ドストエフスキー『叔父の夢』、『ステパンチコヴォ村とその住人』あらすじ・感想
はじめに
今回紹介する2作品はドストエフスキーが4年間のシベリア流刑を終え、セミパラチンスク(現セメイ)での一兵卒として勤務していた時代に書かれたものです。
セミパラチンスクは地図にありますように、現在ではカザフスタン北部にあたり、ドストエフスキーが滞在した当時、ロシアの国境警備隊がここに駐屯していました。
ドストエフスキーはシベリア流刑の後、すぐにサンクトペテルブルクに帰ることは許されず、そのまま辺境の地で国境警備隊としての任を与えられることになりました。
そしてここでのおよそ6年の生活の後、1859年末にようやくサンクトペテルブルクへと帰還することができたのです。
ドストエフスキーが国境守備隊に着いた時、ここは辺境中の辺境であり、寂しい地域だったと言われています。
余談になりますが、ドストエフスキーが生活したこのセミパラチンスクは後にソ連の世界最大級の核実験場となり、周辺に住んでいた人が放射能の被害を受け、今も苦しみ続けているという問題を抱える地域になっています。
ドストエフスキーが見た辺境の地が、後に人類の墓場とも言える核実験場となっていったというのはなんとも意味深いものがあるのではないでしょうか・・・
『叔父の夢』(『叔父様の夢』)
卓抜した社交能力、世間能力を持った女主人マリア・イワーノヴナ。
村の社交界を牛耳る彼女のもとに、独身の大金持ちの老侯爵がやってきます。
彼女はこれ幸いと遺産と地位を得るために娘を嫁がせようと画策します。
そして年老いてただでさえ記憶があやふやな老侯爵に酒を飲ませ、娘に媚びを売らせ、侯爵に求婚させるように仕向けます。
策略は大成功かと思いきや、その娘に恋する若い青年モズグリャコフが怒り狂い、老侯爵に「あれはすべて夢なのですよ」と吹き込み、この縁談はすべておじゃんとなります。
実はこの若い青年モズグリャコフの叔父こそこの老侯爵であり、甥っ子の言葉によってこの女主人の家は大騒動となります。
女主人の企みは失敗し、娘との結婚話はすべて「叔父の夢」となってしまったというストーリーです。
『ステパンチコヴォ村とその住人』
舞台はステパンチコヴォ村。主人公の語り手はここにやって来ます。
その村に善良な叔父、いや善良すぎる叔父と暴君のごときその老母が住んでいます。
叔父は母のわがままや傲慢な振る舞いにひたすら耐え続けます。
そしてその母のお気に入りがフォマという人物。
ありえないほど自尊心が高く、自分が尊敬されていないと少しでも感じるとヒステリックに叫び出すほどの男です。
そしてその度に「これはあなたのエゴイズムのせいです」という謎の説教をし始めます。
「これはあなたのために言っている。あなたは~~」と、典型的なペテン師のやり方で善良な叔父を苦しめます。
そんな男など追い出してしまえばいいのにと、私(筆者釈隆弘)は思ってしまいますが、善良すぎる叔父は自分が悪いのですとなぜか彼を責めません。
「フォマはかつて傷つけられ、虐げられた人間だった。そんな男が人の上にふんぞり返ると、道化を必要になる。彼は心の傷があるからこそこうなんだ」と叔父は納得しているのです。
そんな生活の中、主人公が呼び寄せられ、叔父とある娘の恋も絡み、それを邪魔するフォマの策略が語られ、この家は大騒動になります。
その大騒動の結果、傲慢なフォマや、善良すぎる叔父はどうなってしまうのか、それがこの物語で語られます。
感想
さて、2作品ともシベリア流刑後のセミパランチスク時代の作品でありますが、興味深いことに、どちらの作品もある村で起きた大騒ぎを題材にするというドストエフスキーらしからぬドタバタ劇風の作品であります。
『貧しき人びと』や『二重人格』のような深刻な心理描写や、貧しい人や虐げられた人に対する愛情、そうした社会を生み出した社会体制などへの批判が見られません。
これは一体なぜなのでしょうか。
それはやはりシベリア流刑と関係があります。
彼は社会主義思想サークルに参加したことで思想犯として逮捕されました。
ようやくシベリアでの監獄生活を抜けた直後にまた露骨な社会批判をしたのではすぐに監獄送りにされるのは目に見えています。
彼がサンクトペテルブルグへの帰還が許されるまでの間、このようなドタバタ劇を選んで筆を執ったのは自分の身を守るという意味でも必然だったのです。
以前書いたこの記事の中でも私が述べたように、『ステパンチコヴォ村とその住人』は私にとって非常に苦痛な作品でした。
この作品を読んでいると、なぜこんな男がのさばっているのだと胸をかきむしりたくなるほどの不快感を感じさせられます。
ただ、そのおかげでドストエフスキーがなぜこういう特殊な人間を小説でわざわざ書くのかと言うことに気付かされたということもありました。これはある意味、私にとっても特殊な読書体験になりました。
そういう意味でもこの作品は私の中で大きな存在感を持った作品となっています。
以上、「ドストエフスキー『叔父の夢』、『ステパンチコヴォ村とその住人』あらすじ・感想」でした。
※上記2作品は『ドストエフスキー全集』(新潮社版)第3巻で読んでいます。
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