スリランカ仏教伝来の聖地ミヒンタレーを訪ねて~聖地の名にふさわしい神話的な世界!
【インド・スリランカ仏跡紀行】(27)
スリランカ仏教伝来の聖地ミヒンタレーを訪ねて~聖地の名にふさわしい神話的な世界!
ネゴンボの魚市場、サッセールワ大仏、アウカナ大仏を巡った私はいよいよ本日の最終目的地ミヒンタレーへと向かった。
前回の記事「(26)サッセールワ大仏とアウカナ大仏~知る人ぞ知るスリランカの傑作大仏を訪ねて山中へ」で紹介したアウカナ仏を見た後、私は道中のホテルレストランで遅めの昼食を取った。
インドでは一切現地のものを食べなかった私だが、スリランカではどうだろうか。何せ私にはインドでのトラウマがある。(※「(8)ついにやって来たインドの洗礼。激しい嘔吐と下痢にダウン。旅はここまでか・・・」参照)
スパイスが苦手な私にとって東南アジアは鬼門だ。前情報によるとスリランカもスパイスを多用する国であるとのこと。だが、同時にインドと比べると衛生面はかなりよいということも聞いていた。実際、ここに来るまでの街並みや道路を見ても、インドとは衛生観念がまるで違うのである。
そしてメニューを見ても驚いた。インド的な料理だけではなく「フライドライス」なるものがあり、これが辛くないというのである。これはありがたい!私は迷わずそれをチョイスした。
しっかり火も通ってるのでお腹にも安心だ。インドではとにかくあらゆるものが信用ならなかった。街の屋台や料理屋にしても皿を洗っている水が私には恐怖の対象なのである。皿を拭いた布巾にすら落とし穴があるのだ。
だがスリランカでは不思議とそんな恐怖はない。ゴミの落ちていない街中の様子を見て、ここはある程度信頼できると思えたのである。
そして味も抜群であった。美味しいのである。これは嬉しかった!スリランカはいけるぞ!ごはんが食べれる!
やはり食は大切だ。疲れ切った身体を癒してくれる。私は元気を取り戻しミヒンタレーへの道を進んだのであった。
だが、スリランカもそんなに甘くはない。この日は何度も雨が降ったり止んだりの繰り返しだったがいよいよ本格的なスコールに遭遇した。
最近の日本でもゲリラ豪雨がよく発生するためそこまで驚くことはなかったが、この雨の中仏像を観に行くのはなかなかに心が折れる。止んでくれるのを祈るしかない。
さて、ミヒンタレーに到着。スコールは止んだがまだまだ雨は強い。
先程までのスコールで階段がほとんど滝のような流れになっていたが、なんとか上までたどり着く。もう靴もズボンもびしゃびしゃである。
さあ、ここからは靴を脱いで裸足だ。聖域へは靴を脱いで裸足でお参りするのがマナー。雨で地面がびしゃびしゃだろうが関係ないのである。
しかしどうだろう。私はここで新鮮な驚きを感じることになった。
裸足であることが全く苦ではないのである。
これの何がすごいのかと皆さんは思われるかもしれない。だが、私にとってはこれは一大事だったのである。皆さんもハリドワールのマンサ・デーヴィ寺院を覚えておられるだろうか。「(5)ハリドワールのマンサ・デーヴィー寺院に神々のテーマパークを感じる~ヒンドゥー教の世界観への没入体験」の記事で話したあのヒンドゥー教寺院だ。
私はこのヒンドゥー教寺院で裸足になり、その感触にぞっとすることになった。インドはとにかく汚い・・・。私はこの時の体験で、屋外で裸足で歩くことに対して強い抵抗感を持つことになってしまったのである。
しかしここミヒンタレーに来てその嫌悪感はどこへやら。
この雨の中、濡れた地面やぬかるみを歩いても気持ちが良いのである!
これはどうしたことだろう!スリランカは何かが違う!
滑って転ばぬように慎重に上った岩山の感触。もしこれがインドだったら私はものすごく嫌な顔をしていたかもしれない。
だが、一歩一歩踏みしめる足裏の感触に私は快さすら覚えたのである。これはミヒンタレーという聖地のなせる業なのかもしれないし、あるいはスリランカのきれいさに心安らげるものがあったのかもしれない。
いずれにせよ、裸足で歩くことが気持ち良いというのはスリランカの大きな特徴と言えるだろう。
階段を上って仏塔のある山頂までやってきた。
饅頭状の土台に細い尖塔が突き出たスリランカ特有の仏塔である。
大きすぎて近くからでは写真に写りきらない立派な仏塔だ。
そしてこの仏塔の周りでは展望台のように周囲の景色を眺めることができる。
周りには深い木々や山々、水田など見渡す限り緑の世界が広がっている。
そして私がここミヒンタレーにやって来たのはこの景色を見るためであった。正面の岩山に注目してほしい。
青、黄、赤など色鮮やかな仏旗がはためくこの山こそ、スリランカ仏教の聖地中の聖地インビテーション・ロックだ。
私はこの岩山を見にここまでやって来たのである。
この山が聖地となったのは他でもない。ここからスリランカの仏教が始まったのである。ここはスリランカ仏教の始まりの地なのだ。
スリランカで仏教が始まったのは紀元前3世紀中頃とされている。仏教の開祖ブッダが仏教教団を開いたのが紀元前5世紀中頃であることを考えると少し時間差があるように感じられる。それもその通り、ブッダが活動したのは中インドと言われるインド内陸部だ。そこからインド南端の海に浮かぶスリランカにはそうそう仏教は伝わらない。インドの広さ、文化的複雑さを甘くみてはいけない。
そんな状況を変えたのがアショーカ王(在位前268-232)という偉大なるインド王であった。
アショーカ王はほぼインド全域を統治下に置いたマウリヤ朝の王である。
この図を見て頂ければわかるように、まさにインド全域が勢力図にすっぽり収まっている。インド南端とスリランカは「Tributaries」つまり属国、朝貢国であった。現代のような通信設備もない古代インドでこれほどの範囲を統治するなど驚異の偉業としか言いようがない。
そしてアショーカ王の功績として最も有名なのが仏教をインド全土に広めたという史実である。先程も述べたように、ブッダの活動域はあくまで中インドであった。ブッダ死去後もあくまでこれらの地域を中心としていた仏教教団であるが、それをインド全土に広め記念碑を建て続けたのがアショーカ王だったのである。
アショーカ王の記念碑は「アショーカ王柱」と呼ばれ、仏教遺跡の存在を示す重要な手がかかりとなった。古代インドでは文字に記録を残す文化が薄い。しかも「(16)なぜインドの仏跡は土に埋もれ忘れ去られてしまったのだろうか~カジュラーホーでその意味に気づく」の記事でもお話ししたが、インドでは仏教遺跡が文字通り忘れ去られてしまったのである。
そんな中アショーカ王柱が発掘されたことで、そこに埋まっている遺跡が仏教教団のものだということがはじめてわかったのである。この柱には文字が刻まれていて、それによってその遺跡の由来が証明されたのだ。もしこの柱がなければ何の遺跡かもわからないまま打ち棄てられてしまったかもしれないのである。
こういうわけでインド全土に仏教を広めるべく尽力したアショーカ王であったが、その息子も偉大だった。
その息子マヒンダこそ何を隠そう、スリランカへ仏教を伝えた張本人なのである。
マヒンダはアショーカ王の長男ではなかったため王位を継ぐ必要がなかった。そのため彼は出家の道を選び、そこで才能を開花させることになる。彼はやがて長老となり、スリランカへと仏教を広めるために海を渡った。スリランカに伝わる伝説では空を飛んでスリランカへやって来たことになっているが、あくまで伝説として私たちはそれを受け取っておこう。
さて、いよいよ舞台は整った。
そのマヒンダ長老と時のスリランカ王ティッサが会談したのがこのインビテーションロックだったのである。
ティッサ王はこの時シカ狩りでミヒンタレーを訪れていたのだが、山の神デーヴァの導きでこの山へと誘われた。そしてそこでマヒンダ長老と出会い、仏教の教えに深く帰依したと言われている。こうしてスリランカに仏教がもたらされたのだ。
ミヒンタレーはこうした伝説に実にふさわしい場所である。目の前に広がるジャングルの中にぽつんと立つ岩山。この岩の存在感たるや!私もこの景色を見て感動した。なんと神話的な世界だろう。スリランカ仏教の始まりという神話的場面がこれほど似合う場所はないだろう!実にドラマチック!これは聖地として信仰されるのもよくわかる。
その聖地に私もこれから上るのである。
と言っても、この写真の通り雨が降っている。雨に濡れたこの岩山は実に危険。私たちは雨が止むまでしばし待機した。
傘をさしながら降りてくる人たちもいたが、見ているこっちがひやひやものである。
幸い数分後には雨も上がり、両手を使って登れるようになった。この機を逃す手はない。私は用心しながらまず第一の関門を突破した。
いや~それにしても厳しい!雨に濡れてつるつるである。目の前には足をかけられるように溝が作られていたが、ついこの前まではなかったそう。もちろん、古代には手すりなどもなかったはずだ。伝説が生まれるにはやはりそれだけの難所でなくてはならないということか。
しかし頂上はすぐそこである。もうひと踏ん張りだ。
頂上に到着した。柵があるとはいえ小さな岩の上だ。高所恐怖症の私にとってはかなり恐い。
ついさっきまではこの仏塔からこの岩を眺めていたのだ。
この岩からはミヒンタレーの境内を見下ろすことができた。
ここであの伝説的な会談が行われたのだ。マヒンダ長老とティッサ王がここにいたのだとしたら、それこそ天上の人のように下からは見えたのではないだろうか。目の前の仏塔からも、下からもこの岩山の頂上は見えるのである。そんな場所でスリランカの歴史を決める決定的な出会いがあったのだ。なんとロマン溢れる舞台だろう。
ただ、個人的にはこの岩から世界を見渡すより、仏塔からこの岩山を眺めている方が好きである。神話の舞台はあくまで見る側だからこそ楽しいのである。そこに立つべきものではないのだ。
さあ、これから下りることにしよう。上るより下りる方が大変なのは世界共通。目もくらむような高所から用心深く下っていったのであった。
無事下界までやってきた。裸足で砂利道を歩きながら先ほどまで立っていたインビテーションロックを眺める。やはりこの岩は遠くから眺めた方が味わい深い。
こうして私はミヒンタレーの聖地を後にした。
スリランカ仏教の始まりの舞台は実に神話的で魅力的だった。伝説にふさわしい舞台装置が完全に揃っている。ここで何かが起きるはずだと思わずにはいられない素晴らしい景色だった。
雨の中ぐしゃぐしゃになりながらも、心地よい満足感。長い長い一日もこれで終わりだ。
宿に着くころにはすっかり夜も更けて真っ暗。さすがにもう限界である。だが、充実した一日だった。やはり私は神話が好きだ。伝説の舞台が好きだ。きっと私は人間を動かす物語に心を惹かれてやまないのだろう。ミヒンタレーはまさに神話の世界だった。
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※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。
〇「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
〇「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
〇「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」
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