念願のオルドバイ渓谷~シンボルと聖地を考える タンザニア編⑦

オルドバイ タンザニア・トルコ編

念願のオルドバイ渓谷~シンボルと聖地を考える 僧侶上田隆弘の世界一周記―タンザニア編⑦

ウォーキングサファリを終え、この旅最大の目的地、オルドバイ渓谷を目指す。

オルドバイ渓谷はンゴロンゴロクレーターから北西へ1時間ほど走ったところにある。

ンゴロンゴロ外輪山の豊かな緑とは対称的な乾いた土地が広がる。

この大地も雨期が来れば一面鮮やかな緑で覆われるそうだ。

そしてこの道をしばらく行くと道が二手に分かれる。

一方はセレンゲティに続き、もう一方はオルドバイ渓谷へと向かう道だ。

もちろん、ぼくが選ぶのはオルドバイ渓谷への道である。

しかしガイドさんにこう聞かれる。

「なぜ今回セレンゲティに行かないのですか?あそこはとっても楽しい場所ですよ?」

・・・そうなのだ。

ほとんどの観光客はセレンゲティを目当てにしてタンザニアのサファリにやって来る。

セレンゲティは世界最大級の大平原でその生物の多様性から世界遺産にも登録されている。(ちなみにンゴロンゴロも世界遺産)

セレンゲティで有名なのはヌーの大移動だ。

その様子は「水曜どうでしょう」のアフリカ編を見て頂ければイメージできることだろうと思う。興味のある方はぜひ「水曜どうでしょう」をご覧いただきたい。

ともかく、このセレンゲティは世界的に非常に有名で人気のある場所であり、世界中のサファリファンが憧れる場所なのだ。

ただ残念なことに、ぼくはそれほどサファリ好きな人間というわけではない。

それに、ぼくが見たいのはオルドバイ渓谷なのだ。

ガイドさんは笑いながらこう言った。

「そういうお客さんは初めてです」

とはいえ正直な話、資金的にも限界が来ていたというのはここだけの話にしておこう。

さあ、オルドバイ渓谷の入り口に到着だ。

緊張感が高まる。

いよいよオルドバイ渓谷を見ることが出来るのだ。

この展望台の先にオルドバイ渓谷が広がっている。

鼓動が高鳴る。ついにぼくはここまでやって来たのだ。

さあ、その景色はいかに!

これがオルドバイ渓谷。人類はここから始まったのだ。

赤茶色の切り立った山が手前にそびえ立つ。ここがオルドバイ渓谷であることを実感する。

そして見渡す限りに広がる大地。はるか向こうに見える山も美しい。

ここを人類は歩いていたのか・・・

ふと、ライオンの居場所を必死に探している祖先を想像してしまう。

こんな開けた土地では逃げ場を見つけるのにも難儀しそうだ。

天敵に遭遇してしまったら確実に死を迎えることになっただろう。

1時間ほどぼーっとこの景色に見入ってしまった。何かしらぼくを惹き付けるものがあるのだろう。

そしてオルドバイ渓谷の写真でよく見るこの赤茶けた山。

ここから人類の化石が見つかったとぼくは思い込んでいたのだが、実際は写真左上に見える山とこの赤茶けた山の中間辺りで発見されたそうだ。

であるのならばなぜこの赤茶けた山がオルドバイ渓谷の顔としてここに鎮座しているのだろう。

化石が見つかった場所を写真で撮ればいいではないか。

それを考えてみるためにもう一度別アングルからこの山を見てみよう。

うん。やはり美しい。

だがここで想像してほしい。

もしこの赤茶けた山がなかったとしたらどうだろうか。

おそらく、緑の少ないただの土地としか映らないのではないだろうか。

ぼくの単なる仮説だが、もしこの山がなかったら、オルドバイ渓谷は人類発祥の地としてここまで有名にはならなかったのではないかと思うのである。

それほどこの山は見る者にインパクトを与える。

この山はここで人類が生まれたというストーリーを象徴しているシンボルなのだ。

この山を見るだけで、ぼくたちは人類がここから始まったというストーリーを受け取ることが出来る。

実際に化石が見つかったのは違う場所であるという「事実」は問題にならない。

重要なのは「事実そのもの」ではない。

もちろん、この一帯で化石が見つかっているのだから嘘をついているわけではない。オルドバイ渓谷はここら一帯の土地を表すのだから。

だが、現にぼくはその山から化石が見つかったと思い込んでいたし、多くの人もそう思い込んでいるのではないかと思う。

シンボルは見る者にストーリーを伝える。

これは宗教における聖地にも如実に現れてくる。

それを見ただけで圧倒的な情報量をぼく達は受け取り、感情を揺さぶられる。

例えば、この写真は比叡山延暦寺の境内にある常行三昧堂というお堂だ。

ここは浄土真宗の開祖の親鸞が修行をしていた場所として知られる。

親鸞の教えを深く学ぶ者はこのお堂を見ただけで、親鸞の生涯や教えなど、膨大な情報をこのお堂から感じ取ることができる。

そして感情を揺さぶられるのだ。

このお堂は親鸞の修行時代のシンボルとして現代でも機能している。

オルドバイ渓谷のあの山も、ぼくの中に人類発祥というストーリーをもたらし、心を揺さぶった。

シンボルとしてのこの山の存在は、とてつもなく大きな意味を持つものだろうと思う。

そして多くの人がそのストーリーを共有したときに、その場所は聖地となっていくのだろう。

これから巡る国々には宗教の聖地が数多くある。

旅のはじめにオルドバイ渓谷を見ることが出来たのは実に感慨深い。

タンザニアに来てよかった。心の底からそう思える。

しみじみとした気分でホテルのあるアルーシャまで、4時間半の道を引き返すのであった。

続く

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