バチカンとワシントンはそっくり!?ワシントンと建国神話のモニュメント群 アメリカ編⑧

アメリカ アメリカ編

意外!バチカンとワシントンはそっくり!?ワシントンと建国神話のモニュメント群⑴ 僧侶上田隆弘の世界一周記―アメリカ編⑧

4日間過ごしたニューヨークを離れ、これから向かうはアメリカの首都ワシントンDC。

ペンシルベニア駅からアムトラックという高速鉄道で向かう。日本で言うならば新幹線の位置づけにある鉄道だ。

ニューヨークを離れてしまえば、のどかな田舎の風景が続く。

出発から3時間半後ワシントンDCの玄関口ユニオン駅に到着。

今日は午後の時間を使ってワシントンDC内に点在するアメリカ建国の父たちのモニュメントを訪ねていく。

まず最初に向かったのはジェファソン記念堂。

ニューヨークのフェデラルホールと同じく神殿のような構造。

神殿中央に凛々しく立つのはトマス・ジェファソン。

歴史に名高い独立宣言を書き上げた建国の父だ。

彼の背後の壁には独立宣言が刻まれている。

まるで神殿の石板に刻まれた神の啓示のよう。

「すべての人間は(神によって)平等に創られている」という文言で有名なアメリカ独立宣言は1776年に採択された。

1776年といえば日本では江戸時代後期。この周辺の時代で日本史上に出てくる人物は杉田玄白や平賀源内、老中田沼意次などが挙げられる。

アメリカは現在でこそ超大国として世界に君臨してはいるものの、1776年ということを考えるとまだ建国から250年も経っていない国だ。

イギリスの植民地として17世紀ころから入植が始まったアメリカ。

イギリス文化を継承していると考えればアメリカもイギリスの歴史と同じ時間を共有していると言うこともできるが、そうは言ってもアメリカ独自の歴史というのはあまりにも短いものなのだ。

そしてアメリカはイギリス本国からの不当な支配を脱し、公正な自治を求めて独立した。

アメリカはイギリスと同じであることを拒否した。

それは政治面だけではなく文化の面でも同じだった。

だからこそアメリカはアメリカ独自の歴史、文化を打ち立てることに力を尽くした。

その最大の労作がワシントンの建国神話とそのモニュメント群なのだ。

次に向かったのはリンカーン記念堂。

こちらもまさしく神殿そのもの。

その中央に鎮座するリンカーン。

有名なゲティスバーグの演説の言葉「government of the people, by the people, for the people (人民の人民による人民のための政治)」が記されている。(文章の最後の部分)

ジェファソン記念堂と同じく神の姿と石板に刻まれた神の言葉という構造。

アメリカという国家の成立に多大な貢献をした人物を神殿に祀り、そして彼らの言葉を神のごとく神聖な啓示として石板に刻む。

歴史が浅いからこそ、神話を創造するという営みがここに見え隠れする。

神話がない国は世界中どこを見ても存在しない。

日本にも『古事記』や『日本書紀』が存在し、そこには日本の成り立ちを示した創世神話が描かれている。

「自分たちの国はどのように成り立ち、自分達は何者なのか」

創世神話はそれを人々に提供する。

これがなければ国家は成り立たないのだ。

現代を生きるぼくたちにはあまり馴染みのない考え方かもしれないが、ぼくたちの奥深くではそれがしっかりと根を下ろしている。

天照大御神やイザナギなど、それらの神々を実在のものと考え、それらの神々によって世界ができたと信じることは現代人たるぼくたちにはできない。

しかし神話としてそれが存在していることの意味を過小評価してはならない。

それがあったからこそ日本は日本としての形を成し、日本人という民族のアイデンティティーを生み出すことができたのだ。

もしそれがなければ今日に続くぼくたちの生活も文化も存在しなかったかもしれないのだ。

それと同じように、アメリカも「自分達は何者か。アメリカとはいかなるものか」という神話がなければ国として成立することができないのだ。

リンカーン記念堂の正面にはワシントン記念塔がそびえ立つ。

そしてその向こうにはアメリカの中心、国会議事堂。

ぼくはこの景色に見覚えがある。

バチカンのサンピエトロ大聖堂だ。

これは大聖堂の屋上から撮った写真。

大聖堂のすぐ正面には円形の広場、そしてその中心にオベリスクという細い石塔。

オベリスクの先は真っすぐな広い道が通っている。

どうだろうか。ぼくにはずいぶんと似ているように感じる。

これは偶然なのか、それとも意図的なのか。

アメリカという国はものすごく宗教が盛んな国だ。

大統領就任演説でも大統領は必ず聖書に手を当て宣誓する。

アメリカは経済も科学も世界最先端。

日本人にはイメージしにくいかもしれないが、アメリカはそれでもものすごく宗教が大きな力を持っているのだ。

昨今ではその風潮も少し弱まりつつあるが、未だアメリカでは「あなたの信じる宗教は何ですか?」と聞かれて「無宗教です」と答えると、かなり気まずいことになり、はては人間関係や信用を失ってしまうこともあるのだ。

そのような国において、ワシントン記念塔と国会議事堂の構造とサンピエトロ大聖堂の類似は偶然なのだろうか。

建国の父達が神殿のような建物に神のごとく鎮座しているのは偶然なのだろうか。

ぼくはそのことに強い関心を持った。

人間が神となる過程がここに隠されているような気がしたのだ。

だからこそ実際に本物を見たいと思いここワシントンまでやって来たのだ。

夕方、再びワシントンのモニュメントを観に外出。

オベリスクを間近で見るとやはりものすごい迫力。

オベリスクは元々古代エジプトで作られていたものだった。

現在バチカンで見られるものも、古代ローマ帝国時代にエジプトから運んできたものだ。

オベリスクは力を象徴するモニュメントだ。そこには魔術的な意味も秘められていたという。

たしかにこの写真を見ていると、地面から天に向かって突き上げていくような迫力を感じる。

真っ黒な大地からそのエネルギーを吸い上げ、この世界にそのパワーを拡散しているような、そんな印象すら受けてしまう。

大地のエネルギーとパワーの拡散、すなわちこの地の繁栄を象徴しているとも言えるのではないだろうか。

バチカンにあるのもワシントンにあるのもおそらく偶然ではあるまい。

古代エジプトで用いられていた力の象徴、繁栄の象徴を吸収する形でここに建てられているのがオベリスクなのだ。

そしてこの日最後に向かったのがリンカーン記念堂。

奥に見える光輝く神殿が昼間も見たリンカーン記念堂だ。

夜になりライトアップされた状態で見ると、外からでもリンカーンの姿を見ることができた。

そしてしばらくその美しさに見惚れていると、ぼくはふとあることに気づいたのだった。

・・・正面の柱の数が12本だったのだ。

それに気づいた瞬間、ぼくは稲妻に打たれたような衝撃を受けた!

柱の数が12本であることに一体何の意味があるというのか。なぜぼくはそんなに衝撃を受けなければならなかったのか。

皆さんもぜひもう一度考えていただきたい。

柱が12本という意味。そしてその神殿の中央にリンカーンが座しているということの意味を・・・

・・・おわかりになられただろうか。

そう。12本の柱はイエスの側近である12使徒を指し、その中央に座するリンカーンはイエス・キリストを表している可能性があるのだ!

もう一度見てみよう。

全部で12本ある柱。そしてその中央に座するリンカーン。

これはイエスと12使徒との関係性と驚くほど相似している。

中央に座するイエスと左右6人ずつ別れて位置する12使徒。

果たしてこれは偶然なのだろうか。

ここまで話してきたように、アメリカは意図的に建国の神話を創り出してきた国だ。

そんな国が偶然このような構図で最重要建築物を造るだろうか。

いや、ぼくはそう思わない。

明らかにキリスト教、ひいてはバチカンを意識して作られていると言えるのではないだろうか。

さて、次の記事でも引き続きワシントンの建国神話とモニュメントについてお話ししていく。

次の目的地はアメリカの中心、国会議事堂だ。

続く

次の記事はこちら

前の記事はこちら

関連記事

HOME