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中村元選集第30巻『ヒンドゥー教と叙事詩』概要と感想~仏教や日本とのつながりも知れる名著!インド思想の奥深さを体感

ヒンドゥー教と叙事詩
目次

中村元選集第30巻『ヒンドゥー教と叙事詩』~仏教や日本とのつながりも知れる名著!インド思想の奥深さを体感

今回ご紹介するのは1996年に春秋社より発行された中村元著『中村元選集〔決定版〕第30巻 ヒンドゥー教と叙事詩』です。

早速この本について見ていきましょう。

様々な神々や神話・伝説に彩られた、二大叙事詩『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』とヒンドゥー教。逞しい想像力が生み出した豊かな精神世界。

Amazon商品紹介ページより

この本は仏教学者中村元先生による古代インド思想の解説書です。

仏教は古代インドの土壌の上で生まれました。仏教の成り立ちや発展を考える上でインドの気候風土、歴史、思想、宗教を学ぶことは非常に大きな意味を持ちます。

この作品ではインドの歴史の流れに沿いながらその宗教や思想の流れを学ぶことができます。

現地を踏破した仏教学者中村元先生ならではの実感こもる解説や、仏教との関連もわかりやすくお話しして下さるので非常に興味深いです。

その中でもインド宗教におけるその特徴を端的に紹介した箇所がとても印象に残ったのでここに紹介します。

多様性を生かし区々たる小異に拘泥しないということも、ヒンドゥー教の一つの大きな特徴である。ヒンドゥー教には種々の系統や傾向がある。世界宗教として広く世界的に奉じられている宗教運動から、未開の原始宗教にいたるまで存する。ヒンドゥー教の教義を定分化したものはなにも存在しない。いわばインドの民族宗教といえるのである。

インド民族の生んだ偉大な宗教として仏教やジャイナ教が存在し、インド文化の発展に大いに貢献した。しかしそれらは、どちらかというと啓蒙された人々、商人や手工業者に信奉されたのであって、自然の暴威と恩恵とにさらされていた一般農民にとっては、むしろ縁遠いものであった。仏教やジャイナ教の合理主義は、無知なる民衆にとっては近づきがたいものであった。それらは世界を支配する神を認めず、もっぱら自分の修養によって人格の完成を期していたので、一般民衆にとっては、厳しく、冷たく、とっつきにくいものであった。そこで一般民衆はみずからを満足させるために形や姿のある神々に頼り、彼らに祈願して、現世的な利益にあずかろうとした。民衆は多数の神々を統合して唯一神を考えるということをしなかった。多くの神々がそのまま生かされた。この基盤の上に、ヒンドウー教に顕著な多様性と寛容とが成立したのである。

春秋社、中村元『中村元選集〔決定版〕第30巻 ヒンドゥー教と叙事詩』P25

仏教やジャイナ教が「どちらかというと啓蒙された人々、商人や手工業者に信奉されたのであって、自然の暴威と恩恵とにさらされていた一般農民にとっては、むしろ縁遠いものであった」というのは非常に重要な指摘です。インドで仏教が生まれ発展したというとインド全体が仏教の国のようになったかのように想像してしまいがちですが、実はそうではなかったのです。インドの人々の大半はそれまでと変わらずバラモン教(後のヒンドゥー教)を信仰し続けていたのです。

また、上の引用箇所だけを見るとヒンドゥー教が無知な民衆の迷信的なもののように思えるかもしれませんが、この本を読めばそうした単なる迷信的なものとは全く異なる奥深さがあることを知ることになります。

そして本書終盤では次のようにも語られます。

実にインドでは、リグ・ヴェーダ時代以来今日にいたるまで三千年以上にわたって、神話が同一源泉から継続的に発展している。インドは絶えず他民族の侵入来寇を受け、他信仰が移入されたにもかかわらず、神話自体はそれによって少しも中断されることなく、固有の神話は恒久に存続して新しい神話を生み出しつつあった。この事実は、ヨーロッパ諸国において、往昔の先住民族の神話がキリスト教普及のために滅亡してしまったのとは、著しい対照をなしている。

それでは、なぜ固有の神話が恒久に継続発展しえたのであろうか。その最も主要な原因としては、まずインドの風土的社会的特殊性を考慮すべきであると思う。

インドは三千年の昔から今日にいたるまで、小規模の農業をその中心産業となし、住民のほとんどすべては農民であったが、彼らは全インドにわたって小村落を形成し孤立的封鎖的な経済生活を営んでいた。インドの豊饒肥沃な土地、酷熱多雨の気候は、多量の農産物を速かに生産させるとともに、また他方農民の農業労働をきわめて安易にし、衣食住に関する努力を省くところがすこぶる大であった。彼らは他の土地の民族に比して生活のために努力することが少なかった。すなわち他の民族ほどに勤勉に生業に励まなくても、彼らはなんの苦労もなしに生活することができたのである。したがって他の地方の住民と生活必需品を交易する度合も僅少であった。

彼らのこのような生活様式は必然的に、武士あるいは商人による社会的結合の力を微弱にした。インド人を社会的に統一し、同一民族としての自覚を持たせたものはむしろ司祭者階級たるバラモンであった。インドの一般農民は武士や商人をさほど重視しなかったけれども、バラモンに対してはこれを「地上の神」として崇拝し尊敬していた。農民とバラモンとのこの密接な結合は、三千年余の歴史を通じて牢固として抜くべからざるものがあり、アショーカ王の仏教国教主義も、西方諸民族の侵入も、イスラーム教徒の剣も、英国の帝国主義も、この歴史的社会的伝統を微動だにさせることができなかった。インド文化の主流はどこまでもバラモンの文化である。

インドの神話は種々の民族階級に属する人々によって作られたにもかかわらず、ひとたび確定された神話を後世に伝承した人々は主としてバラモンであった。バラモンこそインド神話の担持者であった。バラモンの社会的地盤が歴史的にだいたい安定していたために、インドは有史以来絶えず政治的、軍事的な動乱に悩まされていたにもかかわらず、インドの神話は常に継続的に、断絶することなしに発展したのである。ただ例外として仏教の神話のみは、ヒンドゥー教神話に影響を与えた以外には、インド文化の潮流からはまったく姿を没してしまった。これはインドにおいて仏教の社会的地盤がバラモンのそれとは異なっていたからである。

春秋社、中村元『中村元選集〔決定版〕第30巻 ヒンドゥー教と叙事詩』P518-520

「なぜ固有の神話が恒久に継続発展しえたのであろうか。その最も主要な原因としては、まずインドの風土的社会的特殊性を考慮すべきであると思う。」

中村元先生は宗教を単に思想や理論として見るのではなく、当時の社会状況と合わせて考察していきます。インドにおける宗教を知るには、インドそのものも視野に入れて考えていかなければなりません。

なぜインドではヒンドゥー教が栄え、仏教は衰退していってしまったのか。そのことをこの本では見ていくことができます。そこには単に思想面だけではなく、もっと大きな社会的要因が絡んでくるのでありました。

また、この本では書名にありますようにインド二大叙事詩『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』についても詳しく見ていくことができます。仏教学者中村元先生ならではの視点で説かれるインド神話の講義を聴けるのは非常に興味深いものがありました。

仏教を学ぶ上でもこの本はとても重要な一冊だと思います。ぜひおすすめしたい作品です。

以上、「中村元選集第30巻『ヒンドゥー教と叙事詩』~仏教や日本とのつながりも知れる名著!インド思想の奥深さを体感」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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