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大幅な改変も加えながらなんとか完成させた『資本論』第3巻「マルクスとエンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(67)
上の記事ではマルクスとエンゲルスの生涯を年表でざっくりとご紹介しましたが、このシリーズでは「マルクス・エンゲルスの生涯・思想背景に学ぶ」というテーマでより詳しくマルクスとエンゲルスの生涯と思想を見ていきます。
これから参考にしていくのはトリストラム・ハント著『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』というエンゲルスの伝記です。
この本が優れているのは、エンゲルスがどのような思想に影響を受け、そこからどのように彼の著作が生み出されていったかがわかりやすく解説されている点です。
当時の時代背景や流行していた思想などと一緒に学ぶことができるので、歴史の流れが非常にわかりやすいです。エンゲルスとマルクスの思想がいかにして出来上がっていったのかがよくわかります。この本のおかげで次に何を読めばもっとマルクスとエンゲルスのことを知れるかという道筋もつけてもらえます。これはありがたかったです。
そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。かなり驚きの内容です。
この本はエンゲルスの伝記ではありますが、マルクスのことも詳しく書かれています。マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。
一部マルクスの生涯や興味深いエピソードなどを補うために他のマルクス伝記も用いることもありますが、基本的にはこの本を中心にマルクスとエンゲルスの生涯についてじっくりと見ていきたいと思います。
その他参考書については以下の記事「マルクス伝記おすすめ12作品一覧~マルクス・エンゲルスの生涯・思想をより知るために」でまとめていますのでこちらもぜひご参照ください。
では、早速始めていきましょう。
エンゲルスによる『資本論』第3巻の編集
一八九四年に『資本論』の最後の第三部「資本主義的生産の総過程」を上梓したときですら、問題は未解決のままだった。
エンゲルスはひどく心配してはいなかった。彼はマルクスの最高傑作の最終部を、第一部よりもさらに影響力のある重要なものだと見なしていた。
「われわれの理論はこれによって初めて否定できない根拠を与えられる一方で、われわれ自身はあらゆる方面でうまく論破できるようになった」と、彼は自信たっぷりにアウグスト・べーべルに書いた。
「これ[第三部]が刊行されたらすぐに、党内の俗物たちは再び打撃を受けて、何かしら考えるようになるだろう」。
しかし、原稿はそれまでの二部よりもさらに悲惨な状態にあり(「銀行と信用に関する部分は相当に困難だ」)、メモや下書き、言い換え、方程式などがごちゃ混ぜになった、めまいのするような紙の山となっていた。
だが、マルクスがいないために、安堵できる一面もあった。エンゲルスはようやく自分がふさわしいと思うように自由に文章を練り、説明を滑らかにし、文章中の目障りなものを取り除くことができるようになったのだ。
「最後を飾るこの第三部はじつに見事で、まったく反論の余地のない作品なので、僕は議論の全容が明確に、くっきりと浮き彫りになるようなかたちで、これを世にださなければならないと考えている」と、彼はニコライ・ダニエリソーンに語った。
※一部改行しました
筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P393-394
この箇所もなかなか強烈ですよね。
マルクスの『資本論』の第三巻はこれまでのものよりもさらにひどい状態だったようです。マルクスが実際に書き終えた第1巻ですら悲惨なもので、エンゲルスがかなり編集を加えていたことは以前の記事「『資本論』第1巻の段階ですでに膨大な原稿を編集していたエンゲルス「マルクスとエンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(51)」でも述べました。
そして前回の記事でお話した第2巻はそのあまりのひどさにエンゲルスが眼を病んでしまったという代物でした。
その第1巻、第2巻よりさらに悲惨な状態だったとすればそれはもはや明らかに作品としての体は成していなかったものと思われます。まさにメモの山状態・・・
ですが上で語られますように、もはやマルクスはいないということでエンゲルスはかなり自由に編集を加えていったようです。次の箇所ではそのエンゲルスの改変について語られています。
エンゲルスによる『資本論』第3巻の改変
一九九三年にマルクスのオリジナルの第三部の原稿が出版され、〔エンゲルス〕の編集がいかに自由な主導権をもって実施されていたかが明らかになっている。
「議論の筋道」を明確にするために、エンゲルスは本文に脚注を組み入れ、節を合体させ、細分割したり彼自身の考えを挿入したりしていたのだ。
場合によってはマルクスの意図を変えたところもあり、なかでも議論の的となった第三篇「利潤率の傾向的低下の法則」では顕著に見られた。
マルクスはここで資本主義のもとでいかに利潤が減る傾向にあるかを概説した。
人手を省く産業技術が、徐々に生きた労働から余剰価値を引きだす余地を減らすためである。マルクスはこの利益性の低下傾向を、資本主義そのものの脆弱性と結びつけた。
だが、マルクスのオリジナルの原稿は資本主義的生産の「動揺」について語っているのにたいし、エンゲルスはより断定的に資本主義の「崩壊」について語った。わずかな変更だが、二十世紀のマルクス主義者にとっては広範な影響力をもたらすもので、彼らは繰り返し資本主義の体系全般の「危機」や「破綻」を追い求め、共産主義の夜明けを迎え入れようとした。
マルクスのブルドッグはほんのつかの間、紐からすり抜けたようだが、それはすべて、大義のより大きな利益のためだった。
「エンゲルスは単なる編集者ではなく、マルクスの遺産の管理人と編集者が一体になった存在でありたかったのだ」と、近年のある学者はそれについて述べる。
「エンゲルスはマルクスの原稿を、それが対象とした相手である利用者のために読みやすくした版を制作した。理論を知っている労働者と、文献学的に関心をもつ学者にまでまたがる集団である」。
そして、第三部が出版されたことで、彼は少なくとも仕事をやり終えたと、マルクスの思い出は尊重されたと感じたのだった。
「マルクスの『資本論』との君の長い航海がほぼ終わったことを喜ばしく思う」と、エンゲルスの古いチャーティスト運動仲間のジュリアン・ハーニーは一八九三年に彼に書いた。「マルクスが君に見出したほど、忠実で献身的な友人および擁護者は、少なくとも近代においては、ほかにはどこにも例を見なかったと私は思う」
※一部改行しました
筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P394-395
マルクス亡き後、彼の思想を広めるためにそれこそ身を粉にして奮闘していたエンゲルス。
そのエンゲルスがマルクスの原稿に手を加え『資本論』第3巻は完成という形となりました。
ただ、はたしてこれがマルクスの作品、思想であると言えるのかは微妙なものなのではないでしょうか。これまでの記事を読んで下さった皆さんもきっとそう思うのではないかと思います。
メモの集積をつなぎ合わせたものを果たしてその人の作品、思想と呼べるのか。
しかもそのメモ自体も、膨大な文献を読んでいたマルクスが無秩序に蓄えていたものにすぎません。思想として体系立ててそれが書かれていたかというと疑問が残ります。
専門家ではない私にはこれ以上のことは言えませんが、『資本論』第3巻はこうしてエンゲルスによって完成されたのでありました。
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