本場ブロードウェイで「オペラ座の怪人」を鑑賞~日本人とアメリカ人のメンタリティーの違いを考える アメリカ編⑦

アメリカ編

本場ブロードウェイで「オペラ座の怪人」を鑑賞~日本人とアメリカ人のメンタリティーの違いを考える 僧侶上田隆弘の世界一周記―アメリカ編⑦

ニューヨークといえばミュージカルの本場ブロードウェイ。

せっかくはるばるここまでやって来たのだ。ぜひとも本場のミュージカルを体験してみたい。

ブロードウェイはマンハッタン島の一番の繁華街のエリア。

有名なタイムズスクエアもすぐ近くにあり、この辺りはビカビカ光るネオンや巨大な看板が所狭しと自分の存在を主張し合っている。

そして今回ぼくが鑑賞するのはブロードウェイの王道中の王道、「オペラ座の怪人」だ。

こちらに描かれているようにブロードウェイでも最も歴史のある作品のひとつである「オペラ座の怪人」。

ぼくが今回この作品を選んだのには理由がある。

学生時代、「オペラ座の怪人」の長年の大ファンであるおばに連れていってもらったのがきっかけで、ぼくも「オペラ座の怪人」の魅力にすっかりはまってしまった。

それ以来、ぼくは劇団四季の「オペラ座の怪人」を5回以上観劇している。

映画「オペラ座の怪人」を観た時も、息もできないほど号泣したのを覚えている。

というわけで、日本で観てきた「オペラ座の怪人」と本場ブロードウェイの「オペラ座の怪人」、この二つにどのような違いがあるのだろうか、それを実際に感じてみたいという理由で今回ニューヨークでの観劇を決めたのである。

おばへのおみやげに買ったパンフレット

さて、「オペラ座の怪人」はどのような」ミュージカルかというと、劇団四季さんの公式動画にわかりやすい映像があったのでそちらを紹介したい。

「オペラ座の怪人」は主人公クリスティーヌとオペラ座の怪人、そして幼馴染の貴族ラウールとの三つ巴の愛の物語だ。

より詳しいあらすじは劇団四季さんの公式HPにわかりやすいものがあるので興味のある方はそちらを参照いただきたい。

劇場の中はまさしくオペラ座にいるかのような豪華な造り。

※終演後に撮影

オーケストラピットも完備。

さすが本場ブロードウェイ。生のオーケストラ演奏で「オペラ座の怪人」を堪能することができる。

さてさて、いよいよ開演。

セリフは全て英語なので正確には聞き取れなかったが、日本語版で何度も見ているのでストーリー展開は十分に理解することができた。

そしてまず最初にぼくが驚いたのは主人公クリスティーヌの第一声だった。

彼女の歌声が異様に力強く感じられたのだ。

足先から腰までピンと伸ばして床を踏みしめ、肩幅に開いた両足がしっかりと体を支えているのが伺える。

そして背筋は伸び、やや前傾気味に体を倒し両腕は真っすぐに腰の横へ下ろされ、こぶしを握り締めている。

顔を前に突き出し、あごは微かに上を向いている。また、首には意志の強さを感じさせるような筋肉の強張りを感じた。

・・・要するに、彼女は強かった。声も、表情も。一目でわかるほどに!

ぼくが今まで知っているクリスティーヌとはまるで違うクリスティーヌが目の前に現れたのだ。

その後のストーリー展開でもクリスティーヌの力強さは衰えることなく、むしろどんどんその強さは際立っていくばかりだった。

これはぼくに非常な驚きをもたらすことだった。

今まで観てきた「オペラ座の怪人」とはまるで別物を観ているかのよう。

怪人も観る人を魅了する怪しいかっこよさというよりも奇怪な悪人という色が強く感じられたし、どうもぼくは違和感を感じずにはいられなかった。

そんな違和感を拭い去ることができないまま、ミュージカルはフィナーレを迎えた。

ぼくは「オペラ座の怪人」を観るとたいてい泣いてしまう。

だが今回はまったく泣けなかった。泣きそうな気分にすらならなかった。

だが、終演後の挨拶では周りの人はみんなスタンディングオベーションで盛大に拍手を送っていた。

・・・そうか・・・とすると、これは素晴らしかったんだな・・・

その後ぼくは周りを見渡してみた。

すると、ぼくはあることにすぐに気づいた。

・・・みんな笑っているのである。

劇団四季で観たときは涙ぐんでいる人がたくさんいた。

だが、ここではみんな笑っていたのである。

そしてふと耳に入ってきたやりとりがぼくの度肝を抜いた。

「すっごく楽しかったね!」

・・・楽しい・・・ですと!?

いつもぼくが泣いているシーンの直後に満面の笑みで「すっごく楽かったね!」という感想が出てきたのである!!

全身をぞわぞわっとした感覚が駆け巡り、ぼくはこの瞬間鳥肌が立ってしまった!

そうか!そういうことだったのか!

これが日本人とアメリカ人のメンタリティーの違いなのか!

アメリカは自立した人間像が求められ、自らの力で未来を切り開くことが好まれる。

クリスティーヌはまさにそういう女性として描かれていた!

意志が強くて、自分の力で未来を切り開く。

最初に感じたクリスティーヌのあの力強さはそういうことだったのだ!

そして幼馴染の貴族ラウールとその恋仲を邪魔するオペラ座の怪人。

最後は怪人に連れ去られピンチになるも、自らの心の強さで怪人を退け、愛する人ラウールと共に脱出しハッピーエンド。

・・・なるほど。だから「楽しかった」のだ!

みなさんはアメリカ人はシンプルなストーリー設定とハッピーエンドが大好きだということを聞いたことがないだろうか。

そのためアトムの死で終わる手塚治虫の名作「鉄腕アトム」がアメリカではまったく人気が出なかったという話も有名だ。

アメリカ人の感覚で言えば、最後がハッピーエンドで終われないストーリーはフィーリングに合わないのだ。

それが「オペラ座の怪人」にも起こっている。

日本の「オペラ座の怪人」ではクリスティーヌは運命に翻弄される女性として描かれているようにぼくは思える。

ここで観たクリスティーヌのような力強さは感じない。

常に迷い、内面の葛藤に苦しんでいるようにも思える。

さらに言えば、「こうなの!」「ああなの!」と相手にぶつけるようなこともあまり感じられない。

ブロードウェイのクリスティーヌは見るからに気が強かった。

日本のクリスティーヌとアメリカのクリスティーヌはまるで別人のような違いがあったのだ。

そして日本の「オペラ座の怪人」は悲劇的な面が強く、センチメンタルなものであるようにぼくは思う。

主人公クリスティーヌは運命に翻弄され、ラウールと怪人の間で揺れ動く。

怪人の怪しい魅力、そして深い闇にクリスティーヌは気づき、抗いようもなく惹かれていってしまう。

どこか喜劇的な色すら微かに感じられるブロードウェイの怪人とちがって、日本の怪人は怪しい色気がある魅力的な人物なのだ。

そして日本の「オペラ座の怪人」ではなぜ泣いてしまうのか。

それは怪人に感情移入してしまうからだ。

絶望的な闇を背負った怪人が最後の希望として愛していたクリスティーヌと結ばれることができなかった。

それが涙を誘うのだ。

運命に翻弄されたクリスティーヌ。そして怪人。

その運命のはかなさにぼくは涙してしまうのだ。

もちろん、ここまで述べてきたのはぼく個人の感想だ。

それに、舞台は演ずる役者さんによってもがらっと変わる。

ぼくが観たのはたまたまそういう風に見える役者さんだっただけなのかもしれない。

それを日本とアメリカという大きな枠組みで一般化してしまうのは危険なことなのかもしれないが、ぼくにとっては日本とアメリカの違いというものを全身で感じた瞬間ではあった。

あの「楽しかったね!」という一言はそれだけの衝撃を持った言葉だったのだ。

アメリカ人は「自分の運命を切り開く」

そして日本人は「自分の運命を受け入れる」

ハッピーエンドを好むアメリカ人と、センチメンタルな日本人。

どちらのオペラ座がいい悪いとか、どっちが上だとかそういう話ではない。

その土地の文化に合ったものがその土地で評価され、好まれる。

ニューヨークだから世界最高であるとか、いやいや日本こそ1番だとかそういう単純なものではない。

その土地その土地で少しずつ少しずつ醸成されてきた文化が、それぞれの演劇に反映されているのだ。

だからこそ違いが生まれてくる。

だがその違いはクオリティの差ではない。

文化の違いなのだ。

どっちがより優れているということは本来比較できるようなものではないのだ。

もちろん、歌唱力の違いや舞台の豪華さやオーケストラの有無など、そういうものは比べられるかもしれない。

だが、それとてそういうものを好むニューヨークの文化がそれらを育んだとも言えるのかもしれないのだ。

一概にアメリカ=世界最高、世界基準というわけではないのだ。

国が違えば文化も違う。当たり前のことだがここまで体で感じられたのは非常に面白い経験となった。

劇場を出ると自転車タクシー?のような人たちが大挙して出待ちをしていた。

渋滞のひどいニューヨークではこちらのほうがすいすい行けて便利なのだろうか。

こんな大都会でこういうものが見れるとは思わなかったので少し面食らってしまった。

さて、ブロードウェイでの観劇はとても有意義なものとなった。

ニューヨークに行かれる際はぜひブロードウェイでの素敵な時間を過ごしてはいかがだろうか。

続く

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