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キューバの成立とスペイン統治時代~キューバの歴史をざっくり解説⑴ キューバ編②

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キューバってどんな国?~歴史から見るキューバ像⑴キューバの成立とスペイン統治時代 僧侶上田隆弘の世界一周記―キューバ編②

みなさんはキューバといえばどんなイメージを抱くだろうか。

おそらく、社会主義だったりキューバ危機だったりカストロの独裁だったりと、どちらかというと恐い国というイメージが浮かんでくるのではないだろうか。

ぼくもこの国のことを学ぶまではそのようなイメージを抱いていた。

しかし、キューバ=危険な国というイメージは正確には正しくない。

キューバが危険な独裁国家であるというのは単なるイメージに過ぎないのだ。

その実像はぼくらが持つイメージとはかなり異なる。

今回の記事ではざっくりとではあるがキューバの歴史をもとにその実像に迫っていきたい。参考にするのは伊藤千尋『キューバ 超大国を屈服させたラテンの魂』という本だ。

キューバは中米カリブ海に位置する島国。

1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見した後、スペインはカリブ海一帯や中南米にも進出し、1509年に正式にスペインがキューバを統治し始める。

つまり、スペインによる植民地化だ。

これがキューバのスタート。

もちろん、ここにも数多くの先住民が生活をしていた。

しかし他の地域と同じく、スペイン人による侵略で彼らはほとんど全滅し先住民の紡ぐ歴史は壊滅してしまったのである。

そして失われてしまった労働力の代替として無数の黒人奴隷がここに送られ、キューバはスペインの植民地として長い時を過ごしていくことになる。

これがスペイン植民地時代というキューバの第一の区切りだ。

そしてこのスペイン植民地時代が大きく揺れ動くのが1800年代後半。

1776年にイギリスから独立したアメリカは勢力を拡大し、1850年頃にはいよいよ中南米にも進出しようという帝国主義的な野望を持つようになっていった。

そしてその第一の標的がアメリカの目と鼻の先にあるキューバだったのだ。

キューバは中南米カリブ海の覇権を握る上で最重要の海の要塞だ。

そのような地理上のメリットが大きな要因となったのだが、実はもうひとつ、アメリカがキューバを欲しがる理由があった。

それが「砂糖」だった。

キューバは砂糖の一大生産地。

サトウキビに適した気候と、畑に適した平地が多いことからキューバでは良質な砂糖が生産されていた。

そして19世紀当時、人口が増加し砂糖の消費量が一気に増えたアメリカの需要に応えていたのがキューバだったのだ。

アメリカ企業はこの需要の増加に伴ってこぞってキューバに進出。

彼らは広大な土地と農園を買い上げ、キューバ内で大農園を経営し、莫大な利益を得ることとなる。

しかし、彼らにとって目の上のたんこぶとなることがあった。

それがスペインによる税金だった。

農園経営で得た収益はキューバを支配するスペインによって高額な税金が課されていた。

これがアメリカ側としては非常に邪魔であった。

「もしこの税金さえなければ莫大な利益を得ることができるのに・・・」

そんな思惑からアメリカは1億ドルでスペインから統治権を譲り受けようと提案するがスペインはそれを拒否。

交渉は決裂し、キューバ買収の野望はご破算となってしまったがアメリカはそのまま黙って引き下がるような国ではなかった・・・

事態が急展開を見せたのは1898年、米西戦争の勃発である。

事の発端はこうだ。

1895年に始まったキューバの独立運動が激化し、1898年にアメリカは自国民と企業の保護を理由に戦艦メイン号をキューバに派遣。

ところがハバナに停泊していたメイン号が突如大爆発。そのままメイン号は沈没し266人の乗組員が死亡したのだ。

アメリカはこの爆発はスペインの犯行であるとすぐさま断定し、ただちに報復すべきであると国内世論を焚きつけた。

そのときのスローガンは「リメンバー・ザ・メイン」。

「リメンバー・パールハーバー」とずいぶんと似ているスローガンだ。

そう、これがアメリカの戦争のパターン。「リメンバー・〇〇〇」と敵の攻撃への報復を呼びかけ戦争を始めるのだ。

(後の調査ではこの爆発はスペインによるものではなく、積載していた石炭が自然発火し火薬庫に引火した可能性が高いことが発覚した。つまり米兵の不注意による爆発をスペインの仕業であると報道していたのだ。)

戦争の大義名分がここに揃った。アメリカはスペインとの戦争に突き進んでいく。

そしてアメリカはキューバ独立軍と連携し、あっという間にスペイン軍を屈服させ、この戦争はアメリカの圧勝という結果となった。

その結果スペインはキューバでの統治権を失い、1902年、ついにキューバはスペインからの独立を果たすのである。

これにはキューバ国民も大歓喜であった。

長年スペインの植民地として苦しんできたキューバ人にとって、スペインからの解放は積年の悲願であった。

さあ、これでめでたしめでたしとなるかと思いきや、事態はそんなに甘くはなかった・・・

なんと、これまでキューバを支援してきたアメリカが手のひらを返し、これまでスペインがいた位置に何食わぬ顔でふんぞり返り始めたのだ。

その時キューバ人は初めて気づく。

「我々は自由になったのではない・・・支配者がスペインからアメリカに変わっただけだったのだ」と。

独立といってもアメリカの傀儡としての独立だったのだ。もしアメリカに従わなければ、軍事侵攻も辞さないという脅し付きだ。

こうなってしまえば歯止めが効かない。

アメリカの企業が以前にもましてどんどん押し寄せる。

なにせスペイン統治時代のような税金も規制もない。

圧倒的な資本力で砂糖の大工場を作り、そこからの利益は吸い取り放題だ。

そうなっていくと工場設備を持たないキューバの小規模農家は生活が成り立たなくなり、土地を手放しアメリカ企業の農民奴隷として生きていくしかなくなる。

こうして経済の自由という錦の旗の下、アメリカは堂々とキューバを搾取していく。

本来それを取り締まるはずの政府もアメリカの傀儡。キューバ人には打つ手がなくなってしまった。

この時のキューバ人の絶望は想像を絶するものだったことだろう。

「キューバ人を焚きつけ、独立運動を背後から支援したのも最初からこれが狙いだったのか・・・!

独立運動でスペインの力を削いでおき、後から米西戦争でおいしいところをすべてさらっていく。

アメリカは我々を利用し、最後には裏切ったのだ!

我々は・・・利用されたのだ・・・!」

結局キューバ人はこの後スペイン統治時代よりも苦しい生活を強いられることになる。

キューバ人のアメリカ嫌いはここから始まったのだ。

キューバがなぜアメリカと敵対しているか、その根っこがこのアメリカの手のひら返しにあったのだ。

このアメリカによる半植民地支配がキューバの第二の時代と言うことができるだろう。

このアメリカ帝国支配に異議を唱え徹底抗戦し、最後には勝利を掴んでいくのがカストロとチェ・ゲバラで有名な1959年のキューバ革命なのだ。

次の記事ではキューバ革命と社会主義国としてのキューバについてお話ししていきたい。

続く

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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