そもそもサン・ピエトロ大聖堂とは?なぜここが聖地? イタリア・バチカン編⑤

イタリア・バチカン編

そもそもサン・ピエトロ大聖堂とは?なぜここが聖地? 僧侶上田隆弘の世界一周記―イタリア・バチカン編⑤

前回の記事ではサン・ピエトロ大聖堂をみなさんにご紹介した。

巡礼の聖地、また観光地としてあまりにも有名なこのサン・ピエトロ大聖堂。

だがこのサン・ピエトロ大聖堂、そもそも何のための建物なのかということになるとぱっと答えられる人はなかなかいないのではないだろうか。

「ローマカトリックの大本山で、その中心がサン・ピエトロ大聖堂」

たしかにそれも間違いではないが、ではなぜバチカンのこの地にキリスト教の聖地がなければならなかったのだろうか。

イスラエルではだめだったのだろうか。他の地ではだめだったのだろうか。

ローマのこの場所でなければならない特別な理由があったのだろうか。

―答えはイエスだ。

キリスト教の発展にとってこの地は絶対に必要なものだった。

サン・ピエトロ大聖堂の成り立ちを知ることは、ローマカトリックの根幹を知ることでもある。

今回はこのサン・ピエトロ大聖堂のそもそも何たるかについてお話ししていきたい。

サン・ピエトロ大聖堂

さて、早速だがこのサン・ピエトロ大聖堂、これを日本語に翻訳してみたらどうなるだろうか。

唐突に何を言い出すのかとお思いになられた方もおられるかもしれないが、実はこれをしてみると意外と話がすっきりしてくるのだ。

サン・ピエトロ。

「サン」は「セイント」、つまり「聖」を意味する。

「ピエトロ」は「ペテロ」という人物名を意味している。

そう、「サン・ピエトロ大聖堂」とは「聖ペテロ大聖堂」のことなのだ。

聖ペテロ大聖堂と言われてみるとなんとなくイメージがつきやすくなるのではないだろうか。

ヨーロッパに行くとサンタンジェロ城やサンニコラス聖堂など、「サン」が頭に着く名前の建物が多い。

そのたいていはセイントの意味だ。

サンタンジェロ城も聖アンジェロ、サンニコラスも聖ニコラスの意味だ。

この仕組みを知っていれば街歩きしながら見る建物の意味がちがって見えてくることだろうと思う。

さて、話は戻って聖ペテロの大聖堂。おそらく聖ペテロが関係している大聖堂だろうと推測できる。

さあ、ここまで来た。いよいよ核心に入ろう。

ここサン・ピエトロ大聖堂は聖ペテロのお墓の上に建てられた大聖堂なのだ。

つまり世界中で最も聖なる人間の眠る場所。

だからこそこの大聖堂は世界中で他に代わりのきかない最も聖なる力に満ちた聖地中の聖地なのだ。

聖ペテロ。一体彼は何者なのだろうか。世界中で最も聖なる人間とはどういう意味なのだろうか?

システィーナ礼拝堂の壁画のポストカードより

聖ペテロは中央でひざまずいてイエスから鍵を受け取っている人物だ。

これはローマカトリックにおいて決定的に重要なシーン。

まずこの話を遡ると、イエスには12使徒という側近の弟子たちがいた。(仏教でもお釈迦様には十大弟子という有能な直弟子がいる。この類似は興味深い。)

そしてイエスの12使徒の中でも1番最初に弟子になり、その後も筆頭格としてイエスのそばにあり続けたのが例の聖ペテロなのである。

そしてイエスはある日、自分の後継者として聖ペテロを指名し、天国の鍵を授けた。

天国の鍵とは聖なる奇跡の力そのものだ。

聖ペテロはそれをイエスから直接受け取った唯一の人間となった。

ここに決定的な意義がある。

聖ペテロは神の子イエスから聖なる力を直接授かった唯一の人間。

だからこそ、世界中で最も聖なる人間であると言うことができるのだ。

イエスのお墓のある聖墳墓教会にて

そしてその後イエスはエルサレムで十字架に架けられ死を迎える。

しかし驚くべきことにイエスは3日後に復活し、聖ペテロをはじめとした弟子たちの前に現れる。

聖ペテロたちはイエスが神の子であることを改めて確信した。

そして神の言葉を世界中に広めるために伝道へと出発したのであった。

これがキリスト教の始まりだ。イエスが生まれたことが始まりなのではない。

イエスが復活し、そして彼こそが神の子であり救い主であると信じた人間が生まれたことこそ、キリスト教のスタートだったのだ。

しかしその道のりは険しいものだった。

イエスが亡くなったのは紀元30年頃。

イスラエルの記事でも述べたが、この当時世界を支配していたローマ帝国はユダヤ教に対して厳しい弾圧を加えていた。

ローマ帝国からすればユダヤ教もキリスト教もなんら変わりはない。キリスト教もユダヤ教の一部だと考えられていた。

晩年にローマへと渡った聖ペテロはそこで初代のローマ司教(教皇)として布教を続けるも、ローマ当局によって弾圧の憂き目に遭い、西暦64年ローマで殉教した。

そしてその遺体が葬られたのが現在サン・ピエトロ大聖堂が立つバチカンだったのだ。

サン・ピエトロ大聖堂のドーム(クーポラ)からサン・ピエトロ広場とローマ市内を見下ろす

現在ではきれいに整備されたこのバチカンではあるが、驚くべきことにかつては暑くてじめじめしたマラリアの跋扈する湿地帯だったそうだ。

要するに、人も寄り付かない土地だったのだ。

だが、そのような土地でも聖ペテロのお墓があるということの意義は少しも揺らぐことはなかった。

初めてここに大聖堂が建築されたのは、ローマ帝国で初めてキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝の統治時代の319年から350年頃とされている。

こちらを旧大聖堂と呼ぶとするとぼくたちが現在目の当たりにしている壮麗なサン・ピエトロ大聖堂は新大聖堂と呼ぶことができる。

この新しい大聖堂の建設は1506年にスタートし、完成したのは1615年。

実に100年以上の歳月を経てこの荘厳なる大聖堂は建てられたのだ。

1506年から1626年といえば、日本では1467年に勃発した応仁の乱から戦国時代に突入し、織田信長やら豊臣秀吉、徳川家康の時代を経て江戸時代に突入していく時代だ。

そんな時代にここバチカンではここまで圧倒的な大聖堂が造られていたのだ。

これには驚くほかはない。

さて、ここまで聖ペトロは何者かというお話と、サン・ピエトロ大聖堂は彼のお墓の上に建てられた大聖堂であることを述べてきた。

聖ペテロはイエスから天国への鍵を渡された唯一の人間。

そしてその鍵は現在もローマカトリックの教皇によって代々受け継がれている。

ローマカトリックは初代教皇たる聖ペトロから始まった。

その聖ペテロのお墓の真上に大聖堂があるということこそ、ローマカトリックにとって決定的に重要だったのだ。

イエスから聖なる力を与えられた唯一の人間。その遺体は最高レベルに聖なるものに他ならない。

死してなお、聖なる力はそこに輝き続けるのだ。

「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(『新約聖書』ヨハネによる福音書12章)

『新約聖書』に記されたイエスの言葉はまさしくこのバチカンに根付いている。

イエスの十字架上の死はキリスト教という実を結び、聖ペテロのローマでの殉教は今日まで続くローマカトリックの礎となったのだ。

イエスと聖ペテロの聖なる力のつながりの象徴こそ、まさしくサン・ピエトロ大聖堂なのだ。

世界中の巡礼者がここを目指すのもここに理由があるのだ。

単にローマカトリックの大本山だからという理由だけではない。

実際にここは聖ペテロが眠る聖なる場所なのだ。

だからこそ命を懸けてでも遠路はるばるこの地を目指して、人は巡礼の旅へと足を踏み出したのだった。

聖ペテロのお墓があるということ。

これがサン・ピエトロ大聖堂、そしてバチカンが重要な聖地となっている理由なのだ。

次の記事ではサン・ピエトロ大聖堂の内部と、建築のすばらしさを資料を用いて述べていきたいと思う。

サン・ピエトロ大聖堂の何が素晴らしいのか、何が他の建築物と違うのか、それらが少しでも伝わってくれたならば幸いである。

続く

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