目次
イギリスヴィクトリア朝の繁栄と労働者の生活水準の上昇~プロレタリアートのブルジョワ化「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(40)
上の記事ではマルクスとエンゲルスの生涯を年表でざっくりとご紹介しましたが、このシリーズでは「マルクス・エンゲルスの生涯・思想背景に学ぶ」というテーマでより詳しくマルクスとエンゲルスの生涯と思想を見ていきます。
これから参考にしていくのはトリストラム・ハント著『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』というエンゲルスの伝記です。
この本が優れているのは、エンゲルスがどのような思想に影響を受け、そこからどのように彼の著作が生み出されていったかがわかりやすく解説されている点です。
当時の時代背景や流行していた思想などと一緒に学ぶことができるので、歴史の流れが非常にわかりやすいです。エンゲルスとマルクスの思想がいかにして出来上がっていったのかがよくわかります。この本のおかげで次に何を読めばもっとマルクスとエンゲルスのことを知れるかという道筋もつけてもらえます。これはありがたかったです。
そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。かなり驚きの内容です。
この本はエンゲルスの伝記ではありますが、マルクスのことも詳しく書かれています。マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。
一部マルクスの生涯や興味深いエピソードなどを補うために他のマルクス伝記も用いることもありますが、基本的にはこの本を中心にマルクスとエンゲルスの生涯についてじっくりと見ていきたいと思います。
では、早速始めていきましょう。
イギリスヴィクトリア朝の繁栄は労働者を中流階級に押し上げた
イギリスヴィクトリア朝はヴィクトリア女王在位期間の1837年から1901年の時代を指します。
エンゲルスが初めてイギリスへ渡った時はまさしくヴィクトリア朝の最初期で、彼が見た如く労働者の環境は悲惨なものでありました。
しかし1846年の穀物法の撤廃など、労働環境改善の兆しが見え始め、50年代の好景気も相まって、イギリスは一気に繁栄の時を迎えます。その栄光の象徴が世界初の万博、ロンドン万国博覧会でした。
最新技術の粋を集めた建築、水晶宮や、その経済的繁栄をまざまざと見せつける展示品。
そしてそれらの恩恵によって明らかに生活水準が上がった労働者たち。
エンゲルスが知っていた頃とは違うイギリスがすでに生まれていたのでした。
かつて歩いた道をたどるなかで、エンゲルスには『労働者の状態』がすでに時代遅れになっていることが感じられた。リトル・アイルランドの代わりに、いたるところで新しい重商主義の秩序の兆候が現われていた。贅沢な造りの礼拝堂、ルネサンス時代の宮殿をかたどった複数階の倉庫、それから何よりも象徴的なのは、自由貿易会館の基礎部分が、穀物法の勝利を記念するために、一八一九年のピータールーの虐殺(選挙法改正を求める集会が鎮圧された事件)の現場に無情にも建てられたことである。(中略)
急進的だったマンチェスターはすっかり中立的になったため、一八五一年十月には同市は女王を迎えるにもふさわしい場所となった。ヴィクトリア女王とアルバート公がヴィクトリア橋を渡ってイタリア風のアーチの下をくぐった華々しい市内パレードは、ブルジョワの誇りと地方都市の自尊心を示す壮麗な行列となり、最後はさまざまな名誉を市議会に与える儀式となって終わった。
マンチェスターの意義―商業、宗教的寛容、市民社会、政治による自治―が、これで王室によって認可されたのだ。『マンチェスター・ガーディアン』紙によれば、同市は「秩序正しく、地道で、平和的な中流階級の産業にもとづく共同体」としてのみずからの姿を示した。
※一部改行しました
筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P243
エンゲルスがいた頃(1843-44年)のマンチェスターはこの世の地獄のような場所でした。そんな悲惨な環境を告発したのが彼の著書『イギリスにおける労働者階級の状況』でした。
あわせて読みたい
(26)『共産党宣言』『資本論』にも大きな影響を与えたエンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』
この作品の強みはエンゲルスの実体験に基づいたリアルな語りにありました。
しかもそれだけでなく、彼が夢中になって学んだヘーゲル哲学の素養がそこに生きてきます。
哲学的ジャーナリスト・エンゲルスの特徴がこの作品で示されているのでありました。
労働者の悲惨な生活を描くエンゲルスの筆はもはや作家の域です。
この作品は後のマルクスにも非常に大きな影響を与えました。
マルクスはマルクスのみにあらず。
やはりエンゲルスがいて、二人で共同作業をしたからこそのマルクスなのだなと思わされます。
この本はマルクスにも絶賛され『共産党宣言』や『資本論』にも大きな影響を与えました。
しかし、50年代にも入るとそのような描写はすっかり時代遅れなものになっていました。エンゲルスが不在だった数年間にイギリスは激変してしまったのです。
かつてはそんな地獄の中でチャーティスト運動という労働運動が盛んに行われていました。それはエンゲルスが政治運動について学んだ大きな時代のうねりでした。
あわせて読みたい
(22)イギリスの労働運動「チャーティスト運動」を間近で見るエンゲルス~エンゲルスはそこで何を学ん...
前回の記事でも紹介しましたが、1830年代まで根強い人気のあったオーエン派の活動も最後には衰退していってしまいます。
その大きな原因となったのがイギリスの新たな政治運動である「チャーティスト運動」でした。
今回の記事ではそんなイギリスの歴史に非常に大きな影響を与えたチャーティスト運動とエンゲルスについてお話ししていきます。
ですが、そんなかつての同志たちもすっかりブルジョワ化し、政治運動など忘れてしまったかのような変貌ぶりです。
では、なぜ彼らはかつて革命を起こしかねないほど熱狂的だったのか。それは彼らの環境が悲惨だったからです。かつては生きていくのもやっとだった。しかし今やなんとか落ち着いて生活ができるほど豊かになってきた。なぜわざわざそれを捨ててまで全てを破壊しなければならないのか、ということなのです。
このことはマルクス・エンゲルスの革命理論において最も頭の痛いことの一つでした。そのことに関しては以下の記事で詳しくお話ししています。
あわせて読みたい
(34)エンゲルスの理想が「労働者にはもっと貧しく、どん底にいてほしかった」という現実
今回の記事ではマルクスとエンゲルスの思想において決定的に重要な指摘がなされます
マルクス・エンゲルス関連の様々な本を読んできて、私が薄々感じていた違和感をはっきりと言葉にしてくれたのが今回読んでいく箇所になります。
ぜひ読んで頂きたい内容となっています。
あわせて読みたい
(37)マルクスの労働者階級は革命理論のために生み出された存在だった~「革命に必要なのはこれ以上何...
今回の記事で紹介する箇所はマルクス主義を考える上で非常に重要な問題を提起していると思います。
マルクスは何のために共産主義を説いたのか。
本当に貧しい人を救うためだったのか。
なぜマルクスやエンゲルスは自説とは矛盾した行動を取り続けたのか。
こうしたことを考える上でも今回の箇所は私にとっても非常に大きなものになりました。
そして、マンチェスターの繁栄ぶりについては次のように語られています。
ヴィクトリア朝中期の急成長を牽引し、プロレタリアートの野心をくじいたのは、勢いを取り戻した綿産業だった。アメリカ、オーストラリア、中国の新たな市場が生まれたために収益は増しており、一方、生産技術の改善によって生産性は向上しつづけた。
好景気はとりわけランカシャー州で顕著となり、同州ではニ〇〇〇カ所の工場が三〇万台の動力織機を昼夜を問わず動かすなかで、賃金率と雇用が増加していた。一八六〇年のその絶頂期には、綿産業はイギリスの輸出総額の四〇%ほども占めていた。
エルメン&エンゲルス商会は、ミシンが発明され、ちょうど彼らが扱うタイプの縫い糸の需要が高まったおかげで、その取引で大儲けをした。同社の社運は一八五一年に、ゴットフリート・エルメンが綿糸に艶をだす発明で特許権を取ったことでさらに上向いた。それによって彼らの製品は「ダイヤモンド糸」という独占的な旗印のもとで市場に売りだされた。注文が殺到したために、同社はサウスゲート七番地に(ゴールデン・ライオン・パブの中庭を見下ろす倉庫へ)事務所を移転し、ソルフォードのヴィクトリア工場に加えて、エックルズのリトル・ボルトンに新たにべンクリフ工場を購入した。
※一部改行しました
筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P245
綿産業の繁栄によりマンチェスターは大いに活気づきました。
エンゲルスの父の会社も上に述べられているようにその恩恵を被っていました。
エンゲルスはこの会社経営者の御曹司として、マンチェスターに戻ってきたのです。マンチェスターでも有数の大企業、しかも綿産業というマルクス・エンゲルスが最も憎んだグローバル企業です。
こうしてエンゲルスは自らもブルジョワの一人としてその仕事に就くのでありました。
次の記事ではそんな「労働者を搾取して得たお金をマルクスに送る」という矛盾に満ちた生活をしていたエンゲルスについてお話ししていきます。
Amazon商品ページはこちら↓
エンゲルス: マルクスに将軍と呼ばれた男 (単行本)
次の記事はこちら
あわせて読みたい
(41)労働者の搾取によって得たお金で書かれた『資本論』という気まずい真実
「気まずい真実は、エンゲルスの豊かな収入が、マンチェスターのプロレタリアートの労働力を搾取した直接の結果だったということだ。
彼とマルクスがあれほど細部にわたって非難した諸悪そのものが、彼らの生活様式と哲学に資金を供給していたのだ。」
エンゲルスは父の会社に就職し、そのお金をマルクスに送金していました。労働者を搾取する資本家を攻撃していた二人がまさにそうして生活していたという矛盾が今回読む箇所で語られます。
前の記事はこちら
あわせて読みたい
(39)マルクス・エンゲルスのイギリス亡命生活の始まり~二人はどのようにロンドンで生きていたのか
フランス二月革命を経てマルクス・エンゲルスは共に政治犯として追われる身になっていました。
そこでマルクスは政治犯でも受け入れてくれるイギリスを亡命先として選ぶことになります。
エンゲルスもそうしたマルクスを追い、イギリスへと向かうことになったのでした。
そしてそこでのエンゲルスの決断がまた驚きです。やはり彼は矛盾をものともしない図太い神経があったのでした。
関連記事
あわせて読みたい
マルクス主義者ではない私がなぜマルクスを学ぶのか~宗教的現象としてのマルクスを考える
マルクスは宗教を批判しました。
宗教を批判するマルクスの言葉に1人の宗教者として私は何と答えるのか。
これは私にとって大きな課題です。
私はマルクス主義者ではありません。
ですが、 世界中の人をこれだけ動かす魔力がマルクスにはあった。それは事実だと思います。 ではその魔力の源泉は何なのか。 なぜマルクス思想はこんなにも多くの人を惹きつけたのか。 そもそもマルクスとは何者なのか、どんな時代背景の下彼は生きていたのか。 そうしたことを学ぶことは宗教をもっと知ること、いや、人間そのものを知る大きな手掛かりになると私は思います。
あわせて読みたい
(36)出版直後、世間から無反応だったマルクスの『共産主義者宣言』~今では考えられない歴史の不思議...
「ヨーロッパに亡霊が出没する―共産主義という亡霊が」
「万国の労働者、団結せよ!」
という言葉で有名なマルクス・エンゲルスの『共産主義者宣言(共産党宣言)』ですが、実は発刊当時はほとんど反響がありませんでした。
20世紀で最も読まれた書物のひとつとして有名なこの作品がなぜそんなことになってしまったのかをこの記事では見ていきます。
あわせて読みたい
(19)産業革命の中心地マンチェスターの地獄絵図~エンゲルスはそこで何を見たのか
エンゲルスは1年間のベルリンでの兵役を終えた1842年、イギリスへ旅立ちました。
その旅の途中、ドイツの共産主義者モーゼス・ヘスから直接指導を受け、熱烈な共産主義者となったことまで前回の記事でお話ししました。
エンゲルスがなぜマンチェスターを訪れたかといいますと、彼の父が共同経営者となっている「エルメン&エンゲルス商会」がそこにあったからでした。彼の父は哲学にのめり込み急進的な言動を繰り返す息子を商人として鍛え直すために、エンゲルスをマンチェスターに送ったのでした。(もちろん、会社経営の面でも必要でしたが)
あわせて読みたい
松村昌家『大英帝国博覧会の歴史』あらすじと感想~万博とマンチェスターのつながりを知れる1冊!
産業革命の悲惨な結果として見られがちなマンチェスターですが、実はこのマンチェスター名宝博こそ、国民の生活向上を目指す運動とも関わってくるものでした。
マルクスは1849年から、エンゲルスに関してはそれよりもはるかに長くイギリスに滞在しています。彼らの思想が生まれてくる背景にはイギリスの社会情勢があります。そうしたイギリスの社会事情を知る上でもこの本は非常に参考になりました
あわせて読みたい
松村昌家『十九世紀ロンドン生活の光と影』あらすじと感想~ディケンズの生きたヴィクトリア朝の背景を...
たった一本の路地を隔てることによって世界が変わっていく。光と闇が同居するような、そんな矛盾をはらんだ街が世界の大都市ロンドンでした。
この本ではそうしたリージェンシー時代からヴィクトリア朝初期に至るロンドンの時代背景を見ていくことができます。
あわせて読みたい
カール・B・フレイ『テクノロジーの世界経済史』あらすじと感想~産業革命の歴史と社会のつながりを学ぶ...
この本ではなぜイギリスで産業革命が起きたのか、そしてそれにより社会はどのように変わっていったのかを知ることができます。
マルクスとエンゲルスは、機械化が続けば労働者は貧しいままだという理論を述べました。
たしかに彼らが生きていた時代にはそうした現象が見られていましたが、現実にはその理論は間違っていたと著者は述べます。
この伝記は産業革命とテクノロジーの歴史を知るのに非常におすすめな1冊となっています。
コメント