(1)エンゲルスを学ぶ意味とは~マルクスに多大な影響を与えた人物としてのエンゲルス像
エンゲルスを学ぶ意味とは~マルクスに多大な影響を与えた人物としてのエンゲルス像 「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」⑴
前回の記事「年表で見るマルクスとエンゲルスの生涯~二人の波乱万丈の人生と共同事業とは」では年表を用いてマルクス・エンゲルスの生涯をざっくりと見ていきました。
そして今回の記事からは「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」というテーマでより詳しくマルクスとエンゲルスの生涯と思想を見ていきます。
これから参考にしていくのはトリストラム・ハント著『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』というエンゲルスの伝記です。
この本が優れているのは、エンゲルスがどのような思想に影響を受け、そこからどのように彼の著作が生み出されていったかがわかりやすく解説されている点です。
当時の時代背景や流行していた思想などと一緒に学ぶことができるので、歴史の流れが非常にわかりやすいです。エンゲルスとマルクスの思想がいかにして出来上がっていったのかがよくわかります。この本のおかげで次に何を読めばもっとマルクスとエンゲルスのことを知れるかという道筋もつけてもらえます。これはありがたかったです。
そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。かなり驚きの内容です。
この本はエンゲルスの伝記ではありますが、マルクスのことも詳しく書かれています。マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。
一部マルクスの生涯や興味深いエピソードなどを補うために他のマルクス伝記も用いることもありますが、基本的にはこの本を中心にマルクスとエンゲルスの生涯についてじっくりと見ていきたいと思います。
では、早速始めていきましょう。
序~エンゲルスとは何者なのか
フリードリヒ・エンゲルスは繊維産業の有力者で、狐狩りを趣味とし、マンチェスターの王立取引所の会員であり、同市のシラー協会会長でもあった。彼は人生を幸せにするものをこよなく愛した。
奔放かつ贅沢な暮らしを送り、大酒飲みであり、ロブスター・サラダ、シャトー・マルゴー・ワイン、ピルスナー・ビール、お金のかかる女性たち。だが、エンゲルスはその一方で、四〇年にわたってカール・マルクスに資金援助をつづけ、彼の子供たちの面倒を見て、怒りをなだめ、歴史上最も世に知られた思想上の共同経営の片翼をになった。『共産主義者宣言』の共著者となり、マルクス主義と呼ばれることになるものの共同創始者となったのである。
二十世紀を通じて、毛沢東主席の中国から東ドイツのシュタージ国家まで、アフリカの反帝国主義闘争からソビエト連邦そのものまで、この説得力のある哲学がさまざまなかたちで、人類の三分の一をゆうに超える人びとの上に影を落とすことになった。
しかも、社会主義世界の指導者たちはしばしば、その政策を説明するため、行き過ぎた行為を正当化するため、そして自分たちの体制を強化するために、マルクスではなくエンゲルスをまず頼った。解釈されては誤解され、引用されては間違って伝えられるなかで、フリードリヒ・エンゲルス―フロックコートを着たヴィクトリア朝時代の綿業王―は、グローバル共産主義の中心的な立役者の一人となったのである。
※一部改行しました
筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P7-8
『資本論』を書いたマルクスが圧倒的な知名度と存在感を誇るのに対して、エンゲルスがいかなる人物であるかはほとんど知られていません。かく言う私もその一人でした。後のソ連に絶大な影響を与えることになったマルクス・エンゲルス思想ですが、その立役者たるエンゲルスその人がブルジョワだったというのは驚きでした。
この伝記ではそんな驚くべき矛盾をはらんだ巨人、エンゲルスの生涯を辿っていきます。
忘れ去られた巨人、エンゲルス
旧ソ連および東側ブロック一帯で、マルクスの彫像は(レーニン、スターリン、べリアの像とともに)引き倒された。首を切られ、解体された彫像の残りは、記念碑の墓場に集められ、冷戦文化を見にくる観光客向けの皮肉な啓発物となっている。
ところがどういうわけか、エンゲルス像はそのまま残され、いまなお彼の名を冠する町に睨みを利かせている。地元の住民やエンゲルス広場で夕方の散歩をする人びととの短い会話から察するに、彼がここに存在するのは愛着からでも崇拝の念からでもない。確かに、共産主義の共同創始者にたいする敵意などはまず感じられず、むしろ、何の感興も関心もないようすで、それが誰であるかも知らないのだろう。西欧の首都の広場で多様な台座の上にいる十九世紀の将軍や、忘れられて久しい社会改革者たちと同様に、エンゲルスは、名もなく、目立たない都市の壁紙の一部と成りはてたのだ。
彼の生地、ラインラントの町ヴッパータール(現在は近くにある金融とファッションの都市デュッセルドルフのべッドタウンとなっている)でも、無関心ぶりは如実に表われている。フリードリヒ・エンゲルス・シュトラッセとフリードリヒ・エンゲルス・アレーなどの通りはあるが、この町が輩出したいちばんの有名人を記念しようとする意気込みはほとんど感じられない。
一九四三年にイギリス空軍による空襲で破壊されたエンゲルスの生家の跡地は空き地のまま残され、彼がこの地で生誕したことを示すものは、「科学的社会主義の共同創始者」としての彼の役割をささやかに記す、薄汚れた花崗岩の記念碑だけである。ヒイラギとツタに覆われた碑は、錆ついたプレハブと荒らされた電話ボックスに見下ろされ、荒れた公園の日陰の片隅に追いやられている。
スペイン、イギリス、アメリカは言うまでもなく、現在のロシアやドイツでも、エンゲルスは歴史の無愛想な節目に姿を消してしまった。かつて彼の名前が何百万もの人びとの口にのぼっていた場所で―マルクスの同志として、『空想から科学へ』(グローバル共産主義のバイブル)の著者として、弁証法的唯物論の理論家として、革命を企てる反乱者や左翼議員たちが都市の通りや広場に頻繁に落書きする名前として、通貨にも教科書にも顎鬚をたくわえ先を見据える顔で登場する人物として、あるいはマルクス、レーニン、スターリンと並んで、メーデーのパレードで特大の旗や社会主義レアリズムの広告用掲示板から見下ろしていた人物として―いまやその名は、東側でも西側でも、ほとんど記憶に留められていない。
一九七二年に東ドイツで刊行された公式の伝記は当然のようにこう主張していた。「いまやわれらが国土において、エンゲルスの名前を聞いたことがなく、彼の業績の重要性が加られていない場所はまずない」。今日、彼はあまりにも無害であるため、その彫像は引き倒されもしないのだ。
※一部改行しました
筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P9-10
この伝記ではエンゲルスの生家は空き地になっていると書かれていますが、ネットで検索してみるとエンゲルスハウスとして見学もできるとのことでした。再建されたのでしょうか・・・?情報が少なく、わかりません
上の文章でやはり印象に残るのは最後の言葉です。
「今日、彼はあまりにも無害であるため、その彫像は引き倒されもしないのだ。」
これが現在におけるエンゲルスを表している最も端的な言葉なのかもしれません。
忘れ去られたエンゲルスに対し、現代に復活したマルクス
彼の同僚のカール・マルクスについては、同じことは言えない。べルリンの壁が崩れ、フランシス・フクヤマが自信たっぷりに「歴史の終焉」を宣言してからニ〇年を経たいま、マルクスの評判は驚くべき復興を見ている。カンボジアの大量虐殺を引き起こし、シべリアに強制労働収容所をつくらせた化物とされたマルクスは、いまや現代の資本主義を最も鋭く分析した人物へと変貌を遂げた。
「マルクス株一五〇年ぶりに再上昇」と『ニューヨークタイムズ』紙は『共産主義者宣言』の刊行一五〇周年を記念して書いた。同書はほかのどんな本にもまして、「富を生みだす資本主義の力は止めようがないことを認識し、それが世界を征服することを予測し、諸国の経済と文化は必然的にグローバル化し、たがいに対立し、苦痛を伴う結果がもたらされると警告した」ものであった、と。
西側の政府、産業、および金融機関が二十一世紀への変わり目に自由市場原理主義の経済的大嵐―メキシコとアジアにおける金融メルトダウン、中国とインドの産業化、ロシアとアルゼンチンにおける中流階級の没落、大量の人口移動、ニ〇〇七年からニ〇〇九年の世界各地における「資本主義の危機」―に直面するかたわらで、この十数年間、マルクスの声はカッサンドラー〔予言者〕のように響き渡り始めた。
一九八九年以後、新自由主義的な資本主義こそ正しいとの合意が形成され、共産主義の歴史的崩壊を踏まえてフクヤマの言うイデオロギー的進化の最終形が構築されるはずだったが、そのすべてがぐらついてきたようだった。そして舞台のそでで出番を待っていたのがマルクスだった。
「彼が戻ってきた」と、『タイムズ』紙は書き立てた。ニ〇〇八年秋に株価が大暴落し、銀行が国有化され、フランスのニコラ・サルコジ大統領が『資本論』をめくる姿が写真撮影された(同書の売り上げはドイツのべストセラーのトップにまで急上昇した)ときのことである。
ローマ教皇べネディクト十世ですらマルクスの「偉大な分析能力」をたたえる気になった。イギリスの経済学者メグナド・デサイは、熱がこもる一方のマルクスに関する論文の一部で、すでにこの現象を「マルクスの復讐」と名づけている。
※一部改行しました
筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P10-11
ソ連崩壊後マルクス主義は終焉し、西側が完全勝利かと思いきや、行き過ぎた新自由主義経済はどんどん問題が明らかになってきました。そこでマルクス思想が復活してきたという流れがマルクス再評価の流れのようです。筆者はさらに続けます。
マルクスを再評価する、新たなマルクス伝の登場
二〇〇五年にべストセラーになった評伝『世界精神マルクス』で、フランスの政治家兼銀行家のジャック・アタリはマルクスを、グローバル化を説明した最初の偉大な理論家であるとした。新自由主義の〈教義〉を毎週伝道している『エコノミスト』誌ですら、彼が「資本主義の恐るべき生産力を予測したこと」を称賛しなければならなかった。「共産主義以後のマルクス」と題したニ〇〇二年の記事で同誌が認めたように、「資本主義はこれまでに想像もしなかった度合いで技術革新に拍車をかけるだろうと彼は考えた。巨大企業が世界の産業を独占するようになると考えた彼は正しかった」。
アタリの本はまた、フランシス・ウィーンの一般向けの伝記(『カール・マルクスの生涯』)とともに、奮闘したジャーナリストとして、親しみのもてる悪党として、愛情豊かな父親として、マルクスに同情的な光を当てる一助にもなった。一九六〇年代以降、われわれはカール・マルクスの初期の哲学的ヒューマニズムについてはすでに知っていた。これは、疎外と道徳に関心があった『経済学・哲学草稿』を書いた若きマルクスと、のちの唯物論者となった大人のマルクスとのあいだに「認識論的断絶」があることを、ルイ・アルチュセールが「発見」したことが大きい。いまではマルクスには、円熟した、魅力的で、驚くほど現代的な人物という伝記的補足がなされているのである。
筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P12
※一部改行しました
ここで紹介した2つの伝記は当ブログでも紹介しました。
ジャック・アタリの『世界精神マルクス』は前回の記事の年表でも参考にしています。
たしかにこの二つの伝記はイデオロギー解釈全開のマルクスというよりも、「人間マルクス」を描いた伝記となっています。(とはいえ、両者とも、特にウィーンに関してはかなりマルクス讃美的なものとなっていますが・・・)
マルクス株の上昇に伴い、エンゲルスは・・・
この寛大な新しい位置関係のなかで、フリードリヒ・エンゲルスはどこに収まるのだろうか?同様に夥しい数の伝記が存在しない現状で、またおそらくは一九八九年以後に意識的に忘却されたことの一環で、エンゲルスは大衆の記憶からかき消された。あるいは、より懸念すべきこととして、イテオロギーを論ずる一部の人びとのあいだで、彼は二十世紀のマルクスーレーニン主義の恐ろしい行き過ぎの責任を押しつけられている。したがって、マルクス株が上昇するにつれ、エンゲルス株は下落したのだ。近年の傾向はますます、倫理的で人道主義のカール・マルクスを、機械的で科学を崇拝するエンゲルスから引き離すものとなり、共産主義政権下のロシア、中国および東南アジアにおける国家犯罪を是認したとして、エンゲルスを非難するようになっている。(中略)
リチャード・N・ハントも次のように述べている。「近年、一部の人びとのあいだで、エンゲルスを古典的マルクス主義のゴミ箱として、この制度の見苦しい名残はなんでも掃き入れられる都合のよい器として扱うのが流行っており、後世の失敗はなんであれ、責めを負うべき人間にされている」。こうして、パリ時代のノートから浮かびあがる魅力的なマルクスにたいし、『反デューリング論』の陰気なエンゲルスは不利なかたちで比較されている。
筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P12-13
「マルクスがこれまで誤解されていたのはエンゲルスのせいであり、真のマルクスはなんと魅力的なのか」という文脈でエンゲルスが用いられることが多いことがここから伺えます。たしかに、「マルクスは間違っていなかった」という論を述べるときに「エンゲルスが捻じ曲げた」と言うのは非常に便利です。
マルクス思想への貢献とエンゲルス自身の魅力とは
ヴィクトリア朝中期にマンチェスターで綿企業を経営し、南アメリカの大農園からランカシャー州の工場やイギリス支配下のインドにまでおよぶ世界貿易の経済連鎖に日々携わっていたため、グローバル資本主義の仕組みに関する彼の経験こそが、マルクスの『資本論』のぺージに盛り込まれたのだった。
それは、工場の生活やスラムの暮らし、武装闘争、通りから通りへの政治活動などといった彼の経験が、やはり共産主義の理論を発展させるための情報をもたらしたのと同じである。
さらに、家族構成、科学的手法、軍事理論、植民地解放といった問題で、自分やマルクスの考えを展開させてゆくことにおいて、はるかに冒険的であったのもやはりフリードリヒ・エンゲルスだった。マルクスが十九世紀後半に経済理論により深く没頭するにつれて、エンゲルスは政治、環境、民主主義の問題を、意外なほど現代にも通ずる方法で自由に検討した。
マルクスの声が今日再び聞かれるようになったのであれば、これはまたエンゲルスの謙虚さを引きはがし、因習を打破する彼の豊かな考えを、マルクスの記憶とは別個に追究すべき時でもある。
伝記を書くためにエンゲルスの経歴を調べていくと、この哲学的な能力を生みだした個人的な背景がじつに魅力的に映る。彼の長い生涯は、矛盾に満ち、際限なく犠牲を強いられつつ、十九世紀の大革命時代を駆け抜けた。
エンゲルスはマンチェスターではチャーティスト運動に関与し、一八四八年から四九年にはドイツでバリケードによる市街戦に加わり、一八七一年にはパリ・コミューン支持者たちを鼓舞し、一八九〇年代のロンドンでは、イギリスの労働運動の難産を目の当たりにした。
彼は実践を信じ、みずからの革命的共産主義の理論を実践して生きることを信じる人間だった。それでも、その機会に恵まれることはめったになく、欲求不満な人生を送っていた。というのも、マルクスと出会った当初から、自分の野心は友人の天賦の才のために、共産主義の理念のためにあきらめることを決心していたからだ。人生の盛りにニ〇年という長い年月にわたって、彼はマンチェスターの工場経営者としての自己嫌悪に陥る立場に耐え、マルクスが『資本論』を書きあげるための資金と自由を保証したのだ。共産主義者であることにおいてきわめて重要な自己犠牲の概念は、この運動が生まれた当初からそこにあったのである。(中略)
エンゲルスは軍人の鑑のように規律正しかった。(中略)
つねに戦略的に考え、しばしば目上に楯突き、軍人であると同時に知識人でもあったエンゲルスは、まさに〈将軍〉だった。このあだ名は彼の軍事評論を見てエリノアがつけたものだが、すぐさま定着した。この呼び名は明らかに、この人物のより深い真実をじつによく表わしていたからだ。
単に彼の完璧な身だしなみや背筋のまっすぐな立ち居振る舞いだけでなく、マルクス主義のプロジェクトにおける彼の役割を象徴した、全般におよぶ統制感、人を鼓舞する統率力、それに冷静な専門家気質である。十九世紀におけるマルクス主義の成功に、これほど大きな貢献をはたした人はほかにはいない。
筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P15-17
※適宜改行しました
マルクスの陰に隠れてしまい、今ではほとんど知られていないエンゲルスですが、この人物が果たした役割はとてつもなく巨大なものでした。
この伝記ではそんな知られざるエンゲルスの姿を見ていくことになります。
同時にこの伝記はエンゲルスだけではなくマルクスについても詳しく語られます。
マルクスとエンゲルスがいかに互いに影響を与え合っていたか、そしてマルクス主義の伝播にエンゲルスがいかに貢献したかをこの本では見ていきます。これはものすごく面白いです!
これから先、「マルクスとエンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」シリーズと題して全69回、更新を続けていきます。これを読めばマルクスとエンゲルスの思想が出来上がる背景をかなり詳しく知ることができます。
そしてこれはマルクス・エンゲルスを知るだけではなく、宗教、思想、文化、政治、いや人間そのもののあり方についても大きな示唆を与えてくれるものになっています。
ぜひこれからもお付き合い頂ければ幸いです。
マルクス・エンゲルスを知ることは人間の営みそのものを知ることにも繋がります。今回はそのことを強調して終わらせて頂きます。
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