します。

『スぺードの女王』は叙事詩『青銅の騎士』と並んで、プーシキン後期の二大傑作をなすものであるが、この両作品はともに所謂ぺテルブルグ物であり、ともに幻想と現実との微妙な交錯と対照を生命とするところの謂わば写実的浪漫主義の極致を示している点など、主題的にも構成的にも深くつながるものがある。

すなわち両者の関係には、先にわれわれが『ベールキン物語』と同時期の他の韻文諸作との間に観察したのと殆どおなじ一種の変奏の関係がふたたび見出されるわけである。

 更に一歩をすすめて考えれば、この二つの作品の根には、その同じ秋に書かれた抒情詩の一断片、すなわち―

  ねがわくは神、われが心を狂せしめたまうことなかれ。
  むしろ如かじ、杖をつき袋を負いて、さすらいの旅に出でんには、
  むしろ如かじ、額に汗して野良に働き、あるいは飢えに泣かんには。
  われはわが理性をひたすら崇めたるにもあらず、またわれは
  わが理性と訣別するをいとい歎くにもあらざれど……

の数行を第一聯とする未完の詩が、共通の動因として横たわっていることを見のがすわけには行かない。

詩人の死後数年をへて、その筐底きょうていから憲兵隊の手によって発見されたと伝えられるこの謎めいた断片詩は、さながら狂気の一歩手前にあるかの如き詩人の懐疑と畏怖とにみちた危機のすがたを如実に伝えるものにほかならないが、それが断片としてとどまった理由はしばらく問わないまでも、とにかく『青銅の騎士』と『スぺードの女王』の二篇が、まさにそのような精神の危機を契機として生み出されたものであることは明らかであった。

いわばこの二作は、この狂気の詩を地盤として咲きいでた一つは青い一つは紅い二輪の花だったのである。

『青銅の騎士』の主人公エヴゲーニイは、ネヴァ河畔のピョートル大帝の銅像がよみがえって追いすがってくると幻覚して狂気する。

『スぺードの女王』の主人公ゲルマンは、ぺテルブルグの賭場で自分の引き当てたカルタの女王が、にたりと薄笑いをすると幻覚して狂気する。

作品を統べる主調において、一はあくまで現実的、他はあくまで夢幻的ではあるが、このデヌウマンの相似は決して偶然ではなく、深く詩人自身の内的悲劇につながるものがあることを看過してはならぬのである。
※一部改行しました

プーシキン『スペードの女王・ベールキン物語』神西清訳 岩波書店P247-248

そしてドストエフスキーともつながる解説が始まります。

さて、もし『スぺードの女王』の劇を悲劇と呼ぶことができるとすれば、その悲劇の体現者は主人公ゲルマンにほかならない。

彼は「ロシヤに帰化したドイツ人を父とする」不覊独立の野望に燃える青年士官である。父というのは勿論その頃のロシヤへ盛んに流入しだしていた外国工業資本の小やかな代表者の一人と推測されるのであって、すなわちゲルマンも亦あの『青銅の騎士』の主人公エヴゲーニイと同じく、新興の野心と反抗心との権化の如き平民出身者なのであった。

横顔が「ナポレオンに生き写し」だとして描かれてあるこのゲルマンには、実は明らかなモデルがある。それはあの十二月党の蜂起にあたって南社の総指揮にあたったぺステリで、これもやはり帰化ドイツ人の息子であったのみならず、同僚の回想によれば同じくナポレオンに似た風貌の持ち主であった。

十二月党事件がプーシキンに与えた物心両方面の深い傷痕について今は説く余裕がないが、ともあれ曾て南ロシヤ流謫時代に面識あり、やがて一味の蜂起がむざんな失敗を喫したのち絞首刑に処せられた五名の巨頭のうちの一人として、その血なまぐさい浪漫的な相貌は、思うに幽鬼のごとく、一種の固着観念、、、、のごとく、絶えず詩人の想念につきまとって離れなかったでもあろう。

そして事実、『スぺードの女王』の書かれた頃の日記には、スッツエという公爵と会ってこのぺステリの昔ばなしをしたという記載までがあるほどである。

第四章のエピグラフは、つい古風な文体に訳してしまったが、これはHomme sans moeure et sans religion!という元のフランス語をそのまま素直に、「品行の悪い不信心な男さ!」とでもして置くべきだったかも知れない。

けだしこの引用句は、そのスッツェ公爵が昔ぺステリに何か一杯くわされた怨みがあり、それを根にもった公爵がプーシキンに向かって故人の人格を罵倒して聞かせた口吻を、そのままに再現したものかとも想像される根拠があるからである。

こうして詩人がみずからの痛恨を托したこのゲルマンの映像は、後に例えばドストイェーフスキイによって『罪と罰』のラスコーリニコフの性格にまで発展せしめられたところの、文学的人間像の貴重な胚種を成したのである。
※一部改行しました

プーシキン『スペードの女王・ベールキン物語』神西清訳 岩波書店P249-251

そしてドストエフスキーによる『スペードの女王』讃美が以下のように述べられています。

作品に無条件的な絶讃を捧げた人にドストイェーフスキイがある。ゲルマンがラスコーリニコフの性格の胚種をなしたことは前にも記したが、事実ドストイェーフスキイは一八七五年の作『未成年』の中でこの人物のことに触れ、「ゲルマンは巨大な人物だ。異常な、まったくぺテルブルグ的な典型だ―ぺテルブルグ時代の典型だ」と語っているのである。

 そのような絶讃ぶりは別にしても、思うにこの作品の真底の美しさに観入することの深さにおいても、ドストイェーフスキイのごときは空前にして絶後であったのではあるまいか。少し長いけれどその一八八〇年六月十五日附J・アバザー宛の手紙の一節を、『スぺードの女王』評の一種の極点としてここに掲げて置きたい。

―「幻想が現実とじつにぴったり接触していて、読者は殆ど幻想を信じないわけには行かないほどだ。プーシキンは殆どありとあらゆる美術形式を試みているが、この『スぺードの女王』では幻想的芸術の絶頂を見せてくれる。

しかも読者は、ゲルマンが見ていたのは実は幻視なのだ、それもこの男の世界観に合致した幻視なのだ―と思って読んでゆくのだが、さて小説の結末に至って、つまり読了して、はたと当惑してしまう。

―果してその幻視がゲルマンの性質から出たものなのか、それともこの男が実際に別世界との接触を経験した連中の一人であるのか、それがいずれとも決しがたいからである……(交霊術―及びその学説)。これこそ芸術品というものだ!」
※一部改行しました

プーシキン『スペードの女王・ベールキン物語』神西清訳 岩波書店P256-257

ドストエフスキーいわく、この作品が芸術の高みにある所以は現実と幻想の境界が実に巧みに書かれている点にあるとのこと。

たしかに、そう言われてみるとまさしくドストエフスキーの言う通り。

ゲルマンが狂って幻視を見たのか、それとも世界の方から彼に干渉してそういう事態が起こったのかわからなくなってきます。少なくとも簡単には判断することはできません。

現実をリアルに描きながらも意識を超えた不思議な世界を創造していくプーシキンの凄みを感じさせられます。

感想

ドストエフスキーがこの作品に大変な感銘を受け、絶賛したということで読み始めた『スペードの女王』でしたが、これは面白い作品です。

ストーリー展開もスピーディーで文庫本で50ページ少々というコンパクトな分量の中に特濃な世界観が描かれています。

日本ではプーシキンはかなりマイナーな部類に入ってしまいますがそれは非常に惜しいことだと思います。

シンプルに面白い!王道中の王道の面白さがこの作品にはあります。

ページ数も少ないので手に取りやすいのも嬉しいポイントであります。ちょっとした読書にももってこいの作品です。

個人的にはプーシキン作品の中で最もおすすめな作品です。

次の記事ではせっかくですので、この『スペードの女王』を題材にプーシキン作品の特徴を解説していきます。プーシキンの何が偉大なのか。何がこんなにもロシア人の心を掴んだのかということをざっくりとお話ししていきたいと思います。

以上、「プーシキン『スペードの女王』あらすじ解説~ドストエフスキーの『罪と罰』にも大きな影響!」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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